「・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・」

 

周囲では回収班、医療班のスタッフが忙しそうに走り回っていたが、二人はその喧騒とはまったく切り離されていた。

未だエントリープラグを満たしていたLCLで湿っている銀髪をかき上げながら、バルは気まずそうに視線を逸らしている。

対するマヤは瞬きさえもせずに、そんなバルを穴が空きそうなほど凝視していた。

少し離れた場所では二人の様子を興味津々な目で見ている、作戦本部長殿と霧島マナ嬢、その他の皆様の姿がある。

なにやら、「押し倒しちゃえ!」等と少々無責任な発現を繰り返しているようであるが、当人達の耳には届いていない様子だった。

しばらくすると、バルは躊躇いがちにそれもかなり気まずそうに、口を動かし始めた。

 

「えっと・・・その、なんだ・・・・・・悪かった・・・よ」

「なにが?」

 

真っ直ぐ見据えたまま、無表情で・・・いや、妙に晴れやかな笑顔で切り返すマヤ。

あまりに素敵な笑顔であり、この場合はむしろ迫力があると言うべきであろう。

 

「うっ・・・いや、なにがって、心配かけちまったし・・・なぁ、なんか反応冷たくないか?マヤ、お前絶対怒ってるだろ?」

「別に、私は全然怒ってないわよ」

 

こういった場合、ダイレクトに怒りや不満をぶつけられるよりも、何も言わず笑顔でいられる方がよっぽど精神的に厳しい。

なにしろ、まず自分の非を理解しつつ、相手が何を不快に思っているかと言う心理を的確に捉えていなければならないのである。

そう易々と他人の心理を理解できるものなら、人付き合いで苦労はしたりしないだろう。

勘の鋭い者ならば良いが、下手をするとここで要らぬ事を口にしてしまって、墓穴を掘ってしまうことも少なくない。

かと言って慎重に言葉を選んでいると、会話は遅々として前に進んではくれないのだから、ままならぬものだ。

バルも取り付く島もないような雰囲気のマヤに対して、一体どのような言葉をかけて接していけばよいのか、悩むばかりであった。

もちろん、それだけバルがこのことに対して真剣に考えているという証ではあるが。

二人の間に再び気まずい空気が漂い始めた頃、ようやくマヤの方から口を開いて、沈黙は破られた。

 

「バル・・・一つだけいい?」

「ん、ああ・・・なんだ?」

「・・・もう、いなくなったりしない?勝手にサヨナラなんて言って・・・・・・いなくなったりしない?」

 

言葉を紡ぎながら俯き加減になったマヤの体は、小刻みに揺れていた。

元々バルの方が身長が高いので、そうしてしまうと表情を窺う事は出来ないが、流石にいくら勘が鈍かろうと推察するのは容易である。

 

「・・・約束するよ。俺の居場所は、ここにある・・・そう思うからな」

「・・・わかったわ」

 

パッと顔を上げたマヤはニコッと子供っぽい笑みを浮かべると、右腕を振り上げた。

乾いた音がして、回りで見ていた野次馬たちは我が事のように表情を歪めている。

 

「今回は・・・これぐらいで許してあげる」

 

バルは赤くなった頬を押さえることもせず、自分の胸に額を当てるように再び俯いたマヤの背にそっと腕を回した。

 

「・・・・・ただいま、マヤ・・・」

「・・・お帰りなさい、バル」

 

今にも消え入ってしまいそうな微かな囁きの後、マヤは顔を上げて安堵と優しさに満ちた柔らかな微笑を浮かべた。

瞳からは宝石のように輝く大粒の涙が次々と零れ落ちていく。

バルはその涙に飾られた微笑みの美しさに、それまで抱いていた申し訳なさだとか言ったものが全て消え入ってしまうのを感じて、思わず自嘲した。

(本当に現金だな・・・)

それからマヤは少し落ち着いた分、照れ臭くなったのか、再び視線を外してバルに寄りかかった。

バルはそれを綿毛を包むように柔らかく抱きとめる。

着々と二人の世界が構築されていく中で、まったくの不意に二人は周囲が妙に静まり返っていることに気付いた。

まさかと思い、少々嫌な汗をかきつつあたりを見回すしてみれば、案の定酔っ払いがビール缶片手に静まれと指示を出している姿があった。

 

「・・・おい、そこの酔っ払い。人が帰ってきたばっかりだってのに、何やってやがる」

「アハハハ、私たちのことは気にしないで続きをどうぞ」

「誰が!酒の肴にされてたまるか!」 

「そうだぞ、葛城。人の恋路を邪魔するのは野暮ってもんだ」

 

叫びに同調して、ひょっこりと現れた加持リョウジの姿に驚いて、ミサトは缶ビールを取り落としてしまう。

元々ほとんど酔ってなどいなかったが、これによって完全に巣の状態に戻ったようだ。

 

「げっ!?加持ぃ!?あんた・・・どうして・・・全然連絡が取れなくなってたのに・・・・・・」

「まぁ、ちょっとバルのお仲間のところでお世話になっててな・・・って、ぐあ」

 

相変わらずへらへらとしていた顔が、苦悶に歪んだ。

歩み寄ったミサトが放ったボディーブローが、それはもう見事に絶妙の角度で加持の鳩尾に突き刺さっていたのだ。

これではいくら加持が鍛えていたとしても悶絶することは必至。

冷やかされて赤くなっていたマヤも、さすがに青くなり、顔を引きつらせて心配気な様子を見せ始めた。

 

「あ・ん・た・ねぇ〜、あんまり心配かけんじゃないわよ!」

「か、葛城、見事だ・・・しばらく会わないうちに逞しくなったな・・・」

「ちょっとこっち来なさい、いろいろ言ってやりたいことがあるんだからね!」

 

バルとマヤの二人にぐったりとした笑顔で手を振って、加持は何処かへずるずると引き摺られていく。

“人生の墓場行き”と記されているように見えたのは気のせいだろうか。

 

「・・・リョウジ、安らかに眠ってくれ」

「バル、不謹慎よ」

 

胸の前で十字を切るバル―――ただし顔は笑っているが。

隣でマヤも目尻の涙を拭いながら、顔をほころばせていた。

空気が和やかになったところ、バルの背にいきなり飛び乗ってくる者がいた。

  

「危ないだろ、マナ。倒れたらどうする?」

「ヘヘッ、お帰りなさい」

「まったく・・・まぁ、お前も元気そうで良かったよ」

 

無邪気に笑うマナに強く咎める事も出来ず、バルは一度肩を竦めると、しっかりとマナを背負うように体勢を取り直した。

十四歳で行動が幼いのでは・・・とは思うところだが、本人はさして周囲の視線を気にする様子もないようである。

再会の喜びが全ての感覚を勝ってしまって、いわゆるナチュラルハイのような状態になってしまったらしい。

あともう一歩で、だらしのないと思われてしまいそうなほど、マナの表情は緩んでいた。

 

「ね?お土産は?」

「おいおい、あるわけ無いだろう・・・だいたい、好きで行ったわけじゃ「悪かったわね、無理矢理連れて行って」

「「「え?」」」

 

三人が声のした方向を向くと、そこにはリツコの他にもう一人同じような白衣姿の女性が立っていた。

東洋人らしいのだが先ほどの言葉はイントネーションが少々不安定であったことから、日本人ではないのだろう、そう二人は判断した。

微妙に身構えたのはご愛嬌である。

 

「なんだぁ?智春、お前まで来たのか」

 

バルが親しげな様子で声を出すと、また少しピリピリ。

少々後頭部辺りが痛い。

 

「ご挨拶ね。ところであなた、向こうで体に何かされなかった?」

「さぁて・・・薬でしばらく眠らされていたからな、何かされていたとしても不思議じゃないだろう。とりあえず今のところは、特に調子が悪くなったということはないが」

「・・・心配ね。赤木博士、医務室を貸していただけますか?出来れば精密検査もしたいのですが」

 

振り返って問う智春にリツコはすぐ頷いて手配を始める。

 

「あまり大げさにするなよ・・・ただでさえ帰ってきたばかりでゴタゴタしているんだ。俺のことはあとでいいさ」

「まったくあなたという人は・・・・・・この際だから言わせてもらうわ」

 

静かな怒りとでも言うべきか、智春が慣れない日本語からそれまで公用としていた英語に切り替えると、その迫力は更に増した。

さしものバルも真剣に向き合うべきだと、居住まいを正した。

 

「・・・なんだよ」

「あなたは自分を大切にしなさすぎよ。カヲルのことを良く知っているゼーレが、あなたの体に勘付いた可能性は高いわ。保険をかけていたとしてもおかしくは無い、違う?帰りたい場所があるのなら、守りたい物が、人がいるのなら、もっとまず自分を大切にしなさい。後ろで見ているしかない者にとっては、とても歯痒いのよ、そういうの」

 

過密間ばかりの勢いでまくし立てた後、智春はチラリとマヤ達に視線を走らせて「ね?」と囁き声で同意を求める。

突然親しげにされたマヤとマナの二人は、毒気を抜かれたような顔でとりあえず同意を示した。

矢継ぎ早に紡がれた言葉は、ほとんど聞き取れていなかったのだが―――マナに至ってはそもそも、英語力が会話レベルに達していない―――なんとなく雰囲気だけは伝わったようだ。

観念したバルは面倒くさそうにしながらも、小さな声で了解の意を示した。

 

「・・・・・・わかったよ。検査を受けりゃいいんだろ?」

「賢明な判断よ・・・・・・それに、そうでなくともあなたの体は・・・」

「・・・・・・ああ、それもわかってる」

 

 

 

 

 

 

WING OF FORTUNE

第五拾七話 碇シンジ

 

 

 

 

 

 

シンジは病室の窓際に置かれた椅子にもたれかかって、音楽を聴いていた。

服装はTシャツにハーフパンツと、どちらかと言えば自宅にいるような格好で、視線は先ほどから天井に据えられたまま時折瞬きを繰り返すだけだった。

イヤホンから漏れ聞こえて来るのはクラシック。

だが音楽に耳を傾けていると言うわけではなく、思考と外界とを遮断する壁にしているだけでしかなかった。

 

「碇シンジ・・・この世界の僕・・・・・・」

 

呟くとテープを止め、窓の外に視線を投じた。

表情は何時になく険しく厳しいのだが、所々に悲しみとも憐れみともつかない雰囲気が感じられる。

 

「・・・ねぇ・・・あれからどれくらい経ったの?」

「あ、気がついたんだ」

 

シンジがイヤホンを外しながら室内に向き直ると、アスカはベッドに横たえられていた体を起こそうとしていた。

「まだ寝ていた方が・・・」と言いかけたが、先に目で「大丈夫だから」と行動を抑えられてしまう。

普段から髪留めとして使っているヘッドセットも今は取り外されていて、アスカの髪は真っ直ぐに下ろされている。

しかし彼女の纏っている空気が違って見えたのは、恐らくそのせいではないことを、シンジは感じていた。

 

「・・・どれくらい経ったの?」

 

もう一度、落ち着いた声で問う。

 

「今丁度、三時になったところだよ。まだ本部の方は色々とゴタゴタしているみたい」

「・・・他のみんなはどうしてる?」

「ユイナはえっと・・・そう、施智春って人のところにカヲル君と一緒に行ってるよ。カヲルの仲間なんだって。トウジは新しい3号機の起動実験と調整作業の真っ最中。バルはマヤさんとマナと一緒にいると思う。あと綾波は今さっきアスカの着替えを家に取りに行ったよ」

「・・・・・・レイのやつ、別に入院し続けるわけじゃないんだから、そんな物取りに行かなくても良かったのに」

「たぶん・・・綾波も一人で考えたい事があったんじゃないかな・・・?」

 

着替えを取りに行ってくると言って出て行ったのは、既に二時間ほど前の出来事となっていた。

いくらのんびり移動しても、ジオフロントと自宅の往復にそんな時間がかかるとは考えられない。

アスカもその心情を理解できたようで、「そうね・・・」と呟くと酷く落ち着いた様子で静かに笑った。

とても14歳の少女がするような表情ではなかった。

人生の辛酸を嘗め、ある種の達観を得た人間のするような、そんな表情だ。

 

「まったく・・・急に歳を取った気分だわ。不思議なのは自分がそれほど驚きもうろたえもしていない事かしら。むしろ納得している自分がいるわ。もしかしたら、ううん、あたしは初めから知っていたのよ。世界がこういう状態にあるってことを初めから」

「・・・僕の方もだいたいわかったよ、この世界の事」

「あんたも・・・?そういえば、昨日帰って来られなかったあの時間の間に何があったのか、まだ聞いてなかったわね」

「うん・・・色々あったよ。そのおかげで知ることができた。でも逆に、これから一体自分が何をしたらいいのがかわからなくなっちゃった。状況は差し迫っているのに、その打開策が見つからないんだ・・・」

 

苦々しく顔を歪めるシンジの姿を、彼に悪いと思いながらもアスカは嬉しいと感じた。

こうまで悔しさを滲ませているのはこの世界のために必死になってくれている証だ。

本来は別の世界の存在であるはずの彼が、真摯に向き合ってくれていることが、無性に嬉しく思えて、感謝の念を抱かずにはいられなかった。

だが、それと共に酷く申し訳ないとも感じていた。

この世界の問題を解決するのは、この世界に住む者達の義務ではないのか?

無関係の者まで巻き込んでしまったうえに、今なおそれに頼ろうとしている現状が、自分がとても腹立たしく思える。

(でもこいつはバカがつくほどのお人よしだものね・・・)

 

「ん?どうかしたの、ニコニコして」

「なんでもないわ。それよりも今からみんなを集められるかしら。あんたの話も聞いてみたいし、あたしも話したい事があるから」

「いいけど・・・みんなってどのくらいの範囲を言ってるの?」

「ユイナとレイ、それにバルと一応渚も。このメンバーが一番係わり合いが深いと思うし」

「わかった・・・みんなと相談する方がいいよね」

  

(多分二十分もあれば皆を捕まえられるわね・・・)

シンジが病室を出て駆け足で離れていく足をとを聞きながら、アスカはベッドの上に再び体を投げ出した。

話をするためにもう一度頭の中を整理しておこうと思い、スッと目を閉じる。

そうしていると、脳裏に浮かんできたのは泣きじゃくる少年の顔。

首にかかる手の感触は今でも覚えている。

自分が口にした言葉も、頬に感じた彼の涙の温もりもはっきりと。

 

「バカシンジ・・・」

 

瞼の下から零れ落ち零れ落ちた一筋の涙が、シーツの上に小さなしみをつくった。

 


 

エヴァの収容を終え、ネルフが事後処理(主に政府に対してエヴァ同士の戦闘に及んだ理由の説明する等の)に奔走にしている中、来訪する集団があった。

あからさまに一般人らしからぬ風体の男を先頭にした、数十名の集団である。

当然ながら、彼らはネルフへの進入口で歩哨に立っていた保安部の人間に止められたが、程なくして許可が下りて執務室へとその代表者が通された。

執務室にはゲンドウと冬月、ユイ、そしてミサとの四人が待っていた。

 

「遠路はるばるご苦労だった。私がネルフ司令碇ゲンドウだ。話は施博士とフィフスチルドレンから聞いている、楽にしてくれたまえ」

「ゲイルだ・・・話は端的に願う」

 

事務的な労いさえも淡々と突っぱねて返した男に対し、ゲンドウは腕を組んだポーズのまま低く笑う。

 

「確かに無駄話をしている時間はあまり無い。君達には保安部と共に警備を担当してもらおう。技術者の諸君には施博士と共に働いてもらうのが都合がいいだろう」

「保安部・・・素人だな、あれは」

「フッ、君から見ればそうなるだろうな」

 

ここで言う素人とは、兵士かどうかという意味だ。

ネルフには戦自出身の者も多いが、圧倒的に非戦闘員が多く、武装をしている保安諜報部の人間にしても戦闘力という点では専門家である戦自に劣る。

傭兵であるゲイルがそのような判断を下すのも、無理からぬ事なのかもしれない。

 

「それからそこにいる作戦本部長の葛城三佐と共に、予想される戦略自衛隊の侵攻への対策を練ってもらいたい」

「・・・了解した。すぐに始める。まずはここの構造を知りたいのだが」

「葛城三佐、頼む」

 

思った以上に話が早く済んでしまったのだろう。

ミサトは目の前のいかにもな男にどう接しようかという考えが、ほとんどまとっていなかった。

この男が真に“戦争屋”であると感じ取ってさえいなければもっと平然としていられただろう。

妙なところで鋭い感覚を持ち合わせていることは、あまりその本人に益をもたらすことは無い。

仕方なくゲンドウに「了解です」とだけ答えると、ゲイルについて来いという視線を投げてから退室していった。

この後、加持とゲイルの面識があるという事実を知るまでの間、ミサトはしばらく胃の痛くなるような空気の中で過ごさねばならなかったのだった。

 

「・・・冬月先生、あなたはどう思います?ゼーレは仕掛けてきますかね」

「フィフスの少年とあの博士の言葉を信じるなら、エヴァシリーズは既にゼーレの手を離れていることになるな・・・」

「ええ・・・恐らく連絡がつかないのも、それが元で起きている混乱のためでしょう」

「流れに沿うままだった委員会の連中には、少々手に余る状況だったのだろうな。混乱振りが目に浮かぶよ」

「ですが、あの方々はそう易々と引き下がるとも思えませんよ?バル君のこともありますからね。ゼーレを告発する準備はソ連で行われているらしいですから、ソ連側から政府に働きかけてもらうということはできませんか、ゲンドウさん」

 

出来る限りの犠牲は避けたいと考えているのは誰もが同じこと。

しかし、ネルフが直接日本政府やUNに訴えかけるのには、少々ネルフは無茶をやりすぎてしまっている。

使徒殲滅の名目上、様々な問題を権力を盾に強引に押し切ってきた過去があるのだ。

今更「全てはゼーレの意思によるものでした」と言ったところで、無茶の代償を背負わされていた政府や戦自からすれば、それは体のいい責任逃れにしか聞こえないことだろう。

 

「・・・難しい話だ。恐らくソ連は主導権を得るために、最上のタイミングを計っている。下手をすれば、我々とて彼らの目標になりかねん」

「英雄は二人も要らないわけですね・・・」

「ユイ君、酷な言い方になるが、後々のことを考えれば我々は戦自に攻められた方が都合が良いのだよ。我々ネルフ本部がゼーレと対立している図が明確になるからな。これは使徒相手の戦いではない。人同士の争い・・・戦争だ。情報を制する事の重要性は君も理解しているだろう」

「戦自の兵士達はそのための人柱ですか?」

 

ゲンドウと冬月は肯定の意は示さなかった。

だが、否定もしなかった。

 


 

ごく一部の幹部にしか出入りを許されないネルフ本部施設、その最下層。

カヲルは目の前で翼を広げている少女の背を、眩しそうに目をやや細めながら見守っていた。

しばらくすると正視するのが辛かったほどの光が徐々に治まり、最後には翼もその形を崩して消えていった。

機械の稼動する低い音だけが、やけに耳につく。

 

「どうだい?」

 

完全に光が治まったところをカヲルが問うと、翼の主のユイナは振り返りながら、力なく首を横に振った。

カヲルはそれを見ると唇を軽く噛み、俯いた。

 

「もしアタシの力が完全だったら、何とかなったかもしれないけれど・・・ごめんなさい」

「君が悪いわけじゃない。頼ってしまうこちらが不甲斐ないだけだからね。時間が許す限り、別のアプローチの仕方も考えてみるさ」

「ん、じゃあアタシの方も、あとでシンジと一緒にやってみるわ」

「そうしてくれるととても助かるよ。直接アクセスできるのは、その力だけだから・・・」

 

そこには胎児のようなモノの姿が見える。

胎児のようなモノ、アダムは以前カヲルがこの場に訪れたときと同じように、硬化ベークライトによる封印のうえ冷凍保存という状態でそこにある。

カヲルの目にも、何一つ変わっていないように映った。

文字通り、時を止めたように。

(何も変わらない・・・皮肉だね・・・)

アダム周辺のセキュリティを元に戻して、上に戻ろうと二人がリリスの前を抜けてドアを開いたとき、唐突に軽快な電子音が鳴り響いた。

それまでほとんど無音に近かった空間に響き渡った音は、ユイナの所持していた携帯電話の呼び出し音だった。

 

「出ないのかい?」

 

携帯を取り出して電話に出るのかと思いきや、何やら思案顔になったユイナにカヲルは怪訝そうに声をかける。

 

「あのさ、ここ・・・最下層よね?」

「進入できる、という意味では間違ってはいないと思うけど、それが?」

「どうしてこんなところまで電波が届くのかしら?ジオフロント内部の地表と本部施設内だったら何かしらの方法で補助してるんでしょうけど、こんなところまで補助する必要無いと思うんだけど」

「わざととも考えられるんじゃないかな。携帯電話なんて使えば電波を発信して居場所を伝える事になっちゃうからね。もちろんそんな間抜けがいたらの話だけど」

 

もしそんなスパイがいたら大間抜けである。

同じことを想像したのか、クスクスと控えめに笑う。

 

「フフフッ・・・・・・そろそろ出ないと、切れちゃうよ」

「あ、そうだった。もっしも〜し・・・うん、うん・・・別になんでもないわ。・・・・・・え、そう・・・よかった。・・・・・・・・ん?うん・・・わかった。今ちょうど一緒にいるから、これからすぐに行くわ・・・・・ん、じゃね」

「シンジ君かい?」

「あれ、よくわかったわね」

「今の状況で、安堵の言葉が出る相手は限られているからね。おおかた、惣流さんが目を覚ましたってところかな」

「当たり。アスカがみんなと話したいから、病室に来て欲しいってさ」

「ふぅん、話ね・・・内容はなんとなく予想でき・・・どうしたんだい!?」

 

目の前に立つユイナが突然膝をつき、驚いたカヲルはその肩に手を置いた。

 

「!?まさか、君は・・・」

 

双眸を見開き言葉を失ったカヲルに、ユイナは顔をあげると無理矢理笑ってみせた。

しかもそれは成功しなかったようで、疑念を確信に変える手伝いをすることになってしまった。

 

「大丈夫、どうってことないわ。ちょっと・・・クラッときただけだから・・・」

「・・・・・・本当にいいのかい?」

「フフッ、どうせアタシは・・・・ね。だから、みんなには内緒にしておいて。妙な気をつかわせたくはないから」

「・・・わかった、約束するよ」

 

立ち上がったユイナは、もういつもと同じように明るい笑顔を見せていた。

足はしっかりと床を踏みしめて、揺らぐ様子も無い。

 

「すまないね・・・」

 

かすれた声にユイナは一瞬立ち止まると、カヲルの背後に回って両手でその背を押した。

(本当に・・・すまない・・・・・・)

俯いているユイナの気配を感じながら、カヲルは心の中で同じ言葉を何度も繰り返した。

それで自分の背負うものが軽くなるなどとは、微塵も思いもしなかったが。

 


 

アスカの病室に指定したメンバーが揃ったのは、ほぼアスカの予想通りであった。

唯一、バルがやや遅れてきたのだが、それは病室に設置されたカメラ等を切るようリツコに頼みに寄り道をしたためだった。

 

「これで心置きなく話せるだろう?」

 

バルは自分がそれほど会話に参加する必要なしと判断したのか、ドアのすぐ横の壁に腕を組んで寄りかかってそれ以上は何も言わなかった。

病室の中は異様な緊張感に満ち、誰が話を切り出すのかと思っていたところだったが、バルの言葉をきっかけに、ようやくアスカが口火を切ることになった。

 

「・・・ここまで来てゴチャゴチャ言っても仕方ないわ。単刀直入にいきましょう」

 

同意を表すように皆頷き、アスカはそれを確かめると一つ息を整えるために、大きく息を吸った。

 

「この世界が繰り替えことになった原因、そして今なおこの世界を同じ時の枠の中に止めている存在、それは・・・この世界のシンジ―――」

 

大きな反応は無い。

しかし場に満ちた空気が、肯定を表していることは皆が認めるところだった。

 

「・・・フフッ、衝撃の事実って程でもないわね」

 

否定してもらいたかったという思いが胸の中にあったが、それは今跡形も無く消え去った。

残ったのはなんとも言えない虚しさだけ。

 

「あいつは結局あたしと同じだった。エヴァに乗るしか居場所が無くて、何時自分が捨てられてしまうともわからずにとても不安で、もしかしたらわかり合えたかもしれない。それがたとえ傷の嘗めあいでもね。・・・でも、あたしの方も全然余裕が無かった。自分が自分がって・・・勝手に負けたって思い込んで、落ち込んで、傷つけて・・・自分のことだけで精一杯。ううん、あのときは自分のことさえままならなかったわ」

「そして彼の心に決定的な打撃を与えたのは、この僕だ。彼が繊細な心をもっていることを知っていて、これ以上何かを背負ったら、壊れてしまうことを知っていて、それでも僕は彼の手で殺されることを願った・・・あるがままを受け入れていた。受け入れるだけだったんだ、僕もまた彼と同じように」

 

おそらくは生来的に、けっして強い部類の人間ではない碇シンジという少年。

それでも第三新東京市を訪れ、エヴァに乗り戦ったことで得た様々な経験は、僅かばかりではあったが彼に変化をもたらしていった。

しかし、心に成長の兆しが見えそうになると、その度に踏みにじられたのだ。

全てはそうなるように仕組まれていた流れのままに。

 

「けれど、碇君は他人の存在を望んだわ。だからこそ今という時がある」

「では何故繰り返してしまっているんだと思う?何故シンジ君がここにいないのだと思う?」

「それは・・・多分・・・・・・・・・壊れて・・・しまっているから」

 

レイはアスカほどに思い出しているわけでもなく、カヲルほどにこの世界について精通しているわけでもない。

その原因は他の誰よりも魂をすり減らしてしまっていることにあった。

記憶の整理がまるでついていない上に、断片的なものになってしまっているのである。

そんな状態で掻き集め、得られた情報を元に考え抜いた結果が、この一言だった。

心が壊れてしまっているから、こんないびつな世界が生まれてしまった。

 

「この世界は、言ってみれば夢だよ・・・シンジ君の壊れた心の希望と絶望が紡ぎ続けている・・・夢。希望の体現者はこの世界に住む全ての人、つまりシンジ君にとっての他人であり、絶望の体現者は使徒、といった具合のね。ただし、使徒の存在は本来の姿からかなり捻じ曲がってきてしまっているから、これはもう正しい表現ではないだろうね。まぁそれは君たちも良くわかっていることだと思うけど」

「なら渚、あんたは知ってるの?この夢を終わらせる方法を」

「・・・・・・・・・・・・・・・」

「あんたも覚えてるんでしょう?全ての使徒を倒し、全てのエヴァシリーズを粉砕した、そんなシンジがいたことを。たしかあの時もあんたと一緒に戦ったわね。でも、まだ世界の繰り返しにピリオドは打たれていない。わかってるはずよ、ただ使徒やエヴァシリーズを倒すだけじゃこの世界を元に戻すことは出来ないって」

「・・・彼のことは僕も良く覚えているよ。それ以外にも多くのシンジ君が戦ってくれたこともね」

 

目を細めたカヲルの思いはここではない、遥か遠くへと馳せられていた。

そして何事か呟くと、普段より幾分寂しげな笑みを浮かべた。

そのときにはもう、カヲルの意識はこの場に戻ってきていたようだった。

 

「これまで確かに失敗の道を歩み続けてきた・・・この世界は同じ輪の中で、既に人にとっては気が遠くなるほどの回数を重ねてしまったよ」

「それで、今回は解決する目処が立ったの・・・?」

「正しくは異世界からの救済が入った、と言うべきだよ」

 

と、カヲルの目を追うように全員の視線がシンジとユイナに集まる。

 

「僕達が救済?」

「という事らしいわ。直接アタシたちの世界の神が、この世界に干渉することが出来ないからでしょうね」

 

シンジは少しだけ複雑そうに顔を歪めて、申し訳無さそうにしているユイナと目が合うと肩を竦めて苦笑いした。

今更怒る気にもなれないことだ。

この世界に放り込まれたことが、予め定められたことであったとしても。

 

「けど、僕達の力で接触すればいいんだよね?だったら早く言ってくれれば、みんなも無駄な戦いをする必要はなかったんじゃ・・・」

「無駄だったと思うかい・・・?」

「え・・・?」

「無駄だったと思うのかい?これまでの戦いを、無駄だったと」

 

口調は穏やかだが懐に詰め寄るような迫力があり、シンジは言い返す言葉も無く押し黙った。

けっして気圧されたから言葉が出なかったわけではない。

沈黙を好意的に受け取ったカヲルは、満足げに微笑んで言葉を続けた。

 

「まぁそれはそれとしてだ。君達には悪かったけれど、ゼーレをこの機会に徹底的に潰しておかなければならなかったんだ。彼らを放ったままにして、人類補完計画を阻止したところで、同じことの繰り返しになる可能性は高いからね。そうでなくともエヴァシリーズは全て破壊しなければならない。これらを達成するためには、ここに集結するときを狙った方が遥かに効率的だということは、君達も認めてくれるだろう?」

「うん・・・そうだね、戦いに勝つだけじゃ、終わったとは言えないもんね」

 

異世界からのマレビトであるシンジだけに限定するならば、戦いに勝利することだけを考えればよいのかもしれない。

しかしこの世界に住む者は、常に戦い後のことを視野に入れた行動をとらねばならないのだ。

時とは連なるものであり、どの一箇所を抜き取ったとしても、“現在”は成り立つことは出来ないのだから。

まったく関連のなさそうなことも、どこかでその時を作り上げる要素になっているはずなのである。

 

「さて・・・・・・一応この辺にしておこう。あまり長々と話して惣流さんの体に障るといけないし、みんなも少し休んだ方がいい」

「ちょっと待って、まだもう一つ疑問があるんだけど」

「なんだい?」

「あいつは結局なんだったわけ?ほら、あたしたちとバルがやり合ってる時に現れたやつ。なんかシンジに似てるって気がしたのは確かなんだけど・・・」

「うん?話していなかったかな?」

「ないわよ」

 

ちょっと抜けた反応に不機嫌さが増したように思えるアスカの視線を浴びながら、腕組みすること数秒。

カヲルは得心がいったとばかりにぽんと手を打った。

 

「あぁ、ごめんね。彼が何者であるかみんな知っているものと思っていたから、その説明を省いてしまったみたいだ」

「みんなって、レイやシンジ達はわかってたわけ?」

「ええ・・・アスカもわかってるものと思っていたのだけど、違ったのね・・・」

「僕らは直接会ったし、ねぇ?ユイナ」

「うん、それにアタシはあの人の思考を嫌って程ぶつけられたから」

「俺の場合は直感と言うか・・・同類だからな」

 

見れば全員がさも知っていて当然という顔をしていた。

疎外感を覚えたらしく、アスカの機嫌に浅く角度がつく。

すぐに喚き散らしたりしないあたりは、かなり精神的な強さを得た証拠であろうか。

 

「・・・・・・・・・渚」

「はいはい、わかっているよ。彼はね・・・ゼルエルだよ」

「ゼルエル・・・って、あの使徒の?」

「あの使徒のゼルエルさ。本来のシンジ君が、今どういう存在なのか考えてくれればいい。シンジ君の肉体はこうしてシンジ君が使っているのだから、今の彼には別の存在、別の肉体が必要だ。その肉体というのが人類補完計画の要である最初のヒト、アダムというわけさ」

「だいたいそれは予想がついていたけど・・・」

 

遠まわしな喋りに少しばかりいらいらしながら、カヲルを睨んで催促をする。

声を荒げないだけでも、積み重ねたことによる成長がアスカには見られた。

 

「何も急かさなくてもちゃんと話すさ。ここからが肝心なんだ。全ての使徒はアダムより生まれアダムへと還る・・・わかるかい?繰り返す世界の特性上、ほとんど全ての使徒がアダムと接触しているんだよ。だから・・・」

「だからシンジの影響を受けたと?だから、あいつはシンジに似てるって感じがしたと?」

「うん、そんなところだね。ついでにこれは蛇足だけど、広い意味で言うと・・・・・・」

 

言葉を中途半端に切ったカヲルは意味ありげな笑みを含んだ顔で、壁に寄りかかっているバルに目を向けた。

つられてアスカもバルを見やり、そして何を言わんとしようとしているのか、今度ばかりは瞬時に理解できた。

 

「あっ!?まさか、ば、バルもシンジなの!?」

 

絶叫に近い驚嘆の声。

皆が咄嗟に耳を押さえていることから、どれほどの声だったのかということは推して知るべし。

カヲルの並べ立てた推論の正否の議論は置いておいて、正しいとするならばやはり使徒の一人であるバルもまたその例外ではないということになる。

レイやカヲルに大きな変化も影響もないのは、既に曲がりなりにも人としての人格を確立していたためか、シンジ自身が二人を他人として認識していたかのどちら、もしくはその両方なのかもしれない。

 

「んー、自覚はあまりないんだがそう言うことになるんだよなぁ・・・」

「似てない、ぜんっぜん似てないわよ!」

「おいおい・・・何もそう強調することないだろう?似ている似ていないなんてどうでもいいことだ。俺は俺だからな」

 

別に卑下されているわけでもないのだが、力いっぱい否定されるとやはりいい気分はしない。

シンジの影響を受けているからと言って、必ずしも近しい存在になるわけではない。

バルに関してのみ言えば、トウジの影響も受けている分があるので、少なくとも表層的な部分はシンジとの際が生まれてもなんら不自然ではないだろう。

 

「バルの言うとおりだよ、惣流さん」

 

カヲルはトレードマークともなっている微笑を顔に貼り付けると、芝居がかった調子でr謡うように喋りだした。

この先天的と思われる独特な仕草、声色は時として周囲を大いに巻き込むことがある。

そうでなかったら、その場からカヲル自身が酷く浮いた存在になるかのどちらかだ。

この場合、「ああ、ここで真面目な話は終わりなんだな」と誰もがそう悟ったようである。

約一名、嫌な予感がしていたようだが。

 

「これまでの数々の経験が、使徒バルディエルをバル=ベルフィールドという一人の人間に昇華しているんだ。そう・・・人を愛せるほどにね」

「ッ!?て、てめぇ!!何をいきなり言って―――!」

「おや?何をうろたえているんだい?素晴らしいことじゃないか。愛はリリンの生み出した文化の極みの一つだよ。そう思うだろう?みんなも」

 

同意を求められてもなんと答えればいいのやら、皆やや引きつった笑みを返すばかり。

そういう方向にもっていくのか、とアスカが一番引きつりながらも随分と楽しげであった。

賛同を得られず、カヲルが残念そうに首をかしげた隙に、バルはこれ幸いと病室を後にしていた。

 

「やれやれ・・・恥ずかしがることもないのにね?」

 

再度同意を求められても、やはりぎこちない笑みを返すのが精一杯であった。

 

 


後書きのようなもの

今回でほとんどの設定を吐き出してしまいました。

あとは片付けるだけです。

こういうときは例によって、他に特に言う事無しです(^^ゞ

そんじゃまた、次回。

 

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