L.C.L.満水。起動スタート。神経接続開始。
圧着ロック解除。シンクロスタート……
エヴァンゲリオン弐号機、起動。
WANDERING CHILD 第六話
「って、あれ?日本語?」
シンジは思わず声をあげる。
前回は思考形態をドイツ語にしてシンクロしたため、日本語しかしゃべれないシンジの思考ノイズによってバグが発生したのだ。
「何、言ってんのよ。アンタ、バカ!?」
アスカはじろりとシンジをにらむ。
「いや、アスカはずっとドイツで暮らしていたから、その、ドイツ語でシンクロしていたら大変だなって。
ほら、僕、日本語しか出来ないし、だから、いや、あの……」
思わずしどろもどろになるシンジ。
「アンタが日本語しか出来ないことぐらい知ってるわよ。
それに、ミサトは日本語で指揮するのよ?
アタシだけドイツ語で考えてたら、どうしても日本語が混じっちゃってバグが発生しやすいのよ。
何のために日本語マスターしたと思ってんのよ」
アスカの視線が「ジロリ」から「ギロリ」に変わる。
「あっ、えーと、そうだね、うん」
滝のような汗はL.C.L.に溶け込んで確認できないのがせめてもの救いだろう。
空母にある船室で、椅子の背を前にしてに男は腰をかけている。
側にはトランクが置いてある。
特殊な加工が施されたそのごつい外見からそれが耐核仕様であることがわかる。
個性派俳優。男を見ていると、そんな言葉が浮かんでくる。
決して二枚目ではない、しかし主役を食ってしまうそんなある種の存在感。
その男は印象的な、そしてどこかわざとらしさを感じさせる笑顔を浮かべて電話をかける。
「こんなところで使徒襲来とは、ちょっと話が違いませんか?碇司令」
『そのための弐号機だ、予備のパイロットも追加してある』
そのとき激しい振動と共に爆発音が聞こえてきた。
『最悪の場合、君だけでも脱出したまえ』
男は自らの任務の重要性を再確認するように真顔になる。
「……分かっています」
電話を切ると、トランクを大事そうに持ち表情を引き締める。
「行くか」
男――加持は部屋を出た。
『オセローより入電。エヴァ弐号機、起動中』
「ナイス!アスカ!」
一気に元気の出るミサト。
「何だと!」
対照的に報告を聞いた艦長の表情が険しくなる。
タイミングが悪かった。
通常兵器による攻撃では一向に効果が上がらなかったために、遅まきながら指揮権を譲渡しようかと考えていたのだったのだ。
その矢先の無断での起動に、再びネルフに対する日頃の恨みを思い出す。
改造タンカー『オセロー』の上に弐号機がその目の覚めるような真っ赤な機体を青空にさらしていた。
機体の上に被せてあったシートをそのままに立ち上がったために、まるでマントを羽織っているように見える。
風にはためくシートは白、真紅の機体と蒼い空、蒼い海。
そのあまりに鮮烈な色の対比ゆえだろうか?
これから使徒に戦いを挑むというのに、その姿には荒々しさはまったく感じられ無かった。
いや、むしろその姿は優美さと気品に満ちた美しさを感じさせるものだった。
それはまさに神話に登場する戦乙女のようではないか。
そしてまた、それは極限まで鍛えられたがゆえに、気品と美しさをも併せ持ってしまった日本刀にも例えられるだろう。
「いかん!起動中止だ。もとに戻せ」
声を荒げる艦長。
「かまわないわ、アスカ。発進して」
艦長を押しのけるようにして指示を出すミサト。
その態度に、艦長はますます怒りのボルテージを上げる。
「何だと!エヴァ及びそのパイロットは我々の管轄下だ。
勝手な許さん!」
「何言ってんのよ。こんなときに段取りなんて関係ないでしょ」
ミサトもまた、これまでの艦長の態度が思い出されてくるのか怒りの声をあげる。
そんななか副長が一人冷静に指摘する。
「しかし、本気ですか?弐号機はB装備のままです」
『海に落ちたらそれまでだよ』
そのときシンジの冷静な声がスピーカーから聞こえてくる。
『落ちなきゃいいのよ』
アスカの声も落ち着いているも、若干好戦的な響きを含んでいる。
しかし初の実戦だからだろう、少し緊張しているようにも感じられる。
「シンジ君も乗ってるの?」
ミサトが驚いたように声をあげる。
『えーと、成り行きで……』
とたんにシンジの声が頼りなげなものに変わる。
『何言ってんのよ、アンタは』
アスカの声からも変な緊張感が抜ける。
逆にミサトが何かを考える顔になった。
「試せるか」
そして、マイクがひろわない程度の小さな声でつぶやく。
「アスカ、出して!」
結局、艦長から完全にマイクを奪ったミサトが指示を出した。
「行きます」
アスカは確認するように低い声で復唱する。
「アスカ、もしかして飛び移る気?」
訊ねるシンジ。
「あったりまえでしょ。他にどうやって海に落ちずに電源ソケットのある空母まで行くのよ?」
さも当然という様子のアスカ。
「A.T.フィールドはどの程度扱える?」
「何よ!!」
シンジの言葉はアスカの癇に障った。
シンクロ率はともかく、操縦技術に関しては自分のほうが上だという自負とプライドがある。
が、A.T.フィールドに関してはシンジに一日の長がある事を思い出す。
「いや、空中にA.T.フィールドを展開して、それを足場に……
あー!使徒がこっちに向かって来る。時間も一分無い。
アスカの思うようにやって!」
艦隊にできるだけ被害が出ないようにと作戦を考えていたシンジだが、あえなく断念する。
「行くわよ!ミサト、甲板に非常用の外部電源を用意して」
『OK』
スピーカーのむこうで、ミサトが何か指示している声が聞こえる。
アスカは正直驚いていた。
シンジが第三使徒と戦った第一次直上会戦から遅れること一週間。
A.T.フィールド展開時のフィーリング等、シンジの証言や詳細なデータをもとにした、A.T.フィールド展開実験をアスカは成功させていた。
アスカはそれを一種のバリアのようなものだと考えていたし、それが常識だった。
しかし、シンジが伝えようとした作戦はそれまでの常識を打ち破るものだった。
機体から離れた場所に展開する、ましてそれを足場にするとは。
理論的には……アスカですらA.T.フィールドに関する詳しい理論は知らない。
それだけ機密度の高いものなのだろう。
またアスカ自身はともかく、シンジがその理論を聞いていたとして理解できるとは思えなかった。
ただの中学二年生に理解できるはずがない。
おそらく感覚的なものなのだろう。アスカは思う。
それにしてもなんと大胆な発想だろうか。
アスカはシンジに、ミサトに感じたのと同じモノを感じた。
アスカがミサトに対して一定の敬意を払うのは何も階級が上だからではない、ある種の天才的な発想の転換とひらめきを持っているからだ。
自分は天才だという自負がアスカにはある。
その一方で、どちらかというと柔軟さに欠ける秀才型だという自覚もあった。
だからかもしれない。
シンジに対して最高のライバルとしてある種の憧れと敬意を持ちこそすれ、反感を感じないのは。
弐号機は跳ぶ。
途中、マントのように羽織っていたシートを海中に投げ捨てる。
激しくゆれる船の上で巧みにバランスをとると、全身を使って強引にゆれを押さえ込んで次の船に跳び移る。
やがて(その華麗さとは裏腹に多大な被害を与えながら)弐号機は、旗艦の空母『オーバー・ザ・レインボー』にたどり着いた。
着艦時の衝撃で飛行甲板の上の航空機が次々と海中に没していく。
「時間が無い!」
上体を低くして強引にゆれを押さえると、電源ソケットを装着する。
「すごい」
前回は早々に目をまわしてしまったが、今回は肌で感じることが出来た。
天才。
アスカがそう呼ばれるだけのものを感じた。
不安定な足場で、しかもわずかなタイミングのずれも許されない状況での完璧な操縦。
シンジは改めて。いや、もしかしたら初めてアスカのすごさを実感していた。
「でも、武装がないよ」
シンジは注意を促す。
「ふん!プログナイフで十分よ」
しかし逆に焚きつける事になった。
「来た」
アスカの声とともに、数分で太平洋艦隊を壊滅に追いやった第6使徒『ガギエル』がその姿をあらわした。
その魚とも、鯨ともつかないその姿をなんと表現すればいいのだろうか。
それはとてつもなく大きかった。いや巨きいと表現すべきだろうか。
その全長は、330メートルを誇る巨大空母『オーバー・ザ・レインボー』をゆうに超える。
「……っ!!」
アスカは無言の気合とともに上体を低くしながら、プログブナイフを上に突き出す。
狙いたがわず、使徒は自らの重さでその腹を割かれながら海中に没する。
当然プログブナイフには猛烈な過重がかかり、空母が横転しかねない勢いで揺れる。
弐号機は、それを体重移動だけで押さえ込んだ。
「僕にはとても出来ない」
シンジはやはり感嘆の声をあげることしか出来なかった。
それは手漕ぎボートの上で、池の中から襲ってくる体長十メートル近い怪物と戦うようなものだ。
それもシンクロ率70%強、風邪を引いた重い体で。
二度目の攻撃も、アスカは難なくさばくことに成功した。
しかし、致命傷に程遠いこともまた事実だった。
「ちょっと!使徒の弱点、確か『コア』だっけ?何処にも見当たらないわよ!」
アスカが少し焦った声でシンジに聞く。
「たぶん、体の中だと思う。第5使徒もそうだったし」
口の中にある。その言葉を飲み込んでからシンジが答える。
「ふーん。だとするとやっかいね」
アスカは考える目になる。そのとき三度目の攻撃が仕掛けられた。
「今度は低い!」
とっさにジャンプしてやり過ごそうとする。が、使徒のほうが一瞬早かった。
「キャー!」
何とか空中で体をひねって使徒の攻撃をかわすが、そこには足場となる船は無かった。
「落ちたじゃないか!どうするんだね!?」
いろいろ皮肉を言っていた艦長だが、やはり子供たちが心配なのか少しうろたえた声を出す。
その皮肉も、子供ではなく自分たち大人の手で何とかしたいという思いからだったのかも知れない。
逆にミサトはエヴァをそしてシンジとアスカの力を知っていたし、信頼もしていた。
「何とかなります」
力強く言い切ると、少しでも援護できるように情報の収集に努める。
そのとき空母のリフトから、戦闘機がせり上がってくる。
ブリッジから戦闘の様子を撮影していたケンスケが叫ぶ。
「うおぉー!Yak-38(改)!!」
その戦闘機から、聞き慣れた声が聞こえてきた。
『おーい、葛城ぃー』
「かっ、加持ぃー」
思わず期待のこもった声をあげるミサトの顔が、ほころんでいるのは気のせいでは無いだろう。
しかし加持のセリフには続きがあった。
『届け物があるんで、俺、先行くわぁー。じゃあ、よろしくぅー!葛城一尉ぃー!!』
そのまま、雲のかなたに消えて行く。
口をあんぐり開けたまま、固まるミサト。
「に、逃げよった」
トウジの呆然とした声で我に返るまで、ミサトの思考は停止したままだった。
そのころ弐号機は海中を漂っていた。
使徒の姿は見当たらない。
海面に叩きつけられた衝撃だろうか?
アスカは一瞬気を失っていたようだが、やがて気がつくと第一声を発した。
「何やってんのよ!この変態!」
シンジはとっさに弐号機とシンクロしようとして、操縦桿を握っていた。
そのため、ちょうどアスカの腰の辺りに胸をピッタリあわせる形になっている。
「いつまでくっついてるのよ!早く離しなさいよ!!」
アスカが顔を真っ赤にして叫ぶ。
しかし、シンジの答えはそれを否定するものだった。
「ダメだよ」
「なんで!」
間髪をいれずにアスカが叫ぶ。
恥ずかしさからだろうか?わずかに頬を染めながらも声に刺がある。
「海に落ちる直前にシンクロして、弐号機のまわりに薄いA.T.フィールドを展開した。
今どいたらB装備の弐号機は動かなくなってしまう。
それに、A.T.フィールドは僕のほうが扱いなれている。
このまま僕がA.T.フィールドを、アスカが操縦を担当。いいかい?」
アスカはしばらく考えるそぶりを見せる。
「……分かったわ。但し、変なこと考えるんじゃないわよ」
「へっ!?」
アスカの言葉に一瞬考え込んだシンジは、ここにいたってようやく自分の体勢に思い当たる。
「あ、あ、あ、あの、その、そんな、いや、えっと……」
とたんに顔を真っ赤に染める。
その様子を見て、アスカは逆に落ち着いたようだ。
「なに言ってんのよ、アンタは?
そんなことより、ちゃんと展開しててよ!ったく」
今にもクスクス笑い出しそうな雰囲気になる。
「そうだね。来るよ!」
やがて、使徒が再び近付いてくるとシンジも落ち着きを取り戻す。
使徒はその巨大な口を開けて弐号機に襲い掛かった。
「ミサト!ケーブルを引っ張って!」
アスカの声にミサトはすぐに反応する。
ケーブルが巻き取られ、攻撃の軸線上からそれる。
使徒は体をひねって何とか弐号機に噛付こうとするが、プログブナイフで牽制してやり過ごす。
「ミサト!口の中にコアを見つけたわ。何か武器になるものはない?」
ミサトの考え込む様子が伝わる。
『水中での爆発の威力は空気中とは、比べ物にならないわ。
アスカも知ってるでしょ?
使徒のA.T.フィールドを中和しなきゃならないから、A.T.フィールドは当てにならないし……。
そうね、生き残った戦艦を自沈させて零距離射撃なんてどう?』
ミサトの言葉に艦長が何か叫んでいるのが聞こえてくる。
そんななか、シンジは自分の作戦を伝えることにする。
「あの、ミサトさん」
『なに?シンちゃん』
「あれぐらいのA.T.フィールドなら、
中和用に展開したフィールドの内側に防御用の強力なものを展開できます」
シンジの言葉にミサトが飛びつく。
『ほんと!シンちゃん!』
「ええ、たぶん」
『たぶん?』
「いえ、絶対」
『よし、のった』
「えっ、ミサト。のったって?」
アスカの声にあきれの成分が混じる。
『つぎに使徒が攻撃を仕掛けてきたら、使徒に向かって全力で泳いで体内に侵入。
同時に外部電源をパージ。
シンジ君が二重のA.T.フィールドを展開すると同時に敵コアにプログブナイフで攻撃。
いいわね?』
「了解!」
使徒が再び攻撃を仕掛けてくる。
弐号機はその大きな口に向かって全速力で泳ぎ、ぎりぎりのタイミングでケーブルをイジェクトする。
使徒が口を閉じようとするが、何とか滑り込む。
「シンジ、やって!」
神経を集中する。展開されるA.T.フィールド。
「よし!」
シンジの声とともに、コアにプログブナイフを突き立てられる。
そして……。
「ドォォォォォン」
爆発音とともに、巨大な水柱があがる。
その爆発によって空中に打ち上げられた弐号機が、海面めがけて降ってくる。
「アスカ、足場を作るから空母めがけて蹴って!!」
シンジの声に、アスカは一瞬どういうことかと考えあぐねる。
そのとき水しぶきをさえぎって、うっすらと赤く光る正八角形の壁を見つける。
(A.T.フィールド!)
頭より先に体が反応していた。
完璧に方向を修正した弐号機は、無事に空母に着艦する。
と同時に内部電源が底を付き、頭から倒れこむように崩れ落ちた。
(そうか、今のがシンジが言いかけてた作戦なんだ。
今のアタシにはとても出来ない。悔しいけど……やるじゃない)
青い空のもと、空母の飛行甲板の上。
鮮やかな赤色のスーツを着た少年と少女が向かい合っていた。
「結構やるじゃない
とりあえず、エースの座はアンタに預けといてあげるわ。
ま、そのうちアタシが奪い取ってあげるけどね」
そう言うとアスカは右手を差し出した。
「そんな、エースだなんて。
アスカこそ本当にすごかったよ」
そう言うとシンジも右手を差し出した。
午後の日差しが、アスカの紅茶色の――赤みがかった金色の髪をきらきらと輝かせていた。
そして、シンジの漆黒の瞳は静かにその輝きを受け止めていた。
つづく
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