その宴会は、最初から波乱含みだった。


何しろ、うかれたミサトがカレーを炊いて出迎えたのだから。


アスカが密かに持ち込んだワインをシンジが飲んだとき、


それは決定的なものになった。














WANDERING CHILD 第八話














「おー!葛城の家が片付いてるってのは、どういうことだ?」

部屋に入ると開口一番、素っ頓狂な声を上げたのは加持だった。

「ナニよ!」

ミサトの視線が厳しくなる。

もっとも罰として、ミサト特製のカレーを食べさせてもらえなかったのだから確信犯かもしれない。

「あ、カレーだけだとアレですんで、僕、なんか作ってきます。

どうぞ、先にはじめておいて下さい」

いきなり脱出を図るシンジ。

いいのか?アスカを護らなくて……

それはともかくキッチンで手早く、しかし早くなり過ぎないように注意しながら調理を始めたシンジの耳に、リビングの様子が伝わってくる。

「ちょ、ちょっと私はいいわよ」と、必死なリツコの声。

「私の分はここに入れて」というミサトの声の後に「スープと、お湯を……」とうんちくが聞こえる。

アスカの悲鳴と、ペンペンが倒れる音。

加持が、レイに必死に呼びかける声が聞こえてくる。

……そして、無気味な静けさが訪た。

シンジが頃合いを見計らってリビングに戻ると、そこにはまさに阿鼻叫喚の図が繰り広げられていた。

作者の精神衛生のために詳しい描写は控えるが、お寺などにある地獄絵図そのものだと思ってもらいただければ問題ない。

「えっと、あの、食べます?」

後ろめたさから遠慮がちにかけたシンジの言葉に変に、ぎこちない動きのアスカと、ようやく異次元との交信を終えたレイが飛びつく。

一口食べると、急に顔色が良くなる。

どうやら、おいしい料理が最高の解毒剤らしい。

人間の適応能力とは恐ろしいものだ、ミサトの料理にもある程度はなれるらしい。

リツコは少し顔が青ざめているだけだし、加持に至っては平然としている。

何はともあれ、シンジの料理をつつきながら宴会が始まった。



「それにしてもミサト、学生のころより破壊力が増しているんじゃないかしら?」

気を取り直したリツコが、改めてミサトを攻撃する。

「ちょっと、リツコ!思い出しちゃったじゃないの」

思い出しただけで気分が悪くなったのか、アスカが青い顔に戻る。

レイのほうを見ると、同じく青い顔でコクコクうなずいている。

「ネルフの警報機壊れてるんじゃないでしょうね。

絶対に『パターン青』が検出されてるはずだわ」

「どちらかというと、『パターン青汁』ね」

「なにそれ?」

「それはともかく、市販のルーを使っているはずなのよ。

何か特殊な化学反応でも起こっているんじゃないでしょうね?」

リツコの瞳がマッドに光る。

「シンジ、日本のカレーってああいうモノなの?」

アスカが真顔で尋ねる。

「ちがうよ、今度僕が作るからそのときは食べに来なよ」

「そうね、そうさせてもらうわ」

そんな四面楚歌な状況でも、作戦部長葛城ミサトは反撃のタイミングを計っていた。

「なによ、リツコだってろくに料理できないじゃない」

「あら?私は彼方と違って、異次元の味を再現したりはしないわよ」

「異次元の味って、あのね」

やぶへびのミサト。

「それに、この部屋だってどうせシンジ君が掃除しているんでしょ?

私は掃除ぐらいはしているわよ」

もはや泥沼のミサトは、わずかな隙に全てをかける。

「そりゃあ、リツコの部屋みたいにろくに物がなかったら掃除もしやすいわよ。

ホントに、生活感の無い部屋に住んでるんだから」

「私の部屋はものが無いんじゃなくて、余分なものを置いてないの。

それに、生活感が無いんじゃなくて、センスがあるって欲しいわね」

ミサトとリツコのやりとりを聞いていたシンジは、どこか引っ掛かるものがあった。

「そういえば、リツコさんの事ってあんまり聞いたこと無かったですね。

部屋にはあまり物は置かないほうなんですか?」

「そうなのよ、リツコの部屋はねフローリングの床に打ちっぱなしの壁でしょ?

ベットにチェストと小さなテーブルがぽつんとあって、床の上に直接テレビが置いてあんのよ。

あとは猫の置物が二、三個ってところかしら?

やっぱし、あんまり物がないと落ち着かないわよねぇ」

ミサトの話を聞いているうちに、シンジにはある風景が浮かんできた。

「あれ?それって綾波の……」

思わずといった感じでシンジがもらす。

「シンジ君はレイの部屋に行って掃除をしたり料理を教えたりしてくれているのよね」

「え、あ、はい」

シンジは、リツコの言葉に思わず何か裏があるのかと警戒してしまう。

「どうもありがとうシンジ君。助かるわ。

本当は誰かに頼むべきなんでしょうけどね……

その、色々と機密に関係することがあって安易に頼むわけにいかなかったのよ。

私も色々忙しくって手が回らなかったし。

それにしてもレイはいくら言っても掃除しないんだから、まったく」

ぼやくリツコに、レイはクールにボケる。

「どうすればいいか分らないもの」

鉛のような沈黙が訪れる。

やがて、沈黙に耐えられなくなったシンジが口を開く。

「じゃあ、綾波の部屋を手配したのは……」

「私よ。あの地区を選んだのは碇司令の命令でね、いろいろ機密の部分があるのよ。

……これでも一番良い部屋を選んだつもりなのよ?

ベッドとチェストは私が使っているのと同じ物を用意したし」

ビールを一口。

「それにしても照明は裸の蛍光灯だったし、呼び鈴も壊れていたし……」

なぜレイを放って置いたのか……シンジの言葉に怒りの成分が混じる。

だが返ってきたのはリツコのあきれたような声だった。

「レイ!まだそのままだったの?

確かに忙しさにかまけていた部分はあったけれど、カタログに印をつけて渡しておいたじゃない。

電話さえすれば次の日には届くようになっていたのよ!?」

「必要ないもの」

やはりレイのクールなボケにリツコはこめかみの辺りを押さえる。

「レイ、あなたのその大雑把なところはミサトにそっくりよ(と言うよりもユイさんにそっくりね)」

「そう?分からないわ」

分からないのはその他のメンバーのほうだ。



どうにもならない空気を何とかしようと加持が口を開く。

「そうだ、アスカはこれからこの二人と共に戦うわけだけど……印象はどうだ?

そうだな、シンジ君のことはどう思う?」

シンジもまた空気を変えようとボケ役を買って出る。

「あははは、聞かなくてもわかりますよ。初対面で『冴えない』って言われちゃいましたから」

側にあるコップの中身を何気なく飲み干す。

「そうね、確かに普段はボケボケッとしていて冴えないわね。

でもエヴァの戦闘、特にA.T.フィールドに関してはアタシも敵わない部分もあるわね。

まあ、ライバルって事にしておいてあげるわ」

雰囲気もだいぶ、ほぐれてきた。

「そうか。じゃあ、レイちゃんは?」

その言葉は加持にしては珍しく不用意だった。

「最初から分からない娘だったけどね。

さっきのやりとりで良く分かったわ。あんな人形みたいなヤツ、アタシは大嫌いよ」

淡々とした様子が逆にアスカの頑なな心を表していた。

『人形のような』その言葉に込められた呪詛の深さに、アスカの過去を知る大人たちは言葉をかけることが出来なかった。

だが、シンジはアスカの過去を知っているからこそ、一歩踏み出した。

「アスカ……ちがうんだよ、綾波は人形なんかじゃない。

確かに自分の意見を持たない、人形だった時期もあったかもしれない。

でも、今は違う。綾波は人間になろうとしているんだ」

「どういうことよ。そもそも人間になろうとする事自体が人形だっていういい証拠よ。

いくら努力しても人形は人間にはならない。

なられちゃたまらないわ!!」

アスカの脳裏には母親の姿が次々に浮かんでは消えていく。

人形をアタシだと思い込んであやすママ

『ほら、お姉さんに笑われちゃうわよ』アタシを指差して人形に言い聞かせるママ。

病室で首を吊ってぶら下がっていたママ。

ママ、ママ、ママ……

「冗談じゃないわよ!!」

「アスカ……」

シンジは、アスカに声をかけようとして、自分に注目する視線に気が付く。

(今、ここで下手なことを言う訳にはいかない)

それはシンジにとって、まさに死活問題だった。

だが、それ以上に今のアスカとレイを放っておくことはシンジには出来なかった。

「アスカ、その、詳しくは知らないんだけど、綾波は……どう言えばいいのかな……

その、一種の記憶喪失になったんだ。

たぶんエヴァの実験が原因なんだと思うけど。

えーと、普通の記憶喪失とは、ちょっと違うんだ。

生活のための基本的な部分とか、感情みたいなものが……つまり、リセットされたんだ」

シンジは三人目になってしまったレイを思い出していた。

何かを考え込んでいる様子のアスカ。

リツコはシンジを刺すような視線で射すくめている。

加持はシンジに十分注意を払いながらも、アスカを心配そうに見ている。

そしてミサトは、三人を優しい目で見守っていた。

「アスカの言う人形は、絶対人間にはならないと思う。

だって魂が無いんだから。

でも綾波はちがう。

今まで人形のふりをして来たかもしれない、でも綾波には魂があるから。

だから、絶対に人間になれるはずなんだ。

アスカ、その、どうか分かって欲しい」

アスカはやはり何かを考えている、あるいは思いつめた様子で黙っている。

レイもまた押し黙っていた。

(碇くん・・・・・碇くんは私の事何か知っているの?

私が普通の人間とは違う事を知っているの?

碇くんは私の事をどう思っているの?

この気持ちはなに?初めての感情。これは……そう恐怖。

私は怖いのね、碇くんに嫌われる事が怖いのね。

大丈夫、きっと大丈夫。だって碇くんは人間になれるって言ってくれた。

大丈夫、怖がる必要は無いわ。

そしてこの感情は、そう悲しみ、そして寂しさ。

アスカが私の事を嫌いだと言った。

これも恐怖。私はアスカに嫌われたくないのね。

そうなのね)

「アスカ」

突然、レイが口を開く。

「私、がんばる。がんばるから……がんばるから嫌いにならないで。

……私がんばるから」

そう必死に呼びかけるレイの瞳から、涙が零れ落ちる。

「バカ、誰も嫌いになってないわよ。

その……悪かったわよ。さっきの言葉は取り消す。

取り消すから、涙拭きなさいよ。これじゃ、アタシが悪者みたいじゃないのよ」

アスカは照れを隠すように頬の辺りを指で掻くしぐさをした。

そしてレイは、はじけるような笑みを浮かべた。

「へー、そんな事があったんだ。全っ然、知らなかったわ」

ミサトが場違いな声を上げる。

「そうねぇ、ミサトがこっちに来る前の話だからね。

まあ違うと言えば違うのだけど、あながち違ってるとも言えないのよね。

それよりも問題は、シンジ君がどうして知っているかという事よ」

シンジは突き刺さるような視線を感じながら、誤魔化すように手近にあるコップの中身を一気に飲み干す。

「ちょっとシンジ!アンタさっきからなに人のワイン勝手に飲んでるのよ」

救いの神は意外なところから現れた。

「アスカ、あなた未成年でしょ。ワインはまずいんじゃない?」

「別に良いじゃないのよ、ドイツじゃ水みたいなもんよ。

それに、今日はアタシの歓迎パーティーなんでしょ?」

「よしアスカ、あたしが許す。どんどん飲みなさい。

そうだシンちゃん。シンちゃんはアスカの事はどう思うの?」

シンジの味方を自認するミサトがアスカの援護を受けて話をそらせる。

「いや……そんな……」

なぜか照れて『の』の字を書き出すシンジ。

その様子にミサトのからかいの虫が騒ぎ始める。

「ほれ、シンちゃん、言ったんさい」

「そうですね、お酒の恥は掻き捨てと言いますからね」

ワインが効いているのだろうか?ろれつはしっかりしているが、言っている事が何処かおかしい。

「その、アスカはすごいと思います。

美人だし、頭もいいし、運動神経も僕なんかよりずっといいし。

輝いている、本当にすごいですよ、アスカは」

当然よとばかりにアスカが胸を張るが、その顔が赤いのはワインのせいだけだろうか?

「あと、アスカは父さんに似ている部分があると思うんです」

アスカとゲンドウ。誰も予想しなかった取り合わせに、皆は顔を見合わせる。

「えーとシンちゃん、そのお父さんってのは碇司令のことよね?」

「はい、そうです」

どうも酔っ払ったシンジはマイペースになるようで、辺りの気まずい雰囲気などまったく気にした様子も無く話を続ける。

「何時も、他の人より高い場所に立とうとするところが似ています」

アスカを除く全員がなるほどとうなずく。

「アスカは父さんと違って、そんなことする必要なんて無いのに。

そんなに無理して自分を大きく見せなくてもアスカは輝いてるのに」

「アタシは別に……」

アスカが声を荒げかけるが、加持がなだめる。

「みんな知っているさ、シンジ君も言っていたじゃないか。

アスカは輝いているんだよ。いつでも、どんなときでも、それを忘れちゃ行けない。

アスカは、アスカなんだから」

「加持さん……」

アスカと加持が感動的に盛り上がっているが、酔ったシンジはマイペースだ。

「後は僕にも、そして綾波にも似ています。

他の人を見ようとしない、他人を認めないところは昔の僕に似ています。

そして命令に……シナリオですか?

それに何の疑問も抱かずに従うところは昔の綾波にそっくりです」

またもや微妙な空気が流れる。

「シンジ君、それは司令の話かい?」

「ハイ!あれ?誰の話をしてましたっけ?」

なかなかの大ボケぶりだ。

「僕も、綾波も少しずつですけど変わる事が出来たと思います。

アスカだって、変われるはずです。

でも一番変わらなければならないのは、父さんなんです」

「それで、シンジ君は碇司令をどうしたいんだい?」

加持は、シンジからいろいろな事を聞き出す絶好機だと判断して、軽くジャブを放つ。

「僕は……僕は父さんを許したいんだと思います。

今のままじゃ、父さんを許すわけにはいきません。

でも、きっと父さんの事を許したいと心のどこかで思っているんです。

だから……だから真実が知りたいんです」

「ほう」

期待以上の答えを得られたからだろうか、加持の目が興味深げな色を帯びる。

そんなことは知ったこっちゃ無いとばかりにシンジは話をあさっての方に変える。

「あ、そうだ。

リツコさん、父さんは普段、昼食はどうしているんですか?」

「え、碇司令?

たしか、忙しいみたいだから司令室に運ばせているけれど、食べているのは食堂のメニューのはずよ」

「そうですか。……そうだ、僕、父さんの分もお弁当作ります。

ミサトさん、一緒に持っていってもらえますか?

リツコさんからも、父さんに言っといてもらえませんか?お願いします。

リツコさんの分も作りますから」

突然の話にリツコは驚く。

「そんな、私は別にいいわよ。シンジ君、大変でしょ?」

そんなリツコの話をシンジは気にするはずも無い。

「そんな。いずれ親子になるかもしれないのに、遠慮なんてしないでください」

ニコニコしながら、N2クラスの爆弾を落とすシンジ。

「ブハー」

「ブピュ」

ミサトはビールを霧のようにリツコは噴水のように噴き出す。

加持は、二人のまん中で顔にかかったビールを拭いている。

「わ、私は、別に、ゲンドウさんとは、そんな」

よほど動揺しているのか、普段冷静なリツコが珍しく墓穴を掘る。

「おや、ゲンドウさんですか?」

こうなるとミサトは止まらない。

「シンちゃん、リツコの事お母さんって呼んであげたらぁ?

リツコもきっと喜ぶわよ」

本当に喜ぶと思っているのか?ミサト。

その顔に浮かんだ邪悪な笑みが全てを物語っている。

「そうかぁー、リツコは『ゲンドウさん』って呼んでるのかぁ。

リツコはなんて呼ばれてるのよ?ほら、白状しなさいって」

リツコの顔から表情が消え、両肩がプルプル震えはじめる。

「意外と『りっちゃん』とか?まさか『赤木君』のわけないし・・・・・。

うーん、あと可能性のあるのは『リツコ君』あたりかな?」

正解だミサト、賞品はリツコ本人からもらってくれ。

「ミーサートー!!!

それ以上言うと、学生時代の加持君とのあの泥沼の2週間の事を克明に話すわよ」

「ぐっ」

どうやら、加持とミサトの自称腐れ縁には深いものがありそうだ。

「そうですよ、ミサトさん。

犬も喰わないのにそんなこと言ったら馬に蹴られちゃいますよ」

シンジの言う事は相変わらず何処かおかしい。

「あのね!シンジ君、私とゲンドウさんはまだそんな……」

「ぐすっ……うっ、ううううう……」

リツコの声はシンジの嗚咽にさえぎられる。

「リツコさんなら、応援しようと思っていたのに。

本当に父さんのことが好きなら、僕は心から応援しようと思っていたのに。

うう、ううううう」

突然泣き上戸になるシンジ。

何時の間にか、シンジの周りにはビールの空き缶がいくつも転がっていた。

ちなみに、アスカとレイは早々にダウンして、二人一緒に寝ている。

「リツコさん……父さんのこと愛していますか?心から愛していますか?」

シンジは、涙で潤む目を上目遣いにしてリツコに迫る。

いけない気持ちになりかけるリツコだが、クールビューティーの名にかけて何とか耐える。

が、この反則ぎりぎりの攻撃に平気でいられるはずも無く、リツコは優しい表情になる。

その顔に浮かぶものは母の慈愛だろうか?

「シンジ君、私はゲンドウさんの事を大切に思っているわ。だから、ね」

すると、シンジは喜びをいっぱいに詰め込んだ笑みを浮かべた。

至近距離で直撃を受けたリツコだけでなく、ミサトまで顔を赤らめる。

だが次の瞬間、シンジの更なる爆弾発言にリツコは表情を凍らせる事になる。

「だいたい父さんも、母さんにこだわり過ぎなんですよね。

はっきり死んだという事ならまた違ってくるのかな?

まあ、生きているといえば生きていますからねえ……」

6本目のビールを飲み干したシンジは、机に突っ伏して眠ってしまった。



後に残された大人たちは気まずい沈黙と共に様々な思いを胸に秘め、黙々と後片付けをはじめたのだった。





つづく





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