う〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ひ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ま〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
む〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
WANDERING CHILD 第拾四話
近頃ミサトが遅くまで帰ってこないことが多い。
そしてそれは、加持と一緒に呑みに行っているようなのだ。
二人に近しい人は誰もがこう言うだろう。二人はよりを戻したのだと。
加持はともかく、ミサトにこの事を言えば否定するだろう。
実際、ミサトに加持とよりを戻したという自覚は無い。
先日シンジから衝撃的な話を聞き、その情報を共有するのはシンジを除けば二人だけなのだ。
何かと連絡を取り合う必要がある。
その事を説明する訳にいかない為に、曖昧に笑う事しか出来ない。
しかしそう勘違いされる事は、本人にとっては大いに遺憾だった。
だがしかし、である。
客観的に見て、二人のあいだに流れる空気がいい感じなのも確かであった。
近頃アスカは機嫌が悪い。
それは、以下の理由によるものだ。
1.自分は加持の事が好きである。
2.その加持は、ミサトと付き合っているらしい。
3.よって、自分は機嫌が悪い。
実に明快である。
実際、アスカにとっては初級の方程式を解くようなものだろう。
ただ一つ計算と違う事がある。
それは、本来なら加持と付き合いだしたミサトに腹を立てるべきであるのに、気が付くとシンジをいじめてしまっていることである。
ナゼ?
理由を考えてみる。
1.自分はイライラしている。
2.その対象であるはずのミサトは家を空けがちで、なかなか話す機会が無い。
3.そんなときに、シンジは相変わらずボケボケしている。
4.よって、シンジをいじめたくなる。
「ふむ。一応筋は通っているわね」
ウムウムとうなずいてみるも、どこかに違和感が残る。
「人の心は、ロジックじゃないのね」
リツコのモノマネなんかやってみる。
「ちょっと、似ていたかもしんない」
うれしかったらしい。
「うーむ。誰かに見せてやろうかしら……手ごろなところでシンジにでも」
そこではたと気付く。
「えーい。和んでるんじゃないアタシ!
アタシは今、ミサトに加持さんを取られて機嫌が悪いのよ。
しっかりしなさいアタシ!」
とたんに不機嫌になる。
「それも、これもバカシンジのせいだわ!!
だいたい、夕飯の買い物に、何時までかかっているのよ!」
15分ほど前に出掛けて行ったばかりである。
「シンジが居ないと、このアタシのストレスが発散できないでしょうが!
よーし決めた、今決めた。
夕飯に変なもの作ったら、徹底的にいじめてやる」
そんな日に限ってハンバーグだったりする。
アスカは、満面の笑みを浮かべて肉汁の滴るジューシーなハンバーグの前にいる自分に気付く。
(どうしたアタシ!がんばれアタシ!
アタシは今機嫌が悪いのよ。
シンジは買い物に行って、ナカナカ帰って来ないし。
新しいソースに挑戦するとか言ってキッチンに篭もって、相手してくんなかったし。
……ハッ!
違う、そうじゃない。
加持さんよ、加持さん。
最近、仕事が忙しいらしくてあんまり会えないし。
時間のある時は、ミサトとどっか行っちゃうし。
ちくしょう。アタシもデートしたいなあ。
わかってんの!
買い物に行ってる暇があるならデートに誘いなさいよ。
……って、買い物?
そうよ。加持さんこの前、出張に行くのに新しい鞄を買うって言っていたからその事ね。
ああ。それにしてもこのハンバーグ、美味しいわね。
オレンジを使ったソースも甘酸っぱくて、肉の味を引き立てているし。
うーん。このソース、付け合わせのジャガイモと人参にもあうじゃないのよ。
……だから、アタシは今機嫌が悪いのよ!!!
でも、このハンバーグ美味しい。
とりあえず食べ終わるまでは、機嫌を直してやるか)
シンジなら2分間はフリーズしてもおかしくないこれだけの思考を、アスカの天才的な頭脳はここまでわずか0.6秒。
そのおかげでシンジの問いかけに、タイムラグ無しで答えることに成功した。
「美味しい?」
「うん!美味しい」
にっこりとした笑みを添えて。
「よかったぁ。
新しいソースに挑戦したんだけど、味がナカナカ決まらなくて心配だったんだ」
「なーにー?アタシを実験台にしたの」
「ち、違うよ!アスカに最初に食べてもらいたかったんだよ」
「そういう事なら、特別に許す」
(うふふふ。シンジってば、真っ赤になっちゃって。
あー、やっぱりシンジはからかい甲斐があって面白いわ)
確認しておこう。
1.アスカは、加持とミサトが付き合い始めたので機嫌が悪い。
2.ミサトに文句でも言いたいところだが、忙しいらしくなかなか家に居ない。
3.そんなときに、ボケボケしているシンジをいじめてストレスを発散しているのだ。
……少なくとも、本人にとっては。
「ああ、もう。腹の立つ」
その日、アスカは確かに怒っていた。
何しろ、他の人が見てもちゃんと怒っていると分かるぐらい怒っていたのだから。
「うーん。本当ならヒカリの家に行きたいところなんだけど、今はちょっと……
ま、予定通りレイの部屋に泊めてもらおう」
アスカは一つ呼吸を整えると、レイの部屋の呼び鈴を鳴らした。
「ああ、もう!あの女心のわからないバカは!!
何が『加持さんとミサトさんには、幸せになってもらいたい』よ!!
アタシの前で言うか?普通」
アスカはレイの部屋で紅茶を一口飲むと、早速ぼやき始める。
「そんなこと言われてもなあ」
そのころ、女心のわからないバカはリビングでほうじ茶をすすっていた。
以前と比べると人と付き合う事を覚えたシンジだったが、女性に関しては加持の言う『遥か彼方の存在』という事が、ようやくわかったという状態である。
「そりゃあ、僕は少し鈍い方だけどさ……」
最近、シンジはようやく自覚するようになった……大いに不十分ではあるが。
「それでも、アスカには言われたくないなあ。
そりゃ、アスカにラブレターを出すような人は、ほとんどファンみたいな人ばかりだと思うけど。
それでも、ああ、あからさまに捨てられるとな……」
自分だったら絶対、へこむ。そう思ったシンジは、アスカにその事を意見したのだ。
その後、突如不機嫌になったアスカの機嫌をとろうとして、色々話し掛けていたシンジが先ほどのとどめの言葉を言ったのだ。
「はあー。アスカ、そんなに加持さんのこと好きだったのかなあ」
「それでアスカ、飛び出してきたのね」
「そうよ。まったく、あのバカ」
フウと一息吐き出してから、レイが立ち上がる。
「兎に角、心配しているといけないから、碇くんに電話するわね」
携帯電話を置いてあるチェストに向かおうとすると、アスカが止める。
「ん?レイん家に行くって言ってから出てきたから大丈夫よ」
「……?」
いまいち一般常識に疎いレイだが、それでもアスカの行動は奇異に思われた。
「まあ、保安部も居るでしょうけどね。
パイロットなんだから、非常事態に備えて常に居場所を明確にしとかないと」
「そう」
アスカの言う事は正論のような気もしたが、よく分からなかった。
「おかしい?アタシね、どんなときでも理性が前に出てきちゃうのよ。
小さい頃からそういう訓練をしてきたからね」
「……」
レイは戸惑った様子ながらも、じっとアスカの話に耳を傾けている。
「アタシさ……レイの事、人形って言ったことあったじゃない?」
「ええ」
「本当に、間違いだったと思うわ。うん、アンタ見てるとそう思う。
そりゃ、感情を表現することは苦手みたいだけどさ。
本当に、いろんな感情を持っていてさ……正直言うと、レイがうらやましい」
「そんな。アスカは私の、目標なのに。
笑ったり、怒ったり……本当に表情が豊かで。
それに、その……綺麗だし」
レイは、少し顔を赤らめてうつむく。
「いいなあ、レイは可愛くて」
「そんな、アスカだって……」
「アタシだってさ、美少女だって自身はあるわよ。
でも、可愛くないもの。
お掃除も出来ないし、料理だって……
レイはシンジに倣っているんでしょ?お料理」
「うん。でも、失敗ばかりなの」
尻すぼみに声の小さくなるレイを、アスカはやさしい顔で見つめる。
「アタシなんかさ、先週の日曜日にヒカリに料理を教えてもらいに行ったんだけどね。
ヒカリの家のキッチン、ミサトの部屋みたいにしちゃってさ。
後片付けも、ほとんど役に立てなかったし。
それにアタシ、意地っ張りだし」
アスカはうつむいてしまう。
「レイを見てるとね、時々思うのよ。
本当はさ、アタシの方が人形なんじゃないかって」
「アスカ?」
心細げなアスカの表情と震える声。レイは心配そうに名前を呼ぶ。
「まあ、ミサトなんかは報告書を読んで知っているみたいだけどさ。
自分から話すのはレイが初めてだからね。
……レイとは、これからもずっと仲良くしていきたいから」
「……?」
「話してあげる。アタシが何で人形が嫌いなのか」
そして、アスカの長い独白が始まった。
「たっだいまぁー。
アスカぁー、お土産連れて来たわよぉー」
「よお。邪魔するよ」
ご機嫌のミサトが、加持のネクタイを引っ張って帰宅する。
「……って、シンちゃんアスカは?」
出迎えたシンジの顔が一気に曇る。
「……アスカはレイの部屋に泊まるそうです」
「そう。
……シンちゃん、アスカとケンカした?」
シンジはうつむいてしまう。
「あちゃー。図星った?」
「そう、そんな事があったの」
他の人が聞けば、適当に聞き流したように思うかもしれない。
また、その表情を見ても悲しそうな顔をしているとようやくわかる程度だろう。
だがアスカは知っていた。
抑揚の乏しいその声に、表情の乏しいその顔に、どれだけの悲しみが込められているのか。
安っぽい同情とは違う、深い共感と悲しみ。
レイにはアスカの言う母の存在がよくわからなかった。
もちろん、母という言葉の意味は知っている。
だが、母がいるとはどういう気持ちなのだろうか?
その母に自分を見てもらえない事はどれほどの悲しみなのだろうか?
レイには分からなかった。
(私には、何も無いから)
それでも、レイは思う。
(今の私には大切な人たちがいる)
もし、その人たちが私を見なくなったら?
その想像に、レイは恐ろしくなった。そしてアスカの不幸な過去に心を痛めるのだった。
自らの不幸に気付かずに。
「あっちゃーー。そんな事、言っちゃったんだ」
リビングに移った一行は、即席の人生相談をはじめていた。
(ホントにもう)
事のいきさつを聞いたミサトの感想である。
それと同時に、重い十字架を背負い悲壮な覚悟でそれに立ち向かっているように見えるシンジの、年齢相応の可愛い悩みに安心感を抱くのもまた事実であった。
「シンちゃん。何で、アスカが怒ったと思う?」
「えっ?アスカは加持さんのこと、好きなのに……」
「はああぁぁーーー」
シンジの答えは、盛大な溜め息にさえぎられる。
「まあ、あの娘も素直じゃないから……
シンちゃん。アスカが怒りだしたのは、加持の話じゃ無いでしょ?」
「あれは、僕がアスカに意見したから……」
(この、すっとこどっこい)
何とか、口から出かかった言葉を飲み込む。
「アスカは俺に甘えているだけさ。
それは好きとは少し違う。そうだな、初恋はお父さんってヤツさ」
「……」
シンジは、信じられないという顔になる。
「シンジ君。アスカの事、どう思う?」
「えっ。ど、どうって」
「いや、シンジ君の気持ちじゃなくて、アスカはどういう娘だと思うかってことだ」
「あ、そういうことですか。
アスカは輝いていると思います。綺麗で、頭もいいし、運動神経もいい。
いや、そんな事じゃ無い。
不器用なんだけど目標に向かって、必死に努力できるんです。アスカは」
次第に、シンジの口調に熱がこもりだす。
「アスカって自分の事、天才だって言っているけど、あれ、照れ隠しなんですよね。
本当に歯を食いしばって、ものすごく努力をしてきたのに。
そんなそぶりを見せずに、アタシは天才だから出来て当たり前なんだって顔をしているんですよ。
時々見せる表情とか、結構可愛いですし」
ここまで言っておきながら、赤くなってうつむいてしまう。
「なるほど、よく見てるな」
「そんなこと無いですよ」
「アスカの事を可愛いと言える人物ってのは、意外と少ないんだ。
それに、アスカが努力している姿なんてあんまり見せないんだろ?よく見ている証拠さ」
「それは……」
知っているからとは言えずに黙り込む。
「まあ、シンジ君のことだから何か知っていても驚かないがな。
それでも、さっきの話には実感がこもっていた。それぐらいは分かるさ」
「はい」
「でも、見えていない部分もある」
「えっ!?」
「確かに、アスカには不幸な過去がある。
でも、それを割り引いたとしてもだ、アスカは我が儘なほうだろう。
また自己顕示欲も強い。積極的な性格も、度を越すと強引なだけだ」
「でも、それは……」
「ま、今言った性格もアスカの長所になりえるだろう。
でも、そういう一面があることも事実だ」
「だって、そんな……」
シンジは久しぶりに、右手を開いたり閉じたりしていた。
「だって、アスカは……その」
いろいろな思いが一度に押し寄せて、上手く言葉にならなかった。
「アスカは、いい娘だ。
アスカとの付き合いは、俺のほうが長い。アスカの事はよく知っているつもりだ」
「はい」
「アスカの悪い部分を受け止めた上での言葉なら、俺も何も言わない。
でも、今の君は、アイドルに憧れるファンと同じだ」
加持の言葉はシンジにはショックだった。
アスカを護るために、誰よりも強くて誰よりも脆い少女を護るために戦っていたのに。
誰よりもアスカの事を見ていたと思っていたのに。
自分は何を見ていたのだろう。
自分はアスカの表面しか見ていなかったのか?
それで、自分はアスカの事を理解していたつもりだったのか?
護ると心に誓ったのではないか。
愛しい人を……
愛しい人?
このとき、シンジは唐突に自分の気持ちに気付いた。
ああ、そうだったのか。僕はアスカの事が好きだったんだ。
「……アスカ」
レイは震える声で、搾り出すように話し掛ける。
「アスカには私がいるわ、ミサトさんも、ヒカりさんも、色々な人がいるわ。
お母さんの代わりにはならないかもしれない。
でも、だから、そんなに悲しまないで。
それに、アスカには碇くんがいるわ。だからアスカ、元気を出して」
感動のシーンが、突如ワタワタとした雰囲気になる。
「な、何でそこでアイツが出て来んのよ!?」
「?」
レイのきょとんとした顔は、自分の発言の何処に問題があったのか分かっていない。
「だって、アスカは碇くんのことが好きなんでしょ?」
「何でアタシが!」
「違うの?」
違うと叫ぼうとして、アスカは思いとどまる。
(アタシはシンジのこと、どう思っているんだろう)
「私は、好きという言葉はよく分からないわ」
「?」
今度は、アスカがきょとんとした顔になる。
「私はアスカの事が好き。ヒカリさんのことも好きだし、碇くんも、ミサトさんも好き。
だけど、みんな少しずつ違う好き。
だからアスカが碇くんのことが好きなのはわかるけど、それがどういう好きなのかは分からない。
でも、アスカは碇くんのことが好き。
……これは確かだわ」
妙に自身たっぷりな口調のレイ。
「アタシは……」
アスカの脳裏に色々なシンジが浮かんでは消える。
シンジ……
(好き……か。どんな好きなのかな、これは)
自分の胸に手を当ててみる。
(加持さんとは違う好き)
そっと、目を閉じる。
(好きって難しいな……)
アスカは思う。
(どんな好きかはわからないけど……シンジ、好きだよ)
シンジのアスカへの気持ちは、初め、家族へのそれだった。
それは、情。
情は時に愛情に変わる。
だがそれは、恋愛を経たものとはおのずと異なる。
そして、オーバー ザ レインボーの甲板の上で再開を果たしたとき、シンジはアスカに恋をしていた。
しかし、同時に家族としての情を抱いてもいたのだ。
そのことが、シンジに自分の気持ちを気付きにくくしていた。
もう一つ、シンジには特殊な状況があった。
人の記憶とは、意外と曖昧なものである。
あの"赤"の世界で、アスカの死後、たった一人で過ごした日々。
アスカの亡骸のかたわらで過ごした日々が、シンジの記憶を美化していった。
決して、シンジを責める事は出来ないだろう。
そのことが、アスカに対する思いを一口に恋愛感情というには複雑過ぎるものにしていた。
だがそれでも、シンジがアスカの事を一番に思うということだけは確かである。
それぞれの思いを胸に秘めて……
つづく
WANDERING CHILDに戻る
TOPに戻る