(やはり考えが甘かったか?)

バルは通路を走りながら、心中で大きな舌打ちをした。

背後では金属・コンクリート問わず、光の線が走ったかと思うと次の瞬間には細切れにされている。

断面は恐ろしく滑らかだ。

磨かれた大理石以上にはっきりと姿が映りこむほどの鏡面になっている。

それだけをとっても人間業ではないことは明らかだ。

 

通路の突き当りを、速力を出来る限り殺さないように曲がる。

先ほどから走り続けているため心臓や肺は悲鳴を上げ、休息を求めて懇願しているのだがそれは無視した。

しかも体力的な限界が近づくに従い、頭は冷静になっていくのだから不思議だ。

ただ、追い詰められていく自分がわかる、というのは随分と皮肉な話であったが。

 

「ちっくしょう・・・やりたい放題やってくれるじゃねぇかよ、アルミサエルのヤツ」

 

額に浮かんだ汗を拭い、また走る。

 

 

 

 

 

 

WING OF FORTUNE

第五拾九話 鎖

 

 

 

 

 

 

戦略自衛隊の制圧部隊がジオフロントに侵攻を始めたとき、バルは予め硬化ベークライトなどを用いて限定された侵入口のうちの一つに、たった一人で陣取った。

そしてその場でA.Tフィールドを展開し、どうにか侵入を試みようとする戦自兵をその場に押し止めていた。

彼の目的は目の前に群がる人間ではない。

やってくるであろう数人の“キョウダイ”を、ただひたすらに通路に座り込んで待ち続けていたのである。

通路に蓋をするかのように展開された壁は放たれる全ての銃弾を遮り、戦自兵を混乱に陥れた。

バルはその混乱と壁一つ隔て、まさに切り離されたかのような世界に一人鎮座し続けていた。

 

他の侵入口ではゲイルが指揮を執り、迎撃作戦が展開されているだろう。

たいした迎撃を予想していなかった―――作戦そのものが急襲の意味合いが強いこともあった―――戦自はかなり手を焼くはずだ。

本部施設内に誘い込み、施設がブロック単位に切り離せる構造と完全に整備された空調システム等を利用した罠にかける。

無論これらは作戦の立案を依頼されたゲイルの発案であるが、これにはミサトも舌を巻いていた。

何しろ本来要撃用とは言い難いシステムの応用だったのだ。

ネルフにとっても意外な方法であったのだから、戦自兵にとってみれば予想もつかぬことだと言える。

 

敵が侵入してきている場所は一箇所ではない。

そうであるにもかかわらず、バルは漠然とした、しかし何故か確信めいた予感に従ってこの場で待っていた。

そして彼らは来た。

 

現れた“キョウダイ”は三人。

うち、個人をはっきりと特定できたのは先頭を歩いていた長髪の人物だけだった。

一瞥しただけでは男性とも女性とも取れる、腰まで伸びた長い銀髪をなびかせた顔立ちの整った人物。

アルミサエル。

それがその人物の名であった。

  


 

「侵入者、バル、共にメインシャフトに到達!降下を開始しました!」

 

地上とは別に、本部施設内の戦いをモニターしていた日向が振り返りつつ、ミサトに向かって叫ぶ。

 

「・・・まっずいわね。やっぱり一人では分が悪いか」

 

ミサトは親指の爪を噛む仕草をしながら、モニターに映る四つの光点を見据えた。

光点は頑強な隔壁をものともせず、下へ下へと降りていく。

一つは味方のものであるが、先ほどからの戦闘経過を見る限りでは劣勢に立たされているようだった。

ヒトと同じ姿を得たとは言え、強力なA.Tフィールドを自在に操る者達の繰り広げる戦いは想像を絶していた。

全てを遮る心の壁はまるで暴風のように吹き荒れ、施設を次々と瓦礫の山へと変えた。

嵐の中心は移動し続けて、気がつけばネルフの心臓部であるドグマへと降下する最短ルートのメインシャフトに到達した。

そう、バルは相手の勢いに完全に押し切られてしまったのである。

 

そもそも数的に不利な場合、まず考えるべきことは一度に相手にする敵の数を減らすことだ。

通常、それは入り組んだ狭い地形が適しており、通路などは挟み撃ちにされない限りは最適の場だと言える。

当然バルもそのことを承知の上で、自分に地の利がある分、ある程度相手を分断できるものと考えていた。

しかしいざ始まってみると、状況は異なった。

相手は初めから遮蔽物など全く意に介さなかったのだ。

たとえバルが壁を五、六枚隔てた先にいようと、お構い無しにA.Tフィールドを叩きつけてくる。

多少は遮蔽物越しの攻撃も予想していたバルだったが、まさかそこまで大雑把な攻撃を仕掛けてくるとは思いも寄らなかった。

おかげで反撃もままならず、バルは攻撃を回避するのに精一杯で追い詰められてしまうことになったのだった。

 

「分が悪いどころか、このまま最下層に到達したらバルに勝ち目は無いわ」

 

リツコの声を殺した言葉に、ミサトは表情を変えずに目だけを向ける。

 

「A.Tフィールドを用いた最も単純で、効果的な戦法がどんなものかわかる?複数で目標を取り囲んで一気に圧殺するの。かつての使徒であれば、ある程度はその圧力にもA.Tフィールド無しでも耐えられたかもしれない。けれど今のバルたちの体は極めて脆弱な、私たちヒトの肉体だわ。だから少しでも出力で劣れば・・・」

「・・・ぺっちゃんこ、ってわけ」

「そういうこと。ここは無理してでもエヴァを一機、下に降ろした方がいいわね」

「でも、あの子達も今の集中が途切れたら危ないわ。ましてバルが危ないなんて聞いたら・・・」

 

ほんの僅かでも隙が生まれる可能性はかなり高い。

その僅かな隙が、今繰り広げている戦いには勝敗を分ける要素になりかねないことは、二人とも十分に承知している。

結局、この場にいる人間にできることは最早信じて見守ること以外に何も無いのかもしれない。

 

「・・・せめてあと一人、それで状況は変わるのに・・・!」

 

どうしようもない無力感に、目の前が暗くなるのを感じた。

できることならば銃を手にとり、今すぐにでも助けに行きたい。

しかしそれは何の助けにもならないことを、既に目の当たりにしている。

チラリとミサトは一人の背中を見やった。

エヴァ各機の状況を観察し、常にフィードバックレベルの調整や兵装ビルによるサポートを行っている女性。

彼女の抱えている思いはいかばかりのものであろうか?

勝ち目の薄い戦いに身を投じた者に、如何なる思いをはせているのかは想像もつかない。

一心不乱に自分のなすべきことを果たさんとする、その決然とした様はある種勇気を与えてくれるような気がした。

傍らに立つリツコと目配せをする。

ここで出来る限りのことをするしかないのだと、互いに強く言い聞かせるような、そんな視線を交わした。

 


 

前方にアルミサエルを捉え、後に二人の別の使徒を背負った状態で降下し続ける。

重力に従うよりも多少ペースはゆったりしているが、確実にヘブンズドアへと近づいていた。

 

「一時休戦にしましょう。空中戦はこの肉体ではいささか不毛ですからね」

「へッ・・・勝手にしろよ。お前たちのほうが優勢なんだ。決定権はくれてやる」

 

囲まれた状況ではバルも下手に手出しは出来ず、休戦を申し出たアルミサエルには従う他なかった。

空中で器用にあぐらをかくと、バルはじっと正面のアルミサエルを見据える。

後方にいる二人はどうも変質が激しいためか、個人を特定できない上、まともに喋れないらしい。

 

「・・・残念だ、こうして喋ることが出来るのにな」

「あなたが抵抗を止めていただければ、私はいつでも手を引きますよ」

「せっかく申し出てくれたのに悪いんだが、そいつは出来ない相談だ。それよりアルミサエル、お前はいったい何が目的だ?俺はそいつに興味がある」

「私の、目的?」

「お前が自分を取り戻していないのなら、ゼルエルに引きずられるのもわかるがな・・・違うだろう、お前は?」

「・・・・・・どうでしょうね」

 

表情をほとんど変えず、アルミサエルは抑揚少ない調子で呟いた。

それはかつてのレイがそうであったのとは、印象が多少異なっている。

レイは感情の表現の仕方そのものがよくわかっていなかったのに対して、アルミサエルのそれは無理に押し殺しているように感じられた。

背後にいる二人は本能を剥き出しにしているのとは、非常に対照的である。

 

「それと・・・後ろの二人もゼルエルに引きずられていると言うよりは、お前の意思に引きずられている気がするな」

「そう思う根拠はあるのですか」

「俺が背中を見せているのに、まるで攻撃してくる素振りを見せないことだ。もっとも、敵意ばっかりは強烈で背筋がピリピリきてるが」

 

片方の眉だけを器用に持ち上げながら、軽く首を捻って背後にいるうちの一人を見やった。

そちらの方が少々先に降下しており、目が合うとちょうど見上げられているような格好だ。

俺が何かしたか?と問いただしたくなる、誰かに対する妬みや嫉みが居座ったような目つきだ。

だが理由を問うても答えはあるまい。

また少し、寂しさを覚えながら向き直る。

 

「こいつらがゼルエルに同調しているなら、俺は今、問答無用で押しつぶされてるはずだ。それなのにお前が下につくまで休戦と言ったら大人しく待ってる。ということはだ、お前にゼルエルとは違う別の意思が働いていると考えるのほうが妥当じゃないか?」

「・・・わかりませんね。私の目的はあなたを倒し、確実にアダムを手に入れる。それだけです。ただ不本意な形でそれを成し遂げたくは無いだけのことですよ」

「わからねぇのはこっちだ。そのこだわりは何処から来るんだよ?」

 

アルミサエルは答えず、視線をそらす。

この話題に関してはこれ以上話す気がない、という意思がその態度に滲んでいる。

食い下がろうとしたバルも最下層が近いことに気がつき、言葉を飲み込んだ。

 

「やれやれ・・・まさかここで戦うことになるとはなぁ」

 

因果と言えば因果な話だな、とため息が口をついて出た。

ここはリリスの膝元、原初の海のミニチュアが目の前に広がっている。

今使っている肉体が崩れれば、この海へと還ることだろう。

 

「手間が省けますね。お互いに」

 

こちらの考えを見抜いたかのような皮肉めいた言葉に、バルはただ短い笑いで返し、ぎゅっと拳を握りこんだ。

四人はそれぞれLCLの上に降り立つと、その足元を中心に波紋が周囲に広がっていく。

その数秒後、静かだった水面が破裂した。

 

バルはすぐさま反転すると水面を―――正しくは自分が展開した微弱なA.Tフィールドを―――蹴って、後ろにいた人物との距離を詰めた。

A.Tフィールドの反発を利用した、人間の瞬発力ではあり得ない速度の踏み込みである。

体は悲鳴を上げていたがバルは逡巡も躊躇いもなく、それを行っていた。

踏み込まれた側も虚を突かれたようで、フィールドの展開が間に合っていない。

目指すは一撃必殺。

遮蔽物が無い空間で取り囲まれることは、そのまま敗北に繋がる。

唯一勝機があるとすれば、速攻で陣形を整えられる前に一人一人を潰す事くらいだ。

 

「悪く思うなよ・・・ッ!」

 

収束した光を纏った右手を、思い切り胸に叩き込む。

掌に生暖かい感触を覚えて一瞬顔をしかめるが、すぐさま思考の外へと振り切る。

再度心中で詫びながら、次の目標へとその意識を向けて胸に突き刺した腕を引き抜いた。

腕を引き戻すと、噎せ返るような血の臭いがまとわりついてきた。

しかし、まとわりついているのはそれだけではなかったことに、数瞬遅れてバルは気がつく。

 

「なにっ、まだ―――!?」

 

驚愕の言葉は全ては紡がれなかった。

バルの体はアルミサエルの展開したA.Tフィールドを受け止めきれず、壁面に強かに叩きつけられた。

だが勢いはそれで止まらずに分厚い壁を砕き、その先の通路へバルの体を人形のように投げ出した。

直撃を受けなかっただけ随分とマシだ。

そう自分に言い聞かせるが、その一撃で受けたダメージは深刻で、うつ伏せに床に倒れこんだままなかなか立ち上がれずにいた。

ふと、頬が何かで濡れた。

床の冷たさに比べると幾分生暖かい。

流れ出してしまった命の温もりの残滓が、ゆっくり視界を占める赤として面積を広げていく。

A.Tフィールドで防御したとは言え、分厚い壁に風穴を開けてしまうような衝撃に襲われたのだから、この程度の傷は当然であろう。

それどころか、人間なら即死していてもおかしくはない。

 

―――パシャ

 

目の前の血だまりに波紋が生じた。

力を振り絞って上半身を起こし、どうにか壁に寄りかかる。

  

「まだ、戦いますか?」

 

冷淡な言葉と視線が突き刺さる。

バルは苦痛に歪む顔を無理矢理に笑みへと変えて、それを見上げた。

 

「当然だな・・・俺は生きている・・・なら、まだ戦える」

「死が恐ろしくないのですか?傷つくことが怖くないのですか?」

「ハ・・・ハハッ・・・・・・それは、怖いよ・・・言うまでもないだろ」

 

乾いた笑いしか喉からは溢れて来なかった。

肉体を失うことが死であるのならば、バルは確かに一度死んでいる。

目の前に立つ、アルミサエルと共に閃光の中に散ったことを、忘れるはずもない。

 

「・・・死ぬのは怖い・・・・・・死にたくないよ・・・痛いのも・・・・・・嫌だ」

「では何故諦めないのです。そのまま倒れていれば、これ以上の痛みも恐怖も味わうこともないというのに」

「お前の言っていることには一理あるけどな・・・・・・」

 

バルがぼんやり天上を見上げたとき、二人の間に拳大の物体が放り込まれた。

全員の注意がそれに向けられた瞬間、強烈な光が視界を埋め尽くした。

 


 

「バル・・・大丈夫か?」

「ん・・・その声、リョウジ・・・か」

 

ぼんやりとしていた視界が元に戻り、目にしたのは心配げに覗き込む加持とマナの顔が飛び込んできた。

頭に何かを巻きつけられている感覚があったのだが、その正体はマナが施してくれていた応急処置の包帯であることがわかった。

目を動かして見回した限りでは、ここは先ほどの場所からさほど離れていないようだ。

その証拠にアルミサエル達の感触はごく近い場所にあって、今も間隔をつめてきている。

いや、敢えてつめてきていないのかもしれない。

愚鈍とも思える動きが、そんな印象を抱かせた。

 

「それで・・・お前達はここで一体何をしてるんだ?いきなり閃光弾なんか放り込みやがって・・・」

 

マナがその場にいたことには一瞬驚きを覚えたものの、ある意味当然の行動だとすぐに納得することが出来た。

同じ歳の友人が戦場に立っている。

この状況を前にして、何も出来ないでいる自分に対して悔しさを覚えているであろうことは、少なからずバルも察していたのである。

責める言葉は何の意味もないとわかれば、それはもう飲み込むだけだった。

 

「それなんだが・・・お前たちが下に降り始めたから、アダムを少しでもここから別の場所に移そうと思ったんだ。戦自は撤退を始めたようなんだが、生憎とゲイル達がいた場所はまだ外周部でな。俺達のほうが早かったんだよ」

「そいつは判断としては正しいと思うが、それならどうしてまだここにいたんだよ。アダムを移動させるんだろう?」

 

納得がいかない様子で首をかしげるバル。

予想通りの問いに、マナと加持はばつが悪そうに表情を曇らせた。

 

「・・・・・・それがね、バル。驚かないで」

「今更驚くことがあるんなら教えてくれ」

「・・・無いの」

「は?」

「そのアダムが、何処にも無いのよ」

 

言葉の意味が理解できずに、頭の中が一瞬真っ白になった。

すぐさま我に返ってしたことは、意識を集中してその存在を探ることだった。

注意深くその気配を拾い上げることでようやくバルも、この周辺にアダムが存在していないことに気付いた。

元々、リリスとアダムは注意深く観察しないと判別がつかない代物だが、よもやこの期に及んで見落としているとは思わなかった。

そうして愕然となったのも束の間、考えは誰の行為によるものかということに移った。

 

「ゲンドウのおっさん達ってことは?」

「いや、それはない。だとしたら、わざわざ俺達を下に行かせる必要はないだろう」

「う〜ん、そりゃそうだな。じゃあ一体誰が・・・」

「既に使徒に奪取されたということは考えられないか」

 

それもない、とバルは首を横に振る。

奪取されてしまっているとしたら、戦いは既に終結しているはずだからだ。

ゼルエルの考え方が他人を傷つけることを本位としないものであると考えられる以上、アダムを得られれば不必要に戦闘を長引かせることはしないはずである。

自由に出入りできるはずのゲンドウ達でないのならば、その可能性はかなり狭まる。

ふとバルはそこまで考えて、目を細めた。

見ようによればそれは苦笑ともとれる。

 

「・・・この際、誰が持ち出したかは重要じゃないか」

 

バルは自分に言い聞かせるように言うと壁に寄りかかったまま立ち上がり、通路の向こうに目を向けた。

照明の灯りの下に長い銀髪が浮かび上がっていた。

それは今にも消えてしまいそうな白い影のようだ。

 

「随分とサービスが良いな、アルミサエル」

「・・・人を巻き込むのは本意ではありませんので。しかしそれもこれまでです。アダムが無いとわかった以上、決着をつけさせていただきますよ、バルディエル」

「上等だ。ケリをつけたいのはこっちも同じだからな」

 

勢いを少しつけて壁から離れ、マナと加持を押しのけて立つ。

 

「血は止まったか・・・サンキュ、マナ」

「ダメよ!私がしたのはただの応急処置で、すぐにちゃんとした治療をしないと!」

「・・・大丈夫だ。きっとな」

 

縋りつくマナの頭を軽く撫で、バルはアルミサエルへと向かう。

大丈夫―――もちろん何も根拠などありはしない。

しかし口にしなければならなかった。

今の姿が既に不安をかきたてる要素なのだろう。

戦うことが更に火に油を注ぐ行為であるということも理解している。

まだ離れようとしないマナを見下ろしながら、右手を何度か握りこむ仕草を繰り返した。

体を維持するためのA.Tフィールドが弱体化してきている反面、外に発するフィールドはその出力は向上してきている。

まるで燃え尽きる直前の蝋燭だ。

そんな自分の体の状態は、他人に言われるまでも無く既に承知済みだった。

 

「全然大丈夫じゃないわよ!ほら、もう血が滲んできてるじゃない・・・!」

 

頭部に巻かれた包帯はその半分がもう赤に染まってきている。

透き通るような銀色だった髪も乾いた血液のおかげで、大部分がどす黒い色になってしまい、それはもう見るからに痛々しい。

一歩前に進むたびに鈍い痛みが全身を貫いた。

痛みの大きさからして、何処かしらの骨が折れているに違いない。

このまま気を失ってしまえばどれほど楽になるのだろう、と思い浮かべてクスリと小さく笑う。

バルはマナの今にも泣き出しそうな瞳を見つめて微笑むと、右腕で引き剥がして加持へと押し付けた。

そして薄っすらとした壁がバルとマナたちを隔る。

マナが慌てて手を伸ばすが、壁は無常にもそれを遮った。

必死に名を叫び呼び止めようとしても、バルの足は止まる気配が一切感じられなかった。

 

「・・・行け、リョウジ。ここは俺の戦場だ」

 

背を向けたまま、バルはアルミサエル達と共に開けた空間へと消えていった。

数秒後、地震が起きたように周囲が激しく揺れた。

心の力を操る術を知らぬヒトは介入することさえ許されぬ戦い。

もたらされる被害はとても生身の戦いの余波とは思えず、また何時この場にまで及ぶともわからない。

 

「行こう・・・バルの言うとおり、俺達にはどうしようもない」

 

かける言葉に悩んだ加持はどうにか絞り出した声で立ち尽くすマナを促した。

彼にしてみてもこの選択は苦渋に満ちていた。

ここに残ったところで何を出来るでもなく、足手まといになるのが関の山ということだけが現実として転がっている。

もう一度促そうとしたとき、マナは俯いていた顔を上げて加持の腕を振り払った。

反応が遅れた加持が引き止める間もなく、今や遮るものが無くなった、バルたちの消えた方向へと駆け出していた。

 

「やれやれ、無茶をする・・・」

 

抱えた銃のセーフティを確認しながら、その後を追う。

その口元は言葉とは裏腹に、少しだけ緩んでいた。

目の前に白い影が現れるまでは。

 


  

痛みのためにもう機敏な動作は出来なくなってしまっていた。

自ずと相手の攻撃に対しては全て受け止めるか、受け流すの二択を迫られることになった。

それも結局、すぐに限界を迎えてしまう。

荒い息を整えるのもままならず、バルはどうにかその場に立つことで精一杯になっていた。

何もこれまでの戦いで消耗したからだけではない。

気を抜くと、腕の一本でもぼとりと落ちてしまいそうなのである。

 

「苦しそうですね。そろそろ楽になりたいとは思いませんか」

「遠慮しておく。そんな楽はいらねぇ・・・いや、俺はこれから先も楽になろうとは思わないさ」

「・・・解せません。何故そう言いきるのです。あえて苦痛に身を晒すと言っていることと同じですよ、それは」

「だろうな」

 

曖昧に頷きながら、バルは奥歯の方でこみ上げてくる笑いをかみ殺していた。

自分の思考や行動のパターン、その基礎となっているものはおおよそ見当がついている。

そして楽になれば幸せになれるかと言えば、必ずしもそれらはイコールで結ばれる要素ではない。

幸せになりたくば、大半の者は努力するだろう。

幸せになれば、今度はそれを維持するための努力をする。

それらの努力は決して楽ではないはずだ。

全てがそうであるとは言わないが、楽になろうとするということは幸せから遠ざかることと同義である。

少なくとも、バルはそういう認識を持っていた。

 

「まぁ・・・もうあなたを理解する必要はありません。既にこの勝負は詰んでいるのですから」

 

アルミサエルたちは既にバルを完全に取り囲んでいる。

三方向から同時に仕掛けられてしまうと、流石にバルも応戦のしようがなかった。

次に打つ手が無くなってしまった状況であることを、認めざるを得ない。

 

「そう思うならさっさとやれよ。できるならな」

「いいでしょう・・・吐いた台詞は飲み込めませんからね。覚悟してください」

 

三人が繰り出した壁は完全に同調しているらしく、隙間の無い三角柱状の空間がバルを取り囲んだ。

その空間が一気に収縮しようとしたとき、それを妨げるものがあった。

一発の銃声。

直後、一方の壁が消失し、バルはそこから転げるように隔離されかけた空間から逃れた。

しかし表情には安堵の欠片も見られず、険しいままだった。

 

銃を構えたマナがそこにいた。

腕は緊張のためか小刻みに震えていて、命中したことが不思議なくらいだ。

シンジたちと違って訓練を受けているが、実際にヒトを撃ったことは初めてなのだろう。

顔色は蒼白に近く、余裕は一欠けらも残されていない。

バルが歩み寄って銃を下ろさせると、ようやく我に返ってゆっくりとぎこちない動きでバルを見上げた。

 

「マナ・・・下がれと言ったろうに」

「ごめん・・・なさい・・・・・・でも、何も出来ないのは嫌だったから・・・あのまま戻るなんて出来なかった。・・・もう二度と、あんな思いをするのは嫌だから・・・」

  

思わずバルはため息が漏れた。

 

「わかったわかった・・・約束するよ、俺はマヤをお前を何度もおいていくような真似はしない」

 

バルは険しい顔を僅かに解いてマナに優しい表情を見せ、幼子をあやすようにゆっくりと二三度頭を撫でた。

それから再び顔を強張らせてアルミサエル達を睨み、つられたように視線を向けたマナはそこで短く声をあげた。

自分が先ほど撃った相手が、何事も無かったように立ち上がろうとしていたのである。

A.Tフィールドはバルに向かって展開されていたため、防御は間に合っていなかったはずだ。

命中して倒れた瞬間も、しっかりと目に焼き付けている。

しかしながら、立ち上がった銀髪の男は出血の痕跡こそあれ、傷はまったく見られなかったのだ。

 

「なんで?胸に当たったはずなのに・・・」

「やっぱりか・・・マナ、こいつらはな」

「おそらく魂を分かち、肉を分かち、自ら己の存在を相互に補完しているのだ」

「ッ!?」

 

張りのあるよく通る声とともに、その人物はマナの背後から現れた。

歩く姿は音も無く、まるで陽炎のようだ。

並んで現れた加持は未だ得心せずといった様子であったのだが、彼の存在をまるでかまっている様子もない。

見た目はマナよりも一つ二つ年上であるが、銀髪を短く刈り上げられているためか、妙にこざっぱりとした印象を受けた。

見れば見るほどに、その人物が男なのか女なのかわからなくなってしまいそうである。

男だと言われればそう思えるし、女だと言われても納得できてしまう、そんな顔つきだ。

もっとも、それはこの場のバル以外の使徒についても同様であるが。

本来唯一単体の生命体である使徒にとって、性別とは意味のないことであるのかもしれない。

 

「間違ってはおるまい?」

「あ、ああ・・・確かにそうだが」

 

「お前は誰だ?」と言葉を続けられず、呆気にとられた顔でバルは歩み寄ってきた人物を見やる。

目が合うのを見計らって、その人物は口元だけを吊り上げてぎこちなく笑った。

 

「さて・・・以前、我はお前に妙な礼を言ってしまったな。そう―――殺してくれてありがとう、と」

「!!」

「理解したか?」

 

瞬く間にバルの顔に理解の色が広がり、同時に強い驚きの色が混じって、やがて喜色へと変じた。

 

「サンダルフォン・・・なのか?」

 

相変わらずぎこちない笑みを浮かべたまま、コクリと頷いた。

それからサンダルフォンは表情を強張らせ、ギロッとアルミサエルを睨みつけた。

他の使徒とは明らかに異なる、感情に満ちた、生きた瞳だ。

 

「まさかあなたがそちらにまわるとは、思いもしませんでしたよ」

「ふむ、何をとって“まさか”としてているのかはわからぬが、我は己の意思に従ったまでのこと。そしてそのことに悔いは無い」

「霧島マナといい、あなたといい、冷静に考えれば愚かしいとわかることを何故敢えて為そうとするのです?私には理解できません」

「愚かで結構ではないか。理性では愚かと知りつつも、それを敢えて為すことが出来るのがリリン、ヒトというものであろう。理解してもらおうなどとは思わぬよ。そのような言葉を吐く前に、己自身が他者を理解するために歩み寄っているのかどうか、顧みるべきではないか」

 

朗々と声を張り上げるその様は、実に堂々としている。

更にそのサンダルフォンは言葉を継いだ。

 

「何より未だ己が身を絡める鎖を断てぬ意志薄弱の輩が、この少女の強く純粋な思いを愚かの一言で切り捨てる資格があるとは思えぬよ」

「なっ・・・!意志薄弱ですって!?」

「でなければ、ただの卑怯者だ」

 

事実を述べただけだと言わんばかりに、語気を強めたアルミサエルに対してもサンダルフォンは眉一つ動かさない。

呆気にとられているバルと視線を交えると、ずいっと前に歩み出る。

一度視線をリリスに向け、それからバルの瞳を見やって一つ深呼吸し、声を張り上げた。

 

「さぁ、我らにこれ以上の口上は必要あるまい。早々に決着をつけさせてもらうぞ」

 

眼光が鋭くなるのに合わせ、サンダルフォンの周囲に数本の光の刃が浮かび上がった。

(器用なヤツ・・・)

複数のA.Tフィールドを展開するだけでも、相当の集中力を要するものだが、サンダルフォンが行使している力は更に一段階上と言える代物だ。

感嘆しつつもバルはサンダルフォンを片腕で制して前に出た。

 

「悪いが、サンダルフォン・・・こいつらとの喧嘩は俺が先約なんだ。特にアルミサエルはな」 

「承知している。しかし我がここに来た以上、その体で全員を相手にさせるわけにもゆかぬ。お前はアルミサエルだけに集中しろ。イスラフェルは我に任せてもらおう」

「・・・わかった」

 

実際、バルにはたとえタネがわかったところで、アルミサエルとイスラフェルの両名(?)を同時に相手にする力は残されていない。

だからバルがサンダルフォンの申し出に対して、首を横に振ることは出来るはずもなかった。

 

「イスラフェルよ!貴様にまだ進化の果てを担う者としての誇りがただの一握でも残されているのであれば、我と戦え!このサンダルフォンが貴様の魂に絡みつく忌まわしき鎖を断ってくれよう!」

 

サンダルフォンは一歩歩み出て、その細い体の何処から出てくるのかと疑問を抱きたくなるほどの声を張り上げた。

声に数秒遅れてイスラフェル(甲・乙)は僅かだが瞳に理性の光を浮かばせて、LCLの満たされたリリスの足元へと飛び退いていく。

 

「潔し、そうでなくてはな。・・・では、バル。」

「ああ、負けるなよ」

「我は負けぬよ。まだまだやらねばならぬこと、やってみたいことがこの腕に収まりきらぬほどある。それをなさぬまま果てるつもりは毛頭無い」

「そいつを聞いて安心した。せっかく話が出来るキョウダイが来たんだ、お前とは色々話してみたい」

「兄弟・・・ふむ、ならばこれが終われば我もベルフィールドを名乗るも一興か」

「そいつは・・・・・・勝手にしてくれ」

「ならばそうさせてもらおう」

 

二人ですれ違いざまに軽く手を合わせ、それぞれの相手に向かう。

と、サンダルフォンはその足を途中で止め、マナの前に向かった。

 

「・・・な、なんですか?」

 

突然現れたサンダルフォンは、マナにとっては警戒の対象となっていた。

アルミサエルたちと外見上、酷く類似していることもその要因であろう。

しかし敵意を持っていないということだけはバルとの会話などから察したようで、銃は下げられたままだった。

 

「アルミサエルの言うとおり、君の行為は確かに誉められたことではない。それは自覚しているか?」

「・・・はい」

「ならばあとはバルの勝利を信じ、待つがいい。焦燥感に耐えることも戦い方の一つだ。何より、己自身とのな」

「・・・・・・わかるような・・・気がします」

 

マナは答えながら、発令所に居るマヤの姿をその脳裏に思い浮かべた。

自分と同じように飛び出したかったに違いない人。

それでも耐えて、自分の為すべきことを果たさんとしている人。

自分の思いだけで走り続けていいときと、そうではないときがあるのだと今更ながら確認したような、そんな気がした。

一端手の中の銃に視線を移してから顔をあげると、既にサンダルフォンは背を向けて歩き出そうとしているところだった。

 

「あ、あの・・・サンダルフォン・・・さん」

 

呼び止めると、サンダルフォンは首を少し捻った。

 

「一つ言っておくが、我に対して敬語は必要はない。事が上手く運べば我は君達から学ぶ側になるはずだ。それで・・・何か?」

「えっと・・・バルの本当の名前ってバルディエルなの?あと・・・あなたとバルは兄弟なの?」

「一つ目は是だ。しかし、今はそれほど意味を為さぬ名だな。二つ目の質問は答えかねる。概念的には近いのかも知れぬが」

「じゃあ、あなたのことはサン・・・でいいかな。サン=ベルフィールド」

 

マナから見えていた片方だけの赤い瞳が大きく見開かれ、少し遅れて口元に笑みが浮かんだ。

それまでで一番自然な笑みだった。

 

「サン=ベルフィールドか・・・フフッ・・・・・・それも良いな」

「それじゃあ・・・サン、あなたも無事で」

「君は我の身までも案じてくれるか・・・・・・感謝する。君は今度こそ、下がっていろ」

 

もう一度微笑むと、サンダルフォンはイスラフェルの待つ十字架の元へ向かって歩き出した。

それからマナが退避したのを確認したかのように、戦い始まった。

 

 

 

一方、バルとアルミサエルの二人は、リリスの足元で始まった戦いによって弾き飛ばされたLCLを浴びながら、未だに睨み合っていた。

固まり始めた血はともかく、まだ流れ出して時間が経っていない部分はそれによって洗い流されていく。

 

「なぁ・・・アルミサエル、お前さっきなんで立ち上がるのかって聞いたよな?」

「ええ・・・」

「死ぬのは嫌だ、痛いのもな」

 

静かな表情で、先ほども口にした言葉をもう一度自分自身も確かめるように紡ぐ。

死への恐怖は、生きている限り必ずどこかについて回る、影のようなものだ。

その恐怖に敢えて立ち向かわんとする理由は何か。

これは今のバルにとってそれは難しい問いではない。

 

「けどな、今の俺はここにしかいないんだ。俺を俺としてくれるもの、俺が愛しいと思うものはこの世界にしかない。この世界がなくなっちまえば、俺の存在も消えちまう。なら、拘る理由はそれで十分だと俺は思う」

「それが死の恐怖をも凌駕する、と?」

「怖いのは変わらないさ。むしろ恐怖は恐怖のままでいいんじゃないかって思う。恐怖を感じるのは生きてるからこそだろう?」

「・・・・・・・・・生きて・・・いる・・・・・・」

「・・・お互いに時間もあまりないようだし、さっさとけりをつけようぜ。ここまで来たら小細工はなしだ」

 

言葉どおり、収束も変形もさせていないA.Tフィールドを具現化するバル。

A.Tフィールドを平面同士でぶつけ合うのは、極めて非効率的だ。

だがその反面、相対する両者の力を明確に計ることが出来る戦い方でもある。

アルミサエルも一切変化させないA.Tフィールドで応じ、壁同士の衝突によって閃光のように強烈な光があたりに飛び散った。

ぶつかり合った壁は数秒間、強い光を放って拮抗していた。

そして、徐々にバルの領域がじわじわと液体が染み込むように、アルミサエルの領域を押し込んでいく。

フィールドの干渉によって生じた轟音が辺りを満たしているにもかかわらず、そのときのアルミサエルの呟きはバルに届いていた。

寂しさと嬉しさが同居した不思議な響きの声だった。

声が届いた一瞬、バルは半ば衝動的にA.Tフィールドの展開を停止させようとした。

しかしそれよりもアルミサエルのA.Tフィールドが消滅することのほうが、ほんの僅かに早い。

刹那の交錯だった。

あとは、A.Tフィールドが突風のように突きぬけるだけ。 

最後に障壁の向こう側に見えたのは、心の底からの安堵に彩られた綺麗な笑顔だった。

 

 

 

バルが体を引きずってどうにか歩み寄ってみると、先ほどまでアルミサエルが袖を通していた服が浮かんでいるだけだった。

吹き飛んだ際、LCLに着水するよりも先に液化したらしい。

水面に張った弱い壁の上に膝をついて浮かんでいた服を拾い上げていると、背後に誰かが立つ気配を感じたが、バルは振り向かなかった。

 

「アルミサエルは―――」

 

バルの背後には、銃と血が付着した衣服を手にしたサンダルフォンが立っていた。

更にその後ろにはマナと加持が駆け寄ってきている。

 

「否定して欲しかったのではないだろうか・・・鎖断てど、未だに歩みだすことの出来ぬ己を」

「・・・・・・なんで、俺なんだ・・・わかんねぇよ」

「仕方あるまい。それはあやつにしかわからぬことだ。・・・しかし想像することは出来る。あやつは短き時とは言え、お前と一つになった。お前から何かしらの影響を受けたことで、あやつは理性を取り戻すことが出来たのであろう。これは我と同じようなものであろう・・・重ねて言うがこれは想像でしかない。しかしそう遠くもあるまい」

「だから、何で俺なんだよ!?」

「・・・わからぬか、バル=ベルフィールド」

 

そう言って見つめてきた瞳は静かだが迫力がある。

バルは息を呑んで、奥にあるものを読み取ろうとした。

沈黙するバルが答えを導き出すよりも先に、サンダルフォンは次の言葉を紡いでいた。

 

「お前は我を含めた使徒にとって、あまりに眩しすぎる存在なのだ。ただ、自覚があるとは思っていない。お前にとって今やそれが自然なのだからな・・・そしてそれでいいと我は思う」

 

不可解そうに首をかしげるバルに、サンダルフォンはただ目を細めて肩を竦めた。

 

「・・・我らに無く、お前にあるもの。眩い光を放つ心の律動・・・実際、我はまだこの心の扱い方を掴みかねている。だがお前は際限なく湧き上がる様々な波を受け止め、情緒豊かに表現する・・・これがどれほど素晴らしい事か」

「俺は・・・そんなご大層な存在じゃない・・・だいたいお前だって」

 

笑うことが出来るじゃないか。

そう思ったが、言いかけてバルははたと気付く。

サンダルフォンの浮かべる笑みはかなりぎこちない。

どう表現したらいいのか迷って、それで仕方なく浮かんできているような、そんな表情なのである。

使徒としての生がどんなに長くとも、あくまで人間としての感情表現は発展途上なのだろう。

そう思って注意深く観察すれば、サンダルフォンの仕草は笑顔だけでなく全体的にぎこちなかった。

時折、先ほどマナに見せたように自然で柔らかい表情が垣間見えるのだが、それもまた注意していなければならない。

 

「胸を張れとは言わぬ。しかし少なくとも、我はお前に羨望を抱けるもまた事実。おそらく、アルミサエルも同様であったはずだ。だがやつには歩みだすことが出来なかった・・・光を得たいという自分の思いに従うことが出来なかった。それ故にやつは自分という影を濃くする存在を否定するか、もしくはそんな自分を否定してもらいたかったのではないか―――と思うのだ。当然、これも我の推測に過ぎぬがな」

 

息を一つつくとそっと目を伏せ、短い黙祷を捧げる。

サンダルフォンの言葉は確かに推論でしかなく、それらの支柱となる確固たる根拠はない。

ただ単に、自分の立場と類似した点から推測していったに過ぎない。

 

「・・・さっきお前が卑怯者と言ったのは・・・そういう・・・・・・意味なのか?」

 

躊躇いがちにバルが問うと、サンダルフォンは表情こそ変えなかったが、瞳だけが寂しげに微笑んだように見えた。

それが答えであり、充分な意味を持っていた。

 

「まことに卑怯者と罵られるべきはむしろ我のほうだ」

 

表情とは違い、明らかに自嘲、自虐の色が滲んだ言葉を吐き出すと、一層儚げな空気を纏った。

心が強いか弱いかということは、どちらがよいということもなく、ましてそこに善悪の区別があるはずもない。

サンダルフォンはそれらを承知していた上で、アルミサエルを「卑怯者」と罵った。

偶然、似たような立場に立ち、そこから進んだ道が僅かに異なっていただけだということも、理解していた。

心が揺らげば、その象徴たるA.Tフィールドにはけっして小さくない影響が現れる。

その効果を狙っての発言であったわけである。

サンダルフォンは自分の発言を反芻しながら、瞳の自虐の色を更に濃くした。

「己自身が他者を理解するために歩み寄っているのかどうか、顧みるべきではないか」

振り返ってみれば、それは言葉を発した自分への言葉であったのだと思えてならなかった。

アルミサエルを理解しようとしたか?

それをせずに、排斥しようとしただけではないのか?

目を閉じて物思いに耽っていたサンダルフォンは、ふと自分の肩にかかる重みに顔をあげた。

自分が抱き寄せられていることに気付いたのは、数秒経ってからだった。

 

「・・・すまぬ、我は余計なことを言ったようだ」

 

バルの胸に額を押し付けながら呟く。

 

「いや、いいさ。理由付けってのは、結局残された連中が自分を納得させるためにする行為だ。本当のところはアルミサエルに聞くしかないしな」

「そう・・・だな。アルミサエルがこの世に再び生を受けたときか、我らがこの生を全うしたときか、それはわからぬが・・・」

「その時はこの安っぽい頭でよかったら、いくらでも下げてやるよ」

 

冗談交じりの言葉に、サンダルフォンは顔を上げた。

まじまじとバルの顔を見やり、またポツリと呟いた。

ただ、今度は何処か楽しげな感じのする調子で。

 

「なるほど、本当に安そうだ」

「・・・ったく、人の顔を見て何を言うかな、こいつは」

 

数秒の沈黙の後、二人は視線を交えたまま声を上げて笑った。

胸のつかえが取れたわけではないが、アルミサエルの最後の表情を思うと、悔やむことは今すべきではないことのような気がした。

それもまた、彼らの主観による推測でしかないが。

二人はしばらくして、笑顔の余韻を残したまま離れた。

そのときのサンダルフォンの様子は現れたときよりも、ぐっと人間味が増したのではないだろうか。

状況が一段落する待っていたマナは、そんなことを思いながらようやく声をかけた。

 

「バル、これで終わったの?」

「・・・ここは、な。まだシンジたちが戦ってる。終わりじゃあないさ。リョウジ、連絡は取れるか?」

「今やってる。何か伝えることはあるか?」

「こっちは片付いた、とだけ言っておけばいいだろ。それより上がどうなってるか聞いてくれよ」

「了解。ちょっと待ってくれよ・・・・・・ああ、葛城。そうだ・・・・こっちは・・・・・・」

 

通信中の加持を待つ間、天蓋を見上げていると、その先で戦っている子供らの姿がは鮮明なイメージとして思い浮かんだ。

流石にドグマの最下層であるこの場までは地上の振動は伝わってこないが、先に連絡が無かったことからも、まだ戦いは終わっていないと考えるべきだろう。

 

「ところでサンダルフォン、体は大丈夫か?」

 

不意打ちのように問われ、サンダルフォンは一瞬目を瞬かせたが、すぐに自分の掌に視線を落とした。

そしてマナと加持に聞こえないように声をひそめて応える。

 

「・・・まだ何とかな。だがこのまま時間が経過すれば・・・」

「そいつはみんな同じだろう。少し早いか遅いかの差でしかない。ようはしっかりと気を持っていればいいんだよ」

「呆れるぐらい前向きだな・・・」

「いいじゃねぇか、後ろを向いているよりは」

「ふむ、認めよう。一つ言わせてもらえば、我はもうサンダルフォンではなく、サン=ベルフィールドであるということくらいだ」

「・・・勝手にしてくれ」

「フフッ・・・そうしよう」

 

バルにしろ、サンダルフォンにしろ、魂と肉体の整合は取れていない。

本来の肉体ではないことが大きな原因であり、時の接合点が近い今、このような肉体を持つものは真っ先に肉体がLCL化する存在である。

その彼らを繋ぎとめているのは、生きていたいという思いだ。

愛しき者のため、己が求めるもののため、それぞれ理由は異なるかもしれないが、今を生きていたいという思いが強くあるからこそ、体を維持していられるのだ。

とても危うい状態であることには変わりはないが。

 

「じゃあ、そろそろ行くか」

「ああ、行こう」

 

何処へということを問うまでもなく、それはもう一つの戦場だとわかる。

せめてもう少し治療を、と明らかに抗議の声をあげたがっているマナに誤魔化すように微笑みかけ、そして加持から通信機を受け取った。

 

「聞こえてるか?悪いがもうちょっとだけ我儘やらせてくれ、それだけだ」

 

それだけ言うとすぐに加持へ通信機を突き返し、サンダルフォン改めサン=ベルフィールドとともに歩き出す。

マナは慌ててそれを追い、加持も一度肩を竦めてそれに続いた。

 

見届けに行かなければならないのだ。

この夢の終わりを。

 

 


あとがきのようなもの・・・は書くこと特になし、ということでまた次回(でも次回も書くこと無さそうだなぁ・・・)。

 

感想等お待ちしてますんでこちらか掲示板によろしかったらお願いします。

誤字脱字の指摘もあればお願いいたします。

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