地上に出たエヴァの中で、一番最初に動いたのは黒い装甲に包まれた3号機であった。

都市防衛のために設置されたA.Tネット展開用中継機―――通称としてスフィアと名付けられた―――を起動させ、戦自の砲撃を防いだのである。

零号機と弐号機が上空から迫るミサイルを迎撃し、4号機はそれを補佐する。

投下された戦自の切り札であるNN兵器は、初号機によって成層圏外へ放出された。

一連のエヴァの戦いぶりは、格の違いを見せ付けるのに十分すぎるほどであった。

 

 

 

 

 

 

WING OF FORTUNE

第六拾話 天使

 

 

 

 

 

 

舞い降りた白い巨人は全部で七体。

うち一体だけが頭部のデザインが異なり明らかに別格であることを、見る者に知らしめていた。

 

「どうしても、僕の前に立ち塞がるのか」

 

銀髪の青年の姿となったゼルエルが、苦痛に耐えるような面持ちで声を絞り出した。

戦いたくはないのだと、その表情が語っている。

シンジは改めて胸に寂しさが吹き抜けるのを感じずにいられなかった。

同じ思いを抱えているのに何故戦わねばならないのだろう。

何故・・・?

そんな思いを振り切って、シンジは初号機に意思を巡らせていく。

携えたマゴロク・E・ソード弐式を鞘から抜いて、A.Tフィールドを集束させた刃を作り出す。

切っ先をゼルエルの駆るエヴァに向け、一つ大きく息を吸った。

 

「ここは譲れない。どうあっても、僕はここを譲るわけにはいかない」

「・・・わかった。ただ、一つ先に謝りたいことがある」

「謝りたいこと・・・?」

「ゼーレから全てのエヴァを奪った僕らは、彼らにこれ以上干渉しないよう、忠告していた。でも、彼らはまた戦自を投入させ・・・奪わなくてもいい命を奪う結果になってしまった。申し訳ないと思っているよ、ネルフにもそして戦自にも」

 

この言葉を聞いたアスカとレイは、何かがこみ上げてきて喉が詰まるような感覚に襲われた。

責任を勝手に背負い込もうとするその気性に、影がちらりと垣間見えたためだ。

 

「ゼーレを止められなかったからといって、それはあなたのせいではないわ。アタシはそうやって足掻くのも人間だからだと思う。・・・他人を使って足掻くのは好ましいとは思わないけどね」

「・・・どうもありがとう」

 

シンと静まり返る第三新東京市。

ネルフのエヴァがそれぞれの武器に意思を通わせ、エヴァシリーズはロンギヌスの槍のコピーを構える。

両陣営の睨みあいは続いた。

先制したのは地上に出てきたときと同じく、トウジの操る3号機だった。

エヴァシリーズの足元をすくうようにA.Tネットを展開させ、その網を、エヴァシリーズは飛び上がって回避する。

 

「渚ぁ!」

「心得ているよ」

 

飛び上がったエヴァを4号機が翼を広げて既に待ち受けていた。

手にしたソニックグレイブ改を振り回し、エヴァシリーズが飛翔しようとしているところの翼を切断した。

こちらに飛ぶことの出来ない零号機と弐号機がいる以上、好ましい状況にはならないことは目に見えている。

特に飛翔ユニットに関しては、ユニットと言うだけあってエヴァの体組織とは異なり、再生がきかない部位だ。

相手の翼を奪えれば、優位にならなくとも不利になるとは考えられない。

自分達の―――今回の場合は零号機と弐号機の―――グラウンドに引きずり落とすことは戦いの第一段階であり、同じく空を飛べるエヴァを駆るトウジとカヲルの役割であった。

ただそれも最初の二、三体は翼を切り落とすことが出来たが、そのあとはなかなか容易にはいかなかった。

トウジがネットを使い相手の動きを阻害しようとするも、A.Tネットは複雑な形を形成すればするほどに強度は落ちていく。

戦自の使用した通常兵器であれば、多少強度が落ちようともさしたる問題にはならないが、相手が使徒となると話は別だ。

相手がA.Tフィールドを展開してしまえば、すぐに中和されてしまう程度の出力でしかない。

特に今のトウジにとって強固かつ複雑なA.Tネットを形成するのは、至難の業であったと言える。

 

そしてこの最初の主導権争い後、戦いは地上戦と空中戦、大きく分けて二つの戦場に分かれることになる。

翼が健在であるエヴァは3号機と4号機に向かい、飛ぶ術を失ったエヴァは零号機と弐号機に襲い掛かった。

初めから数的に不利であるネルフ側としては、極力戦力の分断は避けたかったが、相手もそれは承知していたようだ。

まだ飛べる者は先に飛び上がっていた4号機に狙いをつけ、そこへ殺到する。

機敏に飛び回る4号機を地上から援護することは難しく、また妨害があって地上に降りられないため、どうしても飛行可能な3号機のフォローが必要となった。

エヴァの飛行は通常の鳥の滑空・飛翔とは異なり、時折A.Tフィールドを使用することで無茶ともとれる軌道をとることが可能だが、戦闘時となればその傾向は顕著だ。

何しろ自在に壁を作り出して足場とすることが出来るのである。

足場を蹴って軌道を無理矢理に変えたり、その場に止まったりする空中戦だ。

戦闘機どころかVTOLや戦闘ヘリでも不可能な軌道である。

もっとも、搭乗者にかかる負担はその分跳ね上がることになるが。

 

「鈴原!下はあたしたちに任せなさい!」

「あなたも、空に・・・私たちは大丈夫だから」

 

少女らに送られて、3号機は装甲と同じ色に塗装された翼を広げて宙に舞い出でる。

このとき空中には三機、地上には四機という状況となり、ほぼ戦場が二分された格好になった。

そして戦いが始まった中でも、全く身動きをしなかったエヴァが二体いた。

初号機とゼルエルの駆るエヴァである。

二体の周囲だけがまるで周囲の戦いとは完全に切り離されてしまっているかのように、微動だにしていなかった。

他のエヴァもそれが当然とばかりに、二体のことを意識から外してさえいるようだ。

 

「最早語るべき言葉もないね、残念だけど」

「僕達だって、戦わずに、話し合いで全てが丸く収まるならそうしたい。今だってそう思ってる。でも・・・」

「あなたがアダムを取り込もうとする限り、ここはやっぱり譲れないわ」

「・・・行くよ」

「来い・・・!」

 

ロンギヌスの槍を構えるエヴァに対し、初号機は正眼に構えてまたぴたりと動きを止める。

 

タンッ―――

 

蹴り足で地面を抉り、両者の間にあった空間を零にしつつ槍を突き出した。

初号機はその切っ先を紙一重で見切り、最小限の動きで回避しつつ自らは一歩大きく踏み込んで横になぎ払う。

刀と槍のリーチの差を踏み込みと目一杯伸ばした右腕で補った一撃は、ようやく胸の装甲に薄く傷つけるに止まった。

今度は突き出した槍が払われ、初号機はこれを刃を縦にして受け止めた。

金属音のようなやや甲高い音が響き渡り、二体は押し合いながらジリジリとつばぜり合いに移行していく。

シンジとユイナは伝わった感触に小さな安堵と自信を抱いた。

マゴロク・E・ソード弐式はA.Tフィールドを集束させて刃を形成するが、その強度がロンギヌスの槍に匹敵するか否かは試してみなければわからなかった。

下手をすれば受け止められなかったかもしれなかったのだ。

その不安が完全に払拭された今、シンジたちは心置きなく戦えることになったわけである。

 

「ユイナ、このまま一気に押し込むよ!」

「了解!」

 

リーチの差と言うのは長い方が有利に思えるが、懐に飛び込んでしまえば話は別だ。

長い槍は近接するとその長さ故に扱いが難しくなる。

逆に刀は近接状態でも十分な威力を発揮することが出来る。

相手のゼルエルの実力は定かでないものの、最強の使徒という要素に加え、少なくともエヴァの操縦に関しては“天才”であった碇シンジという+αの部分がある。

これらの条件を考慮するならば、絶対に気を抜けない。

たとえ異能を有するシンジとユイナであっても。

 


 

戦いの火蓋が切って落とされるのとほぼ同時に、本部内に侵入していた戦自の部隊の動きが鈍化した。

監視カメラからの映像を見ているだけでも、それは明らかであった。

続いて国連の議会で世界の裏で暗躍し続けた集団―――ゼーレの告発、糾弾始まったとの情報が舞い込んできた。

日本国政府が戦自を動かしたのは彼ら、ゼーレの意図するところだ。

そのゼーレが国際的に『悪』と識別されることは、おのずと相対的にネルフ本部を『善』の存在へと押し上げる効果を生む。

ネルフ本部の幹部連中は自らが正義を名乗るには、少々罪深すぎると思っているが、状況が状況である。

わざわざネガティブな意見を持ち出すこともない。

ソ連の代表によるゼーレの告発に始まった議会は、現在展開されている戦自の作戦に焦点が移った。

ネルフ本部がゼーレに対して反旗を翻した組織として挙げられるとともに、ソ連はこれを支援することを合わせて発表した。

ともなれば、戦自の派遣を決定した日本政府が非難の対象となるのは最早必然であった。

 

「どうやら慌てて部隊を撤退させてるみたいね」

 

ミサトがあまり浮かない顔で呟いたのは、戦自兵が何度も通信機に向かって確認を求めている様を見やりながらだった。

この様子ならば早々に戦闘は終わる。

ネルフの警備員達は非戦闘員に毛が生えた程度の実力しか持っていなかったが、ゲイル達が作戦の主導権を執って上手く渡り合っていた。

硬化ベークライトの注入によって侵入口を限定することで、数的に劣るネルフ側も十分に抵抗出来るようにしたこともその一端である。

しかし、どちらにも既に死傷者が出ているのも事実だ。

この結果は、軍人としてのミサトは割り切ってしまわねばならなかった。

非戦闘員にほとんど被害が出ていないことは評価すべきことだが、誰にとってもこの場で命を失うことは不本意であろう。

ゲイル達にこれ以上追い立てる必要はないと指示を出すと、ミサトは軽く頭を振って割り切れない部分を一度思考の外へ捨て去った。

 

「リツコ、上はどうなってる?」

「膠着状態・・・と言うべきかしら。今のところ見る限りでは、個々の戦闘能力ならこっちが上回っているみたい」

 

そう答えるリツコだが、その表情はあまり状況を好ましいと思っているものではなかった。

 

「ヤバイの?」

「・・・いいえ、結局は大将戦の結果がそのままこの戦いの結果になりそうだから、シンジ君とユイナ次第だと思うわ」

 

大将戦と称された初号機と一機だけデザインの違うゼルエルの乗るエヴァは、一進一退の攻防を繰り広げていた。

お互いに自分の持つ武器の得意な間合いに持ち込もうとしているのがわかる。

どちらが優勢とも言えない、極めて微妙な状態だ。

だが、まだシンジたちは翼を発現させてはいない。

 

「手出し無用・・・って感じね」

「ええ、他の子達もみんなそれをわかってるみたい」

「赤木博士、戦闘区域に接近してくる物体一。識別信号を見る限りではソ連軍所属の戦闘機のようです」

 

マヤの座るシートの横に陣取った智春が、横目でこちらを見ている。

ソ連軍という単語にリツコとミサトは顔を見合わせた。

支援要請はしていないが、恰好をつけるために派遣してきたというのであればわからないでもない。

わからないのはたった一機ということだ。

各エヴァとの通信を除いた全周波数に向けてを呼びかけたが、応答はなくあっという間にその戦闘機は第三新東京市に到達した。

 


 

空中で入り乱れて無茶苦茶な軌道を描きながら攻防を繰り広げる3、4号機、そして三機のエヴァシリーズ。

二機ともにソニックグレイブ改を装備しているが、今のところ致命的なダメージを与えるには至っていない。

いや、何度か斬りつけていて、特に銀色の装甲に包まれた4号機などは返り血を浴びて鈍い色に変わりつつある。

それはパイロットが登場しているのならば、その激痛でまともに動けなくなっていてもおかしくはない傷を負わせていることになるだろう。

(もうエヴァと融合しているのか・・・?)

驚異的な再生能力の理由を幾つかの予想を立てながら、カヲルは一旦空中に静止した。

ちょうど3号機と背中あわせになった状態だ。

この二体はどうやらA.Tフィールドのみで静止しているので、背中がぶつかるほどになっても大丈夫らしい。

こちらを中心に円を描いて飛翔するエヴァをまじまじと観察し、カヲルは思う。

 

「渚、今なに考えとる?」

「どうやってこの状態を打開するか、かな」

「・・・こいつら多分人はのっとらんやろ」

 

何気なく、(おそらく本人はそうだろう)トウジが呟いた言葉にカヲルは、軽い驚きを覚えてウィンドウに映ったトウジを見やった。

トウジは真剣な表情で、周回するエヴァシリーズの動きに警戒しているようで、カヲルの視線には気付かなかった。

 

「何故・・・そう思うんだい?」

「んー、せやな」

 

表情を変えずに少し言葉を選ぶ。

 

「人が乗っとるんやったら、攻撃を受けたときに多かれ少なかれ痛みで動きが鈍くなるはずや。けどそれはない」

「そうだね。でもフィードバックレベルを極端に下げているのかもしれない」

「いいや、これだけ機敏に動けるんや、それもないやろ。それに・・・バルが3号機と融合しとったときの感触と似とる」

 

後半、声を少しひそめると、トウジは彼らしくない陰のある表情で目を伏せた。

(そうか・・・鈴原君にもわかるんだね・・・彼らが何者か・・・・・・)

相手は使徒、それは言わずともトウジも承知していたことだ。

さらに先にあるもの、言わばその存在の本質を知るのは、アスカの病室に集まったものだけだ。

それでも、トウジは直感で相手が何者であるかということを悟ったのであろう。

 

「君はどうすればいいと思う?」

「倒す方法はコアを完全に潰すことだけ・・・やな、たぶん」

「フフッ、そうか。だったら意見は一致したね。具体的にはどうしようか?」

「それは自分に任せる。頭使うのはわしの領分やないで」

「やれやれ・・・この状況で頭脳労働を押し付けられてもねぇ・・・・・・ん?」

「なんや?」

 

二人はほぼ同時にそれに気がついた。

最初に目にしたときには視界の隅に映ったほんの小さな点でしかなかったそれは、あっと今に目の前に迫ってきた。

音の壁を突き抜けた金属の塊は二人の視界を横切ると、周囲を飛び回っていたエヴァシリーズのうち一機に異変が起きた。

突然エヴァが真っ二つに両断され、鮮血を撒き散らしながら落下していったのである。

二人は唐突に叩き込まれた驚きの中でも、その光景を作り出した原因を目撃していた。

 

「A.Tフィールド・・・!?」

「ああ・・・あれには使徒のうちの誰かが乗っていたみたいだね。何はともあれ、とりあえずチャンスだ」

「お、おう!」

 

突然のことに崩れた包囲に、3号機と4号機は切り込んでいく。

この出来事を機に空中戦は少しずつ、二人に優位に傾いていった。

 


 

A.Tフィールドの発生はセンサーで検知され、その事実にリツコとミサト、智春が顔を見合わせた。

MAGIに蓄積されているパターンの中からは類似したものが見つかったが、一致はしない。

ただバルのデータも一致はしないのだから、それもしかたないことである。

 

「一体なんだったの・・・?」

 

ミサトはもう一度モニターを見やってから、少し呆けたように呟いた。

戦闘空域に現れた戦闘機はエヴァを掠めるように飛んで、そのまま飛び去っていってしまった。

もうすでに肉眼では確認できないほど、距離が開いてしまっている。

智春がマヤたちの邪魔にならないようにと繋いだ端末で先ほどの映像を再生し始めると、「あ」と短く声をあげた。

 

「見てください。あの戦闘機・・・コックピットの上に人が・・・・・・」

 

言葉だけを聞けば、「何を馬鹿なことを」と否定したくなるような内容だった。

音速を超える速度で飛んでいる戦闘機の外に張り付くなど、最早正気の沙汰ではない。

しかし実際に映像を見る限りでは、コックピットの強化硝子を踏みつけるようにして、立っている人影が確かにあった。

思わず叫んでしまいそうになるのを堪え、リツコはまじまじとその映像を観察した。

分解能の限界まで拡大、鮮明化させた画像にようやく納得できる理由が浮かび上がった。

空色に近い銀髪が、ようやく確認できたのである。

 

「使徒・・・なの?」

 

さらにその映像を再生していくと、どうやらその使徒は戦闘機がエヴァを掠めていく際直前に飛び降りて、A.Tフィールドで攻撃を仕掛けたらしいことがわかった。

想像の範疇を出ないことではあるが、おそらくはA.Tフィールドで風圧等を身に受けないようにしていたのだろうと見当をつけ、リツコは人影の動きを追った。

エヴァを一太刀(形成したA.Tフィールドが巨大な刃の形状であったのでこう称すべきであろう)浴びせ掛けた使徒は、そのまま都市部に着地したようだ。

それ以降は別のカメラの映像を引き出してこなければならなかった。

追跡しようにも、残念だが今のネルフには人員を割く余裕はない。

 

「あの使徒は少なくとも、ゼーレに対しては敵対しているようですよ」

 

何の根拠もない言葉かと思いきや、智春は端末を操作し、情報を引き出して示して見せた。

それはソ連の国連代表に同行していた智春の仲間からの報告であった。

 

「名乗りはしなかったようですが、会議を阻止しようとゼーレが動かした部隊を一人で止めたそうです。あの戦闘機に関してもソ連が派遣したものに間違いないそうです」

 

内容をかいつまんで話した智春はその報告書をさっさと閉じてしまう。

基本的に今この報告書の内容は必要ない。

会議が成功していることは戦自が撤退し始めていることで、既に予想がついているのだから。

問題となるのはその使徒がゼーレの敵であっても、ネルフの敵か味方か、その判断が出来ないということだ。

 

「・・・ゲイル、聞こえる?」

 

智春は数秒の思案した後、通信機に向かって問い掛けた。

すぐに淡々とした調子の応答がある。

 

「戦自が撤退した。会議での糾弾は上手くいったようだな・・・・・・何か、あったのか?」

「使徒が一人、侵入したわ。多分、目的地はバル達のいる最下層。行ける?」

「・・・・・・難しい。現在地からでは注入した硬化ベークライトのおかげでルートが限定されている。行くにしても相当な時間がかかる」

「そう・・・仕方ないわね。でも出来る限り急いで」

「了解した・・・」

 

元々ベークライトを注入は、ドグマや発令所等の重要施設の防衛の意味合いが強い。

ゲイルたちが防衛していたのは外周とも言えるエリアであり、目的地が最深部ともなれば移動はかなり困難となることは聞くまでもなかった。

(多分間に合わない)

位置関係を把握した上で、智春はそう判断した。

硬化ベークライト程度では、メインシャフトの隔壁をものともしないA.Tフィールドを操る使徒の進攻を妨げることは不可能だ。

たとえ間に合ったところで訓練されているとは言え、人間である彼らに何ができると言うのか。

通常兵器の通用しない者が相手では、どんなに戦い方が巧みでもゲイルたちが勝てる可能性は極めて低い。

こうなると、現れた使徒がバルにとって優位に働く存在であることを願うだけだ。

敵の敵は味方・・・そのような安易な考え方は危険であるとわかっていても、願わずにはいられなかった。

 

「結局口ばかりで無力ですね・・・」

「そんなことありません。信じて待つことも・・・立派な戦いだと思います」

「・・・伊吹さん」

「守らなければならない子供達を戦わせてしまっているんですから、大きなことは言えませんけど・・・でも、恥知らずでいるよりはいいのではないでしょうか」

 

モニターの方に向かったままで、マヤは自分に言い聞かせるように言う。

先ほどこの発令所をマナが猫のように周囲に注意を配りながら、駆け出していったのは知っていた。

自分にできることを探していたあの少女の気持ちは痛いほどわかっていたから、止めることなど出来るはずもない。

むしろ、その背に声援を送ってあげたかったくらいである。

 

「私はここでやれることをするだけです。それに彼が戻ってくると信じています」

 

(そうよね・・・バル)

細い指が、刻々と変化してゆく戦況に合わせ、エヴァの微調整を行うためにひっきりなしに動いてキーを叩く。

 


 

「なんだか知らないけど、鈴原と渚は何とかなりそうじゃない」

「そうね・・・なら、問題は私たち方ね」

 

電源ビルを背負い、息を整えるアスカとレイ。

戦い始める前は美しかった二機のエヴァの装甲も、傷だらけになって見る影もない。

だがそれでも動きには支障はなく、二人が余程集中しているのだということがその点からも認められた。

 

「どっか損傷はある?」

「いえ・・・ウェポンラックが飛ばされてプログナイフは失ったけど、本体は無傷よ」

「上等。さっきの鈴原たちじゃないけど、やっぱりコアを潰しにいくしかないわね」

 

零号機は右腕にソニックグレイブ改、左腕にはビルから引っ張り出したパレットガンを抱えている。

同じように弐号機も右腕にソニックグレイブ改、左腕にはロケットランチャーを装備している。

飛び道具が大きなダメージを与えるために役に立つとは思っていないが、A.Tフィールドを中和させすればそれなりの効果は得られるはずだ。

口を真一文字に結び、目配せをする。

その場を離れる直前、二人は僅かに口元を緩ませていた。

 

零号機はアンビリカルケーブルをパージしながら跳躍して、比較的低いビルに飛び乗った。

モニター上にこちらを見上げている三機のエヴァシリーズが映り、レイは大まかな見当をつけてトリガーを引く。

ほとんど命中していないが、ダメージを目的とした銃撃ではないのでこれで十分だ。

同時に弐号機が駆け出したのを確認し、槍を投げられる前にビルから飛び降りる。

その間もトリガーを引き続けて弾切れになるとそれを放棄し、両手でソニックグレイブ改を握りなおす。

着地すると記憶したエヴァシリーズの位置の中で、一番近い一体に向かって走り出した。

アンビリカルケーブルは全力で走るときには、たとえ長さに余裕があっても切り離していたほうが何かと都合がいい。

途中ケーブルが引っかかるとすぐにそれをパージし、レイは内部電源へ切り替わったことを告げるシグナルと、一秒また一秒と減っていく残り時間に気を配りながら刃を構えて目標を正面に捉えた。

そして急制動。

前に進もうとするエネルギーを強制的にゼロにするため、舗装された路面を削るようにしてブレーキをかける。

刃を振りかぶると、その切っ先を作る光がひときわ強く、大きくなった。

 

「はっ―――!!」

 

気合とともに振り下ろした刃は、目の前にあったビルをまるで豆腐か何かのようにあっさりと切断した。

その向こうに立っていたエヴァシリーズとともに。

(まだ・・・浅い!)

白い装甲の背面には袈裟懸けに傷が見えたが、ビル越しで間合いが足りなかったのだろう。

切断にまでは至っていなかった。

 

「レイ!右から来るわよ!」

 

アスカの声が聞こえるのとほぼ同時に、レイは零号機を飛び退かせ、下がりながら残ったウェポンラックからニードルを放った。

入れ違いで別のエヴァが飛び込んできて、同時に巨大なブレードが空を薙ぐ。

ブレード形態はどうも武器を振り回していると言うよりは、武器に振り回されている感があって、こちらとしては好都合だ。

ただその反面、柄の細いソニックグレイブでは受け止めることが困難であるため、積極的に接近戦を挑むことが出来ないでいるのも事実である。

飛び退いた零号機は着地すると再び前方へと低く跳躍した。

エヴァの肩にはニードルが刺さり、さらに弐号機のロケットランチャーを喰らって体勢を崩している。

好機だったが、零号機の一撃は惜しくもブレードに受け止められてしまい、硬質の金属をかち合わせたような音が当たりに響いた。

両者が硬直した瞬間に、紅い機体が華麗に宙を舞う。

申し合わせたように零号機が絶妙のタイミングで退き、振り下ろした刃はエヴァの右腕を切り落とした。

一応、アスカは脳天から真っ二つにするくらいの気持ちで仕掛けたのだが、相手もそう易々と受けてはくれないようだ。

 

「チッ・・・やるわね」

 

我知らず、感嘆とも取れる言葉を漏らしたアスカは、零号機へ自分のアンビリカルケーブルを放り、自らはビルの陰に隠れた。

致命傷ではないにしても腕を断ったのだから、ここは一気に畳み掛けたいところだ。

しかし最初に足止めをかけたもう一機がすぐ近くに迫ってきているし、レイの攻撃を受けたエヴァも既にほぼ再生が完了している。

深追いすると三体に囲まれることになりかねないため、退かざるをえなかった。

実は先ほどから似たような攻防が繰り返されている。

最後の一押しに、どうしても手が届かないでいた。

 

「やれやれ、コアを守るって意識だけは無闇に強いわね。腕だろうが足だろうが平気で差し出すわよ、ありゃ」

「でも深く踏み込みすぎると、逆に私たちが動きを押さえられるわ・・・」

「そこなのよねぇ。踏み込みが浅いと止めは刺せず、かと言って深く踏み込むとリスクが大きいし・・・」

「銃撃で足止めをするのもたぶんそう何度もは通用しないわ・・・そのうち銃弾を浴びても突っ切ってくると思う」

「その意見には同意。まるっきりゾンビね、あれじゃ」

 

アスカは呆れ混じりに嘆息する。

エヴァシリーズは包囲しながら距離をはかっているようで、少し休息できそうだ。

 

「それにしてもあんたとこうしてコンビを組んでるなんて、最初には考えられなかったことだわ」

「・・・そうね。でも、今はあなたと一緒だと安心できる」

 

アスカはレイの言葉に少し照れながら、「あたしもよ」と笑みを返す。

繰り返す世界の中で何を手に入れることが出来たのか?

そう問われたら二人はきっとこう答えるだろう。

「ヒト同士はわかり合えるかもしれないという可能性」と。

 

「この感じは悪くない」

「ええ、悪くないわ」

 

クスクスと、こみ上げてくる笑いをかみ殺しながら、二人はその場でエヴァの膝を落とした。

そして、目配せをして真上に飛び上がる。

二人がそれまでいた場所には、入れ替わるようにロンギヌスの槍が突き刺さった。

 

「ビル越しの攻撃か・・・自分達も壊しておいて言うのはなんだけど、街が壊れていくのは忍びないわね」

「上、アスカ」

「わかってるって」

 

ほとんど上を確認することなく、アスカはロケットランチャーのトリガーを引く。

弾頭は頭上から迫ってきていたエヴァに炸裂したが、そのエヴァは怯まずそのまま巨大なブレードを振り下ろそうとしてくる。

しかし、巨大ゆえに動き出しが遅い。

ロケットランチャーの直撃で動作は更に遅くなり、弐号機がソニックグレイブを横に払うには十分な時間があった。

ブレードを持ち上げているエヴァの両腕を切断して振り下ろしを阻止し、着地するとすぐにまたアスカはビルの陰に隠れた。

ジャンプしたときに相手との位置関係は把握したが、またすぐに移動しなければならなくなるだろう。

視線を右に配るとそこには同じように身を隠している零号機が見えた。

 

「さぁて、これからどうしましょうか?」

「・・・決め手にかけるのはどちらも同じ。でも、向こうには疲れも電源切れもない。消耗戦は不利ね」

「状況判断ご苦労様。で、打開策はなんかないの?ユニゾンで叩くにしても、ほとんど一撃で倒せなきゃ同じことだわ」

「正直、手詰まりだわ・・・鈴原君たちのように、誰かが横槍を入れてくれれば助かるけれど・・・」

 

トウジとカヲルは既に一機を完全停止に追い込んでいるようで、今は二対二の空中戦を繰り広げている。

こちらも二対二になれば、ユニゾンアタックというアスカとレイの最大の武器を思う存分発揮できる。

決定的な実力差があるのなら、たとえ相手の数が多かろうとも問題は無いのだが、生憎とそれほど個々の実力には大きな隔たりが無い。

何か後押しが欲しかった。

 

「アスカ、レイ。こっちでサポートするというのはどう?」

「でもミサト、ミサイルや自走砲程度じゃ話にならないわよ」

 

返答しつつ、零号機が放ったアンビリカルケーブルを接続する。

少々面倒ではあるものの、二機のうちどちらかが接続していれば、このようなケーブルのやり取りが出来る。

ユニゾン特訓のおかげで息がピタリと合っている二人だからこそ、遅滞なくスムーズに行える芸当だ。

 

「それがね、どうもこの街って使徒迎撃だけじゃなくて、エヴァを取り押さえるための施設も有してるのよ」

「・・・なにそれ、初耳よ」

「たぶん初号機を、と言うべきでしょうね、正確には」

「ああ、そういうこと・・・なんか納得」

 

初号機が特別なものであることは理解しているし、覚醒が如何なるものかということもアスカは知っていた。

そのため初号機を取り押さえるための施設が用意されていたとしても、なんらおかしなことではないと判断したのである。

話しながらもアスカとレイは巧みに攻撃を回避している。

ただし、自分達が遮蔽物の無い郊外へ追いやられ始めていることも自覚していた。

 

「あんまり遅くなると兵装ビルがなくなっちゃうわね。さっさとやってくれる?」

「O.K。どのくらい押さえつけていられるかはわからないけど、特殊ワイヤーで捕縛するわ」

「へぇ・・・そんなものあったんだ」

「強度はリツコの保証つき。A.Tフィールドで防がれない限り、足止めにはなるはずよ」

「位置は何処ですか・・・?今の私たちではそれほど長い距離は誘導できません」

「位置データはそっちにすぐ送るわ。・・・もう出た?」

 

エントリープラグのモニターに第三新東京市の地図が表示され、光点が重なって浮かび上がった。

やがて光点は二機のエヴァを中心とした区域に限定された。

 

「やりますか・・・?」

「そうね、やりましょう」

 

二人は射出されるワイヤーに巻き込まれぬように発令所とタイミングを取りつつ、街の中を走り抜ける。

好機はすぐに訪れた。

そのときのエヴァシリーズの様子は、さながら蜘蛛の巣に捕らわれた虫のようであった。

心の刃がエヴァに宿った魂を砕いた最後の瞬間、二人は心がちくりと痛むのを感じた。

 


 

何度目かのつばぜり合いの際に、初号機は体勢を崩した。

すぐに立て直したが、そのときからエントリープラグからの信号を受け取ることが出来なくなり、発令所は原因究明のため騒然となった。

調べてみると暴走ということではなく、ただ初号機の情報が得られなくなっただけであった。

どうやら初号機側からシャットダウンしている可能性が高いという回答に至ると、小さな安堵が発令所の様々な場所から漏れた。

初号機は既にコアからユイが開放された状態にあり、搭乗者もしくはエヴァそのものの意思次第で容易にそれらの行為を実行に移せる。

取り敢えずは戦闘に支障が無いようなので、スタッフは安堵したわけであるが、根本的な部分では全く安心などしていなかった。

何もなくて情報を遮断するわけが無い。

もし、それが搭乗者側の意思であるとするのなら、何かが起こったことは間違いなかった。

 

一抹の不安をネルフスタッフに抱かせたまま、初号機は刃を振るう。

心を研ぎ澄ませた、鋭利な刃を。

さらにその背には何時の間にか意識することなく翼を展開させていた。

緊迫した戦いの中で、防衛本能か闘争本能のいずれかが自然に発動させてしまったのだろう。

それほどにゼルエルは強かった。

 

大きな音を響かせて兵器を満載したビルが倒壊する。

蹴り飛ばされた初号機の体はそれだけでは止まらず、幾つものビルを薙ぎ倒していった。

体に伝わった衝撃は直に受けたものとフィードバックによるものと二種類あったが、最早どちらがどちらかなどわかるはずもない。

ただ呼吸が止まりそうなほどの圧迫感を覚えても、動きとめることは出来ないという現実が目の前にあるだけだ。

飛ばされた勢いがある程度死んだところで立ち上がり、翼で上空に逃れて手をかざす。

つい先ほどまでいた場所に線を走らせたようなA.Tフィールドが突き抜けるが、まるで構う様子はなく羽根を放った。

そして初号機は一旦、その効果を見定めようと芦ノ湖上空に静止した。

 

「・・・かわされた・・・もっと距離を詰めないとダメか?」

 

シンジの視界に映る今まさに飛び上がろうとしているエヴァは、まだほとんど損傷していなかった。

力をセーブしているわけではない。

ただ羽根の使用は精神を削るので多用することは出来ず、それゆえに絶対的な優位を得るには至らないのである。

 

「みんな、負けてしまったみたいだね」

 

すうっと糸で吊り上げられたかのように静かにエヴァは浮かび上がり、初号機と同じ高さで停止した。

それから足元を見回す。

零号機と弐号機の横に倒れている三体のエヴァ。

3号機と4号機の近くにも、折り重なるようにして残りの三体が倒れている。

いずれも胸部にあるコアを砕かれており、倒れたまま微動だにしていない。

 

「けど僕は止まらない・・・いや、尚更止まることは出来ないんだ!」

 

そう言って、エヴァはロンギヌスの槍を振りかぶり、投擲した。

 

「こんなものっ!」

 

エヴァが全力で投擲すれば、重力を振り切るほどの力が発生するのだから、威力は極めて大きい。

しかし、やはりその動作も大きかった。

この槍を回避することは、光学兵器のようなものである初号機が放つ羽根を回避することに比べれば難易度は下がる。

少なくともこの戦いにおいては武器の性能も実力のうちであり、相手が丸腰になった時が最大の勝機。

シンジたちはそう判断し、軸を僅かにずらしてやり過ごして一気に距離を詰めようとした。

だが、腹部から広がった熱さを伴った激痛に、その突進は妨げられた。

 

「な・・・ろ、ロンギヌスの・・・槍?」

「シンジ!まだ来る!」

「くぅっ・・・・・・!!」

 

二人の死角から襲い掛かったのは、エヴァシリーズが携行していたロンギヌスの槍だった。

一本一本が意思を持った生物のように初号機に追いすがり、そして突き刺さる。

その度に思わず耳をふさぎたくなってしまいたくなるような、声にならない叫びが発令所とエヴァのエントリープラグ内に響き渡った。

 

「殺しはしない。君が死んでしまうと、この世界が終わってしまうからね・・・でも、しばらくそこで大人しくしててもらうよ」

 

様々な方向から刺し貫かれた初号機の前に、最後の一本のロンギヌスの槍を抱えたエヴァが迫った。

初号機は二又に分かれた切っ先の間に首を通したまま、地面に縫い付けられてしまった。

何とかその状況を脱しようともがくが、全身を支配している痛みでなかなかそれもままならない。

既にシンジは泣き出してしまいたいほどの苦痛と恐怖の中にいた。

この世界に来たとき、どうせ一度死んだ身だからとエヴァに乗った。

だが、やはり怖いものは怖い。

死よりも、死を直前にしたこの苦痛の中に居続けることは、凄まじい恐怖を伴っていた。

それでも理性を保ち恐慌状態に陥らないでいるのは、彼が一人ではなかったからにほかならない。

 

「どうして槍が・・・」

 

呆然とした様子でアスカが呟く。

 

「簡単なことだよ。トウジがやって見せていたこと、要領は同じことだ」

「あなたの意思で動かしたというの!?そんなことが・・・」

「一旦は月に飛ばされていたオリジナルは、あの時初号機の元に戻ってきた。操ろうという意識があれば、できないことじゃない」

 

そう言ってのけると、ゼルエルは視線を街へ向けた。

もう初号機を相手にする必要はないと判断したのだろう。

だがシンジたちが起こした次の行動は、ゼルエルの予想の範疇にはなかった。

首を地面に縫いとめている槍に手をかけ、それを抜こうとし始めたのだ。

動けばそれだけ苦痛が広がることを承知の上で、初号機は槍を抜こうとしてもがいている。

 

「まだ・・・諦めないのか」

 

哀れむように言葉を漏らしたゼルエルは、数秒の逡巡の後に槍を更に地面へめり込ませた。

 

「どうして諦めない?立ち上がれたとしても、その傷ではもう勝負にならない。それがわからない君達でもないだろう」

 

必死に槍を抜こうともがくだけで、シンジたちは答えない。

痛々しい光景に言葉を失っていた発令所は、唐突に復活した初号機のエントリープラグ内部の映像にさらに息を呑んだ。

シンジはレバーを握ってはいなかった。

替わりに何かを両腕でしっかと抱きしめていた。

 

「ゆ・・・いな・・・?」

 

エントリープラグの中にあるべきであるはずの少女の姿は無かった。

リツコは喉が締め付けられるのを感じながら、シンジの抱きしめているものを注視した。

プラグスーツ。

抜け殻になったプラグスーツを、シンジは今にも泣き出してしまいそうに顔をくしゃくしゃにしながら抱きしめていた。

泣き出しそうなのが痛みのためなのか、別の理由なのかはわからない。

いち早く我に返ったマヤは初号機のデータをチェックし、短く声をあげた。

姿が見えないという事実に反して、エントリープラグ内の質量は出撃時と一切変化が生じていない。

少なくともリツコと智春は、その理由を瞬時に悟った。

こうなることを覚悟していた、と言っていい。

 

「・・・崩壊した・・・のね・・・」

「崩壊って・・・リツコ、どういうことなの!?」

「あの子の体は少し前から固体生命の形を維持できなくなっていたのよ・・・それがこの世界の影響か、それともこれまでの戦いのためかはわからないけれど」

 

ミサトは掴みかかりそうになって直前で踏みとどまった。

もしリツコがまだ科学者の顔で淡々としていたら、思い切り張り飛ばしているところだったが、今の彼女はそうではないと思い出したからだ。

歯を食いしばり、辛さと悔しさに耐えているのだ。

言葉を飲み込んだミサトの耳に再びシンジの呻き声が届き、今度は止まることなく叫んでいた。

 

「シンジ君!!もういい、もうやめて!この世界のためにあなたがこれ以上苦しむ必要なんて無いわ!」

「・・・み・・・さとさん・・・まで、そんなこと・・・言わないでください・・・よ」

 

手をレバーに置かずに初号機を動かし、喉と槍の間にマゴロク・E・ソード弐式を差し込む。

そして刀の峰に手を当てて、力を込めて押し始めた。

 

「ユイナが・・・初号機が痛みに耐えているんです・・・僕よりもずっと苦しい思いをしているんですよ・・・・・・それに・・・
「今、諦めてしまって・・・何が手に入るっていうんですか?」」

 

重なった声に俯いていたリツコは顔をあげ、モニターを食い入るように見た。

モニターには相変わらず顔を歪め、必死に堪えているシンジの姿だけが映っているだけだ。

もう一つの声の主の姿は、何処にも見当たらない。

当惑するチルドレンと発令所の面々を他所に、シンジの口が次の言葉を紡いだ。

 

「生きていけば、何時か妥協しなければいけないときがあるのはわかっているわ」

 

それは少女の声。

 

「でも、それは今じゃないんだ・・・今は決して妥協しちゃいけない」

 

続いたのは少年の声。

二つの声が交互に、時には交わって、一つの口から紡がれていく。

 

「諦めればきっと失うだけ・・・僕達は失うだけで、何も得られない、守ることも出来ない」

「そう・・・ここで止めてしまったら、アタシたちは何か取り返しのつかない大きなものを失ってしまう気がする、だから!」

「「僕ら(アタシたち)は諦めない!」」

 

パキィン―――

 

刃が大きく弧を描く。

初号機は自らを戒めていた、神を殺した槍を―――

 

「斬った・・・!?」

 

驚愕を露わにしてゼルエルは後退った。

地面から立ち上る陽炎のように、ゆらりと体を起こした初号機は体に突き刺さった槍を一本一本抜き取っていく。

攻撃を仕掛けようと思えば出来たはずだが、ゼルエルはそれを忘れて立ち尽くしてその光景を見つめていた。

どう見ても初号機は立っているのが精一杯の様子である。

なのに、攻撃が出来ない。

手が、足が動かない。

 

「そうまでして諦めないと言うのなら・・・聞かせてよ!君達に世界が救えるのか!?その術があるのか!?あるのならそれを僕に示して見せろよ!!」 

 

ゼルエルの張り上げた声が、エントリープラグと発令所それぞれに響き渡った。

応じる声を待つ静寂が包み込む。

 

「・・・・・・世界を救う、か」

「・・・救う、ね」

 

初号機が体に刺さった槍を抜き、その傷が塞がり始めたせいか、声には幾らか余裕が戻ってきたように感じられた。

モニターの映像の中のシンジの口元もそれを裏付けるように、微かな笑みを形作っている。

 

「何がおかしい!」

 

ゼルエルは息を荒げて、半ば叫ぶように言い放つ。

対するシンジ“たち”は穏やかな調子で返してくる。

 

「僕達に世界を救うことなんて・・・出来ないってことだよ」

「ううん、きっと出来ちゃいけないの。そういう意味では、アタシたちはあなたの望む答えは持っていないわね」

「けど、たかだか一人や二人の力で世界をどうにか出来てしまうなんておかしいよ。出来たとしても、そんな世界はエゴでしかないと僕らは思う」

「世界を変えるのは今その世界に生きているヒトの意思だわ。そしてここには意思がある。未来を紡がんとする、たくさんの意思がある」

「僕達が世界を救うんじゃないさ。このたくさんの思いが、世界を救うんだよ」

「アタシたちの思いも、その中の一つ・・・」

 

初号機は弐式を軽く握り直す仕草をして、前に立つエヴァを見据えた。

刃を構えていないその姿は、無防備と言うよりもその道の達人のような、自然体という表現が良く似合う。

 

「・・・わからない・・・僕にはわからないよ!君達は力を持っているのに、何故救おうとしない!」

「言ったでしょう。あなたの望む答えは持っていないって」

「力があるなら使え!救えるかもしれないものを、君達は見捨てるのか!」

「力があるからこそ、その使い方を良く考えなきゃいけないんだ」

「そんな時間はもう・・・ない!!」

 

ようやく縛を解かれたかのように、ゼルエルは叫びながら初号機に向かって連続して突きを放った。

初号機はそれを必要最低限の動きで回避し、さらに突き出されたロンギヌスの槍を弐式でもってあっさりと切断してみせる。

狼狽して距離を取ろうとするエヴァの足を半ば蹴り飛ばすように払って倒し、更に立ち上がるよりも早くその喉元に切っ先を突きつけた。

僅かな時間の間に立場が180度入れ替わった形になったが、何もシンジたちが急に強くなったというわけではなかった。

ゼルエルが弱くなっただけの話である。

 

「クソォ・・・・・・僕だって諦めるわけにはいかないんだ!たとえ君達の言うことが正しくても、これしか術が無いんだ仕方ないだろう!世界が壊れるのを指をくわえて見ていることなんて、僕には出来ない!」

「もう止めて!」

 

なおも立ち上がろうとしたエヴァは、突然割り込んできた声に押し止められた。

発令所も含めた全ての注目が、声を発した綾波レイに集中する。

そもそも彼女が声を荒げたということ自体が珍しいことである。

 

「そうやって・・・あなたが自分で納得していないことを、どうしてやろうとするの?」

「・・・・・・・・・」

「もうあなた自身が気付いているはずよ。一度揺らいだ決意は容易には元に戻らない。そんな心では何度立ち上がっても・・・勝ち目はないわ」

 

ゼルエルが弱くなったのは決意が揺らいだため。

シンジたちの言葉に、少なからず動揺したためだ。

 

「・・・あなたが作ろうとしている世界を誰が望んでいると思う?」

「・・・それは・・・・・・」

「あなたはそれもわかってる。誰も望んでない・・・そうよね」

 

沈黙は肯定と同義であると、この場の誰もが認めている。

言葉を発せずに押し黙っているゼルエルの姿は、蜻蛉のように酷く儚く頼りない。

 

「そりゃあ世界中を見れば、一部にはそんな世界を望んでる声はあるでしょうけどね・・・でも、あのバカだって否定した世界なのよ。あいつはこんな世界を作ってしまったかもしれない。でも、それは他人を望んだから。今更ぬるま湯みたいな世界を作っても・・・何にもならないわ」

 

アスカが伏し目がちに、だがはっきりとした口調でレイの後を継いだ。

 

「でも・・・でもさ、綾波、アスカ!これしかないんだよ、世界が・・・無くなっちゃうんだよ・・・それより良いじゃないか・・・ぬるま湯みたいな世界でも・・・いいじゃないか・・・」

 

半分涙声になった訴えにも、アスカとレイは寂しそうに微笑しながら、首を横に振った。

 

「違うわ・・・今生きているあたしたちは、今このときにしかいないの。・・・そうね、もしあんたが作ろうとしている世界が、あたしたちの行動の積み重ねの上に出来た世界なら、どんなに救い難い結果になっても、あたしは甘んじて受け入れる覚悟は出来ている。けど・・・」

「あなたがやろうとしているのはその積み重ねを無視した、零からの再構築。そこにいるのは私たちではないわ。そこにいるのは別の私たち。自分が傷つかないため、そして他人を傷つけないために作り上げられた、都合の良い虚像。たとえあなたが新たな世界を構築しても、問題を先送りにするだけで結局また同じような問題が起こるだけではないかしら」

「このまま世界が壊れてしまうのならそれも仕方がないわ・・・そのときはきっとあたしたちの努力が足りなかったんでしょうね」

「でもまだ私たちは生きているもの。碇君たちと同じように、諦めてはいない」

 

再び数秒間の沈黙が―――体感としては恐ろしく長い間であった―――訪れ、やがてゼルエルのエヴァは全身から力を抜いた。

初号機もそれを確かめてから刃を引き、地面に突き立てた。

ついに戦いは終わったのだという、その事実がネルフスタッフの間に広まるのには少々時間を要した。

皆がだんだんと理解の色を示し始め、発令所内の空気が圧し掛かっていた重りを取り除いたように和らいだ。

しかしエヴァ搭乗者だけは異なっていた。

この戦いが終わっても、根本的な状況の解決には至っていないことを知っていたからだ。

そのため自然とその意識は現状を打破することが出来るかもしれない、その鍵となる人物に向けられた。

 

「最後に、一つ答えてくれないかな、マレビトの二人・・・」

「それは僕達に何が出来るのか、何をしようとしているのかってことだね」

 

ゼルエルの問いを当然だ、と“シンジ”はやんわりと微笑みながら頷く。

その仕草は負けを認めたとは言え、ゼルエルはやや苛立ちを覚えて言葉が棘のあるものになった。

 

「早くしないと、世界が壊れてしまう。これからどうするの?それに君達は言ったね、世界を救うことなんて出来ないと。だったらその力で何をするんだい?」

「アタシたちに出来ることは、そうね・・・手を差し伸べること、かしら」

「バラバラになっちゃったパズルを、どうやって組み上げたらいいかわからなくなってしまって途方にくれている人にね」

「周りに誰もいないって思い込んで一人で蹲って泣いている男の子に、そろそろ立ち上がろう、あなたは一人じゃないんだからって声をかけるの」

「でもそれだけ。僕達は手を差し伸べるだけだよ」

「差し伸べた手をとって、立ち上がってくれるかどうかは、アタシたちにはわからないもの」

 

また微笑む。

今度は打って変わって強い決意が滲んだ、思わず怯んでしまいそうな凛とした輝きがあった。

“シンジ”はエントリープラグをハーフイジェクト状態にすると、そのまま外に出て翼を広げた。

見ればその翼は背中ではなく、右手の甲を中心にして広がっていた。

光の翼が生えたその右腕を、“シンジ”は天を仰ぎ見ながら太陽に向かってかざす。

光が膨張して右腕を覆っているプラグスーツが弾け飛び、その下からギョロリと目玉が一つ現れると、発令所に居たゲンドウを始めとした幹部は目を丸くした。

最初の使徒―――アダム。

衝撃のあまり、それが何故シンジの右腕にあるのかという疑問が、彼らの思考に浮かび上がってくるのには時間を要した。

 

一同が食い入るように見つめる中で光は一層強くなり、腕に融合していたアダムもそれに比例して急速に成長していく。

やがてそれはネルフのスタッフであれば、少なからず見知った少女の姿となった。

自身が輝いているかのような白い肌に白い髪。

優しげな光を宿した瞳だけが、以前と同じく茶色に染まっていた。

背には光り輝く白銀の翼を背負い、暖かささえ覚えるような柔らかな光に包まれている。

使徒であるゼルエル、そしてカヲルも、天使と形容したくなってしまいたくなるような神々しくかつ幻想的な姿だった。

ただし、その美しさは人のそれとは異なっているとも思えた。

翼を広げたその姿が、なんとも言えない物悲しさを漂わせていると感じたのは、この先に起こること、それを予期していたがためかもしれない。

淡く光る人影は、ゆっくりと手伸ばして天にかざしているシンジの右手に触れた。

瞬間、光は二人を包み込んで天を貫かんばかりの柱となった。

光はただ白々したものではなく、水が流れるように様々な淡い色合いを次々に滲ませ、それはまるで虹がそびえ立っているかのようだった。

 

 


あとがきのようなもの

 

ちょっとだけ補足で、戦闘機の上に乗るという無茶をしたのは当然ながらサンダルフォンです。

ついでに使徒の数がたりませんが(アダム・リリス・サン・バル・カヲル+ゼルエル他9人+エヴァ奪取時に自爆2人=16人)・・・

あと残り一人についてはサンダルフォンが別の場所で争っていた、ということになっています。

本当はちゃんと本編中で書いていなきゃならないことですけどね、これ(^^;

このへんは今回(WING)の反省点、と。

ユイナだけが体を失ってしまったのは、彼女自身がこの戦いで体を失う覚悟をしたため。

レイやカヲル、バル達は生きていたいと思うからこそ、崩れそうでも崩れない、と。

 

次回はついに最終回・・・となると思います。

もしかしたら、次回+エピローグって形になるかもしれませんが・・・

あと一話となりました「WING OF FORTUNE」、お付き合いしていただけると嬉しいです。

では。

 

感想等お待ちしてますんでこちらか掲示板によろしかったらお願いします。

誤字脱字の指摘もあればお願いいたします。

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