Evangelion Sword & Grail 



ガガン、ガガン!
 曇り空の午後、灰色の街並み。
 第3新東京市に巨人の操り出す銃声が響き渡る。
ガガン!
 腰をかがめ、パレットライフルを構えた紫の巨人・初号機がビルの影から飛び出し、向 かいのビルの壁面に張りついた使徒に劣化ウラン弾を叩き込む。
 狙い違わず目標に吸い込まれる二筋の光弾。
ドゴゴッ… ガゴオン…… ガラガラガラガラ…………
 しかし銃弾は使徒を通り抜け、その使徒が張りついていたビルのみが銃弾を受ける。
 煙を上げ、壁面の一部が崩れ落ちて行く。
「…くっ、まただ……」
 プラグ内でシンジが悔しそうに、その整った眉根を寄せて歯噛みする。
かさかさかさかさ………ひゅん!
 使徒は何事もなかったかのようにビルを這い登ると、ビルからビルへと跳ね飛んで、そ の壁面を這いまわる。



 その日突如として太平洋岸から上陸した使徒は、何と言ったらよいのだろう、赤と黒の 縞模様のまんじゅうに6本の褐色をした長い節足が生え、まんじゅうの天 頂部から3本の光の触手が伸びているという奇怪な姿。
 うねうねと何かを探るように宙空を這う触手。はっきり言って気色悪い。
 それを発令所モニターで確認した、特務機間ネルフ作戦部長の最初の一言。
「蜘蛛足の生えた悪趣味なカラーのイソギンチャク」
 3本の触手が何かを探るように中空を泳ぎ、6本の節足で昆虫のように歩行しながら第 3新東京市に侵入。
 最近は戦略自衛隊も国連軍も使徒に対しては通常兵器が無意味であることを悟ったのか、 ネルフへ未確認移動物体の接近の報せと激励の電文を送ったほかは何もしなかった。
 作戦では侵入と同時に兵装ビルからミサイルで迎撃、牽制しつつエヴァ初号機と参号機 を投入、これを殲滅……のはずだった。
 全てのミサイルが使徒のATフィールドで防がれ、爆煙が上がり、その使徒の姿を隠す。  やがて煙が晴れ、そこに現れたのは……
「とおりゃーっ!」
 トウジが掛け声と共に漆黒の巨人・参号機を駆る。手にしたアグレッシヴ・ソードを上 段に振りかぶり、地面を這う使徒に斬りつけるのだが
ザゴッ!
 刃は空しく使徒の体を通り抜け、地面のアスファルトを裂いて止まる。
「いったいホンモンはどこやーっ!」
 エヴァ、そしてジオフロント・ネルフ本部から確認されたのは、第3新東京市を這いま わる十数体の使徒の姿だった。



Evangelion Sword & Grail 第7話
拙きワルキューレたちの行進曲




 予想外の敵能力の分析に慌しいネルフ第1発令所。
 前方の主モニターでは計19体に増えた“蜘蛛イソギンチャク”使徒が第3新東京市各所 を這いまわる様子が映し出されていた。
「虚像?」
 使徒に対する良い戦術が思い浮かばず攻めあぐね、焦れきっていたミサトが怪訝な顔を して訊き返した。
「はい、あの使徒の放つ極めて広大な……ほぼ第3新東京市全土を覆うATフィールドが、 光の屈折率を捻じ曲げ、鏡のようになってあの使徒を映し出しているものと推測されます」
 コンソールパネルから顔を上げて、マヤがマギの分析結果を報告する。
「でも、全部別々に動いている上に、エネルギー反応だけじゃなくて質量まで持ってるじ ゃない?」
 そうなのだ、使徒は全て独自に異なった動きをし、なおかつ質量までが観測されている。
「…個々が異なった動きをしているように見えるのは、恐らく相転移空間によって時間を ずらして映し出しているせいよ。あの使徒の虚像たちの動きを全てサンプリングして1つ の時系列に並べると、皆同一線上に重なるわ。質量に関しては……謎、としか言いようが ないわね。やっぱりATフィールドを使って偽装してるんでしょうけど……」
 ミサトの横でマヤの背後から覗き込むように、コンソール画面上の分析結果を目で追い ながらリツコが答える。
「じゃあ、本体はしっかり実体を持って存在してるってこと?」
「ええ、あの内一体がね」
 19体の内、本物は一体。
「本体の特定、できるの?」
「時間さえあれば…でも無駄よ」
「どうして?」
「見て御覧なさい…」
 言ってリツコは使徒たちの映し出された主モニターを見るよう促す。
 そこには6本足で市街をひっきりなしに駆け回り、ビルの壁面を這い、飛び跳ねては中 空でもう一体の使徒と互いにすれ違う19体の使徒の姿。
 その内一体が本物。
「あの速さで移動されては、マギの計算でも追いつくのは困難よ。仮に追いつけても、す ぐに虚像たちの中にまぎれこまれてしまうわ……シンジ君たちを余計に混乱させるだけ よ」
 リツコはどこか忌々しげにモニターを見つめている。
「現状では打つ手なし、確率19分の1に賭けるしかない、か……」
 モニターを見上げながらミサトも忌々しげに呟いた。
「あの使徒に第7使徒なみの攻撃力がないのが唯一の救いね…」



「せいっ!」
 目の前の使徒に向かってアグレッシヴ・ソードの両手突きを繰り出す参号機だが…
ドスッ!
 確かな手応えを伝えてくるはずの剣先は、空しく使徒の体を通り抜け、使徒の背後にあ った兵装ビルを貫通。
ブスブスブス……ドガアン!
 徐々に煙が上がったかと思いきや、中にあったパレットライフルの弾薬が衝撃で誘爆、 ビルは炎上。
「どわあっ!」
 突如の爆発に、その場から後ろへ吹き飛ばされる参号機。
ズズズズズンンンンン………
 ビルが半壊する。



ガガン!
 初号機の打った弾丸はまたも空しく使徒の体を通り抜け、ビルを破壊する。
「トウジ!」
 爆音を使徒の攻撃と勘違いし、参号機に接近しようとする初号機。
 ビルの合間を駆け抜ける。
 シンジの視界の片隅でビルの壁面に張りつき、しゅるしゅると光の触手を蠢かせた使徒 の姿が覗く。
(どうせまた……)
 ニセモノだろうと無視を決め込む。
 しかし…
ビュン!
 その使徒の天頂部から生える、3本ある光の触手の内一本が、駆ける初号機に向かって うなりを上げて襲いかかる。
バキャッ!
「うわっ!」
 それでも瞬間的に直撃を避けられたのは、日頃の訓練の賜物だろう。初号機が手にして いたパレットライフルを真っ二つにされただけで済んだ。
(こいつ…本物!)
「いたよトウジ! こっちが本物だ!」
 初号機は壊れたライフルを投げ捨て、すぐさま隣の兵装ビルから予備のライフルを取り 出すや否や、かさかさと這って逃げ出そうとする使徒に向かって照準を合わせるが…
ひゅんっ! ひゅんひゅん!
かさっ、かさかさかさ………
 初号機から逃れるように後退する使徒実体を守るように、何体もの使徒の虚像が視界に 飛び込んできて、どれが本体だったかわからなくなってしまう。
「くっ!」



 そんな、ヘタな鉄砲もなんとやら的無駄の多い戦いを繰り広げる初号機と参号機を見上 げながら、葛城作戦部長の脳はフル回転していた。
(…這いまわる使徒の姿全てに向けて兵装ビルからミサイル一斉射、本体を特定・これを 殲滅……無理ね、使徒はすぐまた虚像を作り出してまぎれこんでしまうし、何よりそんな ことをしたらこの都市の機能が崩壊してしまう……)
 撃ち出されたミサイルのほとんどが虚像を目指す結果、破壊されるのは使徒ではなくて この街である。
 今現在ですら、破壊の被害は使徒によるものよりも、誤って虚像を攻撃してしまうエヴ ァによるものの方が大きいのだ。
 ミサトの見上げるモニターの中では、初号機が撃つライフルの銃弾が街を破壊し、参号 機が振り回す剣がビルの壁面を斬り、火花を散らしてアスファルトに亀裂を入れている。
(あっちゃー、派手にやってくれちゃって…… マギの分析は追いつかない…マギの分析 ……広大なATフィールドに映った虚像……ん?)
 ミサトの頭の中で何かがピンッと引っかかる。
「リツコ…あの使徒のATフィールド、中和できないの?」
「できるものなら、もうシンジ君かトウジ君がとっくにやってるわよ…」
 リツコは、それができないから困ってるんじゃない、何を今更、と言いたげに横目でミ サトを見る。
「…でも中和できればあの虚像は全部消えるのよね?」
「理論上は、そうなるわ…でも1体や2体のエヴァじゃ…仮に修理中の零号機も出して3 体のエヴァでもあの広域ATフィールドの中和はまず無理ね、範囲が広すぎる……」
「広域ATフィールド……」
 ピンッ…まただ、リツコの言葉のその部分が、妙にミサトの中で引っかかる。
(広域ATフィールド、広域ATフィールド……どこかで……)
 目を閉じ、むむむうと小さく唸りながら腕組みして記憶の奥を探る。
 ごく最近、その語を目にしたはずなのだ。
 29歳の若さで、彼女を人類の存亡をめぐる戦いの指揮者たるネルフの作戦部長たらしめ た、知力体力判断力、決断力に時の運、その他諸々の能力全てが協調、フル回転して出来 上がる、1つの直感が閃く。
 この際、天啓、霊感、何と言ってもいいだろう。ただ天使の名を持つ敵と戦っている以 上、神の託宣、預言の語は当てはまらないだろうが。
 そう、この戦い、このキーワードを辿れば、勝つ!
(…広域ATフィールド、広域ATフィールド、……による広域ATフィールドの……)
 そう、確かあれは明後日に到着予定のアレの資料の中に……
(そう、弐号機、明後日に届くのは弐号機、弐号機と弐号機専属パイロット)
カチカチカチ… ミサトの中で刻まれる時計の音。それは正解がすぐそこまで来ている証。
(セカンド、セミ・セカンドチルドレン……デュアル・シンクロ!)
 そして連想されるキーワードが、ついに1つの解に辿りつく。
ちーん!
 ミサトの目が歓喜に彩られて見開かれ、にんまり笑顔が浮かび上がる。
 到着に先だってネルフ本部に送られてきた、ネルフ・ドイツ支部からのエヴァンゲリオ ン弐号機実験報告書の中にあった1論文。
 ミサトはその要約に目を通してあった。
「『デュアル・シンクロによる広域ATフィールドの対使徒戦への応用について』!!」
 叫ぶと同時にミサトは左掌に右拳を打ちつけ、ぱしん!と景気のいい音が発令所中に響 き渡った。
 リツコとマヤ、マコト、シゲルその他、敵使徒の分析にかかりっきりになっていたネル フスタッフたちが、何事かと一斉にミサトの方を振り向く。
「リツコ! レイ、シンジ君、トウジ君、この3人の中でデュアル・シンクロは可能? 可 能だとして、最も高水準でシンクロできるのはどの組み合わせ?」
 堰をきったように矢継ぎ早にリツコに質問するミサト。
「デュアル・シンクロ… あっ!」
 デュアル・シンクロ。その言葉に、ミサトが言わんとしていることを瞬時に理解してリ ツコは小さく声を上げ、
「マヤ! レイとシンジ君とトウジ君の3人のパーソナルパターンを比較、即座にドイツ から送られてきたデュアル・シンクロの実験データと照合、最も高率で多重シンクロ可能 な組み合わせを出して!」
 ミサトに負けないくらいの早口で、リツコがマヤに指示を出す。
「は、はいっ!」
 リツコの勢いに少し引いたものの、マヤはすぐさまキーボードに向き直って作業に入る。
(多分、レイとシンジ君になるでしょうけど、ね……)
 続いてリツコもコンソールに向かい、デュアル・シンクロの準備に入る。



 その頃第3新東京市直上では…
「そこかあっ!」
 ていっと参号機が横薙ぎにアグレッシヴ・ソードを振回し、またもや兵装ビルを1つ、 ほぼ中央から真っ二つにぶった斬る。
ズウウウウウウンン……
 今度は誘爆もせず、ビルの上半分が崩れ落ちるだけだった。
ガガガン! ガガガン!
 参号機の後方から、初号機が使徒に牽制の銃弾を叩き込みながら駆けて来る。
 その目標のほとんどが…いや全部と言っていいだろう、使徒の作り出した虚像であるため、 やっぱり破壊されるのは専ら街であった。
 背中合わせに立つ、初号機と参号機。
 初号機はパレットライフルを構え、参号機はアグレッシヴ・ソードを青眼に構えて互い に死角をカヴァーしつつ、周囲をうろつき飛び跳ね回る使徒とその虚像たちに、隈なく気 を配る。
「このままじゃ埒があかないよ…」
「…せやな、キリないわ……」
 いつまで経っても使徒の実体を捉えきれない。
 シンジとトウジの2人が、その声に疲労をにじませながら、それぞれ巨人の体内でボヤ いていると…
『2人とも、聞こえてる!?』
 プラグに響いてきたのは、どこか弾んだ彼らの上司の声。
「ミサトさん!」
「ミサトはんっ! もうどないしたらええんでっか!?」
『2人とも、良く聞いて… シンジ君、今から初号機を一度ジオフロンントへ降ろします』
「え? どうして? まだ使徒は……」
『理由は後で説明するわ。回収ルートは11番、急いで!』
 えらく確信に満ちたミサトの声に、シンジは何か勝算があるのだろうと判断した。
 幾分当惑しながらも初号機を手近な回収ルートへ駆けさせる。
『トウジ君』
「はいな」
『悪いんだけど、15分…… いえ、12分間、なんとか参号機だけで応戦して。初号機が一 度ジオフロントへ降りて、再度地上に上がってきた時がチャンスになるわ』



「マヤ、弐号機のデータをベースに、シンジ君がメイン、レイはバックアップでシステム を組んで」
「はい… でも改めて見ると、シンジ君とレイちゃんのパーソナルパターンって、驚くほ どよく似てますね……」
 マヤが残像すら残しそうなスピードのキータッチで作業を進めながら、そんな感想をも らした。
 隣のコンソールで作業をしていたリツコが、一瞬チラと視線だけを後方へ向けた。  その先には、慌しく喧騒のさなかにある発令所スタッフたちを静観する、この組織の司 令と副司令がいる。
「……偶然よ。同じエヴァのパイロットですもの、適性が似ているのだからそういうこと もあるわ」
 そして視線を元に戻すと、少し間を置いてから答えた。
「デュアル・シンクロ…2名の搭乗者の同時シンクロ、それによって起こるATフィール ドの相乗効果、か… 単純に2人分のATフィールドが使えるようになるわけじゃあない のが不思議ね…」
 ミサトがパラパラと手もとの書類をめくる。
 先ほど自らが叫んだ『デュアル・シンクロによる広域ATフィールドの対使徒戦への応 用について』の要約をプリントアウトしたものである。
 ミサトたちはレイ、シンジ、トウジのパイロット3人の内でデュアル・シンクロ可能な 組み合わせを、使用できるエヴァを初号機と参号機に限定してマギに分析・予測させた。  その結果、レイとシンジの組み合わせで初号機を用いる場合が、最も高いシンクロ率と ATフィールドの相乗効果を期待できるとの予測が為されたのである。
 ミサトは発令所のサブモニターに映った、ケージに戻された初号機とそのプラグ内映像 を見上げる。そして先ほどの攻めあぐねて焦れていた、苦りきった表情とは打って変わっ てニタアと笑うと
「シンちゃーん! 相乗りだからってこの間みたいにレイに変なコトしちゃあダメよおー っ!!」
 初号機プラグ直通のマイクに向かって言った。発令所中に響き渡る、ひっじょーに良く 通る声で。
『そっ、そんなことしませんよっ! あの時だって……』
 初号機エントリープラグ内で、シンジが真っ赤になりながらまくしたてる。
 しかしシンジが赤くなっているのは、何もミサトにからかわれたからだけではない。
 シンジのシートの左隣に急遽取り付けられた、背もたれ付きの簡易シート。
 狭いプラグの中で、シンジと肩をくっつけながらシートに静かに座るのは、誰がどう見 ても美少女で、おまけに着ているのは体の線がくっきり出てしまう白いプラグスーツ。
『…………』
 もうこの国からは消えた雪のように白い肌と神秘的な赤い瞳を持つ少女。ファーストチ ルドレン、綾波レイ。
 その視線は必死になってミサトに弁解し、発令所から緊張を取り除いて…もとい物笑い のタネになっているシンジを、じーっと一見無表情に見つめている。
 しかし、本来心など持たない機械が、そんな彼女の外見に騙されずその心のゆれを観測 していたというのは、ある意味皮肉と言えるのかもしれない。
「ふふ… レイちゃんも女の子なんだ… あ、先輩、見てくださいよ」
 マヤがモニター上の、パイロットの身体データを見ながら微笑んでいる。
「どうしたの、マヤ?」
 リツコが作業の手を休めずに、チラとマヤに視線をやり訊き返す。
「シンジ君だけじゃなくって、レイちゃんの心拍数もいつもより上がってますよ」



 はてさてこちらは初号機エントリープラグ内。
「あ、ごめんね、綾波さん。ミサトさんに変な誤解されちゃって……」
 シンジはレイに振り向いて、こっちでも弁解をする。
「………」
 じー
 シンジを見つめるレイ。
(う… な、なんだろ、やっぱり怒ってるのかな?)
 見つめられて焦りまくる。
 ちなみにミサトが言っている“この間”のこととは、ヤシマ作戦の翌日、シンジが入院 したレイの見舞いに行った際に起きた、ある事件のことである。
(でもあの時は気がついたら……)
 顔が赤いのはその時のことを思い出したせいもあるが、レイが搭乗してきてからずっと 肩が触れ合ってしまっているせいでドキドキしているせいでもある。
(まったく……本部に降りて来たら、今度は綾波さんと乗ってまた出撃だって…ミサトさ んたちって一体何考えてんだろ……)
 シンジは照れ隠しかレイのことを意識しまいとしてか、まあ両方だろう、視線を明後日 の方向に向けながら内心で努めてミサトたちを非難する。
 シンジはそんなだったが、レイは別に怒ってなどいなかった。
 ただ、自分の身体状態の変化に戸惑っていただけである。
(心拍数・体温ともに通常時より、上昇……)
 とくっ・とくっ……いつもより速まる鼓動。
(いえ…体温上昇は錯覚?)
 今まで対使徒戦の直前でさえ、零号機起動実験の前でさえ、こんなことはなかった。
 シンジといると、いつも心が不安定になる。自分で自分がわからなくなる。
 しかし今度は心だけでなく身体もだ。
(…でも、サードチルドレン、碇くんと接触した右肩が、熱い……)
 かつての静謐には戻るべくもない。
(なぜ? ヤシマ作戦の後遺症?)
 …検査したリツコの所見では、異常は特に認められなかったというのに…
 レイには自分の身体・精神の異常について、ゲンドウもしくはリツコに報告する義務が 課されていたのだが、シンジに関してのことのみは、気づかれまいとそ知らぬフリを通し た。彼らの前でシンジの名を出さず、出たときは動揺を悟られぬよう、元来無表情なその 顔から努めて表情を消して…
 それは秘密ということなのだと、レイはその行為の辞書的意味については理解していた。
 なぜ秘密にしたのかは、レイ自身、言葉にはできなかったが…
 それでも少し前までは、シンジの掻き立てる不安から逃れ、かつてのあの閉塞した安息 に戻りたい、そう思っていたはずなのに。こんな異常事態は即座に報告していたはずなの に。
 しかし今は……
(…わからない……でも、いやじゃ、ない……)
 それはあの少年の笑みを、濡れた黒い瞳を見たときから。
 わからぬことは、わからぬままに。ことばにできぬ、そのままに… 
 そのことが決して不快では、なくなってしまったから。
 そう、不快ではなくて、むしろ…
 元々対人交流へたっぴなシンジである。ただでさえ無表情(に見える)そんなレイの心 の動きを掴み取れというのは、まだまだ無理な話であろう。



タンッ!
 急ぎの仕事に区切りをつけるように、白く細い指先が軽快にキーを叩く音が1つ、響く。
「ミサト、デュアル・シンクロの準備、終わったわ」
 リツコがコンソールから振り向いてミサトに言った。
「わかったわ。…シンジ君?」
『あ、はい』
 サブモニターに映ったシンジが、発令所にいるミサトたちの方に向いた。
「今からデュアル・シンクロ、2名の搭乗者による同時シンクロで初号機を起動するわ。 準備はいい?」
『え? 急にそんなこと言われたって…テストでもやったことありませんよ!』
「心配しなくていいわ、あなたはいつも通りシンクロに集中してくれればいいの。2人の シンクロパルスから来る誤差修正はこっちでやるから」
 いきなりやったこともないことを強要され、困惑するシンジにリツコが言った。
『………』
 レイはいつもと変わりなく見える。
「起動開始!」
 ミサトの号令一過、ネルフスタッフがデュアル・シンクロのシークエンスに入る。



「あ、ちょ、ちょっと! ミサトさん?」
 ろくな説明もなく開始されたデュアル・シンクロとやらに、シンジがなお、プラグの中 から説明を求めようとするのだが、発令所からは次々とデュアル・シンクロのシークエン ス続行の報告が聞こえてくる。
『主電源接続』
『全回路動力伝達、起動スタート!』
『両パイロットと初号機、A10神経接続開始』
「碇くん……」
 とその時、シンジの耳に涼やかな声。
「へ? な、何? 綾波さん」
 振り向けば、赤い瞳。
 プラグに乗り込んできてから、一度も口を開かなかったレイに突然話しかけられて驚く。
「集中、して…」
「う、うん…」
 じっと見つめられながら言われたため、赤くなりながら頷くシンジ。
 目を閉じ、体の余計な力を抜くと初号機とのシンクロに意識を集中する。
 そんなシンジの様子を見届けると、レイもすっと目を閉じた。
『ファーストチルドレン及びサードチルドレン、パルス及びハーモニクス、共に正常』
『デュアル・シンクロ、スタート!』



(あ…なんだか、いつもより抵抗…っていうか、ズレを感じないな…)
 いつも感じる自分の身体感覚とエヴァの感覚の間のギャップが消えた…わけではないが、 それでも非常に少なくなっていることにシンジは気づく。
(…綾波さんは、どんな感じなのかな?)
 レイはシンジの隣でその目を閉じている。



「シンクロ率、86.29%…… すごい、新記録です!」
 マヤが感嘆の声を上げる。
 それもそうである、通常シンジのシンクロ率は調子が良い時でも60そこそこ、まあ訓練 を開始してから2ヶ月ちょっとでこの数値は十分驚嘆に値するのだが。
 レイに至っては50代の数値が出れば良い方なのである。
 それがデュアル・シンクロ、2名の適格者が単一のエヴァンゲリオンに同時にシンクロ するという、システム上困難とされる状態で80を遥かに上回る数値を弾き出したのだ。
「弐号機のデータよりも上よ……これならATフィールドの相乗効果、かなり期待できる わ」
 リツコも予想を遥かに上回る結果に若干興奮気味だ。
「マヤ、ちゃんとデータ取ってる?」
「もちろんです、先輩!」
 研究者モードに突入しかける師弟コンビだったが
「リツコ… それで初号機、上げても大丈夫なわけ? 早くしないと第3新東京市が壊滅 しかねないんだけど……」
 水を差すようにミサトが話しかけ、2人に発令所の主モニターを見るように促す。



「まだでっかミサトはーん!」
ガガガガガガガガガガガガガ!
 右手に持ったパレットライフルをフルオートで片手撃ちしながら
ザコッ!
 左手に持ったソードで使徒(の虚像)に斬りかかる参号機。
 まるで20世紀終盤のアメリカ・アクション映画のクライマックスシーンのように勇壮な 姿であったが、専ら破壊されるのは使徒でなくって街だった。
 おまけに実はトウジ、レイ、シンジを含めたチルドレンの中で射撃の成績は最悪。彼が 近接戦闘武器を好んで使うのはそのためである。
 ライフルの弾丸は使徒の虚像にすらかすりもしない。
 ビル群が爆煙に包まれ、崩れ落ちて行く。



「大丈夫よミサト、この調子なら、行けるわ」
 コンソール画面上の、初号機デュアル・シンクロデータから顔を上げるとリツコが言っ た。
 それを聞いてミサトは頷き、続いて初号機に指示を出す。
「シンジ君、レイ、今から作戦について伝えます」
『はい』
『…はい』
 プラグの中で頷く2人。
 シンジはもう目を開けているが、レイは未だに瞑目したままだ。
「…第3新東京市の中央に初号機を射出します。そうしたらこちらのカウントに合わせて 即ATフィールドを展開、敵ATフィールドを中和。以上よ」
 作戦… だろうか? これが。
『はあ? 何言ってるんですかミサトさん、さっきやってダメだったじゃないですか…』
 敵ATフィールドの中和など、先ほど初号機・参号機共に何度も試みた。しかしあまり にもその敵ATフィールドが巨大過ぎて太刀打ちできなかったのだ。
 シンジが、もう一度やってどうなるのさと考えるのは至極当然であろう、ミサトに口答え する。
「えーいっ つべこべ言わない! さっきとは勝手が違うの。レイも一緒なんだから2人 の愛の力でなんとかしなさいっ!」
『何わけのわからないこと言ってるんですかっ!』
 真っ赤になってうろたえるシンジを尻目に
「エヴァンゲリオン初号機、リフト・オフ!」
 ミサトが言うや、初号機は射出された。



ガコオオオオオオオンンンンン…………………
 ビルに偽装された射出口のハッチが降り、初号機が現れる。
(トウジ…一体何やってんだよ……)
 初号機コックピット360度スクリーンに映し出されたその惨状を見て、シンジが心の中 で呟く。
 初号機の遥か向こう、所々煙が上がるさらにその向こうで、参号機が右手でライフル乱 射、左手で刀を振り回して暴れ回っている。まるで一昔前のヤクザの出入りだ。
 明らかに成果は上がっておらず、破壊されるのは街ばかり。
 これではどっちが使徒・人類の敵だかわかりゃしない。
『シンジ君、レイ、用意はいい? カウントを開始するわ』
「「はい」」
 聞こえてきたミサトの声に、2人の返答はきれいに揃う。
『5・4・3・2・1…』
 マヤによるカウントダウンの後
『展開!』
 ミサトの号令が轟いた。
「くっ……」
 敵ATフィールドを中和せんと、初号機ATフィールドを展開するシンジ。だが、先に も感じた巨大な抵抗感……そう、まるで自分の体に向かって流れ込んでくる大量の水流を 掻き分け押し退けるような感覚に苦しげに呻く。
(…これは…大き過ぎるよ……)
 感覚的にはたった1人で、洪水で氾濫した川を歩いて溯るようなものだ。
 しかし彼は今、1人であったろうか?
(………え?)
 抵抗を掻き分ける両手に、そっと、誰かの手が添えられたような感覚。
 その瞬間


しりん……………………



 本部発令所、否、第3新東京市中に響き渡る、1つの和音。
 高く清冽に澄んだ硬質の響き…さながらそれは、古き匠の神が造り上げた天球の鐘の音。



「…イイ音っすね……」
 シゲルが呆けたように言った。
 でもそれは、その音を聞いた人間全ての共通の感想でもあっただろう。
「2人のATフィールドが共鳴してるの?」
 即座にデータのチェックを開始するリツコ。
「すごいです………89…92…94…シンクロ率増大、初号機を中心とした球状のATフィー ルド、半径5キロ…9…13…20…なおも拡大中!」
 驚嘆するマヤのコンソール画面では、初号機を中心に可視化された球状の力場が、どん どん拡大して行く映像が映し出されている。



ゆらん……
 その音が響き渡ると同時に、空気がゆらいだかのように見え、第3新東京市を覆ってい た不可視の力場がかき消されていく。
 球状に展開され、なおもその強度・範囲ともに増大して行く初号機のATフィールド。
 その前には使徒のATフィールドなど即座に中和をすっ飛ばして侵食消滅、津波の前の 線香花火のようなものであった。
 シンジたちを散々悩ませた使徒の虚像も次々と掻き消えて行く。
 そして…
「おったあっ!」
 歓喜の叫びを上げるトウジ。
 パレットライフルを放って駆け出す参号機。その行く手には6本足の蜘蛛イソギンチャ ク・使徒。
 第3新東京市の一角、地面に大きく“9”と描かれたエヴァ用9番回収ルートの部分を、 まんじゅうの天頂部から生えた光の触手でがしがしと掘削している。
 恐らくそこから本部へ侵攻しようとしていたのだろう。
 ガシンガシンとアスファルトに罅を入れながら駆ける参号機の足音を聞きつけたのか、 あるいは自分を守る虚像が最早ないことを悟ったのか、使徒はかさこそとそこから後退す るや、素早く手近なビルに這い登ると
ぴょーん
 逃げ延びるつもりなのか、跳ね飛んだ。
「逃がすかい!」
バコン!
 初号機のものより一回り大きい、参号機左肩パーツの武装ラックに縦にスリットが入り、 出てきたのはエヴァ仕様の巨大なブーメランのグリップ。
 プログナイフと同じ原理で物質を断つ武器、プログレッシヴ・ブーメランである。
 参号機は空いた右手でプログ・ブーメランのグリップを掴んで引き抜き、グリップに付 いたレバーを握る。
ピイイイイイイイイ………
 高速振動がオンになる。
 そして参号機はプログ・ブーメランを大きく振りかぶるや
「どりゃあああああああああああっ!!」
 未だ中空にいる跳ね飛んだ使徒に向かって投げつけた。
ヒュルヒュルヒュル……すぱん!
 体幹には当たらなかったものの、使徒の片面3本の足を斬り飛ばす。
ドガアッ!
 バランスを崩して不恰好に落下する使徒。
 ちなみにブーメランという物は投げれば戻ってくるものと思われがちだが、実際には目 標に命中した場合戻っては来ない。
 その場に落下する。
 したがって
スバアン!
 プログ・ブーメランもその場に落ちた。
 その落下ルート上にあったビルを1つ、唐竹割りにして。
「ふう、手間かけさせおってからに」
 最早焦る必要はない、残りの3本足で必死にもがいている使徒に参号機が歩み寄る。
 使徒は参号機の姿を認めて、光の触手で応戦しようとするが…
ドスドスドスドスドスドスドスドスドスドスドスッ!!
 参号機右肩武装ラックから発射されたニードルが使徒を地面に縫いとめ、ハリネズミか 剣山のようにしてしまう。
「往生、せえや」
 そして振りかぶられたアグレッシヴ・ソードが、使徒を真っ二つにした。



 ドーム施設から駆け出して来た漆黒の巨人が使徒を振り回す。
『どえええりゃあああああああっ!!』
 掛け声と同時に掴んだ光の鞭を引き、体を深く屈め……
 腹部を貫かれたまま参号機は、使徒を、投げた。


 ミニシアターのような暗い一室の、大きな正面スクリーンに映し出された参号機の戦闘 場面。
 スクリーンの光りを受け、扇形に30ほど備えつけられた座席に3つのシルエットが浮か び上がる。
「…どうだい? 本部のエヴァは……」
 2つの小柄な影の後ろから、ややくたびれたような男の声がした。
 そのシルエットから長髪を後ろで結んでいるのがわかる。
「フン、たいしたことないわ」
 闊達そうな少女の声。
 青白いスクリーンの光を受けて顕わになるその顔は、白い肌とともに明らかに西欧の血 の流れを汲んで美しく整っている。意志の強そうな碧玉・サファイアブルーの青い瞳は正 面のモニターを見据えている。
 そして軽くウェーブがかかって波打つ、燃え立つ炎のように赤く長い髪には2つのヘッ ドセット。
 エヴァンゲリオン操縦者・チルドレンの証だ。
 腕を組み、敵と言わんばかりに映像を睨み据えるその横顔は、北欧の神話に語り伝えら れる戦乙女のごとく凛々しい。
 しかし次の瞬間表情は一変し、やれやれと呆れたように息をつくと、言葉を続ける。
「まったく参号機といい、初号機といい……」
 映像は丁度初号機が降下し、使徒のコアにソードを突き立てた場面。
 見た瞬間、少女の脳裏にドイツを発つ直前に見た映像が蘇り、言葉の間が空く。
 轟く咆哮、狂気じみた、戦術も何もない滅茶苦茶な戦い。
 使徒の…そして己の体液にまみれながら第3、第4、第5使徒を“殺戮”した、紫の巨 人。
 その姿はまるで……
 神の使いの名を冠した自分たちの敵のこと考えれば、それはむしろ相応しいとさえ言え るのかもしれないが……
 少女の背を、束の間冷たいモノが走り抜けた。
「……手際が悪すぎるわっ! あんなんでよく勝ってこれたものよね」
 駆け抜けた戦慄を隠すように、勢いよく言葉を紡ぎ出し
「アタシの敵じゃあないわね」
 ニヤリと不敵に笑みを浮かべる。
「…テキって、どっちサ?」
 少女の隣からやや訛った、もう1つ少女の声。
「使徒?…それとも、ホンブのチルドレン?」
 手にしたポップコーンをほいっと口に放り込んではモグモグとやってる。
「それにアスカ、アタシ“たち”って言ってほしいナ」
 ニカッと笑ったその顔は、隣のアスカと呼ばれた赤い髪の少女と並んでも遜色ないくら い美しい。いや、似ていると言って差し支えない。同じく西欧系の血を引いていると思わ れる部分を差し引いても、である。
 笑顔が綺麗な女の子だ。
 肌はそのアスカよりもさらに白い。瞳は翠玉・エメラルドグリーンに輝き、強くウェー ブのかかった長い髪は銀灰色、アッシュ・ブロンド。
 その髪を後ろで結んでいる。
「ヒルダ、別にアンタがいなくたってあの使徒は仕留められたわよ!」
「ふぁいふぁい…(ごっくん)…でもボクがいなきゃデュアル・フィールド使えないヨ?」
 突っかかってくるアスカを、ヒルダと呼ばれた少女はポップコーンを頬張りながら生返 事して軽く受け流す。
「う……」
 アスカは痛い所を突かれたのか、一瞬黙り込むが
「それでもよ! あんな戦術のセの字も知らないヤツラに負けっこないわ。それに……え ーいっ! 何さっきからアンタのべつまくなしに食べてばっかいんのよ?」
「アスカのバックアップはお腹が空くんだヨ」
「何よアタシが悪いってーの!?………あっ、加持さん違うんですう」
 後ろでニヤニヤしながらそんな2人の様子を眺める男の視線に気づき、顔を赤らめて急 におとなしくなるアスカ。口調もどこか甘えたものになる。
(ホンブのチルドレン、か…)
 ヒルダはちょっと寂しげな目をしながら、ひょいっと一粒ポップコーンを放り投げ
(トモダチに、なれるかナ?)
 パクッと口でキャッチした。



第7話・Bパートへ続く


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