モニタに映るミサトを冷ややかな眼差しで見つめていたシンジは、視線を、唇を真っ青にしたアスカが映し出されているもう一つのウインドウへと転じ た。シンジはミサトの映し出されたモニタから目を背けると、それまで浮かべていた氷の表情を消し、ここに来て初めて穏やかな顔をアスカへと向けた。
「アスカ……聞きたいことがあるんだ。正直に答えてくれるね?」
 張り詰めていた空気が氷解したのをアスカは感じ取った。だが今からシンジが何を自分に聞こうかとしているのか、それを図りとることは今のアスカには出来 なかった。ただそれでも、これがとても大切な意味を持つことだけはアスカは理解し、黙って一回だけ頷いてそれを肯定した。










Neon Genesis Evangelion

Endless Waltz

-18th Episode-










 シンジがドイツでアスカと対峙している頃、旧ネルフ本部の地下でリツコとシェンはその様子を見守っていた。もちろん彼らは、そうしながらも自分の 仕事を全うしていた。絶えず世界のどこかで、おかしな動きが無いのに注意を払っているのである。何しろ初号機が人の目に付いた以上、この場所、そして ATLが注目されないわけが無いのだ。真っ先に疑わしいものとして、反撃の対象にされることは疑いようの無いことだった。
 もちろん龍家の威信で、中国政府は押さえているのだが、それでも各国の工作員までは、逆に網の目が粗すぎて抑えきることはできなかった。もちろんそのた めの備えとして、龍家お抱えの実行部隊が居るのだが、こと本格的な戦争には、彼らでは役者不足であるのは否めないことだった。
 もっとも、うれしい誤算もシェンにはあった。ことごとく彼に逆らっていた虎の一族が、真っ先に彼の支持を表明したのだ。しかもそれだけでなく、彼らの選 りすぐりをATL周辺に派遣してきたのだ。守りを固める必要がある今、その手助けはありがたいことだった。もちろんこれはユイリの動きがあってこそのこと であり、またしてもシェンは、ユイリの軍師としての卓越した才能を思い知らされたのである。
「ここまでは計算どおりですね」
 シェンは、隣に居るリツコにだけ聞こえる声でそう話し掛けた。
「備えの方は大丈夫なの?」
 その意図を知るリツコも、同じように小さな声でシェンに答えた。それは同じ空間に居る、渚カヲルを避けているようでもあった。
「……こればかりは……何しろ、ユイリでも歯が立つかどうか分からない相手ですからね」
「こっちは?」
 リツコの視線の先にあるものに、シェンは小さく頷いた。
「言われたとおりのものを仕込んでおきましたよ。でも本当に役に立つんでしょうね?」
「分からないわよ。あなたの腕次第……と言った所かしら?」
「責任をこっちに持ってこないでください」
「別に良いじゃない。私はあなたを信用しているし、それにあなたが失敗したらだれが悪いなんて言っている余裕なんて無くなるから」
「確かにそうですね……」
「気休めかもしれないけど、あなたなら大丈夫。あの娘が、あなたを危険にさらすような事はしないでしょ?」
 あの娘が誰を指すのか、それは確認するまでも無いことである。
「それが唯一の気休めと言う所でしょうか?私はそれほど自分を信用していませんよ」
 目の前のモニタには、インドラの自爆を最後に、奇麗に掃除された宇宙空間の映像が映し出されていた。これはすでに占拠した、ネルフ北米支部のエンタープ ライズからの映像である。これを見る限り、何も心配は無いように思えるのだが、二人はまったく安心していなかった。
「……彼らは行動を起こしますか?」
「間違い無いでしょうね。オリュムポスが来るまで潜んでいると言う手も有るけど、シンジ君が初号機を破壊したら、手も足もでなくなるわ。だからその前に彼 らは仕掛けてくるわ。それにはシンジ君の意識が、弐号機に向いている今が好機なのよ」
「こちらは良いとして、初号機の方は大丈夫ですか?」
「……あら、それを一番御存じなのはあなたでしょう?」
 シンジとユイリの力量を最も知る者として、彼らの能力に疑いは無かった。しかしそれでも、使徒と言う未知を相手にして、今までどおりに行くと言う確信は 無かった。
「いくら私でも、無条件に彼らを信用出来ません。何しろ使徒に付いての知識は皆無に等しいのですからね」
「使徒と言っても、打てる手は限られているわ。今の初号機に対して、直接の力押しは彼らでも無理が有るわ。他には初号機を乗っ取るという手も有るけど、中 に乗っている人間から考えるとそれも難しいわね」
 リツコは、渚カヲルすら支配した、ユイリの精神を仄めかしていた。
「それはそうですが……失礼、電話が……」
 エウロパからの情報が信用できないのなら、人の目で直接確かめればそれで用は足りる。シェンはそれを実践し、人員をインドラのエネルギー基地へと配し た。使徒が裏切るとしたら、まずそこからだろうとあたりをつけたのだ。そしてシェンの読みの通り、一本の知らせが今シェンの元へと届けられた。二人にとっ て、それは新たな戦いの始まりを告げるものだった。
「まずはイロウルの排除ですか……」
 シンジから事情を聞いていなければ、その行為に何の感慨も彼らは持たなかったであろう。だが、使徒自体が、オリュムポスに対する敵意と強迫観念を刷り込 まれている事実に、シェンにはイロウルを排除することへの同情もあった。だからと言って作業を遅らせるような愚をシェンは犯さない。淡々と作業を行い、生 物コンピュータへの逆クラック、そして機能停止ウイルスをMAGI上に準備した。
「これで使徒も敵に回しますね……」
 すでに使徒が、彼らに対して背信を働いている以上、この問いかけは無意味なことである。シェンのこの呟きは、己の心への確認だったのだろう。だがそのと きシェンは、ただならぬ殺気を背中に感じ振り返った。
「リリス!?」
「レイッ!!」
 そこに立っていた綾波レイに、二人は少なからず驚かされた。彼女のシンジに対する心情は、使徒として心に刷り込まれた物を上回ると二人は信じていたの だ。それにも関わらず、こうして二人に殺気を向けてきたと言うことに、彼らは使徒に刷り込まれた怨念の強さを思いやった。
「……イロウルの邪魔はさせない」
 赤い瞳に宿った剣呑な光は、並みの人間ならそれだけで死を招きそうなほどの圧力を持ったものであった。それはシェンとリツコにも例外は無いはずだった。 だが、不意にその視線を遮った影に、その圧力は簡単に霧散した。自分の力を恐れぬ闖入者に、綾波レイは目を剥いて驚いた。
「……あなた……誰?」
「グロリア!!」
 グロリアは、レイと対峙しながら、シェンに『はぁい!』と気軽に手を振った。
「はいはい、オイタはそこまで。シンジに嫌われたくなかったら、おとなしく横で見ていなさい!!」
 緊張感に欠けるグロリアの口から吐き出された言葉は、綾波レイに対して意外と思えるほど効果があった。氷のような殺気を纏っていたレイが、シンジの名を 聞いた途端落ち着きを無くしたのだ。
「あなたが大人しくしていてくれるのなら、こちらも何もしないわ。でもね、そちらが邪魔をすると言うのなら、こちらも遠慮はしないわよ」
「……あなたに何が出来ると言うの…」
「さあ、ATフィールドしか能の無いあなたよりは芸があると思うわよ」
「ただの人間に、ATフィールドは防げないわ」
「それはどうかしら?なんなら試して見る?」
 グロリアはそう言うと、上階に居るカヲルへと視線を向けた。その意味は、背後に居るシェンとリツコの保護。グロリア自身は一人でレイと戦うつもりで居 た。
「……碇君は分かってくれる。でも、邪魔をするのならあなたは要らない……」
「そう?なら交渉決裂ね。いつでもいいからかかってらっしゃい。ただし、後ろの二人は巻き込まれるといけないから、そこの彼に保護してもらうからね」
 その言葉に答えて、カヲルはシェンとリツコの元にゆっくりと降り立った。そのこと自体、レイにとって驚きだったようだ。自分たち使徒が、オリュムポスと の戦いを回避する方向に動く、それはありえない考えだったのだ。
 だがその驚きを敢えて押さえ込み、レイはグロリアへ攻撃を仕掛けた。まったく手加減の無いレイは、ATフィールドを刃に変え、目の前に立つグロリアへと 投げかけたのである。
 人の目には不可視な、そしていかなる盾でも防げない攻撃は、グロリアの体を両断するはずだった。だが、レイの目に映ったのは、何事も無いように立ってい るグロリアの姿だった。そんなはずは無いと、レイはATフィールドで自らの身を守ることも忘れ、再びATフィールドの刃をグロリアへと飛ばした。しかし、 今度もまた結果は同じだった。レイには、なぜグロリアが平気にしていられるのか不思議でならなかった。
「あたしが無事なのが不思議そうね」
 にやにやと笑いながら、グロリアはレイに向かってそう言った。まるで心を読まれているような感覚に、レイは焦りにも似たものを感じていた。ATフィール ドと言う絶対の刃を持つ身にとって、こうして人に遅れを取るとは考えられなかったのだ。だがその自信がもろくも崩れたとき、レイはどうしてよいのか分から なかった。そしてそれを見透かしたように、グロリアはレイの心を刺激した。
「結局あなたは素人、私はプロと言うことなのよ。あなたをこれから殺しますよ!なぁんて、殺気をぷんぷん振りまいたら、刃物が見えなくたってよっぽどの素 人でなければあたらないわよ。それにね、似たようなことならあたしにも出来るわよ」
 そうグロリアが言った瞬間、レイは沢山の刃物で身を切り刻まれるのを感じた。もちろんATフィールドで身を守っている以上、実際の刃物が彼女を傷つける ことなどありえない。すべては錯覚であるのだが、その一つ一つをレイは本当の痛みを持って受け止めていた。
「それが気を飛ばすと言うことなの。その程度で苦しいのなら、ここで引きなさい。シンジにはあんたをいじめちゃだめって言われているんだから」
 引けと言うグロリアの言葉も、レイを止めることは出来なかった。レイは、避けられない攻撃をすればいいのだと気づき、それを実行することにした。
「……避けることが出来るのなら……避けられないようにすればいいわ」
「正解!!でも、それも無理よ!!」
 その瞬間、レイにはグロリアの体がぶれて消えたように見えた。そしてそれを最後にレイの意識は深遠へと落ちていった。レイの後ろに現れたグロリアは、レ イの白い首筋に指をあて、軽く力を込めただけで彼女を失神させたのだ。結局グロリアは、素手で使徒であるレイを凌駕したことになる。
「まったく世話をかけちゃって……」
 意識を失って崩れ落ちるレイを、グロリアは後ろから抱きかかえた。すっかり力が抜けたレイの姿は、まるで糸の切れたマリオネットのように頼りないものと なっていた。
「殺したの……」
「まさか、そんなことをしたら、あたしがシンジに殺されちゃうわよ。ちょっと眠ってもらっただけ」
「でも、まさか人が使徒に勝つだなんて……」
 何事も無いように言い切るグロリアに、リツコは驚きを隠せなかった。エヴァでなければ倒せないと言われた使徒を、目の前の女性は素手で一蹴して見せたの だ。
「ま、カンニングしていたからね。後は相性の問題と、彼女がこういうことには素人だったということ。そこの素敵な彼と戦ったら、多分私が死んでいたわ」
「評価してもらえるのはうれしいが、僕でも君には勝てないと思うのだがね」
「あら、そう?じゃあユイリがあなたと寝たのは、彼女の趣味かしら??てっきりあなたの心を操作するためだと思ったのだけど」
 グロリアの言葉は、彼らの間に二つの小さな爆弾を落とした。一つは、心を操作されていると言われたカヲルであり、もう一つはシェンとリツコだった。
「……ユイリが彼と寝たの……」
「そっ、相手の心に触れるのには、肉体的接触が一番良いんだって。その証拠にほら、彼はオリュムポスへの敵意が軽くなっているでしょ?でもね、副作用があ るからあまりしないようにしているってユイリは言っていたわよ」
「副作用?」
「そう、相手の心を縛ってしまうんだって。だから身近な人とは寝たくないって。シンジは、そういう事で悲しい目にあっているから……」
 グロリアの言葉に、リツコはMAGIの中にあった『惣流アスカ・ラングレー治療記録』と表題が振られていたデータのことを思い出した。




 アスカの同意に、シンジはわざとらしく満足げに頷き、言葉を続けた。
「いい子だ。アスカなら理解できると思うけど、もう世界には僕に逆らう力はない。残っているのは弐号機だけだ。それとて正面からぶつかって、僕の乗る初号 機に敵うはずも無い」
 シンジの言葉には幾つかの間違いが含まれている。今現在押さえられているのは、コンピュータにより制御管制されている兵力だけなのである。もちろんそれ を押さえられていると言うことは、それに寄らない抵抗を試みたところで、手痛い報復を受けることも事実である。だがゲリラ的な抵抗を押さえるための力をシ ンジは有していないのもまた確かである。
「降伏してもアスカの運命は変わらない。さっきそう言ったね。でも少しだけ考えが変わったよ。アスカの降伏は認めよう。でもそれには一つだけ条件がある」
「……なによ……」
 強がろうとしても、今のアスカにはそれは無駄な努力だった。全身を包んでいる恐怖の前では、もはやアスカを包む硬い殻も何の役にも立っていなかった。
「アスカの手で弐号機を壊してくれないか?そうだね、モードDで自爆ってのが一番簡単で良いね。そうしてくれるのなら、エントリープラグは僕が保護してあ げよう。アスカのことはその後で可愛がってあげるよ」
 簡単なことのように言うシンジに、アスカの顔色はさらに悪くなった。もちろん弐号機に自分の母親の魂が込められていることは、シンジも知っていることな のだ。それを知りながら、シンジはアスカに自分の母親を殺せと言ったのである。今のアスカに、それを受け入れられるはずが無いことを知りながら。
「……出来ない……ママを殺すことなんて私には出来ない……私のためにエヴァに残したママを殺すことなんて……」
 そのアスカの答えはシンジの予想のとおりだった。しかしあまりにも予想通りだったために、シンジは皮肉な笑いを浮かべることしか出来なかった。
「分かってないね、アスカは。アスカがどう決断しようとも、弐号機の命はここで終わるんだ。違うのは、手を下すのは誰かと言うことだけだよ。それに弐号機 の中のアスカのママはね、アスカのためにそこに残ったわけじゃないんだよ」
「……何?」
「僕も初めはそう思っていたよ。母さんと同じように、キョウコさんもアスカに未来を残すために、エヴァに残ったのだと。本人が仕組んだ、希望どおりの不慮 の事故、そうだとばかり思っていた」
「……どう言うこと……なの?」
「シンジ君やめなさい!!」
 シンジが口にしようとした決定的な言葉を、真実を知っているミサトは何とかして遮ろうと声を張り上げた。だがその行為自体が、シンジの口にした疑惑を肯 定する行為になることに、ミサトは気が回らなかった。
「ドイツ支部は、焦っていたんだろうね。だから人柱を立てることに反対していたアスカのママを、口封じと合わせてエヴァに取り込ませた。本人は薬で眠らせ てね」
「嘘よ!!ネルフはそんなことをしていないわ!!」
「……この上嘘を重ねるつもりですか?このことは、ドイツ支部にも居たあなたなら知っているはずのことですよ。しかも加持さんの残したデータの中にもこれ は記載されていた。キョウコさんはね、エヴァが決して福音を告げるものなのではないことを知っていたんですよ。だから自分の娘を、アスカを巻き込みたくな かった」
「でも、それはっ……」
「今のネルフじゃない……そう言いたいんですか?あなた達には、アスカに真実を告げる時間が十分に有ったはずです。そしてその上で、エヴァに乗り敵と戦う ことを託すことが出来たはずです。ならばなぜそれをしなかったのか?つまりあなた達は、アスカを信じてなど居なかった」
「違う!それは絶対に違う!!」
「ならばなぜです?アスカの心が不安定だから、真実を告げるのが躊躇われた……とでも言いたいのですか?つまりあなた達にとって大切なのは、エヴァンゲリ オン弐号機を動かせる惣流アスカ・ラングレーであり、人間アスカなどどうでも良かった」
「……仕方がなかったのよ。UMAの来襲が予測されていたのだから……」
「また“仕方ない”ですか?いいですね、仕方ないの一言で済ませられる人は。ならこれはどうです?これはおそらくミサトさんも知らない事だと思いますけど ね」
「これ以上何があると言うのよ……」
 はっきりとミサトは、シンジの言葉に引いていた。シンジの言う一言一言が、身を切り裂くようにミサトを襲ったのだ。自業自得とは言え、それは簡単には耐 えられるものではない。しかも自分も知らないような事がまだ他にも有ると言うのだ。いつのまにかミサトも、恐怖に唇を紫色に染めていた。
「最後の戦いの後の事だよ。あの時のアスカの役割って知ってるかい?」
 思いも掛けない、そして今まで疑問に思った事も無い問い掛けに、アスカは答える事が出来なかった。自分の役割はエヴァのパイロット、その為に戦いの後も ネルフに居たのだとアスカは信じていた。
「アスカの役割はね、弐号機に乗る事じゃない。僕をネルフに縛り付けておく鎖だったんだ」
「……どういうことよ」
「僕がエヴァに乗ると言う事に消極的だと言う事は、報告を読めば分かる事だからね。でも使徒がこないと分かった以上、もう人権と言うものを無視して僕をネ ルフに縛り付けることは出来ないんだ。いくらゼーレがしくんだ事とは言え、ネルフもまったく罪が無い訳じゃない。だからネルフに対して色々と目を光らせて いる人達が居たんだ。そう言う人達にとって、僕の存在と言うのは目立つものだったんだ。初号機を動かせると言う事実と、本人が望んでいないと言う事実。な ぜ本人が望まないのに、そんな子供をネルフに引きとめるのか?ネルフとしては僕を引きとめたいんだけど、それにはもはや振りかざす大義名聞が無い。だから 彼らは一計を案じた」
「嘘でしょう……まさかアスカに……」
 ミサトは、シンジが言おうとしている事に引っ掛かるものを感じた。彼女自信、戦いが終われば子供達を解放できると考えていた所が有るのだ。そんな策謀に は、彼女自信加わっていなかった。だがシンジに指摘されれば、そう言う事を考える土壌が有った事は否めない。
「馬鹿な人達です。別に手を出さないで放っておけばよかったんだ。そうすれば僕は、自分の意思でネルフに残る事を選んだのに。すでにアスカは僕を引きとめ る鎖として機能していた。なのに貴方たち大人は、人として最低の事をして、わざわざその鎖を壊すまねをした」
「……分からないわよ。分かるように説明して」
 自覚の無いアスカにとって、シンジの言っている事の一つ一つが理解不能な事だった。あの時の自分の行動、例え常軌を逸した所が有ったとしても、それはす べて自分がなした事だとアスカは信じていたのだ。だからこそ、シンジに対して言わなくてはいけない多くの事が有ったのだ。
「アスカはカウンセリングを受けていたよね?」
「……まさか……」
 そのたった一つの指摘が、アスカの心の中に疑惑を生じさせた。精神的に不安定になっていた自分は、確かにシンジの言う通り、戦いの後セラピストによるカ ウセンリングを受けていた。だがその事を、今シンジに指摘されるまで、なぜだか忘れていたのだ。
「そのまさかだよ。カウンセリングと称して、ネルフはアスカに一つの考えを埋め込んだ。分かるかい、あの頃アスカが僕に抱いていた感情、そのほとんどが他 人によって刷り込まれたものなんだ」
「……嘘でしょう……」
「それだけじゃない、その頃アスカが服用していた薬、それが微妙に変わってきたんだ。最初の頃は経口避妊薬が入っていたんだけどね、いつのまにかその薬は 処方されなくなり、別の薬に代わっていたんだ。さすがにピルが処方されていたのは知っていたけど、新しい薬がなんであるかなんて僕には分からなかった。物 の本にはついていなかったからね、単なる栄養剤だと思いたかった……」
 そのシンジの物言いは、それが栄養剤などではないと物語っていた。
「僕はアスカが好きだった……いや、今でもアスカのことは好きだと思う。だから僕はネルフに壊されていくアスカを見ているのが辛かった。でも、僕がしっか りしていれば何とか出来ると思っていたんだ。しかしそれは独り善がりでしかなかった。やはり僕は、組織の前では非力な子供に過ぎなかったんだ」
「後から分かったことだよ。なかなか関係を結ばない僕達に業を煮やして、ネルフはアスカに媚薬まで盛っていたんだ。分かるかい、好きな人から向けられる好 意が、他人が勝手にいじったものだと知ったときの苦しみを……アスカが向けてくれる好意を、二度と信じることが出来なくなった絶望を……」
 シンジの告白に、アスカは声も無かった。シンジが自分のことを好きだと言ってくれた。この戦いが起きる前なら、その告白を素直に喜ぶことが出来ただろ う。だが、自分の心がいじられたと指摘された今、うれしいと感じている感情すら、本当に自分のものなのかわからなくなってしまったのだ。そして問題はシン ジだ。心から欲してやまなかったものが、二度と手に入らないことを突きつけられたのだ。しかもそれを壊したのはネルフの大人達……シンジがネルフに居られ るはずが無かったのだ。
「だからアスカは、罪の意識を感じる必要なんて無かったんだ。精神的に不安定なアスカを操作し損なって、暴発させたのはネルフそのものだからね。どうです ミサトさん、これは今のネルフがしたことなのですよ」
 ぐうの音も出ないとはこのことを言うのだろう。ミサトは、シンジに対して証拠はあるのかと迫る気力すら起きなかった。シンジの言うことが100パーセン ト真実なのかは判断できない。だが、アスカの告白とあわせれば、なぜ急にアスカが追い詰めらたようにシンジを犯したのかの説明がつくのだ。
 シンジの話は、総司令であるヘルマンですら関与していないことだった。確かに新生ネルフになってからのことなのだが、組織自体UMAの迎撃に向け、政治 的なものから実践的なものへと鞍替えされていたのだ。だからと言って、自分たちに責任がないなどといえるほど、彼らは厚顔ではなかった。しかし、初号機に 滅ぼされるのを受け入れると言う選択肢もまた、彼らは取ることは出来なかった。そこで彼らが取ったのは、打つ手が残されていない以上仕方の無いことである が、傍観と言う消極的な方法だった。
「さあ、説明のすべては終わりだよ。選んでくれないか?自分で弐号機を壊すのか、それとも僕に壊されるのか?」
 すべての説明が終わったとき、シンジはそう言ってアスカに決断を迫った。本来なら、もう少し考える時間を与えるところなのだが、シンジの方にも残されて いる時間が少なかった。
「……一つだけ教えて……、この後シンジはどうするつもりなの?」
 それはとても曖昧な質問だった。何を聞きたいのかと一瞬考えたシンジだったが、敢えてアスカを突き放す答えをした。
「……アスカに関係の無いことだよ……」
「……でも……」
「アスカには選択の自由は無いんだよ。僕に言えることは、アスカの身の安全だけだよ」
 そのシンジの言葉に、アスカは困惑した表情でシンジの顔を見つめ返してきた。だが、まったく変わらないシンジの表情に、アスカはシンジの言う通り弐号機 を爆破することに同意した。
「いい子だ。これでアスカは全てのしがらみから自由になるよ」
 弐号機の破壊をもって、世界にはまともな戦力は存在しないことになる。だがシンジは、そして彼のもう一つの人格であるユイリはまだ計画の途上であること を理解していた。人の戦力は削いだが、まだ残っている戦力が地上にはあったのだ。そしてそれは、シンジの意識がアスカに集中するのを狙っていたように行動 を起こした。
「魂を縛られた存在……残酷なことを……」
 予想通りの結果に、シンジがそう呟き上空を見上げたとき、二条の光が初号機の居る空間を包み込んだ。それは破壊されたはずのインドラが放つ、終局へのプ ロローグだった。











続く

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