Written by かつ丸
ウィンチがゆっくりと巻き上がっている。
一時は熔岩の中を1700メートル以上潜っていた弐号機も、すでにかなり火口に近づいているはずだ。
弐号機に備え付けられたカメラは、電磁柵に捕らえられた使徒の幼生の姿を写している。今のところ異常はない。動いてはいない。
ミサトやアスカも、ほとんど警戒していないようだ。さきほどまで限界深度を大きく超えてマグマの圧力に耐えていた、その緊張感からの解放が大きいのだろう。
だが、リツコの仕事はこれからだった。
傍らでデータチェックをしているマヤに問い掛ける。
「…弐号機の引き上げ座標、ずれてはいないわね」
「はい、予定通り当初の打ち込み位置をトレースしています。だけど対流でかなりふさがってますね」
熔岩の圧力を少しでも抑え進路を確保するため、降下前にレーザーによりマグマ上層部に穴をあけた。
当然いつまでも持つものではないが。
「そう、場合によってはもう一度打ち込みしたほうがいいかもしれないわ。一応準備しておいて」
「えっ? で、でも、ケーブルにあたりますよ?」
「別に同じ角度でしなくてもいいでしょ。上部の熔岩を排除すればいいんだから」
「あ、そうですね、わかりました」
二人のやり取りを、ミサトが聞いている。
もちろん、聞こえるように言ったのだ。その意味も彼女には分かるに違いない。
シンジに言ったとおり弐号機の装備には考えうる限りの手段をうった。留め金が外れてナイフが落ちるようなことはない。しかし決定的な攻撃力に乏しいのも確かだ。
プログナイフが通用しないことは分かっている。
アスカが使ったという熱膨張の利用は確かに効果的な方法だろう。目覚める使徒の能力はあの高温に適応しているもののはずだから。
しかし、すでにシンジの「未来」を完全にトレースしてはいない、アスカがそれに気づく保証はないのだ。
援護できる手段は模索する必要がある。
「…使徒にも使えるの? リツコ」
「今の深度じゃ無理よ。とても届かないわ」
「そう…」
火口表面まで出てくれば、援護策はある。
だが、使徒はそれを待ってくれはしないのだ。
警報音が鳴った。
『な、なによこれ!!』
アスカの叫びがスピーカー越しに響く。モニターの中の使徒は、あきらかに成長をはじめていた。
電磁柵が持つわけは無い。
予定通り、マギの計算よりもはるかに早い段階での孵化だった。
冷静さを隠してリツコは叫んだ。
「まずいわ! ミサト!」
「捕獲中止、アスカ、キャッチャーを破棄して!!」
『くっ!』
弐号機が手を離したのとほとんど同時に、電磁柵は内側から使徒によって突き破られた。
CTモニターに巨大な影が映る、これこそ成長した使徒だろう。
「作戦変更! 使徒殲滅を最優先!! 弐号機は撤収作業しつつ戦闘準備!」
『了解! やってみるわ』
「ウインチ急いで、リツコ」
「やらせてるわ!」
すでにワイヤーの引き上げ速度は限界点に達している。
だが弐号機が火口に上がるまでにはまだ数分を要するだろう。とてもレーザーが届く距離ではない。
「目標と弐号機接触します!!」
「気をつけて!! アスカ」
『任せて』
モニターがCTセンサーから特殊カメラの映像に切り替わった。
ほとんど透度のない画面に、おそいかかる使徒の姿が映る。腕のような二本の長い触手を持った巨大なエイ、そのように表現できるだろうか。
マグマの高熱などまるで感じず、そこが普通のプールででもあるかのように、やすやすと近づいてくる。
使徒が弐号機を掴もうとする。
「組まれたら危険よ!!」
『でええええい!』
リツコの声が聞こえたのだろうか。取り付かれようとする寸前、使徒の腕を弐号機のナイフが薙いだ。その勢いで方向がかわり、いったん使徒が弐号機から離れた。
しかし使徒が傷ついた様子は無い、ただいなしただけだ。
それでも少しだが時間稼ぎにはなる。ナイフも構えたまま、弐号機は体勢を立て直している。
「これだけの高温高圧に耐えられるなら、おそらくプログナイフは効かないわね」
「何か方法は無いの?」
「…熔岩の中では簡単には倒せないわ。下手に手を出してライフラインが切られたら弐号機は終わりなのよ」
「それじゃ、どうすればいいってのよ」
マギの計算上必要と思われたものより、数段階強い強度にワイヤーは設定してある、それでも使徒の攻撃に耐えられるとは言い切れない。
だが、事態を打開するために危険を恐れていてはいけないのかもしれない。
覚悟を促すように、リツコはミサトを見据えた。
「……手が無いわけじゃないわ。熔岩から出せば、勝機はあるもの」
「…つまり、火口から引きずり出せってこと? あいつを」
一瞬厳しい瞳をしたミサトに、無言でうなずいた。
それでわかったのだろう。彼女はリツコからモニターに視線を移した。
そこには使徒を警戒しているアスカの姿が映っている。
「いい、アスカ、次に使徒が襲ってきたら、そのまま捕まって」
『どういうこと?』
「ナイフの威力じゃ勝てないわ。上までくれば援護できるから、使徒をここに連れてくるまで我慢して」
『……わかった、やってみるわ』
文句も反論もアスカは言わなかった。
軍隊教育された成果だろうか、それともミサトへの信頼なのかもしれない。
彼女の理解力を考えれば、この作戦の意図することは確実に伝わっているはずだ。
「目標、再び使徒と接触します!」
「アスカ、頼むわ」
弐号機の正面から、使徒が再び襲い掛かってきた。
両腕がD型装備で膨れた機体を掴もうとする。今度は避けない。しかしギリギリの瞬間、弐号機はブラストを放出した。
一瞬弐号機の上昇速度が速まる、だが使徒の腕は逃がしてはくれなかった。
「左脚、使徒に取り付かれました」
「そのまま持ち上げて!! アスカ、抵抗を止めては駄目よ!」
『わかってるわよ!』
弐号機の左脚を使徒の長い触手が掴み、もう一本の触手が残った右脚を掴もうとする。
振り上げられる触手をナイフで弐号機が払う、しかし、力は格段に使徒の方が上のようだ。
徐々に弐号機の上部へとずり上がってきている。
巨大な口をあけて。
とりついた左脚をくわえ、そこから弐号機を飲みこもうとしていた。
『きゃあああ!』
「アスカ、しっかりして!」
ミサトが叫ぶ、しかしどうすることもできない。
弐号機の下半身は使徒につかまれている、脚部を切断しても逃げるのは不可能だろう。
あの位置からではパイプは切断されない、だが、それもどれだけもつだろうか。
あともう少しで地上に出る、だがその時は永遠の先のようにも思える。
『ミサトさん!! リツコさん!!』
別のモニターから、シンジの声がした。
思わずそちらを見た。
『必要なら、僕が出ますよ!』
『ふざけないで! その必要は無いわよ!』
指揮車が答える前に、アスカが叫んでいた。
だがリツコには分かっていた、シンジの言葉は自分に向けられているものだと。倒す手段を知っていながら、なぜそれを使わないのかと言いたいのだと。
確かにすでに限界かもしれない。
そう、リツコは意地を張っていた。シンジの記憶をなぞった戦法はとりたくなかった。
対抗心ではない、そう思う。では何故かと問われれば、それは自分でもよくわからないが。
けれどそんなあやふやなもののために、アスカの命をこれ以上危険にさらせるわけがなかった。
使徒の映るモニターを見据えながら、マイクに向かい叫んだ。
「…アスカ! 弐号機の左脚を切断して!!」
『ど、どうして?』
「冷却パイプは生きてるわ! それで時間稼ぎになるはずよ!」
『! 分かったわ』
言葉とともに、すぐ動いたのだろう。
使徒の口の中に含まれた弐号機の左脚が膝から切り離されたことが、モニターで確認できた。
「マヤ、冷却液の圧力を操作して、使徒に注ぎ込むのよ!!」
「了解!」
「…熱膨張?」
「ええ……これで少しの間動きは止まるわ」
リツコの説明に、ミサトが納得した顔をした。
本来左脚にいくはずの冷却液が、そのまま使徒の口の中に注ぎ込まれている。
その急激な温度差に、使徒が苦悶しているように見える。離れようとする使徒を、今度は弐号機が逃がさないようにナイフでつないでいた。
「…レーザーの射程に入りました。弐号機、まもなく火口に出ます!」
「アスカ! 使徒のコアの位置は分かる?」
『わかんない! たぶん口の中だと思う!』
「直接の攻撃は無理か…でもやってみるしかないわね。リツコ、おねがい!」
ミサトの指示を待つまでも無く、リツコの指は激しく端末のキーボードを叩いていた。
CTセンサーからのデータ、そしてカメラを通じた映像、マギを通じて分析を図る。
シンジからの情報にはそこまでは含まれていない。これこそがリツコ本来の仕事だ。
「マヤ、射出機の照準マギにあわせて!」
「はい!」
「行けるわ、ミサト!!」
「撃って!!」
ミサトの言葉を合図に、火口上部に備え付けられた射出装置からオレンジ色の光線が発射された。
熔岩の中、肉眼では見えない場所の使徒に向って、光熱の矢が放たれる。
効果があったのだろうか。弐号機のモニターに映る使徒のその背中から激しい火花が飛ぶ。使徒の動きがいっそう激しくなった。
ワイヤーが揺れている。押さえつけることができず、ついに使徒は弐号機から離れた。
断末魔のあがきか、こんどは弐号機の頭部に向い襲いかかろうとする。
だが、大きく口を開けたその瞬間こそ、まさにねらい目だった。
再びレーザーの光がきらめく。そしてそれは、たしかに使徒のコアを捉えた。
冷却液で冷やされ、脆くなった組織をマグマよりもはるかな高熱を持って砕いた。
長く伸びた腕が再び弐号機に届くよりも前に、使徒の姿が崩れていく。
赤い熔岩の中で、まるで蝋細工のように、滅びをもたらすために生まれた異形の生き物は、ゆっくりと溶けてなくなっていった。
「あなたも泊まっていっても良かったのよ。修学旅行に行ってないんだから」
「…いえ、いいんです」
「先輩、私たちはどうして帰るんですか?」
「……弐号機の整備をしないわけにはいかないでしょ、ボロボロなんだから。それに明日も仕事はあるのよ」
指揮車両は山沿いの道をネルフ本部へと向っている。二機のエヴァは輸送機ですでに届けられているころだ。
車の窓からは夕焼けが見える。オレンジ色の光が、空と山を染めていた。
アスカとミサトは浅間山に残った。今夜はあの近くの温泉旅館に宿泊する手はずになっている。作戦成功のご褒美としてもささやかなものだろう。
実際アスカの功績は大きい。
何もしていないシンジも泊まると言えば、彼女たちはきっと鼻白んだに違いない。
彼がそのようなことを言うはずもないことを、リツコは知っていたが。
結局シンジはリツコたちに同乗してこの車に乗っている。と、いっても技術部の他の職員は別の車両に乗っているので運転手以外はマヤたち発令所のメンバーとリツコしかいなかったが。
青葉と日向が何か話している。マヤはリツコにしきりに話し掛けてくる。
その相手を適当にしながら、リツコはシンジの姿を目で追っていた。誰のほうも見ず、窓から空を眺めている彼を。
「……シンジくん」
思わず声をかけていた。
シンジがこちらを向く。顔についているあざは、やはりまだ消えてはいない。
「…なんですか、リツコさん」
「良かったの? 本当に」
マヤや青葉たちはきっと温泉のことだと思っただろう。
シンジが戦わなかったのはただの結果で、別に遊んでいたわけではないことを彼らは知っている。
だからリツコが彼を労わっている、そう映っているに違いない。
だが、問いかけはそんな意味ではない。シンジにだけは、それが分かっているはずだ。
シンジが答える、リツコから目をそらさずに。
「……これで、良かったんですよ。正しい選択だと、そう思います」
そう言った彼の微笑みもまた、夕焼けの色に染まっていた。