時が迫ることで、心理的に追い詰められていくのは万国共通のことであろう。特に事情を知る物にとっては、世界の終わりの日に何をするのかと言う命 題に対する答えを出すときでもあるのだ。だがすでに蚊帳の外に置かれたネルフにとっては、事情はずいぶんと異なっていた。敵の力が未知数なことや、圧倒的 な初号機の力を見せ付けられたこともあり、当事者に比べて緊張感は欠けていた。もしかしたらそれは、傍観者としかなりえない立場に諦めが付いたせいなのか もしれない。ただ一人を除き、彼らはもっぱら立会人として全てを見届ける体制を整えていた。
 そしてそのただ一人、、表舞台から弾き飛ばされたことを諦めきれない葛城ミサトは、シンジによって提供された情報に首っ引きとなってそれを分析すること で残された短い時間を使っていた。シンジから提供されたと言っても、その大半はカヲルによってもたらされたものである。そのため実際のデータに欠け、分析 を行うにも漠然としすぎているきらいがあった。それでも、その中に何か見落としが無いか、新たな発見は無いか、先に襲来したオリュムポスの収穫者のデータ も合わせ、ミサトは全ての能力をその分析に向けていた。だがその成果が出るには、彼女に残された時間は少なすぎたと言えるだろう。
 すでに傍観者を決め込んだネルフは別として、世界情勢は混沌を極めていた。一番の困難を伴ったのは、宗教を研究する宗教家達であろう。何しろ人類が古来 神と崇めてきた物が、およそ慈悲とは程遠い存在であるのだ。その上、餌となるためだけに存在が許されているなどとされれば、相手を神だなどと思えるもので あろうか。初めて家畜の気持ちを理解できたと言う研究者がいたのも仕方の無いことだった。
 一方、もっとも混乱を危惧された一般大衆は、奇妙なほど落ち着いた対応を見せていた。もちろん破滅への自棄から犯罪率は急増したが、それでも大規模な暴 動やパニックと言う現象は起きていなかった。それは、彼らが受け入れるには、あまりにも説明された事実がとっぴだったせいかもしれない。そしてもう一つ は、何を行動として起こすにしても、残された時間があまりにも少なかったことにその一端があったのかもしれない。












Neon Genesis Evangelion

Endless Waltz

-22nd Episode-













 アスカが目を覚ましたのは、ATLに運び込まれて三日目、オリュムポスが地球に到着する二日前の朝のことだった。半覚醒の状態で伸びをしたアスカ は、突然腹部を襲う鈍痛に思わず顔をしかめて低い唸り声をあげた。だがそのおかげで、意識ははっきりと覚醒領域へと復帰していた。そしてそれを待っていた かのように掛けられた声に、自分が居るのがネルフでない事をアスカは思い知った。
「ようやく目が醒めた?お腹はね、具体的に傷が有る訳じゃないから安心して良いわよ」
 聞き覚えのある、そしてアスカにとっては余り良い記憶の無い声に、一瞬身を固くしたアスカだったが、逆に知っている相手なだけに、すぐに開き直りにも精 神状態へとアスカは移行した。
「別に警戒しなくても良いわよ。あなたに酷い事をしようだなんて、少しも考えていないから」
 アスカの考えが分かったのだろうか、声の主はアスカに向かって警戒しなくても良いと告げた。もちろんそう言われたからと言って、はいそうですかと言える ものではない。
「やはりここに居たのね……リツコ」
 アスカは、リツコをにらみ付けるようにした。そこには、なぜリツコが自分を看ているのかと言う疑問も有った。
「まあ、力を貸せと強引に誘われたしね。それにここの方が、何かと刺激が有って楽しそうだったと言うのも有るわね」
「そうやってネルフを裏切って?」
「別にネルフを裏切ったと言うつもりも無いわ。それに、私は今のネルフに対して義理も無いわよ。所詮厄介者として放逐された身、拾ってくれる所が有ったか ら手伝っただけよ」
「あんたがいれば、こんなに苦労する事も無かったわよ」
「それはあなたが私を買ってくれただけ、ネルフはそう思ってくれなかったようよ。だって国連の監視は着いていたけど、一度も手を貸せと言われた事はなかっ たもの。それよりアスカ、私としたいのはそんな話じゃないでしょ?」
 リツコの冷静な指摘に、アスカは一瞬言葉に詰まった。確かに、聞きたい事は有るのだが、それを口にするのも勇気が必要だったのだ。だがリツコがそれを口 にした以上、もはや避けて通る事は出来なかった。
「ここは……ATLなの?」
「そうよ。でも正確に言うと、ATLから旧ネルフの地下へと続く秘密基地の居住区の一角。人目に着くと、問題のある人間が隠れているわ」
「リツコみたいな……」
「そう、後は渚カヲルや綾波レイも居るわよ」
「ファーストもなの!!」
 リツコから聞かされた名前に、アスカは目を剥いて驚いた。使徒との戦いの時消滅したと聞かされたレイが、生きてここに居ると言うのだ。
「そうよ、そしてここにはシンジ君も居る……」
 リツコの口にしたシンジと言う名前は、レイよりもてき面な効果をアスカにもたらした。アスカはうつむくと、ぽつりぽつりと疑問を口にした。
「ねぇ、リツコ……」
「大丈夫よ、シンジ君はアスカの事を怒っていないから」
「……違うの……シンジがあたしに言った事……」
「シンジ君がアスカに言った事?」
「あたしの心が操作されていたって言う事……本当なの?」
「結論から先に言うわね。本当よアスカ、あなたの心は、長い間に渡って暗示が加えられていたわ」
「……あたしがシンジの事を好きになったのって、やっぱりそうなの?」
 母のこと、エヴァのこと、たくさんの疑問が有るにも関わらず、アスカは自分とシンジの関係をリツコに尋ねた。それが全ての答えになるように、そのときの リツコには思えた。
「私が追い出された後の事は知らないわ。確かにあなたの診療記録の中には、そう言う暗示を与えたって書かれているけどね。でもあなたが今シンジ君に対して 抱いている気持ち、その全てがそのせいかどうかなんて私には分からないわ」
「……でも、この私の気持ちって……」
「それがどうかしたの?」
「えっ!?」
 アスカが、操作された心に拘っていることに、あたかもそれが大した事ではないようにリツコは言い放った。
「そんなものは、形こそ違え昔から似たようなことはあったわよ。でも肝心なのは、アスカがその事実を知った上で、これからどうしていきたいかと言うことな のよ」
「私がどうしたいか……?」
「そう、あなたがどうしたいかよ。あなたの心の中にあるシンジ君を完全に消すことなど出来ないわ。どう言う形にしろ、シンジ君の存在はあなたの心の一部に なっているのよ。それを今更消し去ることの方が、心にとっては不自然なことなのよ。だから肝心なのは、自分の心にあるシンジ君への思いが人に植え付けられ たものだとして、そのことを知ってアスカはどうするかと言うことなのよ。単にそれはきっかけだとして、これからシンジ君の人となりを深く知ろうと思うか。 それとも、他人に勝手に植え付けられたものだとして、自分の心から切り離すのか。いずれにしても、暗示自体は古いものだから、あなたさえその気になれば彼 を忘れることは出来るわ」
「シンジを……忘れる……」
「過去にあなたを縛り付けるもので、残っているのはシンジ君だけなのよ。弐号機はもはや存在しないし、ネルフもオリュムポスの危機が去れば、もはやその組 織を維持することは出来ないわ。となれば残るのはシンジ君だけ、シンジ君のことを忘れてしまえば、あなたは新しい人生をやり直すことが出来るのよ」
「新しい人生……でも、それは……」
「そう、あなたが思っているとおり、これまでのあなたの人生も、あなたの大切な構成要素なの。本当にそれを捨てて良いのか?それはあなた自身を捨て去るこ とにならないのか?それはあなた自身が考えて結論を出すことなのよ。あなたは若いわ、だから時間はまだ十分にある。でも、一つだけ忘れないで欲しいことが あるの。それはシンジ君に残された時間は短いかもしれないと言うことを」
「シンジに残された時間が少ない……どう言うことなの?」
 リツコは、アスカが寝ている間に公開された事実を、順を追って説明した。その中には、公開情報に含まれていない、ユイリとカヲルの会話の内容も含まれて いた。
「リツコ……もしかしてシンジは……」
「彼に何が出来るか?そして、それが本当に意味のあることなのか。残念ながら今の私には判断できないわ。でも、今の私に出来ることはシンジ君を信じて託す ことだけなのよ。相手は人類なんて言う、幼稚な力では対抗できないものなの。だったら、私達は最後に残された可能性に賭けるしかないじゃない」
 リツコの話は、アスカに理解できる話であった。だからと言って納得のいく話ではなかった。
「だからって、シンジ一人が犠牲になればいいって物ではないでしょう!」
「なら、あなたに何が出来るの?シンジ君がしようとすることに異を唱えるのなら、否定だけではなく代案を出しなさい。そうしない限り、あなたがごねること はシンジ君を苦しめるだけだわ」
「あたしがシンジを苦しめる……の?」
「そうよ、シンジ君にとって、あなたが想像する以上にあなたの存在は大きいの」
 それから、と断ってリツコはアスカの知らない話を続けた。
「実はシンジ君の心も同じように操作されていたの。もっともこれはMAGIにも残されていないから、シンジ君も薄々は気づいているようだけど、確証は持て てないようね」
「どういうこと?」
「シンジ君もね、あなたのことが好きになるように誘導されていたと言うことよ」
 もはや少しぐらいのことでは驚かないつもりで居たのだが、リツコの言ったことは大きくアスカの心を揺さぶった。
「し、シンジも……なら、どうして?」
「そのほうが都合が良かったからよ。補完計画を進めるにはね」
「違うわよ、どうして私を抱こうとしなかったのよ」
 そう言う風に操作されていたのなら何故?それはリツコの気休めではないかと疑問がアスカには有った。
「あまり短絡的に考えないで。あなたを好きだからと言って、必ずしもそう言う行動に出るとは限らないでしょう?男女の成長の差と言うものも有るの。それ に、シンジ君があなたに抱いた思いの質とかね」
「思いの……質?」
「そう、思いの質よ。あなたに対するシンジ君の思いは、あなたの取った直接的な感情よりも、どちらかと言えば憧れ的なものが強いのよ」
「憧れ?シンジがあたしに?」
「そう、憧れよ。普通に考えれば、あなたみたいな女の子が目の前に現れれば、たいていの男の子はあなたに憧れるわよ」
「そ、そうよね……」
「まあ、私たちにとっては、それでシンジ君が扱いやすくなってくれればそれで良かったわ。それに適当に親密になってくれれば、後で役に立つから」
「親密になると……役に立つ?」
 どうしてそんな子供の恋愛が、ネルフの役に立つのか?アスカの心に小さな疑問符が浮かんだ。
「不思議そうね。補完計画にはね、幾つ物オプションがあったのよ。その中にはシンジ君を使うものもあったわ。あなたはそのときのために使われる予定だっ た」
「あたしを……シンジのために……?」
「実現しなかった案だから言えることだけど、シンジ君を含めてあなたにも相当に酷い目に遭ってもらう予定だったわ。それこそシンジ君が現実に絶望するぐら いに。そしてその案は、初号機がシンジ君しか受け入れないと分かったとき急に現実味を帯びてきたわ」
「……でも、失敗した……」
「あら、うまくいきかけたのよ。と言うか、ほとんど成功しかけていたわ。ただ最後のほんのわずかな不確定要素が邪魔をしただけ」
「不確定要素……なによそれ?」
「あなたが頑張りすぎたのよ」
 たったそれだけ?と言うのがアスカの思いだった。自分が頑張っただけで、発動しかけていた補完計画が頓挫したのかと?
「あなたは成すすべなく殺される予定だったのよ。それを目の当たりにすれば、シンジ君の自我は完全に崩壊する予定だったわっ」
 それ以上の言葉をリツコは発することは出来なかった。彼女は頬に熱いものを感じたと思ったら、気が付いたときには床に転がっていた。
「あなたにはそうする権利がある。もし私を殺したいと思うのなら、そうしてくれても良いわ」
 あまりの衝撃に少し足元がおぼつかなくなったが、リツコは何とか立ち上がり椅子に座りなおした。目の前には、怒りに身を燃やしたアスカの姿があった。リ ツコは、アスカの瞳からは大粒の涙がこぼれようとしているのに気が付いた。
「今更隠しても、取り繕ってもしょうがないことでしょ。ごめんなさい、あなたに追い討ちをかけるつもりは無かったのだけどね」
「なんでよ!どうしてあたしばっかり……どうしてあたしばっかりがこんな目に遭わなくちゃいけないのよぉ!」
 泣き叫ぶアスカにリツコの心は痛んだが、それでもアスカのためにはここで終わらせるわけには行かなかった。
「ごめんなさい。あなたには辛いことだと思うわ。あなたには全てを知って欲しいのよ。ネルフのやって来たこと、そしてそのネルフも知らなかったゼーレの思 惑。それに荷担した碇司令と私の罪。そしてシンジ君のこと……」
 ずるいな、とシンジの名前を出す自分を、リツコはそう自嘲した。操作を受けていようがどうしようが、アスカの中で一番比重が重いのはシンジのことなので ある。そしてリツコの予想通り、シンジと言うキーワードに、アスカは覿面に反応した。
「シンジの……こと?」
「そう、私がシェンから聞いたこと。シンジ君から聞いたこと。グロリアから聞いたこと。その全てをあなたに話すわ。その上であなたは自分のことを見つめな おして頂戴」
 ごくりとつばを飲み込んで、アスカはリツコにゆっくりと頷いて見せた。そのアスカの様子に、リツコはこれから自分が犯そうとしている罪に胸が苦しくなる のを感じていた。そう、リツコは罪を犯そうとしていた。二人のためと言うことが免罪符にならないことぐらい、リツコも承知していた。
「アスカの前から姿を消した後、シンジ君は地獄を見たのよ……」
 リツコはこれまで聞いた話を、時系列にまとめて話し出した。




 まだ日が昇ってあまり時間が経っていない頃合、シェンは自室のドアを叩く音に目を覚まさせられた。本当に昨夜から落ち着かないと、内心不満を漏ら しながらドアを開いたシェンだったが、目の前に立つ人物にはさすがに驚きを隠すことは出来なかった。そこには、めったに姿を現さないシンジが立っていたの だ。
「おはよう、シェン。話があるんだ、ちょっといいかな?」
 構わないと、シェンはまだ整理のされていない部屋にシンジを招き入れた。
「すまないね、疲れているんだろう?」
「いや、そろそろ起きてもいい時間だった。それよりも話とはなんだい」
「今更僕が君を訪ねる理由は限られているよ。ユイリとアスカのことさ」
 その二人の名前は、シェンにシンジに対する後ろめたさを感じさせるものだった。
「勘違いしないで欲しい。君を責めようと思っているんじゃないんだ。いや、君の本当の気持ちを考えなかった僕の方が悪いとも言える」
「そう言ってくれると助かるが、だが間違えないで欲しい、確かに私はアスカを妻に欲しいと思ったのだ」
「別に構わないよ。そのことを今問題にしようとは思っていない。それどころか、僕は君に謝らなくてはいけない」
「謝る?私には意味が分からないが?」
「ネルフを攻めた時、ユイリを表に出してしまったことだよ。そのせいで、ユイリも追われることになってしまった」
「それは違う、たとえあそこでユイリが出なかったとしても、この事件への私の関与は隠しようが無かった」
「いや、僕の未熟さからスケープゴートを増やしてしまったんだ。あそこでユイリが出ていなければ、全ての責任を僕に押し付けて、ユイリは君と平穏に暮らす ことが出来たんだ。それを僕は壊してしまった」
「そういう事か……だが、私はユイリにも告げたが、世界を敵に回しても彼女を守ってみせると決めた」
 誇らしげに言うシェンを、まぶしいものを見るかのようにシンジは目を細めて見つめた。いや、シンジにとって、今のシェンの姿は本当にまぶしく感じられた のだ。昔の自分が持っていなかったもの、それを今のシェンは持っているのだと。
「それなら僕も決心できる。シェン、ユイリが消えないようにする方法を君に教えるよ」
「どう言うことだ?」
「今は困るが、ユイリを抱いて子供を作れ。そうすれば、二度と僕は表に出ることは出来なくなる」
「ち、ちょっと待て。一体何の話をしている」
「僕と言う存在を消し去り、この世にユイリ・アンカと言う女性だけにする方法のことさ」
 その言葉は、まるで悪魔の囁きのようにシェンの心に染み込んだ。碇シンジの存在を消し去れば、晴れてユイリを妻に迎えることが出来る。だが、シェンの理 性は、その悪魔の囁きに耳を貸すより、シンジの真意を聞く方の選択した。
「そんなことをして、君はどうするんだ!」
「意識だけの存在になる……でも、それも長くは持たないだろう。ユイリの中で眠りについて、いつか目覚めることもなくなるだろう」
「そんな……それでシンジはいいのか!」
「いいも悪いも無いさ。二人同時に幸せになることが出来ないのなら、せめてどちらか一方でも幸せになる方法を考えるべきじゃないのかい?僕はその方法の情 報を提供しただけだよ」
「私たちに、罪を背負って生きろというのか……」
「それくらいのことは我慢して欲しいな。それに罪なら沢山背負っているだろう?今更その一つが増えたところで、大差は無いんじゃないか?」
「だが、君の思いはどうなるんだ。ユイリは僕に告げたぞ、君は気が狂うほどアスカを愛していると。それなのに彼女を見捨てていくのか」
「二兎を追うもの一兎を得ずという諺があるよ。僕とユイリ、二人が幸せを追い求めたら、結局どちらも幸福にはなれないんだ。だったら諦めやすい方が諦める のが一番いい」
「諦めやすい方が……お前の気持ちはそんなものだったのか!碇シンジ、見損なったぞ!!」
 シェンが激昂したのに対して、シンジの方はあくまで冷静だった。だからと言って、このことでシンジの心が波立たなかったと言うわけではない。
「冷静になれ、シェン。どこをどうつついたところで、僕達に選択できるものは限られているんだ。考えても見ろよ、僕とユイリは体を共有しているんだ。しか も、君が思いを遂げるということは僕の消滅にも繋がる。そして僕が僕として存在する限り、君はユイリとの間で子をなすことは出来ないんだ。それともそれで も君は納得が出来るのか?逆に問うが、ユイリを愛するといったのは偽りではないんだろう?」
「偽り……などであるはずがない」
 突きつけられた重い事実に、さしものシェンの勢いも削がれてしまった。
「……しかし、なぜ、子供を作ると君が出てこられなくなるんだ……」
「正確に言えば、出てこられないことは無い。でもそのためには失うものもあるんだ」
「なんだ……?」
 およその想像は着いたが、敢えてシェンはシンジに尋ねていた。
「分かるだろう?君たちの子供さ。男の僕の中に、その子をとどめておく方法は無い。だから、ユイリから僕に代わるとき、単なるたんぱく質の塊として僕の中 に消え去ることになる。もちろん僕の中では異質なものになるからね、必ずしも悪影響が出ないとも限らないんだ。そして、その子がユイリの中で成長したと き、その子は新しい魂を自我で包むんだ。そうすると、その子まで僕の影響は及ぶことは無くなり、変身したとき何が起こるのか分からなくなる。おそらく二人 とも無事では済まない事になるだろう」
「借り腹を使うことも出来るだろう?」
「不可能ではないさ。でも子供を宿した途端、ユイリの母性が強くなるだろう。それもまた、僕にとっては有害なものになる。いずれにしても、子供を作ること で僕達の関係は変わることになるのさ」
「そう……なのか……」
「君が誘惑に負けても、それは仕方の無いことだと思う。だが、この戦いが終わるまで待っていて欲しいんだ。そうしてくれれば、この体をユイリに明渡しても いいと思っている」
「二日待て、と言うのか?」
「そう言うことだ。もっともこの戦いが僕たちの勝利に終わると言う保証は無いけどね。もし僕が生きて帰ってくることができたのなら、そのときは君が全力で 彼女を守ってくれ」
「シンジは……本当にそれでいいのか?」
「良い訳は無いさ。けれど、それしか選択が無い以上受け入れるしかないのさ」
 そう語るシンジに、シェンはかけるべき言葉が思いつかなかった。
「……シンジは、残された時間をどうするつもりなんだ」
「そうだね、メイホンだったかな?この世の名残に彼女としっぽり行こうかと思っているよ」
 それもまたシェンにとって意外な言葉だった。だがシンジの真意を探ろうとするには、すでにシェンは疲れきっていた。だから彼にしては珍しく投げやりな言 葉で、そこで会話を打ち切った。
「……好きにしてくれ。ただし、何か不自由があったら言ってくれ。可能な限り便宜を図る」
「感謝するよ、シェン!」
 そう言ってシンジは、それじゃあと手を振ってシェンの部屋を出て行った。後に残されたシェンは、まるでこの世の終わりを迎えたかのように、両手で顔を 覆って椅子に体を投げ出していた。









続く

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