「おにいちゃんなんて大っ嫌い!!」
 心にもない言葉が、ついユイリの口を吐いて出てしまった。そんなことが言いたかったのじゃない、本当の気持ちはむしろその逆。血の繋がりさえなかったら といつも思っていた。だけど口から出たのは、思いとは正反対の言葉。
「妹なんかより、渚先輩の方が良いんでしょ!!」
 つい口走ってしまった言葉に、むしろユイリの方が唖然としてしまった。
「何を言っているんだ?」
 訳が分からないと言うシンジに、ユイリはあわててその場を逃げ出した。これ以上兄の顔を見ていたら、何を口走ってしまうのか自信がなくなってしまったの だ。















Neon Gensis Evangelion

Endless Waltz

- Epilogue -















 ここのところ、ユイリの精神状態は最悪と言って良いものだった。相変わらず、変な夢を見続けていたのだが、その内容が変わってきたのも原因の一つ になっていた。
『……儂は、家族を愛しているぞ!?』
 その夢の話に、ゲンドウは困った顔をしてしまった。いくら何でも、妻に先立たれたことを理由に息子を捨てることなどあり得ないと。
『……私も、あなた達より優先することはないわよ』
 ユイも、自分も同じだと繰り返した。人類の生きた証などという訳の分からないもののために、子供を置いていくことなど考えられないのだと。
『……そりゃあ、情けないところがあるのは認めるよ』
 でも、立ち向かう勇気は持っているつもりだとシンジは言った。なによりも、他人任せにするのは主義じゃないと付け加えた。
 そんなことは分かっている。困った顔をした家族に、ユイリは苦しそうに言葉を投げた。自分の大切な父や母、そして誰よりも大好きな兄がどんな人なのか。 そんなことは言われなくても分かっていると。そして、そのことを一度も疑ったこともないのだと。
 でも、現実とは正反対の夢を見てしまうのだとユイリは悲鳴を上げた。夢の中の家族は、現実と正反対なのだと。
『お母さんは、自分勝手にエヴァの中に残ったわ。そして、お父さんはお母さんのことだけ考えて、お兄ちゃんに酷いことをしたの。お兄ちゃんはお兄ちゃん で、逃げてばっかり。悪いことは、みんな人のせいにするのよ。そして、そのせいで世界は破滅してしまうの!!』
 そんな夢を延々と見せられては堪らない。ユイリはもう一度大きな声を出した。錯乱したようなユイリの姿に、ゲンドウとユイ、そしてシンジはお互いの顔を 見合わせた。自分に期待する両親に、シンジは思い詰めたように一つ頷いた。そしていやいやと頭を抱えるユイリの肩を、シンジはそっと抱いた。
『とにかく、僕の部屋で落ち着こうね』
 兄の言葉にゆっくりと頷くと、ユイリは肩を抱かれたままおぼつかない足取りで歩き始めた。

 階段の向こうに消えた子供達の姿に、ユイはどうしたらいいのかと夫にすがった。考えられるだけの手はすでに打っている。カウンセラーにも精神科医 にも診せている。抑圧された願望が原因ではないか。そんなアドバイスに、シンジと二人旅もさせてみた。だがどんなことをしても、ユイリの見る夢は変わらな かった。頼みの綱の催眠療法も、効果という効果を示してはくれなかった。唯一シンジと言う兄の存在だけが、ユイリを正気に保たせている状態だった。
『あなた……』
 どうしたらいいのか。自分にすがる妻に、ゲンドウは悲しい顔をして首を横に振った。彼としても、常識的な手段の総てはとったつもりになっていた。いっそ のこと夢に出てくるシェン・ロンに会わせてみようかとも考えた。だがゲンドウがその方法をとるのよりも早く、娘の見る夢の中身が変わってきてしまったの だ。
『使徒など、この世界には存在しない。ましてや人型決戦兵器など、作られるはずがない』
『でも、あの子の中では夢と現実が重なり始めているのよ』
『それは分かっている。だが、だからと言って儂に何が出来る?そんなものは、夢の中だけの話だ。そう繰り返すこと以上、何が出来るというのだ?』
 苦悩に歪んだ夫の顔から、ユイはついと目をそらした。夫が何もしてこなかったわけで無いことは、彼女が一番よく知っていることなのだ。シェン・ロンが鍵 となるからと、無理を承知で引き合わせようと努力したのも夫なのだ。だが娘の悪夢は、シェンに出会う前、使徒と呼ばれる敵との戦いにまで遡ってしまったの だ。
 だからユイも、ゲンドウを責めることなど出来はしなかった。それでも、かわいい娘のことなのだから、何とか出来ないかともがいてしまうのだ。そんなユイ に、ゲンドウは残された方法は二つしかないと絞り出すように言った。
『二つ、ですか?』
 それがよいことでないのは、夫の表情を見ればユイにも理解できた。それでも他にすがる道がないのなら、断腸の思いをしてもユイリを救わなければならな い。例えこの身を犠牲にすることになっても、愛娘を救ってみせる。ユイは決意の元、夫にどういう方法なのかと質した。ゲンドウは、じっと子供達の居る部屋 の方を見つめた。
『……一つは、ユイリを施設に預けることだ。私たちやシンジが居ることが、夢の原因になっているのだ。ならば、私たちから離れた世界に置いてやれば、もう その夢を見ることはなくなるのかもしれない』
『……でも、そんなことをユイリが受け入れますか?』
『普通ならだめだろう。だが他に方法が無いのなら、じっくりと話して納得して貰うしかあるまい。このままでは、ユイリだけではない。シンジもおかしくなっ てしまう』
 ユイリが苦しめば同じだけ、むしろそれ以上にシンジが苦しんでしまう。そのことは、ユイも理解していた。双子のシンパシーと言うわけではない。優しすぎ る兄は、妹を救うことの出来ない自分に苦しんでいるのだ。悲しそうに頷いたユイに、そしてもう一つとゲンドウは吐きだした。
『もう一つは……私たち家族が一緒に地獄に堕ちることだ。抑圧された思いが原因ならば、その戒めを解いてやればいい』
 夫の言葉に、ユイはごくりとつばを飲み込んだ。そして、震える唇から今まで禁忌としてきた考えを紡ぎ出した。
『あなたは、シンジにユイリを抱けと仰るつもり?』
『残された二つの案の内の一つだ。だが必要ならば、私からシンジに命じるつもりだ』
 命令ならば、少しは罪が軽くなるだろう。シンジを思ったゲンドウの言葉に、それは違うとユイは首を横に振った。
『たとえ命令をしても、シンジには同じことです。シンジは、自分で考えて行動できる子供ですから』
『そうだな……あいつは、できすぎなほどできた子供だからな』
『だから、よけいユイリも惹かれてしまうのでしょうね』
 他の少年が目に入らないほどにと、ユイはため息をついた。
『俺たちは、情けない親なんだな』
 何も力になれないことに、ゲンドウはがっくりと肩を落とした。

 両親が深刻な相談をしている頃、2階にあるシンジの部屋ではシンジがユイリを抱きしめていた。泣いているのか、それとも恐れているのか。ユイリの 体は小さく震えていた。そんな妹に、自分がついているからとシンジは何度も耳元で言い聞かせた。
『……なんでだろう』
 そしてシンジの努力が実ったのか、ようやくユイリに落ち着きが戻ってきた。その時彼女の口から出たのは、どうしてなのかという疑問の言葉だった。
『どうして、お兄ちゃんと兄妹なんだろう……そうじゃなかったら、こんなに苦しまなくても済んだのに』
『そんなに苦しい?』
 ユイリは、こくりと頷いた。
『いけないことだって分かっているの。私たちは、一番血の濃い間柄なんだって』
 でも、気持ちが抑えられないのだと。そう告白したユイリは、シンジはどうなのかと聞き返した。
『僕にとっては、ユイリは大切な妹だよ。ユイリが悲しむ所なんて、絶対に見たくないと思っているよ』
 だから、今はとっても苦しいのだと。そんなシンジの答えに、ユイリは違うのだと激しく首を横に振った。
『私のことを女としてみてよ。レイもアスカも関係ないわ。お兄ちゃんには私が居るの。私には、お兄ちゃんだけなのよ』
『でも……』
 ユイリの告白に、シンジの顔は苦しそうに歪んだ。
『それでも、僕たちは血の繋がった兄妹なんだよ』
『そんなことは分かっているわよ。だからこんなに胸が苦しいんじゃない!』
『僕だって……』
 叫ぶように声をあげたユイリに、シンジは悲痛な顔をして胸の思いを吐きだした。
『僕だって、ユイリが妹じゃなかったらと思うことがあるよ……』
 しかしと、シンジは顔を伏せた。
『それでも、僕たちは兄妹なんだよ。だからこんなに近くにいることができる』
 赤の他人だったら、逆にこんなにも身を焦がす思いはしなかったとシンジは言った。
『僕たちは、兄妹だからこんなにもお互いのことを知ることができたんだ』
『兄妹だから?』
 真っ赤に充血した目を向けたユイリに、シンジはそうだと頷いてみせた。
『兄妹だから、僕たちはこんなにもお互いのことを好きになれたんだよ。でも、その関係を壊してしまったら、この思いもどこかに行ってしまうのかも知れな い……』
 だから自分は、ユイリのことを女としてみないのだとシンジは告げた。妹なら、兄妹の関係なら、どんなになっても切れることがないのだからと。
 それが、言い訳に過ぎないことは、誰よりも一番シンジが理解していた。

 碇兄妹が疲れている。それが、彼らの友人に共通した認識だった。元気そうに振る舞っては居るのだが、それだけにいっそうそう感じてしまうのだ。そ して友達がいのある彼らの友人は、何とか手助けができないかとそれぞれ二人を呼び出した。
『なあシンジ、俺たちに何かできることはないのか?』
 ケンスケやトウジにも、シンジの抱えている事情は分かっていた。悪夢としか思えない夢に苦しむ少女、そしてそのことに心を痛める少年。そんな簡単な図式 ではないから、よけいに問題が大きくなるのだと。だがシンジは、親友に向かってどうにもならないのだと弱音を吐いた。
『二人に頼めることなら、遠慮しないで頼んでいるよ。でも今度ばかりは、どうにもならないんだよ』
 行き詰まりから思考のループに落ち込んでいる。それならば、二人にも助け船を出す余地が残っていた。しかし、別の視点を示そうにも、大方のことはやり尽 くしているのが現状だった。女としてユイリのことをどう思っているのか。それが、口にしてはいけない疑問だと言うことを彼らは理解していたのである。
 そして女性陣、レイとヒカリもユイリと対峙していた。シンジを思うレイとしては、内心様々な葛藤があった。だが従姉妹としてのユイリのことも心配なので ある。だからレイは、突き放したようにシンジと行くところまで行ってしまえと口にした。
『キスでもその先でも、この際仕方が無いじゃない』
 少し言い訳っぽく、レイはそう言葉を付け足した。普段保守的な立場を取っているヒカリなのだが、事情が事情だけに反対することができなかった。それどこ ろか、それで解決するのなら迷う必要がないとレイの意見に賛成した。
 だが親友二人の意見に、そんな簡単な話じゃないとユイリは反対した。自分の抱えているものは、そんなに簡単なことではないのだと。
『でも、ユイリって欲求不満に見えるのよ。だったら、だめ元で試してみるのも良いんじゃないの?』
『兄妹って、言うほど珍しくないって週刊誌に書いてあったわ』
 少しでも気を楽にさせたいという二人の言葉なのだが、問題はもっと深刻なのだとユイリは白状した。
『私の気持ちは、一時的なものじゃないのよ。一生お兄ちゃんだけで良いと思っているの。でも、そんなことをしたら、お兄ちゃん絶対に苦しむことになるわ』
 一時的なことにしても、兄が苦しむのは目に見えているのだ。そんな兄の姿を見るのは、とてもではないが耐えられないのだとユイリは言った。
『でも、将来のことなんて誰にも分からないじゃない。それに、お互いの本当の気持ちも大切だと思うわよ』
『……本当の気持ち?』
 そうだとレイは頷いた。
『二人が本当にお互いを求めているのなら……モラルに囚われる必要はないと思うのよ。それに気持ちが定まっているのなら、おじさまだって手の打ちようがあ るはずよ』
『私の気持ちは決まっているわ……』
『じゃあ、碇君の気持ちが問題ってことね』
 確かめてくると立ち上がったレイを、ユイリは慌てて引き留めた。
『お願いだから、お兄ちゃんを追いつめないで!私たちのことはそっとしておいて欲しいの!』
『でも、こんなにユイリが苦しんで居るんじゃない』
『お兄ちゃんも苦しんでいるの。お兄ちゃんは優しいから、そんなことを言われたら自分の気持ちを隠してしまうわ』
 そんなのは嫌なのだと、ユイリは叫んだ。そんなユイリに、困ったものだとレイとヒカリは顔を見合わせた。

 シンジならしっかりしている。誰もが認める事実ではある。だが幾らしっかりしていても、所詮は中学生レベルのことなのだ。そしてシンジが抱えてい る問題は、中学生では手に余るものだった。そしてそのことを気にしているものもいた。
『碇君、ここのところ元気がないわね』
 シンジが一人廊下を歩いているとき、一学年上の女子が声を掛けてきた。シンジにしてみれば、顔は知っているが特に親しいという相手ではなかった。
『……渚先輩、別にそんなことはありませんよ』
『そんな顔をされて大丈夫って言われてもねぇ』
 そう言って吹き零すと、カオルはシンジの腕に自分の腕を絡ませた。
『少年の悩みなら、お姉さんが相談に乗ってあげましょう!!』
 反論する間も与えず、カオルは中庭へとシンジを引きずっていった。

 学校で人気投票をしたならば、女性のトップはカオルだろうと言われていた。もちろんユイリも人気があるのだが、他人に与える冷たい感じが万人受け しないところがあったのだ。その点見た目の美しさを鼻に掛けないカオルは、男女問わず絶大な人気を誇っていたのである。そのカオルがシンジを引っ張って いったのだから、それが周りの目を引かないはずがなかった。困った顔をしたシンジは問題なかったのだが、やけにカオルが嬉しそうにしているのが注目を集め たのだ。
『……あやしい』
 後をつけてみようと考えるものが居ても、不思議ではないと言うことだ。
 シンジをひっぱいっていったカオルの真意がどこにあるのか。それは誰にも分からないことだった。ちょっと可愛い後輩がふさぎ込んでいるのだから、先輩と して助けてあげようと思っただけかも知れない。
『君が悩むのだから、問題はやっぱりユイリちゃん?』
『やっぱりって何ですか……』
『でも、はずれていないんでしょう?』
 反発し掛けたシンジだったが、カオルの視線に何も言えなくなってしまった。
『やっぱりね、君たち仲が良すぎるから……』
 納得したカオルは、『で』と、先を促した。
『でって、何ですか?』
『どうして、君がそんなに難しい顔をしているのかよ。役に立たないかも知れないけど、少しは気が楽になるかも知れないわよ。運が良ければ、解決策に突き当 たることもあるかも知れないじゃない』
『運が良ければって……』
『両親まで巻き込んで、さんざん悩んだんでしょう?だったら、簡単に解決策なんてあるはずが無いじゃない。だから、運が良ければって言ったのよ』
『あのね、先輩っ!』
 そんな不謹慎なと言いかけたのだが、意外にまじめなカオルの様子に、そうかも知れないとシンジはトーンダウンした。
『そうそう、それからこれは私のアドバイス。みんなで暗い顔をしていたら、それだけで気分が滅入っちゃうのよ。だから空元気でも出すようにしないと、明る い展望は開けないわよ』
『空元気ですか?』
『無いよりはマシよ。まず、顰めっ面をやめて笑ってみましょう。リピートアフターミー!はいっ、わっはっは!』
『……なんですか、それ』
『なんですかそれ、じゃないわよ。私の真似をして笑ってみなさいってことよ。はい、わっはっは』
『……そんな気分じゃありません』
 そう文句を言ったシンジに、カオルはげんこつをお見舞いした。
『気分を変えるためにやってみろって言っているの。はい、わっはっは!』
『あの、先輩……』
『はい、わっはっは!』
『……先輩』
『わっはっは、わっはっは!!』
『だからぁ』
『わっはっは、わっはっは!!』
 全然譲る気配のないカオルに、諦めたようにシンジはため息をついた。もちろんそれをカオルが見逃すはずが無く、もう一発ありがたくないげんこつをお見舞 いした。
『私は、笑ってみなさいって言ったのよ。はい、わっはっは!』
『……わっはっは』
『声が小さいわね。はい、わっはっは』
『わっはっは』
『もう一度、わっはっは』
『わっはっは!』
『そうそう、その調子よ!わっはっは』
 やけくそになったシンジは、今までで一番大きな声でわっはっはと叫んだ。もちろん、しっかりと周りの注目を集めることになった。そのことを気にしたシン ジだったが、カオルは平然としたものだった。
『どう、少しは気分が変わった?』
『……とっても、恥ずかしいんですけど』
 周りの目が痛い。シンジは弱音を吐き出した。
『でも、少しは気持ちが晴れたでしょう?』
『そんな気持ちもしないでも無いですけどね』
『なにか、複雑な意見ね。でも、さっきよりは少しましな顔をしているわよ』
『……そうでしょうか?』
 分からないとうつむいたシンジに、カオルはもう一度げんこつを見舞った。
『だから、暗くなるなっていったでしょう。もう一度わっはっはってやってみる?』
『い、いえ、もう勘弁してください』
 あわてたシンジに、カオルは少し残念そうな顔をした。
『で、少年の悩みは何なのかな?魅力的な妹のことを思うと、悶々として夜も寝られないってことかな?』
『まさか……』
『君ぐらいの年なら、女の子の体が知りたくて堪らないはずよ。でも、さすがに妹はまずいわね』
 そう言うと、カオルはぽんと拳を作って手のひらをたたいて見せた。
『そう言う悩みなら、お姉さんが相談に乗ってあげましょう。どう、今日の放課後なんて?』
『……僕は、まじめに悩んでいるんですけど』
『あら、私だって体を張っているのよ。でも、今のところはBまでで我慢してね。その先は、まだ心の準備が出来ていないから』
『だから、僕はまじめに悩んでいるんですよ!』
『私も体を張っているって言ったでしょう?平気そうに見えるかもしれないけど、結構緊張して震えているのよ。心臓だって、ほら、さっきからどきどきしっぱ なし』
 そう言って、カオルはいきなりシンジの手のひらを自分の胸のところに持って行った。そのとき、周りで小さな歓声が上がった。
『い、いきなり何をするんですか!』
 あわてて手を引っ込めたシンジに、カオルは小さく舌を出して、証拠を見せたのだと嘯いた。
『服の上からでも、初めて男の人にさわられたのよ。せっかくなんだから、もっとちゃんとさわってくれればよかったのに』
『そっ、こ、人前でそんなまねが出来るわけ無いでしょう!!』
『だから、今日の放課後はどうって聞いているのよ。気分が盛り上がったら、最後までさせてあげるかもしれないわよ』
『そんなつもりはありません!!』
 つきあいきれない。シンジは勢いよく立ち上がると、急いでその場を離れようとした。だがそれよりも早く、カオルがシンジの手を捕まえた。
『君は、ユイリちゃんをどうしたいの?このまま妹にしておくの?それとも恋人にしたいの?その中途半端さが、あの子を苦しめているのだとは考えないの?』
『僕は……』
『血の繋がりなんて関係ない。地獄に堕ちようとも、二人行くところまで行くって言うのなら、私はこの手を離してあげる。やっぱり妹だと思うのなら、君から 私の手を捕まえなさい』
 カオルの言葉に、シンジはその手を振り払うことが出来なくなった。だがその一方で、カオルの手を取ることも出来なかった。
『あの子を諦めさせてあげなさい。ちゃんと失恋させてあげれば、あとは勝手に立ち直るわ。でも、あなたが中途半端でいると、あの子はいつまでも未練を持ち 続けることになるわ』
『ですが……』
『それとも、私じゃ不足?これでも、結構スタイルには自信があるんだけどな?』
『そう言うことを言っているんじゃありません。渚先輩は、綺麗だし……』
『でも、やっぱりユイリちゃんの方が良い?』
『ユイリは大切な妹です!』
『あの子は、単なる兄妹だとは思っていないんでしょう?』
『それは……』
 正鵠を得た指摘に、シンジは答えに詰まってしまった。そんなシンジに、カオルは少し微笑むとつかんでいた手を離した。
『別に、あなたを追いつめようと思った訳じゃないわ。それに、今日答えを貰う必要もないの』
 そう言って、カオルは立ち上がるとスカートに付いた埃を払った。
『現実を見ることは大切だと思うの。あなた達は、どこまで行っても双子の兄妹なのよ。いつまでも、変な期待を持たせるのは残酷よ』
『……それは、分かっています』
『ううん、君は分かっていないわ。だって君は問題から逃げているもの。かわいい妹に嫌われたくない。お父様やお母様が問題を解決してくれる。そうじゃな きゃ、勝手にあの子が立ち直ってくれる。君がそう思っている限り、この問題はいつまでも解決しないわよ』
 逃げている。そのカオルの指摘は、鋭い槍となってシンジの胸を貫いた。
『……僕が、逃げている……』
『常識的なことを言って、慰めているだけなんでしょう?そんなこと、君じゃなくても出来ることだもの。君にしかできないこと、それを考えてあげるのが兄の 役目でしょう?』
 違うのかと言うカオルに、シンジは答えを返すことが出来なかった。

 良い返事を待っている。カオルがそう言って立ち去った後も、シンジはその場を動くことが出来なかった。自分の優柔不断さが妹を苦しめている。カオ ルに指摘されて、シンジはそのことをはっきりと自覚した。確かに、ユイリははっきりと自分の気持ちをぶつけてきている。それに引き替え、自分は兄妹と言う 建前は口にしているのだが、それ以上の態度を示したことはなかったのだ。
『僕の、曖昧さがユイリを苦しめている……』
 思い出してみれば、ユイリだけではなく自分もまた異性と付き合ったことがないのだ。ユイリが邪魔をしたと言うことは問題ではない。シンジ自身、他の女性 に目がいったことがなかったのだ。
『僕も、ユイリと同じなんだ……』
 自分が傷つかないように、総てユイリの口から言わせている。兄として妹との関係を拒絶しても、妹を受け入れて男女の関係になったとしても、そのどちらに しても妹のためという口実が成り立つのだ。
『……最低だ、僕って』
 シンジはそうつぶやくと、まるで放心したようにのろのろと歩き始めた。

 カオルの言葉にショックを受けたシンジを待っていたのは、目を真っ赤にしたユイリだった。シンジを捕まえると、今まで何をしていたのかとユイリは 詰め寄った。
「一緒に帰ろうって約束したでしょう!」
 ユイリの剣幕に、シンジは思わずごめんと謝っていた。
「ごめんって何よ!私との約束なんて、どうでもいいの?おにいちゃんなんて大っ嫌い!!」
 心にもない言葉が、ついユイリの口を吐いて出てしまった。カオルと親しげにしていたと教えられたことが、ユイリの心をささくれ立たせていた。
「妹なんかより、渚先輩の方が良いんでしょ!!」
 つい口走ってしまった言葉に、むしろユイリの方が唖然としてしまった。そんなことを言うつもりはなかった。だが、口からは兄を非難する言葉が次から次へ と出てしまった。
「何を言っているんだ?」
 訳が分からないと言うシンジに、ユイリはあわててその場を逃げ出した。これ以上兄の顔を見ていたら、何を口走ってしまうのか自信がなくなってしまったの だ。
「ユイリっ!」
 一瞬唖然としてしまったシンジだったが、すぐに妹の後を追いかけた。今のユイリは、いつもにまして様子がおかしい。一人にしておくと、大変なことになる と。だがユイリの足は速く、なかなか捕まえることは出来なかった。
「ユイリ、待つんだ!」
 何事かと好奇の目を向けられる中、シンジは妹の背中を追いかけた。いくらシンジが焦っても、なぜかその距離は縮まらなかった。
「待つんだ!ユイリ!!」
 シンジの声に、ユイリはますます意固地になって逃げ続けた。いくつか階段を上り、そしていくつか階段を下りた。そして廊下の突き当たりのドアを開き、そ の向こうにある明るい世界へとへとユイリの姿が消えていった。シンジがその扉のところにたどり着いたのは、ばたんと言う重い音を立てて扉が閉まったときの ことだった。追いかけようと、シンジは扉を開こうとした。だが、鍵がかかっているのか、扉は開いてくれなかった。
「なんでだよ!」
 いくらノブをひねっても、重い扉はがんとして開こうとはしなかった。扉を開くことを諦めたシンジは、その鉄の扉をたたいて、向こうに居るユイリに大きな 声で呼びかけた。
「ユイリ、そっちに居るんだろう!ドアを開けてくれよ!!」
 だが、いくらシンジが叫んでも、扉の向こうからは何の応答も返ってこなかった。それでも諦めることなく、シンジは扉に向かって呼びかけ続けた。
「碇、何をやっているんだ!!」
 生徒の誰かが連絡したのだろう、シンジの担任の時田が息を切らしてやってきた。シンジは、時田に向かってユイリが扉の向こうに行ってしまったのだと訴え た。
「碇、扉の向こうって……これは、配線用のパイプスペースだぞ。人が入るぐらいのスペースはあるが、安全のためにいつも鍵がかかっているはずだが……」
「でも、確かにユイリが扉を開けるのを見たんです!」
 もしそれが本当のことなら大変だ。時田はすぐに職員室に戻ると、扉の鍵と一緒に懐中電灯を持って来た。時田が扉を開くと、そこには湿っぽい真っ暗な空間 が広がっていた。その空間を、時田は準備した懐中電灯で照らし出した。確かにそこには、端末に接続されるケーブルが走り回っているだけだった。時田は恐る 恐る首を出すと、まっすぐ下を懐中電灯で照らした。
「誰かが落ちた形跡もないぞ?もちろん、上った形跡もな」
「そんなはずが……」
 時田の手から懐中電灯を奪い取ると、シンジはあわてて暗闇の中をのぞき込んだ。確かに時田の言うとおり、ケーブルにはびっしりと埃が付いたままだった。
「……そんなはずは……」
 自分の目で見ても、シンジにはとても信じられなかった。まっすぐにユイリを追いかけて、彼女が扉の向こうに消えるのを目撃していたのだ。だがいくらシン ジが信じられなくても、目の前の現実はシンジの記憶を否定していた。
「おまえ、疲れているから幻を見たんじゃないのか?」
「……そんなことはありません。確かに、僕はユイリを追いかけてここまで来たんです」
「そのことは聞いているがな。だが、この扉はこの通り鍵がかかっていたんだ。そして、誰かが通った形跡も残っていない」
 違うかという時田に、その通りだとシンジは渋々頷いた。
「校内放送で、お前の妹は呼び出してやる。だから、しばらく職員室で待っていろ」
「はい……」
 目の前の出来事が信じられないシンジにとって、時田の言うとおりにするしか選択はなかった。だが校内放送を行ったにもかかわらず、いつまで待ってもユイ リは現れなかった。ならば先に帰ったのかと、シンジは家に電話をしたのだが、母親の答えはまだ返っていないというものだった。それどころか、校門で生徒を 見送っていた教師からは、ユイリが校門を出たのを見ていないと言われてしまった。
「まだ、学校にいるってことですか?」
「どの監視カメラにも、碇の妹が映っていないのだから……そう言うことになるな」
 さすがにおかしいと、時田は手の空いている教師を動員して学校内を捜索した。だがそれでも、ユイリの行方は掴めなかった。
「警察を呼ぼう……」
 とんでもないことが起きている。校長に相談して、時田は警察の助けを求めることにした。だが警察犬を使った捜索にもかかわらず、結局ユイリの姿を見つけ ることは出来なかった。ユイリの持ち物の匂いをかがされた犬は、何度やってもパイプスペースの扉の前をぐるぐると回るだけだった。しかも、他の階の入り口 には警察犬は全く反応しなかったのである。
 それならばと、工事業者を呼んでパイプスペースの中を調べたのだが、そこに人の形跡を見つけることは出来なかった。扉以外にも配線のための小さな横道は あったのだが、とても人の通れるスペースではなかったのである。そして当然のことながら、途中にユイリのからだが引っかかっていると言うこともなかった。 手がかりという手がかりの総てが、一つの扉の前で消え失せていた。
 そして、警察の必死の捜索にもかかわらず、ユイリの消息はぷっつりと途絶えたままとなった。






Endless Waltz 2へ続く

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