「そう、修学旅行!……行く先?


オ・キ・ナ・ワ。メニューにはスクーバダイビングも入ってるの。


ねえ、加持さんは修学旅行、どこ行ったの?」


「ああ、俺たちはそんなの無かったんだ。……セカンドインパクトがあったからな」














WANDERING CHILD 第拾話














「えーッ、修学旅行に行っちゃダメェ!!」

リビングにアスカの素っ頓狂な声が響く。

「そ」

「どうして!」

「戦闘待機だもの」

「そんなの聞いてないわよ!」

「今、言ったわ」

「誰が決めたのよ!」

「作戦担当の私が決めました」

発泡酒(今月は家計がピンチなのだ)を飲みながら、素っ気無く答えるミサト。

その様子にアスカはますますヒートアップする。

「ちょっとシンジ!

いつまでも台所に居てないで、ちょっとナンカ言ってやったらどうなの?男でしょ!」

アスカ、レイ、ミサト、リツコ、そして父ゲンドウに自分の分も含めて毎朝6人分の弁当を作るのだ。

前の晩から下ごしらえをしておかなければ、とても間に合わない。

シンジは手を拭きながらリビングに戻ってくる。

「いや、僕は多分こーゆーことになるんじゃないかと思って……」

「諦めてたってワケ」

「うん……それもある」

「情けない。飼いならされた男なんてサイッテェー」

「いや……行けなくて残念なのが半分、

セカンドインパクトの傷跡を見なくてすんでホッとしているのが半分かな」

それを聞いたアスカの表情から、怒りの色が薄れる。

「そっか……色々見学するんだっけ?アタシ等が失敗すると……ってヤツか。

確かにアンタは気にしそうね」

「うん、京都だとよかったんだけど」



この時代、修学旅行といえば沖縄である。

セカンドインパクトによって海面が上昇したにもかかわらず沖縄が水没していないのは、急激な地殻変動によって大きく隆起したからである。

そのせいで沖縄は、奇景奇観があちこちに見られる。

セカンドインパクトの傷跡としてそれらを見学して回るのが、定番のコースなのだ。

逆に京都はセカンドインパクト前の町並みが奇跡的に残っており、こちらも多くの修学旅行客が押し寄せる。

「そっか……じゃあシンジ、アンタは残ってなさい。

代わりにアタシが行って来てあげるから」

「気持ちはわかるけど、こればかりは仕方ないわ」

「いつも、いつも、待機、待機、待機、待機!

いつ来るかわかんない敵を相手に守ることばっかっし!

たまには、敵の居場所を突き止めて、責めに行ったらどう!」

エキサイトするアスカに対して、ミサトは(珍しく)クールだった。

「それが出来ればやってるわよ」

ミサトは飲んでいた発泡酒をおく。

「ま、二人ともこれをいい機会だと思わなきゃ。

クラスの皆が修学旅行に行ってるあいだ、少しは勉強が出来るでしょ。

私が知らないとでも思っているの?」

2枚のフロッピーディスクを取り出す。

「見せなきゃバレないと思ったら大間違いよ。

あなたたちが、学校のテストで何点とったかなんて情報くらい筒抜けなんだから」

「何よ!日本語の問題が読めなかっただけよ。

数学に理科、それに英語はそれなりの点数取ってるじゃない」

自身たっぷりな様子のアスカに、ミサトは「ニヒヒ……」と口をゆがめる。

「二人とも歴史が悪すぎるわよ。ほとんど0点じゃない」

が、その言葉にアスカの顔が真剣なものに変わる。

「ミサト。言っておくけど、アタシ、間違ってるのを知ってて嘘の回答なんか書かないからね」

「あなた……」

「ミサトさん、社会科の試験範囲、セカンドインパクト前後の歴史だったんです」

ミサトは、二人の顔を交互に見つめる。

「クエェ!?」

その気まずい沈黙は、ペンペンが風呂から上がってくるまで続いた。

「クワァ?」



「まったく、何が『お前らの分まで、楽しんできたるわ』よ!!」

アスカは、プールからあがるなり大声をあげる。

地団駄なんかも踏んでみる。

やがてプールにも入らずに、ノートパソコンとにらめっこをしているシンジに気付く。

「何、見てんの?通信販売のサイトか……

えっと、つち……これなんて読むの?」

「あ、『どなべ』だよ。土鍋。

焼き物のお鍋だよ。保温性が良いからね、鍋料理にはもってこいなんだ」

「鍋料理?」

「お鍋の中のスープで材料を煮ながら食べるんだ。

暑いからたまにしか出来ないと思うけど、冷房もあるし……みんなでワイワイ言いながらさ。

ナンカ家族って感じのする料理なんだ」

シンジは顔を上げる。

アスカは、赤と白のストライプ模様の水着を着ている。

お臍なんかも全開のビキニだ。

もちろんシンジも前回、同じ水着を着たアスカを見ているので気持ちの準備もしていたのだが、そこは健全な青少年である。

「じゃ―ん。沖縄でスクーバ出来ないんだから、ここで潜るの」

シンジは、顔を隠すようにしてあわててノートパソコンの方に顔を向ける。

アスカは「フフフ……」と笑みを浮かべると、胸を強調するようにしてモニターを覗き込む。

「で、これは何て書いてあんの?」

「うん、取り扱いの注意とかね……

空焚きすると、ひび割れとか出来るから注意しないとね」

「ふーん、熱膨張かな?」

「えっ」

機会を見て理科の問題に変えようとしていたシンジは、アスカの口から熱膨張という言葉が出たことに驚いていた。

「熱伝導率は低そうだし、見たところかなり分厚そうだしね。

空焚きすると、表面の温度が上がって膨張するでしょ。

でも、内側はそのままの大きさ。さてどうなる?」

「えーと。割れる」

「よく出来ました」

顔一杯に笑顔が広がる。

「私の場合は、胸だけ暖めれば少しは大きくなるのかな」

「え、いや、そんな、ねえ」

(何て答えればいいんだよ。僕にどうしろっていうんだ)

アスカはうろたえるシンジを見て、悪戯を成功させた子供のような顔になる。

「そんなのいいから、こっちに来て一緒に泳ぎなさいよ」

「えっと、うん。いや、ねぇ」

うろたえるシンジを見て、アスカは見事な洞察力を発揮する。

「シンジ。……アンタ、もしかして泳げないんでしょ」

「いや、だから、これは……つまり」

「ふーん。……シンジ、いいから、ちょっと待ってなさい」

隅の方で何かごそごそはじめる。

レイは一人、我関せずと仰向けになってプールに浮いていた。

「さあ、シンジいらっしゃい」

スクーバ用のタンクを背負ったアスカが、シンジをプールに引っ張って行く。

「アスカ、これはいったい?」

「男なんだから、いいかげん諦めなさい」

アスカは、プールに背を向けて座ると、

シンジを自分の前に同じように座らせ、抱きかかえるような体勢になる。

「あの、アスカ?」

顔を真っ赤にするシンジ。

「シンジ、行くわよ。バックロールエントリー」

アスカ、それはバックドロップだ。



ネルフ本部の第2作戦会議室日は、特大の透過台が備え付けられている。

そこに、サーモグラフのようなモザイク風のモノクロ画像が次々に映されていく。

「これではよく分からんな」

冬月のセリフが物語るように、画像はことごとくピントのボケたものだった。

「しかし浅間山地震観測所の報告通り、この影は気になります」

シゲルの進言に、冬月は当然だという顔になる。

「無論、無視はできん」

「MAGIの判断は?」

「フィフティー、フィフティーです」

リツコ、マヤの師弟コンビが、息の合ったところを見せる。

「現地へは?」

「すでに葛城一尉が到着しています」

結局、冬月は必要最小限の判断をすると、詳細がわかるまで待つことにした。



ミサトはモニターを凝視している。

そのモニターには、耐熱耐圧力型観測機から送られてくる映像が映されている。

観測機はすでに安全深度を越えていた。しかし、反応は無い。

そのとき、観測機のダメージモニターにレッドランプが増える。

「もう限界です」

心配そうに見ていた、職員が声をあげる。

「いえ、あと500お願いします」

マグマ内を潜行していく観測機。

やがて『バシッ』という音が管制室に響く。

『深度1200耐圧隔壁に亀裂発生』

「葛城さん!」

アナウンスに弾かれるかのように職員が大きな声をあげる。

「壊れたらウチで弁償します。あと200」

取り乱す職員と対照的に、ミサトは冷静そのものだ。

だが機器を操作していた日向は、そのミサトの様子に違和感を感じる。

ミサトがいつも持っている余裕のようなものが感じられないのだ。

まるで、何かに追い詰められているかのようにすら感じる。

「葛城さ……」

日向が声をかけようとしたその時、モニターを巨大な影がよぎる。

「モニターに反応!」

「解析開始」

即座にミサトが指示を出す。

ほどなくして「ミシミシッ」という音がする。

『観測機、圧壊。爆発しました』

そのアナウンスを聞いた職員が、肩を落とす。

「解析は?」

「ギリギリで間に合いましたね。パターン、青です」

日向には、ミサトの声に何処か陰惨なものが含まれているように思えた。

「……」

ミサトは、声をかけるべきか迷っている日向に背を向けると職員たちに向かって宣言する。

「これより当研究所は完全閉鎖。ネルフの管轄下となります。

一切の入退室を禁じた上、過去6時間以内の事象は全て部外秘とします」

研究所内にサイレンの音が鳴り響くなか、ミサトは本部に電話をかける。

「碇司令あてにA−17を要請して、大至急」

本部発令所で電話を受けた青葉は、ミサトの切羽詰まったような声に慌てる。

『気をつけて下さい。これは通常回線ですよ』

「わかってるわ!さっさと守秘回線に切り替えなさい!!」

日向は、そんなミサトの様子を心配そうに見ていた。



ミサトの脳裏に、父親の姿が浮かんでは消える。

幼いころ、一緒に遊んでくれたやさしい父。

研究にかかりっきりで、全然かまってくれなくなった父。

南極に呼んでくれた父。微笑みかける父。

そして……

セカンドインパクトのその時、血を流しながら救命ポッドまで自分を運んでくれた父。

父、父、父……

「お父さん……」

唇を動かすだけのその言葉は、ミサトにも声になったかどうかわからなかった。



「葛城さん」

ミサトが振り向くと、日向が両手にコーヒーを持って立っていた。

「葛城さんみたいに美味くはないと思いますけど」

コーヒーをミサトに手渡す。

「そんなに張り詰めていると、疲れちゃいますよ」

コーヒーを一口。

「ありがとう」

しかし、ミサトはコーヒーの湯気を当てながら、相変わらず何かを考えている。

日向はそんなミサトを見ている。

(葛城さんも大変だよな。

作戦部長ってだけでも大変なのに、シンジ君とアスカちゃんまで引き取って。

きっと、疲れているんだろうな……僕が少しでも負担を減らさなくては。

それにしても葛城さんって意外と家庭的なんだよなあ。

最近持って来ているお弁当、おいしそうだもの。

やっぱり凄いよなあ。尊敬しちゃうよ)

そんな事を考えながら。



第二作戦会議室に、チルドレンが集められた。

「これが使徒ォー!?」

「そうよ。まだ完成体になっていないさなぎの状態……」

書類に目を落としたままマヤと打ち合わせをしていたリツコが、ここではじめて顔を上げる。

「みたいなものよ。

……ってシンジ君、どうしたの?顔、真っ青よ!

ちょっと、とにかく、そこの椅子に座って!」



シンジはきっちりと溺れた。そりゃもう本気で。

ところで、溺れている人はものすごい力で近くに有るものに掴まろうとする。

溺れている人を助けようとした人が一緒に溺れてしまうのはこのためだ。

もし、アスカがスクーバの装備をしていなければ危なかっただろう。

本部の施設のプールで、エースクラスのチルドレン二名が死亡という洒落にならない事態に陥るところだったたのだ。

アスカ、レイ共に応急処置についての訓練を受けていた事が幸いした。

シンジ、絶体絶命の危機からの生還である。



「シンジが……そうよ、シンジの奴が溺れたのよ。

まあ、アタシが助けて応急処置もしたから大丈夫だと思うけど……」

アスカの目線が定まらない。

「何を言っているのよ、アスカ。あなたが碇くんを………………突き落としたんじゃない」

レイの語彙には、スープレックスを表す単語は無かったらしく、妙に間があいた。

「な、何を……そう、そうだわ、今はそんな事を言っている場合じゃ無いはずよ」

リツコとマヤの様子を窺うと、シンジに心配そうに見つめる。

その後、レイに怨み半分申し訳無さ半分の複雑な視線を送ると、再びシンジに今度はすまなさそうな視線を送る。

これを6セット。アスカの視線は相変わらず忙しい。

リツコも、そんなアスカの様子に怒る気がうせたとばかりに口を開く。

「そうね、時間も無いし。……マヤ、説明してくれる?」

「あ、はい。わかりました。

えっと、今回の作戦は、使徒の捕獲を最優先とします。

だから、出来るだけ原形をとどめて、生きたまま回収するようにします」

「出来なかった場合は?」

「即時殲滅。いいわね」

手早くシンジを診察していたリツコが答える。

「作戦担当は」

「はい!アタシが潜る」

リツコの言葉をさえぎるように死して、アスカが手を上げる。

視線は相変わらずシンジの周りをさまよっている。

自分のせいで溺れさせてしまったという罪悪感。

純粋にシンジを心配に思う自分と、素直になれない自分。

アスカはそんな自分がもどかしかった。だが、これだけは確かだった。

今回の任務は自分の手で成功させなければならないという事。

アスカは、日本に来てからの戦いを思い出していた。

一緒にエントリーした第6使徒戦、ユニゾンで倒した第7使徒戦。

いつも隣にはシンジがいた。

でも今回は……

(アタシがエースだってこと、きっちり証明してやる)

そう思うことで、素直になれない自分の心と折り合いをつけていた。

「そうね。今回の特殊装備は零号機には無理だし、シンジ君はこの様子だしね……」

リツコはアスカをジト目でみている。

アスカは助けを求めるように。マヤのほうに視線を移すと、こちらもにらんでいた。

リツコに比べると著しく迫力に欠けていたが。

「そして、バックアップは……シンジ君、レイ、二人でお願いね」

「はい」

レイは、これ以上ないほど簡潔に答える。

「あの……リツコさん」

かなり回復してきたシンジが、絞り出すように声を出す。

「僕が潜ります。今回の任務には、武器はもって行けない。

もし、作戦が使徒の殲滅に変わったら、頼れるのはA.T.フィールドです。

僕のほうが……」

アスカの声が、シンジをさえぎる。

「シンジ!アタシだって遊んでいた訳じゃないのよ。

A.T.フィールドの扱いだってかなりマスターしているつもりよ。今回はあたしに任せなさい」

シンジの瞳には真剣なアスカの顔が映る。

それでも、何か追おうとするシンジを、今度はリツコがさえぎる。

「シンジ君、今のあなたの体調では高いシンクロ率は望めないわ。

いいえ、それどころか暴走の危険もある。今回の作戦はアスカに任せなさい。

……シンジ君。人に頼る事も覚えなさい」

シンジも引き下がらざるを得ない。

第8使徒は、対応さえ間違わなければ問題は無い事をシンジは知っている。

また、アスカを差し置いて自分が全ての使徒を殲滅するべきではない事も知っている。

だがそれでも、危険があるとわかっていてそこにアスカを向かわせることに、釈然としないものを感じるのだった。

「わかりました。アスカに任せるよ、がんばって……」

そういうと、シンジはリツコのほうを向き直る。

「リツコさん。

さなぎの状態ということは、まだ時間はあるんですよね。

念には念をいれて、分析をしてからのほうがいいと思うんですが?

そのころには僕もかなり回復していると思いますし」

「それがね……」

リツコは顔を曇らせる。

「A−17が、発令されたわ。それには、現資産の凍結も含まれているの。

こんな政治的な理由では納得出来ないかも知れないけれども、すぐに出なければならないわ。

まったく、ミサトは何を焦っているのかしら」

自分の言葉が親友を追い詰めていたことに、リツコは気付いていなかった。

「そうですか。……そうですね。

アスカ、大丈夫。アスカなら出来る、アスカは天才なんだから。

最後まで諦めない事、可能性がある限り考える事。……アスカの事、信頼しているから」

アスカの顔が赤くなる。頭に血が上る。

(うん、ありがとう。大丈夫……アタシはやれるわ。絶対に)

そんな事を考えるアスカがいる。

だが、口から出たのはもう一人のアスカの言葉だった。

「大丈夫に決まってるでしょ。

何が『信頼してるから』よ、アンタはアタシの活躍を火口の側で黙って見てればいいのよ!

いいわね!?」

「うん」

そしてシンジの見せる笑顔に耳まで赤く染まる。

ちなみにレイは、シンジの笑顔を見て理性を溶かしたマヤを必死に抑えていた。



「大丈夫。もしもの時は僕が助ける」

シンジはそんな決心を心に秘め、拳を握り締めるのだった。





つづく





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