多くの参列者。次々に浴びせられる祝福の言葉。


美味しい料理に弾む会話。


パーティーはまだまだ続く。














THE END OF WANDERING CHAILD 後編














ジオフロント内の公園を利用したガーデンパーティー方式の結婚披露宴。

碇夫妻――シンジとアスカの二人は各国のVIPや懐かしい人たちとの挨拶に追われていた。

それも一段落ついた二人に祝いの声がかかる。

「おめでとうアスカ、シンジ君」

「アスカおめでとう。それに碇君も」

リツコとマヤの二人組みだ。

二人はネルフが研究組織に装いを変えてからも主要スタッフとして重責を担っている。

リツコはかつての技術一課長からそのまま第一研究部の部長となった。

そこでエヴァやS2機関など危険性が高くて公開できない、もしくは公開まで時間のかかるものの研究と管理を行っている。

マヤは新設された第二研究部の部長となり、ポストとしてはリツコと並ぶことになった。

MAGIをはじめとするすでに公開された技術の民間転用を主に研究しており、またアスカの直接の上司でもある。

かつては何時までも女学生のような雰囲気を残していた彼女だが、今ではその地位に伴った落ち着きと貫禄がついてきた。

さらにもともとコンタクトレンズを使用していたのだが、数年前から眼鏡に替えたこともあって今では年相応に見られるようになった。

逆にリツコのほうはゲンドウとの結婚の頃からかつての険もなくなり、若々しい雰囲気もあり年齢よりも若く見られることが多くなった。

今では二人は同年代に見られることも多い。

「リツコさん、やっぱりなんか変ですよ。

その、まだ慣れないですけどやっぱり義母(かあ)さんって呼んだほうが良くないですか?」

アスカもその意見に頷くが、リツコは慌てて否定した。

「まってよ。もし二人が「お母さん」なんて呼んで御覧なさい。

二人の子供は私のことを「おばあちゃん」て呼ぶに違いないわ。

四十代でおばあちゃん呼ばわりされてたまるもんですか」

「なんだ、そんな理由だったの?

アタシもっと何か理由があるのかと思ってちょっと悩んでたのに」

「そんな理由って、あなた、これ以上に深刻なものはちょっとないわよ?

二人の結婚は祝福してあげたいし子供ができることも嬉しいことよ。

その上でああ呼ばれないようにするためにMAGIまで使って必死で考えたんだから」

その言葉に三人が呆れた顔になったとき、一人の少年がゆっくりと近付いてきた。

「母さん、私を置いて先に行かないでほしいな。

あ、シンジ兄さん、アスカ姉さんこんにちは。それと、おめでとうございます」

その少年は中学生ぐらいの体格とそれ以上の落ち着きを感じさせていた。

彼の名前は碇ゲンジ。

再婚したゲンドウとリツコのあいだに生まれた子供でシンジの異母弟にあたる。

「しかし、デカイわねえ。今年で四年生だっけ?

それでその体格ってのは反則よねえ」

中学生の頃までは平均よりも小柄だったシンジと違って、ゲンジは小さな頃から大きかった。

「そうは言うけど姉さん、身長は自分の意思でどうにかなるものではないのだから反則だと言われても困るよ」

その悪までも冷静な答えにアスカは苦笑する。

「相変わらずクールと言うか、可愛げの無い反応するわねえ」

「可愛げの無いって、アスカ、あなたの弟なんだからもうちょっと何か言い方があるでしょう。

それに男らしくていいじゃないの」

リツコがアスカをたしなめるが逆にアスカは顔をしかめる。

「男らしいって……まあ、リツコの教育方針に口をはさむつもりは無いけどさあ。

もうちょっと、こう、なんていうか、お父様に似すぎなのよ」

その言葉にシンジも頷く。

「ゲンジの小さい頃から父さんはずっと家にいたからね。

似るのは仕方が無いと思うよ」

ネルフはサードインパクトを防いだ正義の組織として一般には知られている。

だが各国の首脳をはじめそれだけではないことを知るものも多い。

研究機関として存続が決まったネルフだがゲンドウがそのままトップに残るわけにはいかなかった。

ネルフが研究機関として暫時改変されるまで司令職を勤めた後、ゲンドウは西暦2020年に引退をした。

もっとも後任のスティーブン=香取氏がゲヒルン時代からゲンドウと親交があったことを知る者は少ない。

それはともかく、ゲンジが生まれた頃にはゲンドウは常に家に居り、ネルフで働くリツコに変わって主夫をこなしていた。

まさにゲンドウに育てられたようなものなのだ。

「それがこの子の最大の不幸ね」

ボソッとこぼした声にリツコが反応する。

「アスカ、あなたの義父さんなんだからその辺にしときなさいよ」

その声に剣呑なものが混ざりかけた時にマヤが口を開く。

「さっきの話ですけど、あの、それだと「リツコおばあちゃん」って呼ばれる可能性は無いですか?

ほら、ゲンジ君も二人のことをシンジ兄さんとかアスカ姉さんって呼んでますし。

……あれ? 先輩、どうしました」

リツコは真っ白に燃え尽きていた。

しばらくはリツコに何を言っても反応は無いだろうと判断したアスカは額に汗を浮かべながら話題を変える。

「そう言えばシゲルはどうしたの?」

マヤはその後同じくネルフに残ったシゲルと結婚し、姓を青葉に変えていた。

「あの人ならさっき日向君がどこかに連れて行ったわ。

日向君、また振られたらしいからどこかで愚痴を聞かされてると思うけど」

マコトはミサトが退社した次の日にネルフを辞めた。

その後、商社に入社し順調に出世を重ねている。

もともと事務能力は高いうえに修羅場にも慣れ過ぎるほど慣れている彼のことなのでそれも当然のことかもしれない。

そんな彼だが、今も独身貴族を貫いている。

もっともそれは望んでのことではないだろう。

入社してすぐからアタックをしていた上司の女性課長が別の男性と結婚したのが三年前。

その後取引先の女社長に思いを寄せていたのだがマヤの話だとそれも振られたらしい。

どうも彼の好みには偏りがあるようにも思うが気にしてはいけない。

「あー、じゃあ今ごろマコトはくだ巻いてるんだ。シゲルも大変よねえ」

アスカの言葉にマヤも苦笑する。

「そうね、あの様子だと一生結婚できそうに無いわね」

「マヤも結構きついこと言うわね。

もっとも本人はあまり自覚せずに言うから始末に終えないのだけど」

ようやく戻ってきたリツコが口をはさむ。言葉の端に微妙にとげがあるのは気のせいではないだろう。

「そう言えばリツコ、結局、式は挙げなかったわね。

今からでもしたら? 披露宴はしなくてもいいからさ」

だがリツコは冗談ではないとばかりに首を横に振る。

「そりゃ、あなたたちチルドレンよりはまだマシでしょうけど、あのひとはネルフの元総司令よ?

テロの警備やら何やらで気疲れで倒れちゃうわ」

その言葉になるほどと頷いたアスカがふと思い出したというように顔をあげる。

「結婚で思い出したけど、アタシ前から一度聞きたいと思っていたことがあるのよ。

あのさ、やっぱりプロポーズはリツコからしたの?」

「ア、アスカ。いきなり何を言い出すのよ」

少しうろたえた様子のリツコにアスカはさらに追い討ちをかける。

「いやさ、お義父(とう)さまがそんな事を言う姿がどうにも思い浮かばなくてさ」

ほかの者たちも興味津々と言った様子で見守っている。

「確かに父さんはそんなこと言いそうに無いなあ」

「でしょ? アタシ絶対にリツコから言ったんだと思うのよ。

それでお義父様はこう絶対に「問題無い」って答えたに違いないわ」

「あのねアスカ、それにシンジ君まで……

ちゃんとゲンドウさんから「結婚してくれ」って言ってくれたわよ」

リツコは睨みつけるがアスカは堪えない。

「へえ。案外、普通ねえ」

「アスカ、私たちだけ言わされるってのは不公平よね。

さ、あなたたちのプロポーズのことも教えてもらいましょうか」

ぐいと詰め寄るリツコ。

「プロポーズねえ。一応、シンジからってことになるのかしら」

「へえー、意外と男らしいところがあるじゃない」

リツコの言葉にアスカは苦笑する。

「男らしいねえ。

まあ、あんな見事な自爆はある意味男らしいと言えるかもね」

「勘弁してよ、アスカ」

情けない声をあげるシンジ。

いくつになってもこういったゴシップの好きなマヤが身を乗り出してくる。

「だってさ、突然アタシの指輪のサイズを聞いてくるんだもん。

それまでそんな気の利いたプレゼントなんてしたことなかったのにさ」

そしてアスカは昔を懐かしむような眼差しになった。



「今、なんて言ったの?」

シンジのその唐突な質問を、アタシは理解することができなかった。

いや、質問の内容は分かっていた。

だが今まで待ち続けていたものが突然目の前に示されたのかもしれない。

その興奮にアタシの頭脳は正確な判断ができなかったのだ。

「えっ? いや、アスカの指輪のサイズはいくつだったかなあって……

あれ、どうしたの? そんな変な顔して」

アクセサリーのプレゼントなど数年前にお祭りの縁日に二人で行ったときが最初で最後だ。

そんな気の利かない男が指輪のサイズを聞いてきたのだ。

まして二人はもういい年だ。

付き合いだしてからの年月を思うと今更の感もするが、懐かしい仲間が結婚すると聞くたびに考えてしまう。

別にシンジが言い出すのを待っている必要は無いのかもしれない。

「こういうことは男から言い出すべきだ」

そんな古い考えをもっているわけではない。

そもそも二人が付き合いだしたのはアタシが告白したからだ。だからアタシの方から言い出したほうがいいのかもしれない。

だけど……

気は利かないくせに優しくて、そして何時もアタシの考えを最優先してくれるシンジだから。

そんなシンジだからこそ彼の意思で言って欲しかったのだ。

「結婚しよう」と。

私は嬉しさをかみ殺していた。

それと同時に思い描いていたロマンティックなプロポーズとはあまりにもかけ離れたその間抜けな告白にこみ上げる怒りを抑えていた。

「で、アタシの指輪のサイズを聞いてどうするの?」

間抜けなプロポーズをした罰に少し意地悪な質問をしてやる。

「え!? いや、あの、ええと、その指輪でもプレゼントしようかと思ってさ」

「へえー、指輪のプレゼントねえ。でもさ、誕生日でもないのに突然なんで?」

「いや、それは……

あ、それは指輪を買ってからのお楽しみってことでさ」

「お楽しみね。ま、まさか婚約指輪ってことも無いでしょうし、楽しみに待たせてもらうことにするわ」

その言葉にシンジの顔色が見る見る変わってゆく。

「えっ!アスカ……嫌なの?

それなら無理に結婚してくれとは言わないけどさ。でも……」

ついにシンジの口から飛び出した決定的な言葉にニヤリと笑みを浮かべる。

「やっぱり婚約指輪だったのね」

口を「あっ」というかたちに開いたままシンジが固まる。

「バカ。嫌な訳ないじゃない。

こんな時ぐらい強引にしてくれても良かったんじゃないの? アタシはずっと待っていたのにさ。

ちょっといじめたのは今まで待たせた罰よ。

それと間抜けな自爆プロポーズをしてくれた罰もね」

ちょっと微笑んでウインクをしてやるとあいつは本当に嬉しそうな顔になった。

そしてアタシの顔を真剣な眼差しで見つめる。

普段はボケた顔をしているくせに、時折見せるそんな表情にアタシはどきどきしてしまう。

待ちに待ったプロポーズの言葉。



「アスカ、愛してるよ。

僕たちは二人とも決して恵まれた家庭で育ったわけじゃない。

でも、そんな僕たちだから暖かい、良い家庭が築けると思うんだ。

もう一度言うよ。アスカ、愛してる。

結婚しよう。そして家族になろうよ。世界一暖かくて幸せな家族になろう」

「シンジ……」

見詰め合う二人の距離がだんだんと近付いてゆく。

「分かったわ。二人のプロポーズの言葉は分かったから続きは後にして頂戴。

まったく中学生の頃から一緒にいるというのにいつまでも……」

リツコはマヤと見をあわせるとため息をつくのだった。

「それじゃあ私達は行くから、二人っきりで好きなだけいちゃいちゃしてなさい。

それとアスカ、私のほうが一応先輩なんだから多少はアドバイスできることもあると思うの。

だから何かあったらいつでも声をかけてよ」

「ありがとうリツコ。それじゃあアタシ達はレイに挨拶してくるわ。

本当は真っ先に行きたかったんだけどお互いにすごい数の人に囲まれちゃって」

「早く行ってあげて、アスカ。レイも喜ぶわ」

「うん、それじゃあ。リツコお婆ちゃん」

再び時が凍りついた。










その瞬間もパーティーは何も変わることなく続いていた。

だが、それは確かにクライマックスだった。

三人の元チルドレンと旧姓高梨ヨシアキ、二組のカップルは互いに祝福の言葉を交わしていた。

「ヨシ、アンタはどうでもいいとして……レイ、おめでとう」

「ヨシアキ君、それに綾波、本当におめでとう」

心からの祝福を込めた最高の笑顔。

「主任、ひどいですよ」

「アスカ、あんまりうちの人をいじめないでよ。

それはそうとしてアスカ、そっちこそおめでとう」

「主任、それとシンジさんも本当におめでとうございます。

苦笑混じりながらもこちらも心からの祝福。

「ありがとう。レイ、ホントに良かったわね。

アンタいい顔してるよ。

アタシにはかなわないけどさ、美人に磨きがかかったんじゃない?」

「そう? アスカも綺麗になったわよ。なんて言うか幸せそう。

あ、ずっと立っていて大丈夫? 安定期はそろそろだったかしら?」

レイはその視線をアスカのお腹の方に移した。

そこはまだそれほど目立たないが、確かに新たな命が宿っているのだ。

「私も早く欲しいなあ。……これは今夜、頑張らないと」

「頑張るって、何を?」

「何って、ナニしかないでしょう?」

きわどい会話に男性陣は気まずげな表情になる。

「アンタねえ。ついさっきバージンロードを歩いた人がウエディングドレス着てそんなこと言わないの」

アスカの言葉に苦笑が漏れる。

「へへへへ。でもアスカ、本当に座らなくて大丈夫?」

「平気よ。アタシが疲れる前にシンジが椅子を持ってきてさ、「座れ」ってうるさいんだから」

ちょっと誇らしげなその表情。

「愛されてるのね、アスカ」

その言葉にアスカはちょっと照れたような表情になってまくし立てる。

「もう、今日はアンタ達が主役なんだからアタシのことはいいのよ。

それにしてもさ、アンタももうじき三十歳だってのにそんなドレスが似合うってのは反則よね」

襟元のつまったタイトなシルエットのシンプルな身頃。

くるぶし丈のふわっとしたレースのスカート。そしてベール。

余分な装飾の無いシンプルなデザインのそのドレスはレイの妖精のような魅力を存分に引き出していた。

シルエットは儚いまでに華奢な彼女のプロポーションを強調している。

それと同時に動きやすい丈のスカートがレイの快活な性格を現しているように思えた。

「まあね。やっぱりさ、私ぐらい美人だと歳もとらないのよね」

「何を言ってるのよ。目尻にしわ寄せといて」

そう言ってから「冗談よ」と軽く笑って手をあげるがレイは取り合わない。

「目尻にしわなんて無いわよ。毎日2時間かけてケアしてるんだから。

アスカこそ結婚した四年前よりもウェストが三センチほど大きくなったらしいけど?」

挑発的な顔でアスカをなめるように見上げる。

「何よ。下腹ポッコリちゃんがウェストのことを言うんだ?」

おなじみの仁王立ちのポーズでアスカも迎え撃つ。

「胃下垂のどこが悪いのよ!

言っておくけど私はアスカが二十三歳の時に突破した60cm台の壁をまだ死守してるわよ」

「細いだけで胸の無い女がひがんでんじゃないわよ」

「これはね、鍛えられたスレンダーボディーって言うのよ。

お分かり? 最近、運動不足で体脂肪率が上昇カーブを描いているアスカさん」

だんだんとエスカレートしてゆく二人のあいだに男性人が割って入る。

「二人とも止めなって」

「そうだよ、レイ。おめでたい席なんだから。

シンジさん、本当にすいません」

ヨシアキが白いタキシードを窮屈に着込んだその巨体を小さくする。

「いやいや、それよりも本当におめでとう。

色々考えたと思うけど、よく決心してくれたと思うよ」

すらりとした長身にスーツを着込んだシンジが恐縮するヨシアキを笑顔でとりなす。

ちなみにアスカはお腹を締め付けないふわりとしたシルエットのオレンジ色のワンピースドレスという出で立ちだ。

そのアスカとレイのあいだには何時の間にか先ほどまでの険悪な雰囲気はなくなっていた。

「レイ、アンタも本当によく決心したと思うわ。

よく頑張ったわね。……絶対に幸せになんなさいよ」

「ありがとうアスカ」

二人は戦友として共に同じ時間を過ごした一番の親友同士である。

普段は何かとけんかが絶えないが、その心はしっかりとつながっている。

「いいえ、こちらこそお礼を言わないと。

本当にシンジさんとアスカさんのおかげでレイとこうして結婚できた訳ですから」

「そうね。二人のおかげで私も決心がついたものね」

真剣な表情になる二人。

だが、シンジとアスカの二人はにこやかにそれを辞した。

「何、言ってんのよ。アンタ達が頑張ったからじゃない」

「そうだよ。僕たちは少し背中を押しただけなんだから」

そういいながらシンジはその時のことを思い返していた。



それは半年ほど前のことだった。

アスカがいつに無く真剣な表情で僕に相談してきたのはちょうど二学期の期末テストの採点が終わった時だった。

その内容はレイのことについて。

レイはあの後、第二東京大学を卒業し、ネルフに戻っていた。

そこで青葉が部長を務め、作戦部や保安諜報部などが統合されて出来た警備部に所属することになる。

「私はここで生まれて育ったのだから、やっぱりネルフに恩返しをしたい」

これはネルフに就職を決めたときのレイのセリフだが、僕はその言葉に複雑な思いを抱いていた。

僕は一人で京都の大学に行っていたので良くは知らない。

だからその頃のことは同じ第二東京大学の大学院に通っていたアスカから聞いた話だ。

レイは以前からすると信じられないほど社交的になっていた。

僕が直接知っているのは高校時代だが、その頃から僕なんかよりもずっと友人は多かったほどだ。

だけど表面的な付き合いからさらに一歩踏み込んだ、親友と呼べる人物は僕たち以外にはいなかった。

そしてそれは恋愛においてもそうだった。

大学時代にレイに熱心に声をかけていた先輩が居たそうだ。

アスカの話だと、レイも満更ではなかったらしい。

だけど結局レイは後一歩を踏み出せずに曖昧な態度に終始することになった。

その所為で一時、魔性の女と呼ばれていたのだそうだ。

誰とでもすぐに仲良くなってしまえるレイだったが、それは自分が傷つかない距離に当てをとどめておく方便を見につけただけなのかもしれない。

いや、さすがにそれは考えすぎだろうか?

だが心に傷を抱えていたことも確かだ。そしてそれはアスカも同じだった。

日本ではまだ珍しい飛び級で大学院生となった彼女には遠巻きに眺める視線だけで誰も話し掛けるものはいなかったという。

キャンパスで心を許して話せるのは数人の教授とレイだけという状況は彼女の心に大きな負担を強いていた。

京都の大学に一人で通っていたあの期間は、僕の人生に必要だったと思う。

だけどその間にアスカ達に迷惑をかけていたのも確かだ。

その頃の話は今でもたまにアスカとするのだが、そのたびにどうにも心苦しくなる。

数ヶ月に一度はその話になってアスカにいろいろとプレゼントをさせられるのだがそれは別の話だ。



レイが高梨君とであったのはネルフの警備部有志が主催した飲み会でだったそうだ。

その時も積極的だったのは高梨君のほうだった。

そして今回もレイは態度をはっきりとさせることが出来なかった。

しかし逆にいうとレイもはっきりと断らなかったということだ。

その高梨君はアスカの部下で当時はネルフに入所してまだ二年目の二十四歳だった。

先日誕生日を迎えて二十五歳になった彼だが、つまり彼はネルフが新しくなってからの職員である。

だからレイの特殊な出生についてはまったく知らないのだ。

180cmを超える身長と高校時代まで柔道をしていたという堂々とした体躯。

その巨体に何時も笑みを浮かべている優しそうな顔が乗っている。

アスカの話では不器用を絵に描いて「誠実」とタイトルをつけたような男らしい。

「だからレイの方はアタシから話してみるから、シンジは一度高梨の奴と話してみてよ」

彼女はそう言うのだがいったい何を話せというのか?

「ちょっと待ってよ、守秘義務があるだろ?

そりゃあ二人が結婚でもするなら話してもいいと思うけど、今の状況じゃあ……」

「そんなこと言ってたらレイは一生一人ぼっちのままだわ」

僕の言葉を遮るようにアスカが声を張り上げる。

その瞳に一瞬光るものが見えたような気がしたのは気のせいではないだろう。

彼女は共に戦った戦友として、そして何より一人の親友として誰よりもレイのことを大切に思っていることを僕は知っている。

「レイが背負っているのは一人で支えられるようなものじゃないわ。

誰かが、アタシ達が支えてあげないとあの子はつぶれてしまうわ。

いいえ、昔からの仲間以外とは深い付き合えない今のレイはもうほとんどつぶれかけているのよ。

多分これは最後のチャンスだわ。

アタシは絶対にレイに幸せになって欲しいのよ。

それに比べれば守秘義務なんてクソ食らえだわ」

それはアスカの心からの悲痛な言葉だった。

「わかったよ。でも、先にレイを説得してからだ。

高梨君……だったかな? 彼に例のことを話すのはそれからだ、いいね?」



即断即決、即行動。それは出会ったときからの彼女の長所の一つだ。

その直後にレイに電話をかけるとその日、彼女が当番だったはずの夕食の支度を放り出して出かけてしまった。

そして一週間後の今日、僕は件の高梨君と飲みに出かけることになっている。

あの後アスカは何度もレイと話をする機会を持ったらしい。

そして昨夜、ようやくレイの気持ちが固まったということだった。

場所は家の近所にある小さな居酒屋。

カウンターのほかには小さなテーブルがあるだけで、その一つに僕たちは向かい合って座った。

客はすでにかなり酔った様子の中年の男性が一人、カウンターに居るだけ。

店には演歌がBGMに流れている。

大きな声を出さない限り聞かれることは無いだろう。

とりあえずビールを飲みながら、初対面の僕たちは話をはじめるタイミングを計っていた。



「ええと、このまま無言で飲んでいても仕方ないしね。

率直に言うと僕たちは高梨君、君と綾波の仲を応援したいと思ってる。

二人のあいだには君の知らない障害がある。

だけど、そのことを話す前に確認しておきたいんだ。

初対面の僕にこういうことを言うのは気が進まないかもしれないけど、それでもね。

君は、……君は綾波のことが好きだね?」

どこか落ち着かない様子で料理に箸を伸ばしていた高梨君は、僕の言葉に居住まいを正した。

「はい。僕はレイさんのことが好きです。

この気持ちは誰にも負けないと思っています」

「まだでそれほど彼女の事を知らないと思うけど、どこが好きなんだい?

やっぱり外見かな?」

そんな少し意地悪なことを言って笑顔を向けるも彼は真剣な表情を崩さない。

「もちろん、彼女の容姿もそうです。

ですがそれ以上に何時もその場を盛り上げようと細やかに気を使っていた彼女の姿が忘れられません。

本当に誰一人として嫌な思いをしないようにと気配りをされていた彼女の優しさに惹きつけられたんです。

僕は本当にレイさんのことを愛しています」

そう言ってから彼は照れたようにコップのビールを飲み干した。

僕はその様子を見ながら少し安心していた。

高梨君はレイのことを良く見ている。

外見だけを見ているファンではなく、一人の人間としてレイを愛しているのだと思えた。

そして必死に訴えてくるその様子にアスカの言っていたとおりの生真面目さを感じた。

彼なら大丈夫だろう。

僕はまず何から話そうか考えながら、彼のコップにビールを注いだ。



「君の気持ちは確かめさせてもらったよ。高梨君、君なら任せられると思う。

で、本題に入るわけだけど……何から話せばいいかな。

そうだな。君は十五年前にこの町で繰り広げられた戦いのことをどれだけ知っているかな?」

「あ、僕はネルフに勤めてますけど、それほど詳しいことは知らないです。

使徒やエヴァに関する学術的なことは仕事柄それなりに理解してるつもりですけど、一般的な知識はそれほどでもないです」

僕たちが戦った先の戦いは一般的に使徒戦争"Angel War"と呼ばれている。

カルト集団であったゼーレがサードインパクトを画策して生物兵器である使徒で攻撃を仕掛けてきた。

そしてそれと戦ったのが国連の特務機関であるネルフだったとされている。

量産機との最後の戦いの後、僕も詳しくは知らないが決して表に出てこない情報戦に諜報戦そして非公式な各種交渉が繰り広げられた。

その結果、多くの国家の首脳部でゼーレの息のかかった人物を排除するために大規模な人事の刷新が行われ、残った者たちはその真実に口を閉じることになった。

したがってその真実を知る者は少なく、彼もまた通り一遍の知識しか持っていなかった。

「そうか。それじゃあそのエヴァに乗っていたのが当時十四歳の子供だったなんて事は知らないんだね?」

「そんなっ!? 志願の特殊部隊の兵士だと聞いたことがありますけど……」

彼の表情は驚いているというよりも半信半疑の様子だ。

「当時の技術じゃそんな使命感に燃えた大人がシンクロすることは不可能だよ。

専門じゃないにしてもある程度は分かるだろ?」

「あ、はい。そういわれればそうですね。でも、どうしてシンジさんがそれを?」

「ああ、僕もエヴァに乗っていたからね」

出来るだけ自然に言ったつもりだったが効果はなかったようだ。

「あ、あの……すみません。でも、本当なんですか?」

「本当だよ。なんだったら綾波やアスカに聞いてみたら良い。

二人もパイロットだったんだから」

「そんな……」

未だに信じきれていない彼を見ながら、僕は何から話そうか考えていた。

そしてレイの居ないこの場でどこまで話すべきなのかと。

ふうと一つ息を吐いてコップのビールを飲み干す。

視線を上げると次の言葉を待って僕のほうを凝視する彼と目が合った。

「ひどい戦いだったよ」

考えのまとまらない僕は、とりあえずそうつぶやいてビールを自分のコップに注いだ。



結局、レイの秘密については本人の口から話すべきだと判断した。

だがその前にあの戦いを僕たちがどんな風にすごしたかを知ってもらう必要がある。

核心に迫ることはぼかしたが、それでも相当なショックだったようだ。

だけど彼は顔面を蒼白にしながらも必死に真実と向かい合おうとしていた。

そしてさらに一週間後、四人は我が家の食卓に顔をそろえていた。

レイは固い決心に唇を硬くかみ締め、逆に高梨君はこの一瞬間で何らかの結論が出たのか落ち着いた表情をしていた。

だがそれでもレイの口から飛び出す驚愕に事実に彼の表情は歪んでいった。

三時間後、それぞれの前にある紅茶は冷たくなり、あたりを沈黙が支配していた。

やがて彼はひとつ息を大きく吐き出すと、ゆっくりと口を開いた。

僕にはその一瞬の時間が何十倍にも感じられた。

彼はいったいどんな答えをだしたのだろうか?

だが、彼の第一声は僕の予想と違う、愛の言葉だった。

レイの身の上には一切触れず、ただ小さくしかしはっきりと「愛している」と囁いた。

そしてズボンのポケットから小さなケースを取り出すとレイの前でそのふたを開ける。

そこにはダイヤの指輪がきらめいていた。

「レイさん、僕と結婚してください。

この一週間、レイさんがどういう話をするのか僕は色々と想像していました。

そしてどういう内容だったら受け入れられないだろうか、考えたんです。

色々考えているうちにもしレイさんが宇宙人だったらだとかロボットだったらとか、果ては男の人だったらなんていうのまで考えたんです。

だけど例えレイさんの話がどんな内容だったとしても、それでもレイさんのことが好きなんだというのが僕の出した答えです。

だから昨日、この指輪を買ってきたんです。

レイさん、僕は一生あなたを守ることを誓います。

返事を聞かせてもらえますか?」

僕たちがレイのほうに視線を送ると、そこには涙を流すレイが居た。

だがその涙は決して悲しみによるものではない。

そっと涙を拭うと彼女は満月のように静謐な笑みを浮かべた。

よみがえる記憶。

それは僕たちがレイと出会ってまだ間もない頃。

ヤシマ作戦の前、初めて彼女が人との絆を時間したときに見せた笑み。

あれから十五年の歳月を超え、レイはその頃と寸分たがわぬ笑みを浮かべていた。



プロポーズが無事に終わったそのあとは、とんとん拍子に話が進んでいった。

唯一、結婚後の苗字については少しもめた。

夫婦別姓も浸透してきてはいるが同じ苗字を名乗ること結婚の一つの象徴として捕らえる人も多い。

レイも苗字の二つ並んだ表札をあげることに違和感を感じるようだった。

もっともレイは高梨姓を名乗るつもりだったのだがそれに反対したのはヨシアキだった。

「綾波という苗字は君のためにつけられた特別なものだ。

僕はその名前を残したいんだ。

レイさん、あなたが生きた証として残したい、そして僕もその名前を名乗りたいと思う」

自らが生きた証。

多くのクローン体を予備の体として有していたレイにとって、それは何よりも望むものだった。

そこには美しい感動の涙と喜びの笑顔があった。

人が人を愛すること。その素晴らしさをこれほど感じたことはなかった。

これほどまでに純粋で、感動させられるものが他にあるだろうか?

そしてもう一人にシンジの記憶で見たあの荒涼とした"赤"い世界のことを思い浮かべる。

(やっぱりあの世界は間違っている)

シンジがそんな感慨に耽っているとアスカの声がかかる。

「ちょっと、何をボケっとしてるのよ?

まさかレイに見とれていた訳じゃないでしょうね」

「そんなんじゃないよ。たださ、みんな幸せなんだなって、そう思ったら嬉しくなってね」

あふれる笑顔、絶えることのない話題。

それは確かに幸福の色に染められていた。










シンジとアスカの二人はパーティーの輪から離れ、ジオフロントにある湖を望むベンチに座っていた。

人々のざわめきが遠くに聞こえる。

シンジがアスカの方を伺うとそっと自分のお腹に手を当てていた。

「そこには僕たちの子供が居るんだよね」

その言葉に湖のほうを眺めていたアスカが顔を向ける。

(母親の顔になってる)

先入観がそう思わせるのかもしれないと思いながらもシンジはしばらく見とれてしまった。

「どうしたのよ? ボケっとした顔して。

もうすぐパパになるんだからしっかりしなさいよ」

その声に我に帰る。

「うん、そうだね。しっかりしないとね。

三人で幸せになろう」

自らの幸せを感じれば逆に思い返してしまうのはあの赤い世界に残されたもう一人の自分のことだった。

「彼は……もう一人の僕はどうしてるだろうね」

その言葉にアスカは驚いた顔になった。

二人にとって見知らぬ未来から逆行してきたもう一人のシンジは微妙な存在だった。

戦友、かつて恋した人。そして恋敵。

どちらからという訳でもなくその話題は避けてきたのだ。

しかし皆が幸せに見えるこんな日だからこそ、シンジは彼のことを思わずに入られなかったのだ。

「きっとあの人の世界もリリンが群体に戻って、それで平和な世界になっているわよ」

「そうかな」

「そうよ。あれだけ必死に頑張っていたんだもの、絶対に報われているはずよ」

「そっか」

その力強い言葉に少し安心する反面、それだけ信頼されているもう一人のシンジに強い嫉妬を感じていた。

「何、変な顔してるのよ」

「僕は絶対に君を幸せにするよ」

「どうしたのよ突然」

不思議そうな顔になるアスカだが、すぐに気を取り直して話を戻す。

「さっきの話だけどさ、今度は使徒もエヴァもそれにセカンドインパクトもない世界だと良いわね。

あれだけ頑張ったんだからさ、本当に平和な世界よ、きっと」

あまりにも嬉しそうなアスカの表情に少し意地悪なことを言いたくなる。

「そうだね。でも、エヴァが無かったら君はずっとドイツに居て僕と出会わなかったかもしれないよ」

「それはダメよ、絶対にダメ!

そうね、使徒とエヴァは必要ね」

厳密には自分と違うとはいえ、同じシンジにアスカが出会うためなら使徒が来ても良いとまで言ったことにシンジは少し気分を良くした。

「だけど僕の母さんもそれに君のお母さんのキョウコさんも、同じゲヒルンに勤めてたからその関係で知り合いだったかもしれないしね」

ぱっとアスカの表情が明るくなる。

「そうよ、それじゃあいっそのこと幼馴染って事にしましょう。

家も隣同士が良いわね。それであたしが毎日シンジを起こしに行ってあげるの」

「何時も僕が起こしてるのに?」

「あっちのアタシは大丈夫よ。……多分」

「まあ、いいけどさ。

でも、それも良いね。僕とアスカとレイ、三人が幼馴染か」

「あ、ちょっと待って。レイも幼馴染ってのはライバルとして強力すぎるわね。

レイには悪いけど途中から転入してきてもらおうかしら」

想像の事だというのに真剣になるアスカがおかしくてシンジは笑みをもらす。

「笑わないでよ。アタシは自分が幸せになりたいだけよ。

それにはシンジと一緒になるのが一番じゃない?」

無邪気な笑顔。

だけどシンジは素直には喜べなかった。

彼女の言うシンジとは自分のことなのだろうか? それともかつて彼女が愛したもう一人の自分?

「本当にどうしたの? さっきから変よ」

「……うん。

あのさ、君は……アスカは今、幸せだよね」

「あったりまえじゃないの」

何を今更という様子のアスカ。

「本当に? もう一人の僕よりも、僕は君を幸せに出来てる?」

その言葉に目をぱちくりと瞬いてからアスカは笑い出した。

「そんなこと気にしてたの?」

「そりゃそうさ。彼は僕の最大のライバルだからね。

もう居ない人にはどうやっても勝てないとも言うしさ。

僕が勝つには君を幸せにするしかないんだ。もう一人の僕よりもね」

「ばか」

アスカはシンジの手をとると真剣なそして優しい目で見つめた。

「アタシはね、十四歳のときに失恋をしたの。

確かにつらい失恋だったわ。でもね、その恋はその時に終わったのよ。今じゃ良い思い出よ?

それからあの桜の木の下でシンジに返事をしたあの時までの四年間にアタシはもう一度恋に落ちたのよ。

アタシがあなたを好きになったのは、あなたがあの碇シンジと同じだからじゃないわ。

四年間、ずっと一緒に居てくれて、そして誰よりもあなたが優しかったからよ。

誰よりもアタシのことを理解しようとしてくれたからよ。

そして何よりアタシが一番側に居たいって、そう思える人があなただったからよ」

「うん、ありがとう。でも、そんなアスカだから僕は幸せにしなくちゃいけないんだ」

その答えに苦笑をもらす。

(まったく、変なところで頑固なんだから。こういうところはお義父様似なのかしら?)

「分かったわ。でも、それだったらアンタも幸せになることね。

アタシの一番の幸せは、シンジが幸せであるということなんだから。

だからシンジ、みんなで幸せになりましょう。アタシとシンジ、そしてこれから生まれてくるこの子と」

「そうだね。愛してるよ、アスカ」

「アタシも愛ししてるわ、シンジ」

それは二人の二度目の誓いのキスだった。

証人となったジオフロントにある湖は静かにさざ波をたたえていた。



シンジとアスカ、二人の夫婦。

それはいわば家族という小さな世界であり、二人はその世界のアダムとイヴなのだ。

もうすぐ子供が生まれ、二人は父と母になる。

それはその小さな世界が新世紀を迎えるということだ。

二人の新世紀の物語はこれから紡がれるのだ。

そしてその新世紀は幸福にみちていることだろう。






THE END OF WANDERING CHILD  










後書き

どーも、林原兼実です。
私の初めての連載作品である「WANDERING CHILD」もついに完結を迎えました。
何より今までお付き合いくださった読者の方にお礼を言いたいと思います。
本当に今までありがとうございました。




WANDERING CHILDに戻る
TOPに戻る


inserted by FC2 system 1