Written by かつ丸
発令所にたどりつけたのは、ほとんど無意識のなせる技だった。
さながら夢遊病者のように、ふらふらと歩いてきたのだろう。こちらを見た者は少し怪訝そうな顔をしている。
だが、ここにいるほとんどの人間は、リツコのことをかまっている余裕など無いようだった。
正面の巨大なモニターには、第三新東京市の市街が映っている。重火器やミサイル群の放つ火花が、時おり閃光を放っている。
その先で、宙に浮びながら、使徒がゆっくりと進んでいた。
警報からまだそれほど時間が経っていないのに、ここまで来ているとは正直以外だった
大きさはエヴァと変わらない。折り紙でつくった人形のような扁平な身体。首にあたる付近にはひしゃげた骸骨のような顔らしきものがついているが、人間とはあきらかに造形が違う。
弾丸やビーム砲は狙いを外していないが、ATフィールドのせいだろう、ダメージを与えた様子は全くなかった。
特に反撃することも無く、本部上空へと向ってくる。
正面からこうして侵攻してくる使徒は、なんだかひさしぶりのように思えた。ここ数体はいずれもいわば搦め手からの攻撃だったのに。
使徒のあり方が進化していくというなら、正攻法を取るのは、自信の現れだろうか。
使徒に人と同じような心があれば、だが。
「…怪我は大丈夫なの、リツコ」
「ええ、ごめんなさい、エヴァは?」
「今、出撃準備してるわ。…発見時には使徒はもう駒ケ岳防衛線近くにいたのよ」
ややいらだった様子でミサトがモニターを見つめている。前回の出撃から数日しかたっていない。エヴァはそれぞれまだ整備の途中だった。出撃できないわけではない、しかし、急いでもそれなりに時間はかかる。ミサトが何も言わないところを見ると、シンジはすでにケイジに向っているのだろう。
その時モニターの中で、使徒の目が白く光った。
それとほぼ同時に小さな地震が建物を揺らす。いや、違う。衝撃がここまで伝わってきたのだ。
「第一から第十八装甲、破壊されました!!」
オペレータの悲鳴のような声。それが示すとおり、画面にうつる市街の地面には大きな亀裂が入っていた。
どのような原理かはよくわからないが、あの力を持ってすれば全ての装甲板を破壊するのにほとんど時間はかからないだろう。
「…ミサト」
「ええ、地上での迎撃は無理ね。準備の出来たエヴァから、至急に本部周辺に配備して。ここに近づけては駄目よ」
「弐号機、零号機、起動しました。まもなく出撃できます」
破損の酷かった初号機は、よけいに時間が必要だったようだ。
第七ケイジではまだ作業をしていると、端末のひとつに表示されている。
ミサトはシンジを気にする様子はない。出撃しようとしているアスカとレイにモニター越しに話し掛けている。
生半可な敵ではない、油断するな、と。レイはいつもと変わらない、アスカは黙って頷いている。
「初号機もまもなく起動にはいります」
『出して! ミサト』
「お願い、アスカ、レイ!」
シンジが追いつくのを拒むように、アスカが出撃を促した。躊躇することもせず、ミサトが応じる。
戦力が揃うのを待てと、止める暇はなかった。
どのみちアスカがシンジと協調して戦いはしない、だから、待っても意味は無いと言うだろう。
二人とも先の戦闘でのシンジの行動をまだ拘っている、そのことがわかる。
そしてリツコも、もしシンジが出ないまま戦闘が終わるなら、そのほうがいいように思えた。今のリツコには、彼が何を考えているのか全くわからない。彼が何か行動を起こすこと、それ自体に得体の知れない恐怖すら感じる。
いや、世界の滅びを止める、その言葉はまちがいなく本当だったはずだ。
ただ、彼との繋がりが断たれたような気がするから、それにショックを受けているのかもしれない。
いつか停電の時、リツコは考えた。滅びを止めるために、シンジが本部を破壊するのではないか、ゲンドウやリツコたちを虐殺するのではないかと。
結局そうはしなかった、しかし、あの時シンジは知っていたではないか。
自由に動けるシンジをリツコが警戒するだろうということを。
ネルフという組織そのものに後ろ暗いものがあるとリツコが知っている、そのことを。
リツコ自身シンジの目論見を想像していたはずだ。
ミサトが以前南極のことを言ったように、理由もわからずただ破滅の現場となった場所だから壊す、そういうことではない。
ゲンドウやリツコたちが元凶であると知っていて、そのうえで滅ぼそうとするのではないかと、それがシンジの願いではないかと。
そんなことは、いつしか忘れてしまっていた。身を削り使徒と戦うシンジには、復讐などという、そういう暗さは感じられなかったから。
けれど研究室での会話が彼の真意なら、たとえ滅ぼそうとしてはいなくとも、ゲンドウが滅びを望んだとそれにリツコが従っていると、シンジはずっと前から知っていたことになる。
ならばなぜ、普通にリツコと話し、秘密を共有して来たのだろうか。拒絶することもしないで。
「初号機、起動しました」
モニターに映る、プラグの中のシンジは、さきほどのリツコとの会話など覚えてもいないかのように、ほとんどいつもと変わりなく見えた。
いや、少しだけ顔が強張っているかもしれない。だが、それはおそらく使徒との戦いの前だからだろう。
この使徒をどうやって倒せばいいのか、どんな使徒なのか、リツコはほとんどシンジから聞いていない。そもそも、こんなに早く来るとは知らなかった。
知っていたはずのシンジが言わなかったのは、理由があるのだろうか。独房で拘留されていた彼にはその手段が無かった、それだけだろうか。
「わかってるわね、シンジくん、もう勝手な行動はしないで。3機での密集戦闘は同士討ちの危険があるから、あなたは本部施設近くで指示があるまで待機してちょうだい」
『はい…』
「…エヴァ初号機、発進!」
ミサトの戒めがどれほどの効果を持つだろうか。だが、シンジは素直に頷いていた。
使徒はもう全ての装甲板を破壊し、第三新東京市の地面に大きな穴をあけていた。そこを通って、まもなくこのジオフロントに降りようとしている。
レイもアスカもすでに迎撃体制を整えている。それに合流すべく、シンジを乗せた初号機が打ち上げられようとしていた。
「待って! シンジくん!」
思わず叫んでいた。ミサトを含めた皆が何事かと振り向く。しかし、すでに射出されてしまった初号機には、リツコの声は届かなかったようだ。
数秒で、地面に出る。もう、止めることは出来ない。
「目標、ジオフロント内に侵入しました! 弐号機、零号機接触します!」
「対空砲火、援護して!!」
正面モニターは、接近する使徒を映していた。その表面に火花が散っている。
二機のエヴァが放つ砲弾が当たっているのだ。それでも、やはり効いている様子はない。さきほどまでの兵装ビルからの攻撃とほとんど変わらないように見えた。
やや焦ったように、ミサトが傍らの日向に訪ねる。
「ATフィールドはどうなってるの?」
「計測では、中和しています、しかし…」
使徒の耐久力が高いということだろうか。
地下空間の地面近くまで降りてきた使徒は、依然として反撃することも無くゆっくりと進んでくる。
弐号機の打ち出す大型バズーカも、零号機が放つポジトロンライフルの光弾も、まるで意に介していないかのように。
『ちぃっ!!』
「アスカ!?」
業を煮やしたのか、肩口からナイフを取り出すと、弐号機が使徒に向かい駆け出した。
「気をつけて」と、ミサトがマイク越しに注意を促した瞬間、初めて使徒の動きが変化した。
『キャアアア!』
アスカの悲鳴が響く。
使徒の両腕が蛇腹のように突然伸び、弐号機に襲い掛かったのだ。薄い紙でバターの固まりを裂いたように、ナイフを持ち振り上げた弐号機の右腕が肩近くから一瞬にして切断された。
その圧倒的な威力に、発令所で画面を見ていた者たちが言葉を無くす。
冷静に対処していたのはレイだけだったかもしれない。気を弐号機から逸らそうとするかのように、使徒の身体に続けざまにライフルの弾が打ち込まれた。
確実に命中している。だが、やはり、ダメージはほとんど無いように見える。
しかし、注目は零号機へと向かったようだ。右肩を抑えて地面に倒れ悶えている弐号機にトドメを刺すことも無く。使徒はライフルを構える零号機に向き合った。
すべるように宙を飛ぶ。それを零号機が何発もの弾丸で応戦する。打ちながら、レイは少しずつ下がっていた、さきほどの使徒の攻撃を見ている、あの腕の間合いにはいるのは危険だからだ。
使徒の目が光る。ぐわん、という音が響き、零号機がはじき飛ばされた。青い装甲があたりに散らばっている。衝撃波か、それとも一種の光線だろうか、分析している時間は無い。
「零号機中破です!!」
「まずいわ! 初号機は!?」
そのミサトの声を合図にしたかのように、画面に紫色の塊が現れた。
「シンジくん!?」
体当たりをするように初号機が使徒に組み付いた。本部近くからあそこまで走ったのだろうか。
勢いがついたまま使徒と絡み合うようにして転がる。よほどのスピードだったのだろう、あたりの木々をなぎ倒しながら、初号機と使徒はもといた場所から数百メートルほども向こうに動いていた。
自動追尾のカメラが追いきれていない、地下空洞に設置された別のカメラに切り替わり2体を映す。止まっていない、初号機はなおも戦っている。
使徒の上に馬乗りになり手でそのドクロのごとき顔面を押さえつけている。
『こいつ、こいつうう!!』
スピーカー越しにシンジの声が聞こえる。
興奮している。さきほどの研究室とはまるで別人だ。
至近距離から使徒の手が伸びた。初号機の装甲が引き裂かれていく。だが、近さゆえか威力は薄い。かまわずにシンジは攻撃を続けていた。掴んだ使徒の顔を引きはがそうと力を込めている。
力負けしていない。むしろ圧倒しているようにすら見えた。
アスカやレイがなすすべもなくやられたのに比べて、やはり、シンジの能力は卓越している。初号機の性能もあるだろうが、彼の段違いのシンクロ率の高さがこの戦闘力をもたらしている。
ギリギリと使徒の顔がねじれる。あの状況では光線はだせないだろう。
抵抗する術は全て抑えている。
このままやれるか、そうリツコが思ったとき、マヤの叫び声が響いた。
「初、初号機まもなく活動限界です!!」
「なんですって!?」
マヤの見る画面には警告の文字が表示されている。
初号機のいる場所は本部からかなり離れている。急いで向かうために、自らケーブルを切り離したのだろう。
整備中だった初号機の内部電源は充電しきれていない。最大5分だが、実際にはずっと短かった。
「下がって!!」
マイクに向かって叫ぶ、それとほぼ同時に、初号機の動きが止まった。
力を失ったエヴァを使徒が押しのける。仰向けになった紫の機体からゆっくりと距離を置き、そして向かい合うように立った。
「シンジくん! しっかりして、シンジくん!」
返事は無い。回線はすでに生きてはいない。いくつかのセンサーから送られる信号だけが、シンジがまだ無事なことを伝えるだけだ。
プラグの中を映す画面は砂嵐に変わっていた。
使徒の目が光る。
初号機の装甲が弾けとぶ。対抗手段は無い。このままでは、なぶり殺しになる。
「アスカ! レイ! 援護に向かって!」
ミサトが叫ぶ。
零号機はよろめきながらも立ち上がっている、しかし、手に持っていたライフルは真っ二つに折れていた。装甲も大きく壊れてところどころから血が流れている。
弐号機も腕の神経接続を切ったため、もう痛みは感じないはずだ。地に落ちた右腕からナイフを取り出し、左手に掴みなおそうとしていた。だが、モニターに映るアスカの顔色は悪い。
零号機が走り出した。
続いて弐号機も。
いや、走るというより歩いているに近いスピードだ。ダメージが大きいのだ。
再び、使徒の目が光った。
初号機の胴体部分の装甲は完全に露出し、赤いコアが剥き出しになってしまっている。
それに向かって使徒の腕が伸びる、何度も、何度も。
本部のことなど忘れてしまったようだ。
初号機の破壊、それこそが使徒の最初からの目的だったかのように
「レイ、アスカ、急いで!」
それは、すでに意味の無い叫びだった。
たとえ間に合っても、彼女達の戦闘力ではあの使徒には対抗できない。
今一番必要なのは初号機にエネルギーを補給することで、その方法はどこにもない。
このままシンジはやられるのか。もっと事前に対策を練っておくべきだったのか。
いや、今後悔して、それで何になるというのだ。初号機が破れ、残る2機のエヴァが倒されれば、 まもなく使徒はこの施設に向かってくるのだから。
使徒はなおもコアへの攻撃を続けている。
零号機も弐号機もまだ遠いところにいる。
本部からの援護射撃は全てATフィールドに遮断されている。
リツコになす術は何も無い。
誰もが絶望した、その時―――初号機が、動いた。
なんの前触れも無かった。
突然、初号機の手が動き、コアを狙って伸ばされてきた使徒の腕を掴んだのだ。
力任せに引き寄せ、近づいて来た使徒を蹴り上げる。
その威力はそのまま使徒を弾き飛ばし、掴んだ腕を引きちぎった。
「…初号機、再起動…変です、もうエネルギーは残っていないはずなのに…」
マヤの報告を嘲笑うかのように、初号機は動きつづけている。
振り下げた手から出た波動は一瞬にして使徒のフィールドを切り裂き、そしてそのまま使徒の体すら傷つけた。
そのまま四つんばいになり使徒に近づく。獰猛な獣そのままに。
プラグの中を映すモニターは砂嵐のままだ、中の様子はわからない。
ミサトがマイクに向かいシンジに呼びかけているが、応答は無かった。
暴走、その言葉が頭に浮んだ。
少なくともいつものシンジの動きとは明らかに違う。
「……信じられません、シンクロ率400%を超えています」
「リツコ、いったいどうなってるのよ!?」
尋ねられてもわかるわけがない。
そんな数値は想定外だ、ありえない。どれだけエヴァと波長があっているかが基準なのに、百パーセントを超えることなど起きうるはずが無い。
センサーの異常と考えるのが自然だ、だが、今の初号機の状況を見れば、そんな常識など無意味に思えた。
倒れた使徒の頭部を掴み、握り潰す。
断末魔の痙攣を起こしている使徒にトドメをさすように、初号機は大きく口を広げて使徒の身体に噛み付いた
いや、食べているのだ、使徒を。
「…使徒を……食ってる」
誰かが呟いている。みな呆然として見ていた。
弐号機も、零号機も、もう近づく事もできずにただ見ているだけだ。今の初号機に敵味方の区別がつくとも思えない。
何をしようというのか、使徒のもつS2機関を取り込もうというのか、それが、初号機の意志だというのか。シンジの、それとも、彼女の。
いつのまにか日が暮れている。
モニターの向こうの空は暗くなろうとしている。
腹がくちたのか、屍と化した使徒を置き、初号機は立ち上がった。
そして咆哮。
いつかの、使徒に飲み込まれ脱出した時と同じように、獣そのものの雄たけびを上げている。
あふれる力のせいか、身を被う装甲が膨れる筋肉にはじかれ外れていく。
すでにあれはリツコが造ったエヴァではない、別の何かだ。
制御できるようなものとは、とても思えなかった。
ついに、目覚めた。
今回は確信を持って感じることが出来た。
初号機の中に眠る魂、これは彼女の意志なのだ。シンジを守るために目覚めたのだと。
いつかシンジが言った目覚めの時、それが今なのだろうか。
シンジは今日のこのことを言っていたのだろうか。
それならば、いったい、これが何をもたらすというのだろう。
そしてゲンドウは、どう感じているというのだろう。
初号機は雄叫びを続けている。誰ももう言葉を出せる者はいない。
リツコは振り向き、発令所の上層部にいるゲンドウを見上げた。
モニターを見ながら彼は、笑っている、それがはっきりと分かった。