エントリープラグの中に、シンジとユイナ以外の人物が存在することを最初に発見したのは伊吹マヤだった。

内部の質量が人一人分、突然増加したものだから計測ミスかと思ったのだが、そうではないことは直後に証明されることとなった。

 

「すみませんが・・・女性用の服を用意してもらえますか?」

 

シンジがいきなりこんな事を言ったのだ。

横で聞いていたリツコはまさか、と驚いた様子で目を見開いた。

マヤからマイクをかっさらうと、少し震えた声で問い掛ける。

 

「ま、まさか、そこにいるのは碇ユイさんですか?」

「・・・赤木リツコ・・・さんですか・・・」

「・・・やっぱり・・・そうなんですね」

 

 

 

 

 

WING OF FORTUNE

第参拾参話 穏やかな時間

 

 

 

 

 

全てのエヴァを収容し終えたケイジ。

四機のエヴァが並ぶという状態は、ネルフスタッフに不思議な安心感を与えてくれた。

先に戻ってきていたアスカやレイ、トウジらは初号機前で二人が降りてくるのを心待ちにしていたのだが、そこへ女子用のネルフの制服を抱えたリツコが割り込んできた。

 

「あ、リツコさん」

「シンジ君、これ・・・ユイさんに。どうせもう一度着替えてもらうことになるとは思うけど・・・」

「ありがとうございます。じゃ、先に降りているからさ、ユイナは出来たら手伝って上げて」

「わかったわ」

 

二人を残してまずシンジが降りていく。

その先でチルドレンを先頭に様々な人たちが待ち受けていた。

シンジは目を細めてその顔を一つ一つ見やり、深々と頭を下げた。

 

「ただいま、みんな。心配かけてゴメンね」

 

スパカーーーーンッ

 

と、頭を下げたところをといきなりトウジに頭を叩かれた。

 

スパーーーーンッ

 

そしてそれに続けとばかりにアスカも頭を抱えているシンジを追撃する。

 

「い、痛いなぁ」

 

涙目になったシンジが抗議しようとすると、突き付けられた人差し指にのけ反った。

ゆっくりと見回すと憤った三対の視線が突き刺さった。

赤、蒼、黒と色は違えどそこに宿っている思いに関してはほとんど差違はない。

 

「痛いですってぇ!?あんたねぇ・・・あたしたちがどんだけ心配したのかわかって言ってるわけ?」

「そうやなぁ・・・今回ばかりはわしも惣流の味方や。覚悟せえや」

「・・・私も参加していい?」

「「とーぜん!!」」

 

シンジはひきつり、冷や汗を流したが内心嬉しくて仕方なかった。

(僕は・・・戻ってきてよかった。そうだよね、ユイナ?)

視線を初号機の方に向けると、ちょうどプラグスーツ姿のユイナと、リツコの肩を借りてユイがエントリープラグから降りてきた。

目が合うとユイナは少し首を傾けて微笑んで見せたのだが、少し足下がふらついており、あぶなかっしいなぁとシンジが思った瞬間、ユイナの体がグラッと揺らいだ。

 

「アハハ・・・やっぱりダメみたい」

 

エントリープラグの縁を踏み外したところをなんとかシンジに抱き留められ、ユイナは少しばつが悪そうに舌を出して戯けた。

シンジも少しヒヤヒヤしたのか、小さく安堵の息をもらしている。

皆はシンジが空を飛んでいるの光景も不自然に思わなくなってしまっているのだから、慣れというのは怖いものだ。

 

「くおらぁー!!降りてきなさい!話はまだ終わっちゃいないわよ!!」

「シンジぃぃぃぃぃ、逃げるなんて男らしくないでぇぇぇっ!!」

「・・・A.Tフィールドで叩き落としましょうか?」

「「それは止めて(おけ)」」

 

まるで漫才だな、とシンジは苦笑して翼をたたむ。

それからユイナを慌てて担架を持ってきた医療スタッフに預け、リツコの方を見た。

 

「大丈夫だとは思いますが取り敢えず、ユイナも医療検査をしてもらえますか?」

「わかってるわ。ユイさんも少し検査は必要でしょうし・・・」

「ごめんなさい、迷惑をかけて」

「何を言ってるんですか。私こそあなたに顔向け出来ないようなことをして・・・・・・。でも・・・エヴァの生みの親として、優秀な学者として、私は尊敬しています。本当ですよ」

「・・・フフフッ、ありがとうリツコちゃん」

「・・・・・・・・・」

 

見ていた者は目を見開き、これは本当に現実なのかと頬を抓るものさえいた。

ユイに微笑まれた瞬間、リツコの顔が真っ赤になったのである。

これはリツコの中にあった後ろめたさなどがそうさせたのだろうが、同時にそっち系の趣味があるのではないかという噂が流れたという。

そしてせっかく戻ってきた少年碇シンジは、三人の少年少女に囲まれてくたくたになるまで説教されたのだった。

 


 

「あ〜、笑った笑った。トウジとアスカが意気投合するなんて前代未聞の珍事だな」

「バル・・・そんなことを言ったら悪いわよ」

「そう言うマヤだって思い切り笑ってたじゃないか。おあいこだろ」

 

騒ぎが終わり、人々はそれぞれに部署に戻っていった。

発令所も今は閑散としており、バルとマヤ以外の人間はほとんどがN2返却や、ユイやユイナの検査のために走り回っている最中だ。

ここを空けるわけにもいかないのでマギの制御が出来る人間、つまりマヤと、早速にも作戦本部長代理を命じられたバルが残っていた。

新しい部署に移ったバルの階級は取り敢えずミサトと同等の三佐となり、戦闘時における火急的な対応にはミサトよりも大きな権限を持つとされた。

作戦部においては、それ以外の仕事はハッキリ言ってないに等しい。

バルは既に教師という職を得ている身であるわけで、それ以外の時はエヴァの装備のアドバイザーとして働いたりと、実は案外と忙しいのである。

だがしかし、技術畑の人間でないからこそ部署を移ったように、実際にものをつくるのはリツコ達であってそこら辺の苦労はしているわけではない。

 

「でもこれでひとまず一件落着ね」

「本当にひとまずだな。まだ使徒はいる。それにシンジの力ばかりに頼るわけにもいかないからな」

「葛城さんの記憶があれば大丈夫じゃないの?」

「残念ながら、あれをあてにしすぎるわけにはいかない」

「どうして?」

「俺がここにいる」

「・・・あ」

 

少なくともミサトが思いだした記憶の中では、バルディエルは初号機によって撃退されている。

バルディエルがバル=ベルフィールドとしてネルフに所属しているという事態は、恐らく初めてであろう。

それこそ前代未聞の出来事だ。

 

「そっか・・・もう、記憶通りに時間は流れていないのね」

「そういうことだ。不確かなことで不安を煽るわけじゃないが、もしかしたら俺やシンジを超える力を持つ使徒が現れるかもしれない。少なくとも・・・俺より強い使徒はまだ一人いるしな」

「あなたよりも強い使徒・・・」

「ああ、ゼルエルってヤツだ。正直、真っ正面からぶつかりたくはない」

 

最早そこまで行くと、マヤにとっては想像を絶した世界だった。

これまでの戦いでも圧倒されることがあったというのに、それを超えると言われても感覚がついてきそうになかった。

話をしている間に、小柄なマヤの体は自然と震えだしていた。

まだ戻ってきてはいないが、その時の記憶が恐怖や嫌悪となって本能に染みついているのかもしれない。

終いには嘔吐に耐えるような仕草まで見せるようになった。

 

「・・・うっ・・・これが・・・記憶・・・・・・なの?」

「大丈夫だマヤ。俺たち一人一人じゃ無理かもしれない。だがここには仲間がいる。俺達は負けないし、お前も守ってやるさ」

「バル・・・」

「ああ、俺はここにいる」

 

バルはそっと震えているマヤの体を後ろから包み込むようにして抱き締めていた。

マヤもその腕に身を預けて目を閉じる。

とても安心したように、まるで子供のようにマヤは穏やかな顔をしていた。

 

 

 

 

「な〜んだか入りづらいわね」

「邪魔しては悪いから、しばらく二人にしてあげましょう」

 

このとき発令所に入り損ねたのはミサトとリツコだった。

仕事の方は下の連中がよく働いてくれているおかげで、割と暇になった上司二人が戻ってきたらこの空気である。

 

「でもマヤちゃんとバルがねぇ〜」

「あら、まだ気が付いていなかったの?」

「う〜ん、ここのところずっと自分のことを考えることばっかりで手一杯になっちゃって、周りに気を配る余裕がなかったからね」

「まあ、あなたは加持君がいるから良いわね」

「なななななな、なに言ってるのよ!あんな甲斐性無し!!」

 

大慌てになるミサトは、図星だと自分で証明しているようなものだろう。

 

お互い、こんな仕事をしているためか、結婚という言葉から縁遠い生活を送っている。

だからといって人を思う気持ちが無いなんて事はない。

むしろ彼女たちは愛情に飢えている。

愛されることを求めている。

それは子供達との共通点でもあった。

ただ違うのは彼女たちはもう大人だと言うこと。

そして甘えることが出来るのは友か思いを寄せる異性しかないのだ。

無償の愛を与えてくれるはずの親はこの世にもう居ない。

そして、いたとしても愛を受ける歳ではないのだ。

 

「リツコこそ、もう三十路に突入しちゃってるじゃない」

「(ピクンッ)何か言ったかしらぁ?」

「三十路って言ったら、もうオバサンよねぇ〜?」

「くっ、ミサトあんただってたいして変わらないじゃない!」

「残念でした〜、三十路と二十代じゃ大違いよ」

 

リツコがキッツイ目つきで睨み付けているのだが、ミサトは臆する様子もなく、調子づいていた。

が、途中でいきなりミサトの表情に影が差す。

調子のいいことや冗談を飛ばしているのも限界だった。

目の前には甘えてもいい人間いたのだから。

作戦本部長としてではなく、赤木リツコの旧友として、葛城ミサトという一人の女として弱音を吐きたくなってしまっていた。

 

「・・・無事よね、アイツ」

「ミサト・・・」

「実はね・・・アイツたぶん死んじゃってるのよ。最初の世界で。まぁあいつの事だから、もしかしたら死んだふりをしていたのかもしれないけどね」

「え・・・!?」

 

驚いてみたものの、リツコはその理由がわかる気がした。

いきすぎた好奇心によって身を滅ぼすということは、今この状態でもありえることなのだ。

現に、加持は第三新東京市を離れてからまだろくに連絡をよこしてこない。

甲斐性無しというわけでもないとは思うのだが、それではミサトが不安になるのも当然だった。

 

「・・・今日は飲みましょうか。久しぶりに二人で」

「フフッ、リツコが誘うなんて珍しいわね」

「いいじゃないの・・・こんな日ぐらい。みんな頑張ったんですもの・・・」

 

返事をする代わりにミサトはリツコの肩に腕を回してニッと子供っぽく笑ってみせた。

二人の足音が重なって、廊下の向こうに消えていく。

 


 

感動の母子対面は戦いの翌日にしきり直されて、場所を病室に移した。

隣のベットでは戻ってきたときよりもずっと顔色の良いユイナが、その細い腕に点滴をうたれてスゥスゥと気持ちよさそうに寝息をたてている。

殺風景な病室ではあるものの、枕元の棚には色とりどりの花が生けられており、心にゆとりを与えてくれた。

しばし話し込んだあと、シンジはある疑問をぶつけてみることにした。

 

「母さん、一つだけでいいから聞かせて欲しいことがあるんだ」

「ええ、いいわよ」

「母さんはどうして僕のことを知っているの?どうして向こうの世界の僕のことを・・・」

 

これがシンジ最大の疑問だった。

てっきりユイもこちらのユイであるものと思っていたのだが、話をしてみるとどうもそれは違うらしいということが判ってきた。

かといって、生物工学の知識を失っているわけでもないというのだから混乱は深まる一方だったのだ。

 

「フフッ・・・簡単よ。碇ユイという人間が死んだ時点で、その魂は一カ所に集まったの。それが私」

「! じゃあ・・・全ての碇シンジにとって母さんは母さんだってこと!?」

「簡単に言えばそうね。碇ユイという人間は、どの世界においても幼いあなたを残して死んでしまう運命にあった。少なくともこれはこの世界に送られてきた、今までのシンジ全てに共通していたわ」

 

逆説的にはシンジの選考基準が母親の死亡だったのだと考えられる。

これもまた推論に過ぎず、結局答えはないのだが。

 

「・・・今回があなたでなかったら、私は今でもエヴァの中で本能の塊として生きていたでしょうね。あなたとユイナちゃんの力・・・その翼の力が無ければ・・・」

「でも僕はまだこの力を持て余している・・・正直、いまでも怖いよ」

「それでいいのよシンジ。自分の持っている力の大きさを認識することは重要なことだわ。だからこそ、軽々しく使って良いものでもないということがわかるでしょう?」

「・・・骨身にしみたよ、今回のことでさ」

 

シンジは苦笑いをして右腕を横に伸ばした。

それに続くように白銀の片翼が大きく広がる。

 

「綺麗ね・・・でも間違えちゃダメよ」

「うん。僕はもう・・・あんな事はごめんだ。絶対にみんなを悲しませたりするもんか」

 

多くの仲間に心配をかけたことはとても申し訳のないことであったが、その経験が彼を今この場に立たせていることも事実なのだった。

力の暴走に始まり、ディラックの海へのダイビング・・・これらは試練であったのだろう。

終わってみればそうとれるという話であるが、シンジはそう思っていた。

 

「ところで・・・シンジ」

「なに?」

「あなた・・・アスカちゃんとレイちゃん、それにユイナちゃんのどの子が一番好きなの?」

 

唐突にユイは話題の転換を図った。

にんまりと笑う二十代半ば、ミサトやリツコと比べても若いほど見た目の女性。

言われなければ、この女性が子持ちの既婚者だということを信じる者はまずいないだろう。

エヴァの中で過ごしていた間は体だけでなく、精神も時が停止していたらしく、精神的にも若いのだ。

この時シンジはこの小悪魔的な笑みを浮かべている姿が、自分の母親の本質なのだと本能的に悟ったのだった。

 

「い、いきなりなに言ってるんだよ母さん!!」

「あら?親が子供のことに興味を持つのは当然でしょう」

 

ユイはしどろもどろになっているシンジを見て、酷くご満悦といった状態だ。

ハッキリ言って質が悪い。

 

「今はそんなこと言っている状況じゃないだろ!」

「!!・・・母さん悲しいわ。親にそんな口のきき方をする子に育てた覚えはないのに」

 

わざとらしく、シーツで顔を覆って泣き真似をするユイ。

さすがのシンジもこれはフリだということがわかったらしく、強気な態度を崩さない。

 

「よく言うよ。僕を残して死んじゃったくせに」

「そうだったわね。じゃあ、ゲンドウさんにお仕置きをしなきゃ」

「あのさぁ・・・僕の父さんはあの父さんじゃなくて・・・」

「あら、でもこの世界のシンジがされたことは覚えているのでしょう?」

「まぁ・・・ね。十年以上もほったらかしっていうのはどうかと思うけどさ」

 

いまいち本気で言っているのか、冗談で言っているのか判断が出来ない言い方だった。

シンジはもう勝手にしてくれと苦笑いをして頭を抱えていた。

(でも・・・母さんって美人だよな)

性格的なことはこの際抜きにしておいて、シンジは素直にそう思った。

彼の周りは美形の人間が多いのだが、その環境に慣れた上でそう思うのだから美的感覚が大きく異なりでもしない限り、まず大半の人間がユイを美人と認めるであろう。

おまけに若いのだから街に出た場合、ナンパの対象になってもおかしくはない。

 

「私の顔をジッと見てどうしたの?」

「え・・・ううん、なんでもないんだ」

「ふ〜ん・・・まぁいいわ。シンジ」

「・・・なに?」

 

ユイが息子の名を呼んだ声は、それまでと響きが全く違っていた。

声に応じて、からかっていたような少しふざけた感じの印象を一変させ、真面目な顔つきになる。

それはまるで鋭い刃物のような雰囲気を持ち、全く違うはずなのだがリツコの仕事をしているときの顔に似ているように思えた。

シンジも合わせたように、エヴァに乗っているときと同じ真っ直ぐな目でユイを見た。

 

「これからまた戦いは厳しくなると思うわ」

「そうだろうね、たぶん」

「だから確認しておきたいの。あなたはその力で何をしたいの?あなたが本来居るべきでない世界で何を求めるの?」

「・・・まだよくわからないよ。けど、僕はここに来て色々なことを経験した。おかげで自分が良くも悪くも変われてきていると思う。でも今帰ってしまったら全てが無になってしまう気がするんだ。今戻ったら・・・僕は一生後悔する。そんなの嫌だよ」

「それがあなたの決意?」

「やれるところまでやりたいんだ。何処で自分が納得できるかなんてわからないけれど、こんなの僕のエゴかもしれないけれど、僕はみんなが生き残る未来を掴み取りたい。出来ることなら、この繰り返す世界に終止符を打ちたいんだ。そう思う」

「フフフフ・・・男の子だものね、シンジは」

「母・・・さん?」

 

ユイは穏やかな微笑みを浮かべていた。

シーツの中から手をゆっくり伸ばすと、愛おしむようにシンジの頬に触れる。

掌から伝わってくる温もりに、シンジはもう薄れてしまった幼き日の記憶をぼんやりと思い起こしていた。

 

「頑張りなさい。私にはそれしか言えないわ」

「・・・うん」

「さあ、アスカちゃん達が待っているんでしょう?今日はもう家に帰った方がいいわ」

 

ユイの言葉に頷くと席を立ち、ユイナの寝顔を少し覗き込んでからドアに手をかけた。

 

「あ、そうだわ」

 

呼び掛けられた声に振り返り、それからすぐに赤面した状態で部屋を出ていった。

廊下にはアスカとレイが待っていたらしく、その顔を見て色々と詮索してきたのだが、シンジはなんでもないと言い張ってとっとと歩いていってしまった。

半ば駆け足のような状態のシンジを、二人は慌てて追いかけていく。

 

 

 

「どうしたのよシンジ。まさかユイナに変なことしたわけじゃないでしょうね」

「し、してないよ!」

「どもるところが怪しいわ・・・アスカ、これは追求の必要ありよ」

「綾波まで・・・わかったよ、実は母さんが・・・」

 

そのあとすぐにアスカが大きな声をあげて笑った。

ひとしきり笑うとムスッとしているシンジの鼻をチョンと人差し指で弾いた。

 

「良かったじゃない。死に別れた母親に会えるなんてまずある事じゃないわよ。退院したら抱き締めさせてほしいって言ったのも、あたしわかるわ」

「恥ずかしいよ。14歳にもなって」

「贅沢言わないの。あたしなんか・・・」

「あ・・・・・・」

 

アスカの生い立ちに関してはシンジも本人から聞き及んでいた。

同じように母親と死に別れているアスカの前で、母親のことをとやかく言うのは無神経であるだろう。

いつもの癖で「ゴメン」が出そうになると、アスカの声に先を制された。

 

「そんな顔しないの。ユイさんが戻ってきたことを素直に喜べばいいのよ。それにレイ、あなたもね。生い立ちはどうあれ、ユイさんがあなたの母親であることは事実だわ」

「・・・アスカ」

 

グッと奥歯を噛みしめて、それだけを言うのがシンジには精一杯だった。

 

アスカが何も感じていないはずがない。

同じ状況にあるシンジの母が戻って来て、自分の母親が戻ってこられない。

これを理不尽だと言われてもシンジにはなんの反論もできないことだ。

それもシンジはアスカの母親、つまり惣流・キョウコ・ツェペリンを助け出すことは完全に不可能であると言い切れなかったのだ。

彼とユイナ、二人が揃った上でならば弐号機の中から魂を解放することが出来るだろう。

しかしながらその際にキョウコの理性が保たれているかどうかは保障できなかった。

ユイは繰り返す世界の中で何度かの覚醒を経、そして翼の干渉があってやっと理性を取り戻したのだ。

最後の瞬間に、僅かにその兆しを見せたに過ぎない弐号機の中にあっては、ユイと同じに現世に復帰できる確証はなかった。

 

そしてもう一つの理由がある。

 

「ママに会いたいのは事実だけどさ、今あたしがエヴァを降りたらあんた達も困るでしょ?」

 

シンジだからこそ、エヴァの中に魂が必要ないのだ。

人という枠を飛び越えてしまった今のシンジだからこそだ。

もし空っぽになっている初号機にシンジとユイナ以外の人間が乗ろうとすれば、取り込まれてしまう可能性が高い。

魂のシンクロによって動かしているという前提が有る故に、アスカ自らが母親の救出を拒んだのである。

 

当然ながら、ここにはアスカの激しい葛藤があった。

たとえ心が壊れてしまっていたとしても、それが母親であること、生きていることに変わりはない。

母親に会いたい。

その思いと、エヴァに乗り仲間と共に戦うという意志が火花を上げ、ぶつかりあっていた。

結果、暫定的にチルドレンとしての自分を取ったにすぎない。

これから母親に会いたいという気持ちが強くなる可能性は十分に有り得ることだった。

 

「・・・でも本当にいいの?もしかしたら、キョウコおばさんだって母さんと同じように戻ってこられるかもしれないよ?」

「ハハッ、なんかあんたにキョウコおばさんなんて言われると不思議な感じがするわね」

「アスカ、話を・・・」

「いいのっ!!」

 

一際大きな声で、シンジの言葉はかき消された。

 

「あたしは・・・あんた達と一緒に戦う。それで良いのよ。ママを助け出すのはその後でも出来ることだわ」

 

二人に背を向けて、天を仰ぐ。

瞳のすみの方に光るものがあったように見えたが、振り返ったときにはそれは確認できなかった。

 

「それにしても、あんたって本当にあたしの幼なじみなのね。疑っていたわけじゃないけど、ユイさんにアスカちゃんって親しげに呼ばれたとき、なんだかその実感が湧いたわ。でも・・・すっごく嬉しかった。あんたの世界のあたしが羨ましいわ」

「私も・・・とても暖かい気持ちになった。・・・レイちゃんって呼ばれたのは初めてなのに。あの人に会ったのは初めてなのに不思議・・・」

「こら、レイ」

 

ペシッ

 

小気味の良い音はアスカがレイの頭を叩いた音だ。

あまり痛くはなかったようだが、レイは若干非難の色が入り交じった目でアスカを見つめ返した。

 

「なにアスカ?」

「あの人じゃないでしょ。さっきも言ったように、ユイさんはあんたのママ、お母さんなのよ」

「ママ?お母さん?・・・そう呼んでもいいの?」

「あったりまえじゃない!ねぇ、シンジ」

「あ、うん。・・・ん、ちょっと待ってよ」

 

アスカに同意を求められて、はたと何かに気付いたらしいシンジは、立ち止まって腕を組んだ。

少し前で半身になって振り返っている二人の表情は、やや訝しげに眉がひそめられている。

 

「そうすると、綾波は僕の妹だって事?」

「はぁ、あんたバカぁ?今更気付いてどうするのよ」

「私は碇君の妹なの?」

「・・・あんたも気付いてなかったわけね。でもまぁ、所詮そんなことは人の心の前では微々たる問題よね」

 

一人納得して頷くアスカ。

その理由がわかるのはここにいないユイナかユイか、はたまたミサトかといったところだろう。

 

「何が問題なのさ?」

「なんでもないわよ。ほら、これまで心配かけてくれたぶん、今日はご馳走を作ってもらうわよ!」

「碇君の料理・・・ここのところ味気ない食事ばかりだったから・・・」

「え?だってユイナが料理出来るはずだろう?」

「あんたねぇ、雰囲気ってもんを考えなさいよね。どんな高級料理だって、葬式中に出されたら味もなにもあったもんじゃないでしょうが?」

 

・・・この例は極端であったが、言いたいことはシンジも伝わったようだ。

わざと演技がかった仕草でアスカとレイの二人に軽くおじぎをしてみせる。

 

「わかったよ。じゃあ、今日はなんにしようか?」

「ハンバーグ!!」「ラーメン・・・」

 

同時に声をあげ、睨み合う二人の少女。

友情も食い物の前では一時的に横にどかされてしまうものらしい。

 

「お肉はダメ・・・私が食べられない」

「だったらラーメンだって、そこらに食べに行けばいいじゃないのよ!」

 

どちらも引き下がるつもりはないといった雰囲気だ。

 

「クッ・・・・・・ハハハハハハハハハハハッ」

 

「なによぉ!そんなに笑うことないじゃない」

「・・・私たちをバカにしているの?」

 

不機嫌そうな眼光を放ち、睨み付ける赤と蒼の瞳。

それでもシンジは内側からこみ上げてくるおかしさから、顔には笑みが張り付いたままだった。

 

「くくくっ・・・ゴメンゴメン。二人がなんだか凄く可愛らしく思えてさ」

「あ〜、それってあたし達がいつもは可愛らしくないって聞こえるわよ」

「そ、そんなことないって」

「可愛らしい?・・・よくわからないわ。そう言われると嬉しいものなの?」

「レ〜イ〜、話の腰を折らないでよ〜」

 

三人はアスカがシンジに詰め寄る、レイが話の腰を折る、シンジが笑うといった事を繰り返して家路についた。

まだユイナが足りないわけだが、こうして会話をしながら家路につくのは酷く久しぶりのような気がしていた。

 

「まあどっちにしても、買い物をして帰ろうか」

「賛せ〜い」

「了解したわ・・・」

 

久々の安息の時はゆっくりと流れていく。

 


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後書きみたいなもの。

 

シンジとアスカ、レイ。

この三人だけのやり取りって「WING」では珍しい気が・・・って、もしかしたら初めてかもしれませんな。

それはそれで凄いことなのかも。

いつでもユイナが張り付いていたし・・・

 

今回は書くことがほとんど無いので、それでは。

次回はゲンドウ、ユイとご対面・・・かな?

 

感想等お待ちしてますんでこちらか掲示板にお願いします。

誤字脱字の指摘もあればお願いいたします。

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