アスカたちは地下に入る直前、空の彼方から飛来してくる黒い影に気付き、その足を止めた。

起き抜けにマナが用意した朝食を少しだけ摘んで出てきたわけだが、ミサトの連絡がやや言葉足らずで状況を正確に理解できていなかった。

初めは突っ込んだ事情を聞き出そうとしたものの、ミサトが敢えてそれをしていないのだと悟り、すぐに飛び出してきたのだ。

わかっていたのは第三新東京市に飛来する物体がある、ということだけ。

それが使徒ではないことだけは、告げられずとも確信していた。

記憶違いが無ければ、先日、ゼルエルを殲滅したのが最後であるはず。

ならば考えられる敵は一つ―――のはずだったのだが、実際に目にすることになったのは予想したそれよりも、遥かに見慣れたシルエットを持っていた。

 

「なにあれ、3号機じゃない・・・」

「鈴原君、何か感じる・・・?」

「ちょぉ待ってや・・・・・・・・・間違いない、あれに乗っとるんはバルや」

「だったらどうして非常召集なのよ!?」

 

 

 

 

 

 

WING OF FORTUNE

第五拾五話 人の敵

 

 

 

 

 

 

チルドレンが発令所に向かっていた頃、既に発令所ではコンタクトが始まっていた。

現れたエヴァは確かに3号機と告示する外見をしており、発信されている信号も3号機のものであったが、それだけで判断するのには早急であった。

それゆえ、初号機は武器を携えたままであったし、発令所も警戒態勢の解除をすることは無かった。

 

「3号機に乗っている人、この声が聞こえたら応答して欲しい」

 

通信回線を解放した状態で、シンジが声を抑えて慎重に呼びかける。

その呼びかけをするよりも先に、弱弱しいながらも妙な感覚とらわれていた。

一体何が、と問われると答えることは出来ないのだが、何かがおかしいと感じながらの呼びかけだった。

 

「・・・まずは久しぶり、と言っておこうか、シンジ」

 

やや間を置いて聞こえてきた声。

その声に聞き覚えがあったが、同時に奇妙な感覚がその輪郭をハッキリしないままに大きくなっていった。

しかし、今は沸きあがる喜びに正体不明の感覚に対する疑問は押しのけられていく。

一旦は死に別れたと思った人物と、こうして再び会うことができたこのだから、今すぐにでも駆け寄りたいという衝動はかなり激しいものだった。

 

「バル・・・なんだね?良かった・・・本当に無事だったんだ」

「ああ、なんとかな。ただ厳密に言って無事という表現が正しいのかどうかは、俺自身もわからんが」

「とにかく帰ってきてくれて嬉しいよ。みんな、きっと喜ぶよ」

「・・・・・・喜ぶ・・・果たしてどうかな?」

「バル・・・?」

 

シンジが怪訝そうに首をかしげた数秒後、初号機のエントリープラグのモニターに3号機のプラグ内の映像が映し出された。

同時にこのやり取りを見守っていた発令所の正面モニターにも、それと同じ映像が初号機のそれと並んで一番大きく表示される。

これにゲンドウと冬月の二人は軽く目を見開いた上、周りにその動揺を悟られぬように小さく息を呑んだ。

発令所の誰もが予想した、銀髪の青年の笑顔はそこには無く、かわりに奇妙な仮面をつけた男がそこにいた。

七つの瞳をあしらった仮面。

ゲンドウと冬月に少し遅れ、リツコとミサト、ユイの三人がこの仮面の意味を悟り声を失った。

 

「なんだよ・・・それ?」

「悪いけど似合ってないわよ」

「・・・訳あってこれは外せない。ゲンドウさん、あんただったらこれがなにを意味しているのか、もうわかっていると思うが・・・勿論そこにいるよな?」

 

発令所の視線がゲンドウに集まる。

ゲンドウはいつもの手を組んだポーズから、軽くサングラスの位置を直すような仕草をすると、モニターの仮面を真っ直ぐに見据えた。

向こう側に映像が行っているということは無いが、あたかも相手を目前にしているかのような顔で。

 

「・・・用件を聞こう」

「フッ、さすがに話が早い。碇ゲンドウ・・・いや、ネルフにゼーレの老人どもからの指示を伝える」

 

((やはりか・・・))

告げられた言葉のほぼ予想通りであった内容に、ゲンドウと冬月はポーカーフェイスを僅かに曇らせた。

モニターに映る男が身につけている仮面は、現在もドグマに安置されているリリスにつけられたものとまったく同じデザインなのだ。

そのため仮面を目にした瞬間から、ゼーレが絡んでいるであろうこと、その可能性は頭の中に浮かんでいた。

更に再会したにもかかわらず、らしくないほど妙に冷めた態度も予想を裏付けることに一役買っていた。

 

「どういう経緯があってのことかは知らんが、わざわざ君を使ってまで我々に何を伝えるというのかね?」

「これからのネルフの処遇について、さ」

「・・・聞こう」

 

ゲンドウがそう言うと画面の向こうのバルは小さく頷き、ロンギヌスの槍を地面に突き立てた。

地底深くにある本部までその衝撃が伝わってくることなど無いハズなのが、直立するその姿から放たれる威圧感と共に、それは静寂を呼び込んだ。

 

「明朝08:00をもって、エヴァンゲリオン零号機、初号機、弐号機を含んだネルフ本部施設全ての明渡せ。断わっておくが、これは要求ではない、命令だ」

  

この場に残っているスタッフのほとんどは、ネルフの上にゼーレが存在することすら知らない。

基本的にネルフの特異性は重々承知していても、あくまで国連直属の組織であるという認識をしているのだから、致し方ないことだ。

だが、ゲンドウや冬月の態度から、それらが極めて大きな影響力を持つ存在であることは、すぐさま理解させられた。

しかもその命令というのが、ネルフの組織解体である。

にわかにスタッフの間にどよめきが上がり、はっきりとそれとわかる形で動揺の色が浮かび始めていた。

 

「それに従わなかったらどうするのだ?」

「無論実力で障害となるものを全て排除する。そのためのエヴァであり、ロンギヌスの槍だ」

 

淡々とした調子でそう言うと、地面に突き立てたロンギヌスの槍をグッと握り締めた。

それに合わせて3号機の双眸が怪しい輝きを放つ。

皆が皆、その姿に再度死神の姿を重ね、背筋に流れる冷たいものを感じて身を硬くした。

  

「だが、今言ったとおり・・・明朝08:00までは猶予を与える。その間に対策を練るなり、身辺の整理をして出て行くなり、好きにするといいさ」

「それはつまり、我々に足掻いて見せろということか?」

「どう解釈してくれても構わない。ともかく、俺はその時間まで芦ノ湖の対岸で待機している。まぁ・・・時間は有効に使うんだな」

 

槍を引き抜き、翼を広げる3号機。

 

「待って、バル!まだ話したいことが・・・それになんか変なんだ!」

「・・・こっちにはもう無い・・・続きは明日だ。そっちこそ今は大人しく待ってろ・・・今はな」

 

その言葉と戸惑いを残して、3号機は飛び去った。 

初号機に乗ったシンジとユイナ、そしてネルフスタッフは皆、呆然としたままその姿を見送る他なかった。

 


 

3号機の来訪から数時間が経過した。

既に完全な夜が訪れ、その間、ネルフの幹部で会議が開かれていた。

議題となったのは当然ながら、3号機・・・すなわちゼーレの使者として現れたバル=ベルフィールドへの対応についてである。

召集を受けたチルドレンは皆、自宅へ戻ることなくレストルームで会議が終わるのを待って、時間を潰していた。

警戒態勢を維持したままのネルフでは、帰ることも出来なかったのは事実だが、たとえ許可が下りたとしても自宅に戻ろうとするものはいなかっただろう。

沈黙を続けている子供らの耳に、足音が聞こえてきた。

その方向へ一斉に目を向ける。

 

「ミサト、どうなった?」

 

沈黙を破ってアスカは問うたものの、ミサトの様子から容易に想像はついていた。

おちゃらけた雰囲気を作り出すことが得意な彼女をして、沈痛な面持ちで現れられたら、わからないはずもない。

 

「明け渡しはしないことで結論が出たわ。そしてその道を選択をする以上、バルとは・・・戦わなければならない」

「そう・・・やっぱり・・・・」

「ごめんなさい・・・バルに何か事情があるであろうことは十分に予想されることだわ。でも、私達にはそれが何かわからないの。だから・・・」

 

子供らからそれ以上何も声があがらないのを見渡すと、ミサトは踵を返して去っていった。

苦渋に満ちた表情から、キュッと口を真一文字に結んで。

ネルフとして、これからゼーレと正面を切ってやりあわなければならない事態になった今、ミサトにはバルへの対応だけでなく、その後のことも考えねばならなかった。

ミサトは今更ではあるが、人同士で何故こんなことをしていなければならないのかという、行き場の無い怒りを感じていた。

繰り返した記憶を保持する者として、現状で人同士の争いほど無益で、意味の無い行為であると認識していることは無い。

しかしネルフという組織自体が他の勢力に対して、非協力的な姿勢をとり続けていたことを思うと、複雑な気分にならざるを得なかった。

秘密主義的体制が、組織の維持に必要だったとしてもだ。

それでも、今は前を向かなければならないと自分に言い聞かせ、仕事場へと戻るのだった。

 

そして子供らは子供らで黙ってはいたが、これからどうするかはそれぞれの頭の中で考え続けていた。

ミサトの言うとおり、何があってもここを明渡すわけにはいかないことはわかっている。

だが、バルと戦うとなるとまた話は別になってくるのだ。

事情があるにせよ、とても手加減をして戦える相手でないことは確実なのだから。

ミサトが去ってから、数分後、ようやくアスカが口火を切った。

 

「一体どうしてこんなことになったと思う?」

「こういう場合、バルの視点に立って考えるといいと思うんだけど・・・・・・」

 

とはマナ。

 

「・・・そのバルの置かれている状況を把握するのには、私達は情報が足りなさ過ぎるわ」

 

と、淡々と切り替えしたのはレイ。

 

「直接あいつんとこ行ってこよか?」

 

いささか間の抜けたとも思える提案をするトウジ。

そこへ当然の如く入るアスカのドツキ込みのツッコミ。

 

「あんたバカァ?それが出来たら、とっくにやってるわよ」

 

ここまではやや差し支えはあるかもしれないが、いつも通りであった。

しかしながら、約二名考え込んだまま会話に参加しようとしていなかった。

 

「シンジとユイナは何か無いの?あたしたちと違って一応言葉を交わしたわけでしょ?」

「そう言われても・・・でも今のアタシじゃ接触しないと心を読むのは難しいのよ、エヴァなんかに乗ってると特に。エヴァそのものがフィルターみたいなものだから」

「ふーん、そういうものなんだ。シンジ、あんたは何か感じなかったの?」

 

話題を振るも、シンジからはなかなか返答がなかった。

会話が途切れてしまい、やや気まずい沈黙が訪れたのだが、当のシンジは考え込んでいるようで、まるで気がつこうとしない。

仕方なくアスカが歩み寄り、下から覗き込むように視界に割り込むと、ようやく気がついて顔をあげた。

 

「シンジ、どうかしたの?」

「あ・・・いや・・・なんでも・・・ないんだ」

 

考えていたのはバルを前にしたときの違和感であるが、シンジはそれを上手く言い表す術を持っておらず、もどかしさを覚えていた。

今はそれを考えまいと、二三度頭を振って思考の切り替えを図るも思考の中央に居座ったそれは、なかなかその場を明渡そうとしない。

アスカはアスカで、つい最近「もう少し頼って欲しい」と言ったばかりであるのに、このシンジの態度に苛立ちを感じていた。

まだ燻る程度のものだったが、既にわかる者にはわかる変化として滲み始めていた。

 

「シーンージー、また一人で抱え込む気ぃ?」

「あは、ははは、い、いや、そういうわけじゃないよ。ただ、自分でも何て言ったらいいかわかんないんだ・・・モヤモヤした感じがするんだけどさ・・・」

「ふーん・・・」

 

しばらくジーっとシンジの目を見つめていたアスカだが、「まっ、いいでしょ」と一応の納得をして引き下がった。

ホッと胸を撫で下ろしたところ、不意にシンジは曇り続けていた思考に一条の光が差し込むのを感じた。

 

「あ・・・そうだ。ユイナ!」

 

かげり気味だったシンジの表情に明るさが浮かんだかと思ったら、ユイナにもそれは伝染していった。

見ている方は何がなにやら首を傾げるばかりだが、二人の間では既に話がまとまったらしく、慌しく駆け出していた。

 

「ちょ、ちょっとぉ〜、あんた達何処行くのよ!?」

「せやで、本部施設を出たらあかん言われとるやろ」

 

呼び止められると時間が惜しいとその場で足踏みをしながら振り返った。

 

「まだ確証は無いけど、もしかしたらこの状況をどうにかできるかもしれない材料があるんだ」

「けど、それ家に置いてきたままなのよ。だからアタシたちが今から取りに行ってくるからさ。えーっと・・・そうねぇ、みんなは姉さんの研究室で待っててくれる?」

「え゛・・・り、リツコの?」

「そ、姉さんの。じゃあ、アタシ達は超特急で行ってくるから」

 

一瞬、レイ以外の顔がやや引きつったのを確認して小さく笑うと、今度こそ走っていってしまう。

リツコの研究室はユイナかレイ、マヤぐらいしか頻繁に出入りするものがいない。

人が近づかない理由は、リツコ自身が研究中に邪魔されることで不機嫌になったことに起因しているのだが、それが何時の間にか苦手意識にすり替ってしまったようである。

行ってみればなんてことは無い、普通の研究室である。

ただし―――今は、だが。

 

「しっかたないわねぇ・・・行くとしますか」

「そうね・・・碇君たちが何を持ってくるかはわからないけれど・・・」

「あ、それなら、私はマヤさんのところに行っていい?事が事だし、ちょっと心配だから・・・」

「んーー、わかったわ。何か変な言い方だけど、マヤのことよろしくね」

 

マナもシンジたちが持ってくるという何かには興味があるものの、今はマヤの様子の方が気になった。

その関係は友達ではなく、どちらかと言えば姉妹だろうか。

「じゃあ」と軽く手をあげて、マナは足早に通路の方へと消えていく。

こんな事態だからこそ―――その背中に暖かいものを感じながら、アスカたちは小さく漏らした笑みその場をに残して、リツコの研究室に向かった。

 


 

夜の帳が降りて月明かりだけがその頼りとなった芦ノ湖の湖岸。

片膝をついた3号機の足元には着地したときの影響か、数本の倒木が転がり、仮面をつけたままの男はそこに腰をかけていた。

周囲の闇に溶け込んでしまいそうなほど、静かに、そこにあった。

右手で顔を覆っている仮面を掴んでいるのだが、力が入りすぎて、よく見ると小さくその腕は震えていた。

よくよく耳を澄ませてみると、仮面の下から声が漏れてきてるのがわかる。

 

「まずは第一段階成功おめでとうと言っておこうか・・・」

「・・・うるせえよ・・・俺は好きでこんなことやってるんじゃねぇんだ」

「フフ・・・君には期待しているぞ、バル=ベルフィールド君」

 

ぷっつりと音が途絶えると、バルは力を抜いて悲鳴をあげていた仮面から手を放した。

二三度、右手を握ったり開いたりを繰り返して、その感覚を取り戻す。

それからジッとその掌を見つめた。

 

「期待ね・・・人のこと脅しておいて、いけしゃあしゃあと・・・」

 

吐き出された言葉は、鬱々とした感情が、激しい怒りが滲み、呪詛にも似た響きを持っていた。

仮面に隠されたその表情も、同様に激情に歪んでいるであろう事は、想像に難くないことであろう。

が、急にその全身から、力みも嫌悪感も一切が波に押し流されてしまうかのように、スーッと消えていく。

(まぁ・・・現実にあいつらに辛い目を見させてるのは俺なんだから、人のことは言えないか)

 


 

何処にいるのだろう?

走りながら考えていたが、まずは仕事場に行くのが妥当かと思い、その足を発令所に向けた。

途中、マナは長い通路の向こう側にちょうど目的の人物の姿を見つけ、大きな声を上げた。

 

「マヤさ〜ん」

 

自動販売機の前で思案中だったマヤは、突然の声に少し体を震わせた。

猛スピードで駆けて来て、目の前で急ブレーキをかけた少女の登場がよっぽど予想外だったのか、しばし目をぱちくりさせて見ていた。

やがて落ち着くと、緊張という塊を吐き出すように息を漏らして、表情を緩めた。

 

「なんだマナちゃんだったの・・・大きな声を出すから驚いたわ。シンジ君たちと一緒じゃなかったの?」

「うーん、そうなんだけどね。でも私はどうせエヴァに乗れないし」

「マナちゃん・・・」

「あ、そんな深刻そうな顔しないでよ。私は別に自分を卑下しているわけでもないんだしさ」

 

マヤの表情が曇るとすぐに、それを打ち消そうとマナは明るい声を出す。

これから気が滅入ることになるかもしれない話をするところなのだ。

余計なことで、マヤに神経をすり減らして欲しくは無いとマナは思っていた。

少なくともこういう事態の中であまり役に立たない自分のことで、気をつかってもらいたくは無かった。

だが、いざ話を切り出そうと思うと、なかなか言い出し辛い。

もっとここに来るまでにしっかり考えておけば良かったなどと思っても、最早後の祭りである。

しかし、その言葉を捜している仕草、態度だけでマヤには十分すぎるほど、何を言わんとしているのかは伝わっていた。

マヤは目を細めて微笑すると、落ち着き無さそうにしているマナの頭に手を置く。

 

「バルの・・・ことね?」

「・・・うん」

 

幼子のように、コクリと頷くマナに、少し微笑を深める。

 

「安心して、私は大丈夫だから。シンジ君たちが戦わなきゃいけないかもしれないって時に、何時までも私だけがメソメソなんてしてられないでしょう?」

「でも、辛くないの?こんなことになっちゃったのに」

「そうね・・・全然辛くないって言ったら嘘になっちゃうけど、バルが生きていたってことだけでも嬉しいのよ。それに今の行動だってきっと何か訳があるんだと思う。私には、無理して喋っているように聞こえた・・・そんな気がするのよ。だから、だから私は自分にできることをするわ。胸を張っていられるようにね」

 

穏やかな言葉、そして笑顔だったが、そこある強い意思が向き合っているマナにも感じられた。

だから、込み上げてくるものをグッと噛み締めてこらえながら、何度も頷いた。

何時しかマヤの腕はそんなマナの背中に回され、ごく自然に抱きしめていた。

 

「ねぇマヤさん・・・バルが戻ってきた、一緒に一発ひっぱたいてやろうね」

 

心地よい温もりに身を委ねるように、胸に顔を埋めながら冗談めかして言う。

心配したんだから、そう言ってひっぱたいてやろう。

そんな光景を思い描いた二人の控えめな笑い声は、しばらくその場に温もりを止めていた。

 


 

地上の第三新東京市は街灯の明かりだけが灯り、その他はほとんど光は目に入ってこない。

人の営みの無い無味無臭の、味気の無い空間。

それだけに空に散りばめられた星の輝きは、一応東京の名を持つ都市とは思えぬほど美しく瞬いているのを目の当たりにすることができる。

時間が赦すのであれば、どこかのビルの屋上にでも寝転がって一晩中星と対話でもしていたいと思うような空だ。

だが、この無人の街を全速力で走り抜けている二人には、そんなことをしている余裕など皆無であった。

翌朝とは言え、タイムリミットが設定されている状況で時間を無駄に使うわけにもいかなかった。

 

二人が今回の事態が起きた、その事情を把握するための材料になるかもしれない、そう考えたのはカヲルから預かったデータディスクだった。

カヲルがある種の事態を危惧してネルフを離れたのであれば、それについての情報も入っている可能性があるのではと思ったのである。

無論、現状を打開する手段となるかどうかは定かでなかったが、他に頼る術を考えて時間を浪費するよりはいくらかマシであろう。

 

不意に自宅への道を急いでいた二人の足がほぼ同時にピタリと止まった。

闇を喰らうように、その背には片方ずつの翼が柔らかい光を撒き散らしながら発現する。

視線の先には街灯と街灯の間に生じた薄暗い空間が存在している。

翼の光も照らし出しているのは手前十数mというところで、完全には見通すことはできないが、ぼんやりとした輪郭でそこに立つ人影を確認することは出来た。

二人は警戒の色を強めながら、ジリジリと摺り足で後退していく。

無人となっているはず都市部分に人の姿があるというだけでも、十分な警戒の対象となるが、それを助長していたのは翼の力によって感じる相手の気配だった。

 

「なんだ・・・これは・・・・・・バルと同じ感覚?」

「違う・・・バルはこんなに静かな心はしてない・・・もっと、もっと暖かいはずだもの・・・」

「じゃあ、一体・・・?」

 

対応を決めかね、後退するばかりだったところ、こちらに近づいてくる足音と共に声が聞こえた。

声は二人の足をその場にしっかと縫いとめ、釘付けにするほどの力があった。

静かで、穏やかで、だが激しい違和感に襲われる、そんな声。

 

「初めまして・・・だね、マレビトたち」

 


 

指定した時間が訪れた第三新東京市、その郊外の田園地帯には三体の巨人が朝日を浴び、対峙していた。

マントのように布を纏った3号機と、向かい合う零号機・弐号機のネルフ所属のエヴァ。

それぞれの手には既に臨戦態勢にあることを表す、武器が握られていた。

しかしながら、その場には何時までたっても初号機が現れるような雰囲気がなかった。

 

動き出す前にアスカ、レイの二人と、バルの間で軽い言葉のやり取りがあった。

シンジたちはどうしたのか?

本当に戦うのか?

戦う以外の方法は無いのか?

一貫して内容はそんなようなことだったが、会話はほとんど実りが無いままに、時間は過ぎていった。

 

「結局・・・戦うしかないのね・・・」

「・・・そういうことだな」

「まぁ、じゃあそろそろ始めましょうか?」

 

弐号機の持つソニックグレイブ改に、音も無くA.T.フィールドが集束し、刃を形成していく。

これに対し、頷くような素振りを見せ、ロンギヌスの槍を構える3号機。

零号機はソニックグレイブ改とパレットガンを抱えて、動き出しやすいよう、やや姿勢を前かがみ気味にする。

戦闘開始の合図は、この零号機のパレットガンの掃射だった。

 

パレットガンはエヴァの装備の中でも携帯性の高さなどの扱いやすさの代わりに、攻撃力に心許ないものがある。

そのため現在は、牽制に使用する程度にとどまっている。

この場合もやはり牽制としての意味合いが大半を占めていた。

ただ使徒戦との相違点を挙げるならば、エヴァの場合は必ずしも弾丸を無視できるものではないということだろうか。

例えパイロットに伝わるのが小石程度の衝撃だとしても、それを雨のように浴びせられれば、集中力を損ない、行動の妨げになる。

故に完全に回避するか、A.T.フィールドを使って防御することが必要となってくるわけである。

 

(・・・ん?この動きはもしかして・・・)

バルはアスカ・レイとの戦闘が開始すると、視界の中で動く青と赤の巨人の動きに既視感を覚え、眉をひそめた。

(なぁるほど、そういうことか・・・どうやら察してくれたらしいな)

そしてすぐにその正体を理解し、仮面の下で声を出さずに笑った。

3号機の動きから迷いが失せて鋭さが増したのは、この直後からだった。

 

「アスカ・・・3号機の動き」

「ええ、乗ってきたみたいね。これでしばらくは何とかなりそうだわ」

 

作戦通り―――作戦と言うより、それは半ば賭けだったが―――の状況になったことに、二人は再び気を引き締めた。

三体の巨人は舞うように、見る者に戦闘だということを忘れさせてしまいそうなほどの、華麗な攻防を繰り広げていく。

申し合わせていたかのような、無駄の無い動き。

アスカとレイの脳裏には、昨晩シンジたちが消息不明になったことを知らされた後でなされたやり取りが浮かんでいた。

 


 

「シンジたちは完全にロストしたって・・・今、リツコに聞いてきたから間違いないわ」

「それやったら、さっきの警報は・・・」

 

先ほどまで同室にいたリツコはこの警報によって、発令所に引き戻された。

警報が鳴っていたのはほんの一分にも満たない時間であったのだが、それは重要な意味を持っていた。

A.T.フィールドを検知したがために響き渡った警報であったからだ。

シンジも今では単独でA.T.フィールドを展開することはできるが、翼の力があるためよほどのことが無いかぎり使用することはまずない。

それ以前に展開しなければならない状況が生まれるということ自体、考えにくいことだ。

しかし、フィールドの今回発生が検知されたポイントというのが、ネルフ本部からコンフォート17に向かう最短ルート上だったのである。

例えそれがシンジのものでなかったとしても、時間的にシンジとユイナが関連していることは、想像に難くないことだった。

 

「バルではないらしいんだけどね、パターンから推測してバル以外の何者かがA.T.フィールドを展開したとみて間違いないって。多分あいつらが戻ってこないのは、これが原因だと思う」

「碇君とユイナを捕らえられる人なんて・・・そうはいないわ」

 

苦い顔をしながらも、アスカはレイの言葉を肯定する。

 

「けど今のあたしたちは、あの二人のことばかりを心配してもいられないのよね・・・」

「せやなぁ・・・材料がどうの言っとったけど、それをあてにするわけにもいかんようなったわけやしな」

 

何もかもが手探りだと、三人は難しい顔をつき合わせて、同じような感覚にとらわれていた。

ただでさえゼーレの使者として現れた3号機への対応でドタバタしているところに、初号機パイロット二人の所在不明という事態は、まさに泣きっ面に蜂といったところだ。

これでバルのことを信じていられなくなってしまったら、本当に泣き喚くしかない。

泣き喚くことで何かが変わるのなら、だが。

そんなことをしたところで何も変わらないことを、アスカたちは重々承知している。

自分達にできることを成す為には、薄情かもしれないと思いながら、この際一旦シンジとユイナのことは思考から外しておかねばならなかった。

 

「・・・・さしあたってはバルのことね」

「ええ、シンジたちのことは情報が少なすぎるし、保安部も動いていると思うわ。だったら・・・」

「任せとくしかないわな、プロに」

「そういうこと。じゃあ、ちょっとこいつを聞いて見ましょうか」

 

アスカが取り出したのは、3号機とネルフの通信を記録したディスクだった。

 

「さっきリツコのとこに行ってきたついでに貰ってきたのよ。何にも無いよりはいいと思ってね」

 

そう言って、手近なところにある端末に、ディスクをセットする。

幸い、ここはリツコの研究室であるから、そういった機材には事欠かないから助かった。

やがてスピーカーから、先ほど発令所に滑り込んできたときに聴いた声が聞こえてくる。

一言一句聞き逃すまいと、三人は言葉を全て飲み込んで耳を傾けた。

 

 

「・・・まずは久しぶり、と言っておこうか、シンジ」

 

「バル・・・なんだね?良かった・・・本当に無事だったんだ」

「ああ、なんとかな。ただ厳密に言って無事という表現が正しいのかどうかは、俺自身もわからんが」

「とにかく帰ってきてくれて嬉しいよ。みんな、きっと喜ぶよ」

「・・・・・・喜ぶ・・・果たしてどうかな?」

「バル・・・?」

 

「なんだよ・・・それ?」

「悪いけど似合ってないわよ」

「・・・訳あってこれは外せない。ゲンドウさん、あんただったらこれがなにを意味しているのか、もうわかっていると思うが・・・勿論そこにいるよな?」

 

「・・・用件を聞こう」

「フッ、さすがに話が早い。碇ゲンドウ・・・いや、ネルフにゼーレの老人どもからの指示を伝える」

 

「どういう経緯があってのことかは知らんが、わざわざ君を使ってまで我々に何を伝えるというのかね?」

「これからのネルフの処遇について、さ」

「・・・聞こう」

 

「明朝08:00をもって、エヴァンゲリオン零号機、初号機、弐号機を含んだネルフ本部施設全ての明渡せ。断わっておくが、これは要求ではない、命令だ」

 

「それに従わなかったらどうするのだ?」

「無論実力で障害となるものを全て排除する。そのためのエヴァであり、ロンギヌスの槍だ」  

 

「だが、今言ったとおり・・・明朝08:00までは猶予を与える。その間に対策を練るなり、身辺の整理をして出て行くなり、好きにするといいさ」

「それはつまり、我々に足掻いて見せろということか?」

「どう解釈してくれても構わない。ともかく、俺はその時間まで芦ノ湖の対岸で待機している。まぁ・・・時間は有効に使うんだな」

 

「待って、バル!まだ話したいことが・・・それになんか変なんだ!」

「・・・こっちにはもう無い・・・続きは明日だ。そっちこそ今は大人しく待ってろ・・・今はな」

 

 

「とまぁ、こんなとこだけど・・・何か気になる部分ってあった?」

 

首をかしげる二人に、アスカは再生を繰り返した。

何度聞き直したかわからないが、ふとレイが呟きを漏らした。

 

「最後の言葉・・・敢えて待たせる必要はあったのかしら?・・・私だったら、初号機しか出ていないのであればそこで初号機を倒してしまうと思う」

「んー、確かにバルでもこっちのエヴァ三体を同時に相手にするのは、いくらなんでも無謀やし・・・ちうとやっぱ時間稼ぎか?・・・はぁ、頭使うのは苦手やで」

 

腕組みをしながら、しかめっ面の皺をさらに深く刻む姿からは、本気で考え込んでいる様子が窺えた。

直情型で良くも悪くも単純―――心情に対し素直に行動するとも言える―――であるトウジには、そこらへんが限界だったのか、もう頭から白い煙が上がりかけていた。

 

「時間稼ぎ・・・そうね、案外そうかもしれない。今すぐ出て行けっていうんじゃなくて、明日朝までの猶予もあるわけだし・・・」

「んと、そうなるとや、こっちも不自然にならんように、時間を稼がなあかんことになるわな」

「・・・だったら、いい手があるわ。これなら相手が本物のバルであるか、確認することも出来るかもしれない」

「え?一体どうするの?」

  

このときのレイは珍しく、何か閃いたと言わんばかりの得意げな雰囲気を漂わせていた。

 


  

ロンギヌスの槍の一撃をやり過ごし、パレットガンを掃射、その間に弐号機が切り込む。

戦いが始まってから数分経過しているが、どちらもダメージらしいダメージは負っていない。

その自重で大地を抉りながら続く三体のエヴァの舞いは、何時までも続くかのように思われた。

特に指示を出すことも無く、唇を真一文字に結んで見守っていたミサトにも、アスカとレイが何をしているのか理解した。

 

出撃前には「時間稼ぎをするから、あたしたちに任せといて」とだけ言い残していった二人。

そして今現在目の前で繰り広げられている、演舞にも似た三体の動き。

ミサトはそれを以前、目にしている。

(まさかバルが自爆したときの訓練が、こんなとこで役に立つとは思わなかったわね)

A.T.フィールドフィールド応用兵器の実験及び、それらを使用した訓練のときのパターンとほとんど同じなのだ。

これには、バルがこのときの動きを覚えているという条件が必要だったのだが、見る限りではクリアしたと考えても差し支えない。

(問題はここからね・・・時間稼ぎと言っても、これだけ全力で動き回ればそんな何十分も維持できるものではないわ)

険しい視線で見守るミサトの危惧は、やがて現実のものとなっていった。

 

不意に、僅かだが弐号機の動きが鈍った。

そこにバルが反撃することが可能な程の隙、つまり反撃を入れなければ不自然に見える状態が生まれてしまった。

「すまないと」心中で詫びを入れながら、極力派手に見えるように、それでいてダメージを押さえるように体勢を崩した弐号機を蹴り飛ばす。

弐弐号機はすぐに立ち上がったが、発令所のモニターに映るアスカの表情には明らかな疲労の色が浮かんでいた。

メインで動き回っていたのはアスカであり、どんなに訓練を受けていようとも14歳の少女である彼女が、最も早く疲弊したのも当然の流れだ。

(これ以上は誤魔化しきれないか・・・)

苦々しい思いを抱きながら、バルはインダクションレバーから手を放して仮面に手をかけた。

(智春、やっぱりお前の言った通りになりそうだ・・・けどよ、俺にはお前達を切り離すなんてこと、できなかったんだよ・・・それをわかってくれってのはやっぱ傲慢か?)

耳元で喚く声が聞こえてきたが、それらは全て無視をして仮面を外そうとしたときだった。

  

「もう、大丈夫だよ。君の仲間のことは・・・心配しなくていい」

「なっ!?てめえは・・・何処だ、何処にいやがる!!」

 

周囲を見回し、一つの建築物に目をつけると、そこへ向かってロンギヌスの槍を投げつける。

倒壊する建物の中から、人影が一つ、空中に飛び出した。

3号機の突然の行為に呆気にとられていた発令所側でも、すぐにカメラでその人物の姿を追った。

その人物は頭からすっぽりと布を被っていて細かい容姿は見て取ることは出来なかったが、おおよそ身長は170〜180cmほど。

何よりも目をひいたのは血のように紅い、その瞳。

ちょうど3号機の視線の高さで静止したその人物に対し、誰もが「使徒」と心の中で呟いた。

 

「荒っぽいね、バルディエル。君と争う気は無いと言ったはずだよ?」

「ハッ、どうだかな。それよりお前、何をしたんだ」

「簡単なこと。ゼーレが手元に置いておいた、エヴァを少し暴れさせただけ。それに君の仲間は、もう既に解放されてこちらに向かっているよ」

「なんだって?じゃあ、俺は・・・」

「初めから、アスカや綾波とやりあう必要は無かった・・・ということになるね、残念ながら」

 

バルの熱のこもった口調とは対照的に、その人物は流水の如く静かで冷めたような口調だった。

だがその会話はどこか、数年も前から既知の間柄であったかのような、そんな印象を受けた。

 

「あなた・・・碇君?碇君なの!?」

 

二人の会話に割り込んむようにレイが言葉を発した次の瞬間、地面が破裂するように土煙を上げた。

途端にあたりの視界が全くの零になる。

バルはカメラモードを熱源タイプに切り替えたが、一時的に巻き上がった土煙がスクリーンの役目となったのか、ほとんど使い物にならなかった。

 

「ま、待て!お前だろう!?お前がシンジとユイナを!!」

 

宙に掴みかかるが、そこにはマントを纏った人物の姿は無く、伸ばした腕は虚しく空を切るばかりだった。

悔しさを滲ませてレバーに拳をたたきつけようとした彼の耳に、今度は呻き声が飛び込んできた。

その発生源を確かめると、エントリープラグをイジェクトして、膝をついて動かない弐号機の元へ向かう。

途中、煩わしそうに用が無くなった仮面を投げ捨て、弐号機に辿り着いたときにはエントリープラグは零号機によって抜き取られ、大地に下ろされていた。

バルは手動でハッチを開け、降りてきたレイと共に頭を抱え悶えているアスカの体を抱き起こした。

LCLではない、アスカ自身の流した汗が額から次々と流れ落ちている。

呼吸がやや荒く乱れ、意識は失われているようだった。

 

「リツコ、救護班をこっちにまわせ!」

「え、ええ、わかったわ。でもあなたはもういいの?何か事情があったんじゃあ・・・」

「・・・不本意だが、どうやら俺たちの意思とは別のところで片が付いちまったらしい」

 

バルの様子はどうにも素直に喜べないといった感じで、舌打ちの音は発令所側にも聞こえていた。

憎々しげに顔を歪めながらもしっかりとアスカの体を抱き直し、バルはそのままエントリープラグから外に出た。

太陽の光のもとに出ると何かに気付いたのか、目を細めつつ空を見上げて、僅かに表情を緩めた。

心配気にアスカの様子を覗き込んでいたレイも、同じように空を見上げて「あっ」と小さく息を漏らす。

 

「向こうの事はあいつに任せよう。多分大丈夫だろう」

「ええ・・・そうね」

 

レイもバルも、どちらもまだ言いたいことは山のようにあった。

だが何処から手をつけ、話したらよいものかわからなかったのである。

今はぐったりとしているアスカのことを気遣うい、一先ずそれを忘れようとしていた。

しばらくすると救護班の乗る車両の駆動音と、何かが崩れる音が二人のもとへと聞こえてきた。

 

 


後書きみたいなもの

 

お付き合いしてくださった方々、どうもです。

久々に長い話でした。

最近は20kちょいが主流だったんですが、なんと今回は軽く30k越えちゃってますΣ( ̄□ ̄;

・・・でも真相はただ切るところが見つかんなかっただけだったり(汗

バルとアスカ・レイの戦闘をもっと書くことも出来たんですが、本気で戦っていないことが分かっている状態でだらだら続けることもないだろうと、こうなりました。

もうわかったかと思いますが、バルがこのような行動をとる原因となったのは智春たちを人質にとられていたが為です。

何のための時間稼ぎかという辺りは、「初めからやりあう必要がなかった」とバッサリ切り捨ててしまっていますが。

「じゃあ今回の話は必要ないじゃん!」なんてツッコミは無しです(w

次回は同時系列のシンジ&ユイナの話になります。

それでは。

 

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