純白のドレス。レースのベール。


プロムローズのブーケ。


そして交わされる誓いの言葉。














THE END OF WANDERING CHAILD 前編














その結婚式が行われたのは西暦2030年の6月某日。

ジューンブライトである。

因みに大安ではなく友引の日であるのは、数人のいまだに独身の参列者に対する思いやり(嫌味)だろう。



式は終わり、すでに披露宴が始まっていた。

今では大半が開放されているジオフロント内の公園での、ガーデンパーティー形式。

すでにエヴァはない、しかしかつてのチルドレンは非公式ではあるが世界を救った英雄である。

シンジとアスカの二人――碇夫妻は各国のVIPとの挨拶に追われていた。



「はぁー」

ロシア大統領との挨拶を済ませて、ようやく一段落したシンジは思わずため息を漏らす。

「どうしたのよ?シンジ」

苦笑をもらすアスカ。

「いい加減になれないの?ちょくちょくある事じゃないの」

「まあ、そうなんだけどね。

だけど、ネルフの研究所で主任をしているアスカと違って、普段の僕はただの中学校の教師だからね。

どうしても何時もとのギャップを感じちゃって」

その言葉にアスカはシンジを軽くにらむ。

「何、言ってるのよ。アタシなんてMAGIとにらめっこの毎日よ?

こうやって、他人と挨拶するのはアンタのほうが慣れてるじゃない。

それに、独学でカウンセリングの資格を取っちゃうような教師はただの教師とは言わないわよ」

そう言って、はじけるような笑みを浮かべた。

かつてとは違う自然体の笑み。

「ほら、胸張りなさい。胸を」

そう言って思い切り背中をたたく。実に痛そうだ。

そんな「いちゃいちゃ」と「どつき漫才」を同時にしている二人に声がかかった。

「アスカ、おめでとう。それに碇君も久しぶりやねえ」

「おめっとさん。それにしてもセンセ、ホンマに久しぶりやなあ」

鈴原トウジと旧姓洞木ヒカリの二人だ。

「ヒカリ、久しぶり。元気だった?」

「やあ、トウジ。相変わらずみたいだね」

どう見ても服に着られているようにしか見えないスーツ姿のトウジは、皿いっぱいの料理を手に持っていた。

「あほ。これは新メニューのヒントを探しとんのや。研究やがな」

すかさずヒカリが突っ込みを入れる。

「どこがやの。さっきから何食べても美味いしか言うてへんやないの」

そんなやり取りにアスカが噴出す。

「ヒカリ、アンタ完全に言葉うつったわねえ」

「しゃあないわ。お客さんは関西の人が多いし、それにいっつも側におるんがこれやろ?

もう七年も経つしなあ」

「そっか、もう七年もたつんだ」

意外と言うべきか、予想通りと言うべきか、中学生の頃の仲間で真っ先に結婚したのはこの二人だった。

二人の仲は、使徒との戦闘で負傷したトウジのリハビリにヒカリが全面的に協力をしたことによって急速に進んだ。

その後、怪我も全快し無事に高校卒業後トウジは料理店で修行、ヒカリは大学に進学した。

その後ヒカリの卒業を待って結婚すると、トウジはネルフの退職金を資金に独立を果たした。

昼間はお好み焼き、夜は鉄板焼きがメインの居酒屋をやっているその店はなかなかに繁盛しているようだ。

「『これ』って何やねん。『これ』って」

モグモグと頬張っていた料理を慌てて飲み込んでからワンテンポ遅れて抗議する。

「何、言うてんねんな。お父ちゃんなんか『これ』で十分やんか」

半ズボンに蝶ネクタイを締めて精一杯おめかしをした男の子が、右手に鳥のもも肉のローストを、左手にジュースのコップを持って駆け寄ってくる。

「こら、シンノスケ。口のまわりベタベタやないの」

そう言ってしゃがみこむと、ヒカリはハンカチで手早く拭いてやる。

クリーム色に黒を配色してある落ち着いた感じのスーツを着こなし、髪をアップにまとめて大人の女性の雰囲気だったのが急に母親そのものの姿になる。

「大きくなったわねえ」

アスカは屈み込むようにして視線を合わせると、その男の子にそう声をかけた。

「あ、アスカさん。えっと、僕、鈴原シンノスケ、六歳。来年から小学生です」

急に自己紹介をはじめたのを見て笑みを浮かべる。

「しっかりしてるわねえ。これは絶対にヒカリ似ね。

そっか、結婚した次の年だったから、もうそんなになるのか。早いわねえ」

「全然しっかりしてへんて。言うことかて、ホンマに聞けへんし。

この子、アスカのファンやから、今日は緊張してるだけやねんて。

あんたも、いつまでもぶつぶつ言うてんやないの」

シンジに、先ほど『これ』扱いされたことに始まり色々と愚痴をこぼしていたトウジがその言葉にビクンと肩を震わせる。

「いや、これは一種のコミュニケーションと言うか、つまりセンセとの交友を深めてた訳でやな」

「何を訳の分からんこと言うてんねんな」

そして再び始まる夫婦漫才もどきのやり取りに、アスカは感心したような、呆れたような様子になる。

「なんだかんだ言っても何時までも仲良いわねえ。中学の頃からの付き合いだってのに」

「何、言うとんねん。お前らかて中学のときから付き合うとったやないか」

ニヤニヤとしたトウジの顔を、アスカはにらみつける。

「アタシ達が付き合いだしたのは高三からよ!」

ヒカリはその言葉に人の悪い笑みを浮かべる。

「確かに付き合いだしたのんは高三からやったわねえ。

確か学校の裏庭にある桜の木の下で、アスカのほうから告白したんやったよね」

とたんに顔を赤くして慌てる二人。

「何でヒカリがそんなこと知ってるのよ」

「そりゃ、みんなで見てたからやないか」

「見てた? ……って、みんな!?」

「せや。ワシ等とケンスケ、それに綾波の奴とな。

いや、ワシは止めてんで。せやけどコイツが気になるて言い出してな」

腕を組んでウンウンと頷いているトウジの横で、今度はヒカリが慌てた様子で言い訳をはじめる。

「確かに気になるて言うたけど、別に「見に行こ」って言うた訳やないんよ。

せや、見に行こうて言い出したの綾波さんやわ。そうやったと思うんやけど……」

そんな二人を見つめながら、アスカはその頃のことを思い出していた。



アタシ達が通っていた第三新東京市立第壱高校には女生徒のあいだで密かに囁かれている伝説があった。

それは裏庭にぽつんと立っている大きな桜の木の下で告白をすると必ず結ばれるというものだ。

名前こそ新しくなっているが、セカンドインパクト前からある高校でその桜の木もその頃からある古木らしい。

眉に唾をつけたくなるような話ではあるが、そう思うとなんとなく信用できそうな気がする。

何より恋する少女はそんなものにもすがり付きたくなるものなのだ。



シンジにはもう返事をもらってあった。

何時までも待っていると。

あとはアタシの気持ちだけだ。

だから何もこんな安っぽい伝説にすがる必要はない。

けれども……

拭えない不安。

高校三年生になったばかりの私たち。

すでにあれから三年以上の年月が過ぎていた。

その間、前半は自分の気持ちに決着をつけるのに時間がかかっていた。

アタシがかつて愛して人はすでにこの世にはいない。

だが、その人のことを過去のこととして納得しようにも、その人はすぐ側にいるのだ。

同じ碇シンジ。だけど違う碇シンジ。

私には彼をどう捉えればいいのか分からなかったのだ。

だがその悩みはシンジの変化によって解決することができた。

シンジは、どんどんあのアタシが愛したシンジのイメージと重なるように成長していったのだ。



後半は、本当にまだアタシのことを待ってくれているのか不安だった。

シンジのチェロは趣味のものとしてはかなりのレベルだ。

「誰も止めろって言わなかったから」

本人はそんなことを言っていたが、地道な努力を続けなければ出せない音だ。

目標さえあればそれに向かって努力のできる人なのだ。

そんなシンジは最近、自ら目標を見つけられるようになった。

それに伴って性格も少しずつ前向きにそして積極的になってきたし、何より良く笑うようになった。

そしてそんなシンジは私の目から見ても魅力的に写るのだ。

中心となって何かをするタイプではないけれど、それでも彼のそばにはいつも誰かが集まるようになっていた。

当然そのなかには女性も多く居た。

ラブレターを手に困った表情をしている姿も何度か見かけていた。

シンジに思いを寄せている娘は多い。

ミツエは家庭的で料理も得意だ。きっとシンジと話も合うだろう。

リホコは本当にやさしくて性格がいい。彼女のことを悪く言う人をアタシは見たことがない。

サトミは大人しい性格で普段はまるで目立たないが、よく見るとはっとするような美人だ。それも儚い感じのする保護欲をそそるタイプの。

そしてアタシの親友で最大のライバルでもあるレイも。

もちろんアタシだって自分に自信を持っている。

だけど皆それぞれチャーミングで、そして何よりアタシなんかよりもずっと女性らしいのだ。

アタシだって自分の容姿にはそれなりの自信はある。

自分の能力にもだ。

特にフェミニズムに興味があるわけではないが、それでも女性は自立しているべきだと思っている。

そして自分にはその能力があると思ってもいる。

だけど男の人はそんな女性を敬遠するのではないかと思うことがある。

もっと守ってあげたくなるような娘が好きなのではないかと思うことがある。

そしてそんなチャーミングな娘がシンジの周りに何人もいるのだ。

シンジはアタシを待っていると言ってくれた。

だけど……

アタシはあと一歩を踏み出せずにいた。



そんなアタシの背中を押してくれたのはレイだった。

そして桜の木の伝説を教えくれたのも。

「アスカ。アスカは私が碇君のことを好きだって知ってるよね?

私、アスカだから。アスカだったからいいと思って諦めたのに。

だって碇君、アスカの事ずっと待っていたんだもん。

だけど、だけどアスカがそうやって何時までもはっきりしなかったら私も先に進めないよ。

アスカ。私も応援するからさ、勇気だそうよ。

碇君、絶対に待っているから。

そうだ、勇気が出るようにアスカにいいこと教えてあげる。

この学校には伝説があってね……」

レイが教えてくれた伝説。学校の裏庭にある桜の木が満開のときに……

満開?

確かにセカンドインパクト前なら満開にもなっていただろう。

しかし日本が常夏になったセカンドインパクト以降、桜の木は花を咲かせることなく一年中葉を茂らせている。

……レイの奴め。

あの時はシンジになんて言うか必死で気付かなかったが、いいかげんなことを教えてくれたものだ。

それはともかく、私はその日の放課後にシンジを例の桜の木の下に連れ出した。

あふれる思い。その一割も言葉にならない。

もどかしさ。

だけど、アタシには確かに伝えたい思いがあるから。

「シンジ、今まで待たせちゃってごめんね。

アタシ、自分の気持ちにやっと決着がついた。

ううん、本当ももっと前に答えは出ていたの。だけど、勇気がなくって。

今でももう一人のシンジのことを思い出すと混乱することはある。

今でも比べることはできない。

だけど、アタシは今のシンジが好きだって胸を張って言えるようになったから。

だから、だから……」

言葉に詰まるアタシをシンジは抱き寄せてくれた。

何時の間にか追い越された身長。

シンジの肩におでこをくっつけるような体勢になる。そして彼はアタシの耳元でそっと囁いた。

「ありがとう。

本当にありがとう。僕を選んでくれて。

本当はずっと怖かったんだ。

僕はこんなにもアスカのことが好きなのに、この思いは一方通行かもしれないって。

もう一人の僕のことを思うアスカにとって、僕はアスカを苦しめるだけの存在なんかじゃないかって。

もう、君が振り向いてくれないかもしれないと言う悪夢にうなされることもないんだね。

アスカ……

もう一度僕の口から言わせてよ。

好きだよ、アスカ」

そして一度抱きしめていた僕の腕を放して見詰め合ったアタシとシンジは、互いの愛情を確かめるようにキスをした。

今までの分を取り戻そうとするかのような、長い長いキスを。



懐かしい思い出は一先ず横に置いておいて、とりあえずアスカは事実確認をすることにした。

「レイには後で問い詰めるとして、相田の奴はどうなの?

あのバカ、写真なんて撮ってなかったでしょうね!?」

アスカの剣幕に慌てながらトウジがフォローを入れる。

「もう、十年以上も前のことやないか。ええ加減、時効やて。もう許したれや」

だが、それは火に油を注ぐだけだった。

「と言うことは写真撮ったのね。あのバカはどこ行ったのよ!」

「アスカ、そんなに怒らなくてもいいじゃないか。ケンスケはああ見えてもその辺の常識はあるよ。

それにケンスケなら式が始まる前に挨拶したじゃない。

今日は式が終わったらすぐにホテルに戻らなきゃいけないからって」

いきり立つアスカを何とか抑えるシンジ。

「何や、センセのとこにも行ってたんか。

またホテルでカンヅメやろ?『売れっ子作家』てのも大変やなあ」

「何が売れっ子作家よ、ホントに起こった事件をちょっと脚色したらたまたま売れちゃっただけじゃない。

二作目以降なんてろくなトリックもない駄作だし」

なおも怒りの収まらないアスカにトウジとヒカリは汗を一筋たらしながら逃亡を図ることにした。

「ほな、ワシらはちょっと他の奴らにも挨拶したいからこれで行くわ。

忙しいのも分かるけど、たまには店の方にも顔出せや」

「それじゃあアスカ、またね。近いうちに電話でもするから」

そしてシンノスケも含めて三人が去った後には、アスカを後ろから抱きかかえるシンジが残された。

「アスカ、恥ずかしいのも分かるけど、許してあげようよ。

僕たちの愛の記録を撮ってもらったと思えばさ。

後でケンスケに頼んでそのときの写真が残ってるか聞いてみようか?

もし残っていたら送ってもらおうよ。そしてこれから生まれてくる子供たちに見せてあげるんだ。

パパとママはこうして付き合い始めたってね。

素敵だと思わないかい?」

「そんな、恥ずかしいわよ」

「どうして? 僕はうれしいよ。

小さい頃はいい思い出なんて何もなかったからね。

だから戦いが終わってからのすばらしい思い出は全部残しておきたいと思うんだ。

それって絶対すばらしいことだと思うよ。何より、僕はアスカと出会えたんだから」

「シンジ……」

何時の間にか二人だけの世界に突入してしまう。

回りの者はそんな二人を遠巻きにするしかなかった。










そんな二人に割って入れるのは数人しかいない。

「ヤッホー、シンちゃんにアスカ。楽しんでるぅー?」

その数少ないうちの二人が、声をかけてきたミサトと加持だ。

シックなアフタヌーンドレス姿のミサトと少しくたびれたダークスーツに何時ものようにネクタイをぶら下げた加持。

一見ミスマッチに見える二人だが、妙にお似合いなのはミサトが手にしている大ジョッキのせいかもしれない。

それはともかく、結婚式にミサトとくれば話題は一つである。

「ミサト。アンタ、とうとう結婚しなかったわね」

「なに、言ってるのよ。あたしはまだ諦めてないわよ」

「諦めてないって……ミサト、もう45でしょ?」

「まだ44よ!」というミサトの叫びは無視される。

「加地さんも加持さんですよ。ミサトもこう言ってるんだから早いこと貰ってやってよ」

加地が肩をすくめる。

「アスカ、そうは言うけどなあ……

こいつと一緒になるってのはかなりの勇気が必要だとは思わんか?」

その言葉に思わず頷く二人。

「あ、あんたらねぇー」

ミサトが肩を怒らせる。

「だいたいね、こんなヤドロクと結婚なんかしてみなさい、絶対に不幸になるだけよ?

いい歳してこの間もお店に来た女子高生を口説いてたんだから」

「女子高生って、おまえ、あれのどこが口説いてるんだよ。

ただのセールストークだよ」

「どうだか」



姿を消した後、潜入先の戦自で親ネルフ派を増やす工作をしていた加持はその後スパイ業から完全に足を洗った。

ミサトもまたネルフが研究機関に移行し作戦部が廃止されたのを機に退職した。

そんな二人が共同経営という形で花屋をはじめた時には、誰もが程なく結婚までこぎつけるだろうと思っていた。

しかし十五年経った今も二人の関係はあの頃と変わっていない。

その花屋のほうは美人で気風の良いミサトと妙に女性客に受けのいい加持と固定客もついて経営は順調のようだった。

もっともスイカの苗の売れ行きは芳しくないようだが。

そんな二人は花屋のほかにもうひとつ別の肩書きを持っている。

あるいはこちらのほうが名前を知られているかもしれない。

それは以前ちょっとした事件に巻き込まれたときのことだ。

泣く子も黙る元作戦部長と元腕利き工作員のハードボイルド男はその事件を色々ありつつも見事に解決した。

さらに、たまたまその事件の詳細を知ったケンスケが小説に仕立てるとそれが思わぬベストセラーになってしまったのだ。

それ以来『花屋探偵』として有名になり、ちょくちょく依頼が舞い込むようになったらしい。

ちなみにベストセラー作家となったケンスケは今日も締め切りに終われてカンヅメだ。



そして二人は今日もあの頃と同じようにやりあっている。

そんな様子の二人に笑みを浮かべたシンジが、逆になぜ後一歩を踏み出さないのかと考えてしまう。

別に結婚だけが幸せの形だと言うつもりはシンジにはまったくない。

しかしともに世話になった二人には幸せになってもらいと思っている。

そして二人はいっしょにいる姿がとても自然なのだ。

「あの、ミサトさん……」

そう言いかけたシンジの表情になにを見たのか、ミサトはシンジの言葉を制すると真剣な表情になった。

「自分のことは自分でよく分かっているつもりよ。

あたしは家のことなんて何もできないでしょ? 結婚には向いていないわ」

その言葉を受けて加持もうなづく。

「俺もひとつのところでじっとしてられるタイプじゃないからな。

一緒になった相手を不幸にしちまうだけさ。そういう男なんだ」

「そんな二人だからね、今の関係が一番いいのよ。

まあ、子供でもできたらまた違っていたんでしょうけど。

ほら、あたし、セカンドインパクトのときの怪我の影響でできないしさ」

そう言ってミサトが浮かべた笑みいは、シンジの目には寂しげなものに写った。

「そんな、でも……」

悲しげなシンジの声に加持は笑顔で答えた。

「俺もな、一年間おとなしく花屋を続けられたらプロポーズでもしようかと思ってたんだ。

だけど結局、副業の探偵業のほうに精を出してる。

……シンジ君、そんな顔するなよ。

俺たちは納得して今の関係を選んだんだ」

未だ表情の晴れないシンジに苦笑した加持は、さらに言葉を続けた。

「十五年前の戦いのさなか、……いや、本当はそのさらに八年前に話すつもりだったんだけどな。

そのときにミサトに『ずっと一緒にいよう』って伝えたんだ」

「じゃあ、どうして」

「別に夫婦でも構わないけど違っても良いんだ。

恋人でもいいし友人でもいい。それこそ仇同士でもいいと思ってる。

あるいは側にいなくても構わない。

たとえ俺たちがどんな関係でも、遠く離れていたとしても、常に互いの事を意識して思ってる。

そんな関係で居たいなって。

たとえ別の人生を歩んでも俺らはいつも一緒だってな。

……あー、恥ずかしいこと言ってるな。

つまり、そういうことだ。

別に結婚と言う形にこだわる気はないし、今の関係がお互いにとって一番いいと思うからな」

そう言った加持の笑みは、一点の曇りもなかった。

「そうねえ、二人とも年取ってさ、茶飲み友達がほしくなったら結婚してもいいかもね」

そう言ったミサトの笑みにもまったく迷いは見られなかった。

その笑顔を見るとシンジも二人の選択は間違っていなかったのだと思えた。



「まあ、あたし達もこんなだけどあなた達も意外と結婚遅かったわねえ。

下手したらシンちゃんが十八になったら、直ぐにでもしちゃうんじゃないかって思ってたのに」

暗くなった場を盛り上げるかのようにミサトが明るい声をあげる。

アスカはそのミサトの言葉に大きく頷いた。

「そうなのよ。アタシは高校卒業してすぐでも良かったのにさあ」

ジト目でシンジをにらみつける。

「うんうん。何の相談もなく京都の大学にいくことを決めちゃうんだもの、ひどいわよねえ。

アスカもせっかく同じキャンパスに通おうと第二東京大学の大学院に進学を決めてたのにねえ」

ミサトも加勢する。

「あはははは……」

シンジは汗をかきながら後頭部を掻くことしかできない。

そこに加持がフォローを入れる。

「何か理由でもあったのかな?」

「あ、はい。

僕もあのままいけばいずれは結婚するんだろうなって思っていたんですよ。

でも、そのことがふと怖くなったんです。それで少し距離をとって考えてみたいと思って。

……もしかしたら、ただ逃げ出したかっただけなのかもしれませんけど」

そう言って少し自嘲的な笑みを浮かべた。

「なるほど、シンちゃんはマリッジブルーだったのね」

ウンウンと頷きながらのミサトの言葉にみんなこける。

「ミサト。お前、マリッジブルーってのは花嫁がなるもんだろ?」

加持の突込みにも平然と切り返す。

「でもさ、シンちゃんなら有り得ると思わない?

少なくてもさ、あたしやアスカよりはよっぽど似合うと思うけど」

思わず納得する加持とアスカ。

「ミサトさん、勘弁してくださいよ」

シンジはちょっと涙目になりかけていた。

「でもさ、何でアタシに相談してくれなかったのよ」

恨めしげなアスカの声に、シンジは困ったような声で答える。

「うん、アスカに関係することだったからね。

何より自分で解決したいと思ったから」

「いったい、何を悩んでいたってのよ」

問い詰めるアスカに苦笑するシンジ。

「アスカ、怒らないでよ。

あのね、もしアスカを失うようなことがあったら僕はどうするだろうって、そう思ったんだ」

「何でそんなこと考えるのよ」

「だから怒らないでって。「もし」、仮の話だよ。

もしね、もし失うようなことがあったら、僕はどんなことをしてもアスカにもう一度会おうとするんじゃないかって。

何を犠牲しにしても会おうとするんじゃないかって。

そして、それは父さんがしたことと同じじゃないかって、そう思ったんだ」

ふうと一つ息を吐いて、シンジは京都に居た時の事を思い出していた。

まだ先生のところにいた頃のように何時もどこかくらい表情をしていた時のことを。



「おーい、碇。これから飲みに行くからついて来い」

斎藤先輩にそう声を掛けられたのは、サークルの練習が終わってこれから帰ろうとしていた時だった。

(やっぱり僕は逃げているだけかもしれない)

そんなことを思いながらアスカを残して京都の大学に進学してから、何時の間にか一年以上の時が過ぎていた。

大学では気楽に参加できる音楽系のサークルがそれだけだったこともあり、僕はジャズ研究会に加入していた。

ウッドベースのほうはまだまだだけど、この前のライブでは先輩がチェロ用に編曲した「Fly me to the moon」をレギュラーのカルテットに混ざってプレイした。

ものすごく緊張したけどだんだんと音に身を任せることを覚え、演奏に没頭していった。

その時のことがどうもそれなりに話題になっているようで、このところどうにも居心地の悪い日々を送っている。

「お前が来るのと来ないのじゃ女の来る人数が変わってくるからな。

まったく、一曲だけのゲストの癖に美味しいところ持っていきやがって。

絶対、来いよ。先輩命令だからな」

ジャズ研究会の会長でレギュラーカルテットでドラムを叩いている斎藤ヒトシ先輩はそう念を押してにやりと笑った。



その飲み会はジャズ研究会と何かと仲の良いダンス同好会との合同で、何時もの居酒屋で行われた。

男女の比率は六対四ぐらいだろうか。

僕は何時ものようにテーブルの片隅で、話し掛けてくる女の子に適当に返事をしながら一人で杯を重ねていた。

「碇、お前相変わらず暗い顔してやがるな。

せっかくそんなのが格好良いとか勘違いした女どもが寄って来るんだから、適当なの見繕って食べちゃいな。

そうすりゃ、その辛気臭い顔もちっとはマシになるだろ?」

女性が聞いたら怒りそうなことを言いながら、斎藤先輩が隣にやってきた。

幹事を任されることが多い癖に実は下戸の斎藤先輩はシャーベットを手にしていた。

「勘弁してくださいよ」

「何、言ってやがるんだ。いいか? コツはだな、うんと我が儘なのを選ぶことだ。

何を思いつめてるのかは知らんが、女の子に振り回されていれば嫌なこともすぐに忘れられるさ」

「そんな……

それにぴったりの女の子は今は第二東京大学にいってるはずですよ」

僕の言葉に斎藤先輩は心底驚いた顔をした。

「何だ、彼女持ちか。

それだったら少々離れていても、もうちょっと嬉しそうな顔をしろよ」

少しわざとらしく笑うその先輩の姿にどこか加持さんに似たものを感じた僕は、不意に相談してみようかと思った。

「先輩。先輩は大切な人を失った時のことを考えると怖くなりませんか?」

そのときの自分がどんな顔をしていたのかは分からない。

だが、ひどい顔をしていたことは確かだろう。

斎藤先輩は少し驚いた顔になってから無理やり笑みを浮かべた。

「それは、このあいだ彼女と別れた俺に対するいやみか?」

僕は黙って顔を横に振る。

「まあ、何か理由がありそうだけどな。

だけどそんなことを考えるのは今を大切にしていないからじゃないのか?

俺だって彼女と別れ時は苦しかったさ。それからの一週間はひたすら悲しかったさ。

でも何時までもそれにしがみ付いてちゃいけないんだ。

そいつと付き合っていた頃の俺は過去の俺なんだ。

別に無理に忘れる必要はないさ。だけど、こだわる必要もない。

苦しんでいる自分を受け入れて、そこから一歩を踏み出すのさ。

俺はそうやって夢に向かって現実(いま)を突き進んでいるぜ?」

先輩は何時の間にか手に持っていたビールを一口飲んだ。

お酒に弱い先輩の顔はリトマス試験紙のように見る見る赤く染まっていった。

「それにしてもケイコの奴め。

いくら来年から食うにも困ることが確定だからって一方的に別れること無いよなあ……

女ってのは夢を食って生きてはいけない生き物なんだってことがよく分かったよ」

「食うに困るって、それじゃああの噂は本当だったんですか?」

「ああ、大学に入ってからはじめた俺のドラムでどこまでやれるかは分からんけどな。

だけどやれるとこまでやって挑戦したいと思ってる」

はっきりとは知らないが先輩は一度有名企業の内定をもらったと聞いている。

それを蹴ってまでプロに挑戦すると言うのだから、よっぽどの決心だろう。

そして先輩の身にそれだけの決心をさせるだけの何かがあったのだ。

「その、プロってどういうものか僕にはよく分からないですけど、先輩、頑張ってください」

僕にはただそう言うことしかできなかった。

「ああ、これがケイコと別れてまでもやりたかったことだからな。

俺が今、すべてを掛けているものだからな……」

僕の言葉に先輩はすでに真っ赤になっている顔を大きく振りながらそう答えた。

そのまましばらくごにょごにょと何かを言っていた先輩は、テーブルに突っ伏して寝てしまった。



正直、その言葉とは裏腹に先輩は未だに分かれた彼女のことを引きずっているように思えた。

だけど、たとえ最愛の人を失ったとしてもそのことにしがみ付いていてはいけない。

悲しんでいる現実を受け入れ、そこから先に進まなければいけない。

その先輩の言葉には、答えを出す大きなヒントがあるように思えた。



「それで、結局結論は出たの?」

アスカの声に昔のことを思い出していたシンジは我に帰った。

「どうだろうね? 出たような、出てないような」

「なによ、それ」

呆れた様子のアスカ。

「こうしてアスカと一緒にいるんだから、今はそんなに気にしてないってことだよ。

先のことよりも今を大切に生きることが大切だからね」

「そうね。今、こうしてアタシ達は幸せいっぱいなんだものね」

再びラブラブモードに入りかけるのを見て、ミサトは慌てて声をかけた。

「はいはい。あんたらは一生やってなさい。

私たちは冬月先生のところに挨拶してくるわ。シンちゃん、何か伝言ある?」

冬月はその後ネルフを退職し、大学教授に復職していた。そしてシンジの大学時代の恩師でもある。

「あ、先生には先に挨拶をして来ました。色々とお世話になってますから」

「そう。それじゃあ、あたし等は行くから好きなだけいちゃついてなさい」

ミサトたちが立ち去った後、ようやく訪れた二人だけの時間。

見詰め合う二人。近付く唇。

そして……

とりあえず周りの人たちは見て見ぬ振りをしましたとさ。





つづく











後書き

どーも、林原兼実です。
ええと、伝説の桜の木が出てきます。
委員長は関西弁を喋ります。眼鏡をかけているかどうかはあえて描写しませんでしたが、かけていたんでしょうか?
……すんません。ちょっと、やりすぎましたでしょうか。




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