「A−17の発令。それには現資産の凍結も含まれている……なぜ止めなかったの?」


「理由がありませんよ。発令は正式なものです」


「でも、ネルフの失敗は世界の破滅を意味するのよ」


ロープウェイで、加持と謎の女性が向かい合っている。


「彼らはそんなに傲慢ではありませんよ」














WANDERING CHILD 第拾壱話














「零号機、初号機、弐号機はその場で待機。

レーザーの打ち込みと、クレーンの準備急いで」

「了解」

ミサトの指示にきびきびと反応する職員たち。

だが、その様子にはネルフ特有のある種の余裕が感じられなかった。

薄々と今回の作戦の危険性を感じているのだろうか?

あるいは、ムードメーカーであるミサトが必要以上にピリピリしているからだろうか。



浅間山の火口。その上にひろがる青空。

その空に時折、光るものが見える。

初号機のなかで待機している、シンジはそれをじっと見つめている。

やがて、アスカもそれに気付く。

「何、あれ?攻撃機?」

やはり弐号機で待機しているアスカは、テントに向かって何か作業をしているリツコとマヤの方に顔を向ける。

「UNの空軍が空中待機しているのよ」

「この作戦が終わるまでね」

リツコとマヤは、作業の手を休めずに答える。

「手伝ってくれるの?」

「いえ、後始末よ」

「私たちが失敗した時のね」

アスカの視線が厳しくなる。

「どういうことよ?」

リツコは作業の手を休めると、振り返って空を見上げる。

「使徒をN2爆雷で処理するのよ、私達ごとね」

「ひっどい!そんな命令、誰が出すのよ!!」

「父さんですね」

シンジの声は、あまりにも冷たく凍てついていた。

その声に、マヤも作業の手を止めて初号機を見上げる。

リツコはその声に何を感じたのだろうか?

テントのほうに向き直りモニターに写るシンジの顔を見つめる。

空の一点を見つめるその目は、冷徹とも何かを思いつめているようにも見えた。

「シンジ君、確かに碇司令が命令を出したのは事実よ。

でもね、それは……加持君流に言うなら、真実ではないわ」

「えっ」という表情になったシンジは、リツコのほうを振り返る。

「今回の任務は危険なものなのよ。

各国政府や、国連……反対は相当なものだわ。

だから碇司令は交換条件を出した」

リツコは空を見上げる。

視線の先には、飛行機雲と攻撃機のきらめき。

「あなた達を信頼しているのよ。

そうでなければ、ネルフの主要メンバー全員が死ぬような命令なんて出さないわ。

シンジ君。事実は目に見えるものだわ。

……でもね、真実は目に見えないことが多いのよ」

リツコは初号機のエントリープラグをモニターしている画面に目を移す。

そこには、依然きびしい顔のシンジが写っていた。

「父さんが信頼しているのは本当に僕達なんでしょうか?

父さんが信頼しているのはチルドレンとしての能力だけです。

決して、人間としての僕達を信頼している訳ではないはずです」

「はぁ?何、言ってんのよ。

チルドレンとしてのアタシ達を信頼しているってことでしょ?」

アスカは、訳が分からないという風に声をあげる。

「違うよ。父さんにとってアスカはセカンドチルドレンである、惣流・アスカ・ラングレーじゃない。

ただのセカンドチルドレンだ。

それは、ゲームの駒や、記号でしかない」

「なっ、アタシは!アタシは……」

アスカはいうべき言葉が見つからずに口篭もる。

「私は、綾波レイだわ」

黙って話を聞いていた、レイがはじめて口を開いた。

「そうね……。そうよね……、アタシはアスカ。

そう、アタシは天才、惣流・アスカ・ラングレーよ。ナンカ文句ある!?」

「わかってるよ、アスカはアスカだ」

シンジは再び空を見上げる。

「でもね、父さんが本当に信頼しているのはエヴァかも知れない。

いや、エヴァの……」

「シンジ君!!」

次第に感情が高まってくるシンジを、リツコが諌める。

「すみません、少し、興奮してしまったみたいです……

リツコさん、真実って目に見えないものなんですね」

シンジの瞳は悲しみに満ちていた。

そして、初号機を見上げるリツコの目も。

「あー、もう。そんなことより加持さんは?」

最近、場の空気を読む事に敏感になってきたアスカが話題を変える。

「加持君なら来ていないわよ。特に仕事も無いはずだし」

「チェッ、せっかく加持さんにもいいトコ見せようと思ってたのに」

「まったく、今ごろ何処で何をやっているのか」

その時、加持が大きなくしゃみをして同乗していた女性に嫌われていたとか、いないとか。

真実は目に見えないものである。



弐号機が巨大なクレーンで、火口の上に吊り下げられている。

その弐号機は耐熱耐圧体格防護服のD型装備である。

その姿は巨大な潜水服を着ているようで、お世辞にも格好いいとはいえない。

おまけにエントリープラグ内のアスカは、プクプクと達磨のように膨らんだ耐熱仕様のプラグスーツを着ていた。

「格好わるぅ……」

自らの姿を思い浮かべたアスカが思わずもらす。

リツコはアスカが搭乗するまでの騒動を思い出して、こめかみの辺りを押さえていた。

その横では、マヤが苦虫を噛み潰したような顔をしている。

もっとも笑いたいのを必死にこらえているのだが。



「何よ、これぇー!?」

その日、アスカの叫び声は二度ネルフ本部に鳴り響いた。

一度目は耐熱仕様のプラグプラグスーツを着たときだった。

「右のスイッチを押してみて」

それは、悪魔の囁きだったのだろうか?

プシュウウウッというエア音と共に、スーツは救命胴衣のように膨らむ。

……本人が状況を受け入れさえすれば、ある意味かわいいかもしれない。

兎に角、アスカは悲鳴をあげた。

二度目はD型装備の潜水夫のような、あるいは達磨のような姿の弐号機を見たときだった。

その悲鳴は、ジオフロントの隅々まで聞こえたとか、聞こえなかったとか。

真実は目に見えないものである。

結局、ひとしきり騒いだもののアスカはおとなしく弐号機に乗り込んだ。



アスカにはトラウマがある。

しかし世界を、人類を護るために戦うのだという思いを人一倍持っていた事も確かなのだ。

長期間に渡る孤独な訓練、人類の命運が双肩にかかっているという重圧。

いつしかアスカは、エースの称号にこだわるようになっていた。

本来の目的からすれば、あまりにも矮小な目的。

だが、そうしなければアスカはプレッシャーに押しつぶされていただろう。

周囲の人々もエースとして褒め称え、そのプライドをして過酷な訓練に向かわせようとした。

いつからだろう、エースの座を守るために戦うようになったのは。

いつからだろう、世界を、人類を守るために戦う事を忘れたのは。

そんなアスカに転機が訪れた。

新入りのサードチルドレンであるシンジのひたむきさ、必死さ。

やがてアスカは大切なものを思い出す。

アスカはエヴァに乗る。

それはちっぽけなプライドのためではない。

チルドレンとしての、強い責任感と、使命感のために。

表面に現れる差はほとんど無い、アスカは依然エヴァにこだわる。

だからシンジも、誰も気付かない。いやアスカ自身、どれだけ自覚しているだろうか。

だが、その内面は大きく変わろうとしていた。



『レーザー、作業終了。進路確保』

『D型装備、異状無し』

『弐号機、発進位置』

作業は順調に進む。

「了解。アスカ準備はどう?」

ミサトは軽い調子で声をかける。

アスカは、ミサトの様子にいつもと違うものを感じるが、あえて明るく答える。

「いつでもどうぞ」

「発進!!」

ミサトの号令と共に、ウィンチがカラカラと回り弐号機がゆっくりと下降して行く。

「うわぁー。熱そー」

噴き出したマグマが、プクプクと泡を吹いている。

『弐号機、溶岩内に入ります』

弐号機が今、まさにマグマの中に入らんとする。

「見て見て、シンジ」

アスカは弐号機の足を前後に広げる。

「ジャイアント・ストライド・エントリー」

そのまま、ズボズボと沈んでいく。



その時、ウィンドウに写るシンジの顔が過度に緊張しているのに気付く。

「なーに、緊張しているのよバカシンジ。

潜るのはアタシなのよ、アンタが緊張してどうすんのよ」

他のチルドレンに対する気配りに、アスカの成長の一端が窺える。

もっとも本人に言わせれば、エースとしての当然の配慮らしいのだが。

「アスカが潜るからだよ」

「何よ。アタシが信用できないって?」

「そんなんじゃないよ。今回の任務は危険なんだから」

「わかってるわよ。ま、緊張のしすぎはよくないわよ」

肩に力が入っているのを自覚したシンジは、プラグ内で軽く伸びをして体をほぐす。

アスカはその様子を満足げに見ると、報告をはじめる。

「現在、深度170。沈降速度20。各部問題なし。

視界はゼロ。何もわからないわ。CTモニターに切り替えます」

モニターの画像がオレンジ色に切り替わる。

「これでも透明度120か」

弐号機はマグマの中を潜行していく。深く、深く……



アスカとの会話によって過緊張の状態から脱していたが、シンジは依然悩んでいた。

シンジの悩みはただ一つ『どのタイミングでプログブナイフを投げ入れるか』である。

前回のタイミングでは遅すぎる。

かといってあまり早いと、疑惑をもたれる恐れがある。

もちろんアスカを助ける為なら、多少疑惑を持たれても構わないとは思う。

だが、その為にサードインパクトを防ぐという本来の目的が達せられなければ、本末転倒だろう。

使徒が孵化を始めたらすぐに投げ入れる。

このタイミングしかない事はシンジにも分かっていた。

それでも、もし間に合わなかったら。

その思いがシンジを苛む。

火口に続くケーブルを見つめながら、シンジは手に汗をかいていた。



移動指揮車は圧倒的な緊張感と、重苦しい雰囲気が支配していた。

そのなかをマヤの深度をカウントする声だけが響く。

『深度、400。450。500。550。600。650……』

ミシミシと軋む音が響く。

誰の顔にも緊張に色が見える。アスカの顔にも。

『深度1020。安全深度、オーバー』

息を詰めるようにしてモニターを見つめる。

『深度1300。目標予想地点です』

「アスカ、何か見える?」

ミサトの声にも、緊張が感じられる。

「反応なし。居ないわ」

「思ったより、対流が速いようね」

十分な準備が出来なかった悔しさが、リツコの声からにじみ出る。

『目標の移動速度に誤差が生じています』

報告をするマコトの表情にも、重苦しいものが混じる。

「再計算急いで。作戦続行」

ミサトの指示を受けて弐号機が再び弐号機が沈降していく。

再びマヤのカウントする声だけが響く。

その時『パシッ』という破砕音がする。

プラグ内のアスカが、眉をひそめる。

「第二循環パイプに亀裂発生」

報告するリツコの眉もわずかにひそめられる。

『深度1450。限界深度、オーバー』

指揮車内のメンバーの意識が作戦責任者であるミサトにあつまる。

ミサトはそれに気付く様子も無く、モニターをじっと目詰めている。

「目標とまだ接触していないわ。続けて。

アスカ、どう?」

ミサトの声に含まれる、硬さに気付いたのだろうか?

アスカは場違いとも言える明るい声で答えた。

「まだ持ちそう。さっさと終わらせてシャワー浴びたい」

アスカの声に、ミサトも少しくだけた様子になる。

「近くにいい温泉があるわ。終わったら行きましょ。もう少し、がんばって」

だが、ミサトの目は依然きびしいままだった。

再び、破砕音が響く。

機体のあちこちにスパークが見える。

「あっ!」

プログブナイフを止めているベルト状のものが落ちていく。

『エヴァ弐号機、プログブナイフ焼失』

誰の顔にも緊張の色が濃くなる。

『限界深度、プラス200』

「ミサトさん、これ以上は!」

シンジの声が響く。それは絶叫と言ってもいいものだった。

「人が、アスカが乗っているんですよ!」

対応さえ間違わなければ大丈夫だということも理解していた。

アスカの性格を考えるなら、ここはアスカに任せるべきだということも理解していた。

だが、シンジにはもう限界だった。

一つ間違えればアスカは死ぬ。その現実にシンジは耐えられなかった。

今思うと、どうして前回は平気だったのか不思議でならなかった。

全てがどうでもよかったのだろうか?

「この使徒は、まだ、さなぎなんでしょ!?

今、引き上げても十分に対応できるはずです!」

シンジは、自分が感情的になるのをどうする事も出来なかった。

「葛城さん!作戦部としても継戦能力の確保を最優先にすべきだと考えます」

マコトにも思うところがあったのだろう。シンジのフォローをする。

だが、ミサトの声は凍ったままだった。

「この作戦の責任者は私です。続けてください」

「アスカは、アスカは家族ですよ、ミサトさん!!」

決して器用ではないミサトを必要以上に苦しめないように、作戦中はチルドレンとして振る舞う事を自らに課していたシンジだったが、ついにその禁を破ってしまう。

その時、意外なところからミサトを擁護する声があがる。

アスカだった。

「ミサトの言うとおりよ。大丈夫、まだ行けるわ」

その真剣な瞳は、何を思うのか。

「アスカ、無理しないでね」

「大丈夫。危なくなったら、ミサトがちゃんと判断してくれるわ。……信じましょ」

「ア……」

ミサトの声は、今までに無い弱いものだった。何を伝えようとしたのだろうか?

だが、マヤの声がそれをさえぎる。

「深度、1780。目標予測、修正地点です」

「居た」

使徒の発見という事実が、騒然とした雰囲気から適度に緊張感が保たれた状態に導く。

「目標を映像で確認」

「捕獲準備」

ミサトの指示に従って、テキパキと作業が進められる。

「お互い対流に流されているから、接触のチャンスは一度しかないわよ」

「わかってる、任せて」

リツコのアドバイスを受けて、キャッチャーを構える弐号機。

L.C.L.にとけるために確認できないが、プラグ内のアスカは汗をびっしょりとかいている。

『目標接触予定まで、あと30』

繭状に見える使徒が、正面から近づいてくる。

「相対速度、2.2。軸線にのったわ」

すれ違いざまに上から捕らえると、すかさず電磁フィールドが展開される。

『電磁柵、展開。問題なし。目標、捕獲しました』

指揮車内が喜びに包まれる。モニターに明滅する『CAPTURE』の文字。

「案ずるより生むが安しってね。やっぱ楽勝じゃん。

それにしても、これじゃプラグスーツというよりサウナスーツよ。ああ、早く温泉に入りたい」

その気の抜けきった声に苦笑しながら、リツコはミサトに声をかける。

「緊張がいっぺんに解けたみたいね」

「そう?」

「あなたも今回の作戦、怖かったんでしょ?」

「まあね。下手に手を出せばアレの二の舞いですからね。それに……」

「それに?」

「このあいだリツコに言われた事。

私の使徒に対する感情をさ、もう一度見つめ直してみようと思ってね」

「……」

その時、マヤが「おや?」という風に声をあげる。

『初号機、シンクロ率上昇』

リツコがモニターから、詳しいデータを読み取ろうとしたその時だった。

「何よこれぇ!?」

「アスカ、キャッチャーを放すんだ!今ナイフを投げるから!」

アスカの悲鳴に真っ先に反応したのはシンジだった。

「まずい!孵化を始めたのよ。それにしても計算より早すぎるわ」

『目標はA.T.フィールドを展開』

「キャッチャーは?」

『とても持ちません』

その時、電磁フィールドを破って、使徒が出てこようとする。

「捕獲中止!キャッチャーを放棄」

アスカは、ミサトの命令を受けてから、キャッチャーを放す。

「作戦変更。使徒殲滅を最優先!弐号機は撤収作業をしつつ戦闘準備。初号機のナイフは?」

『ナイフ到着まであと30』

ゆっくり上昇する弐号機の正面から、使徒が迫ってくる。

「正面!?バラスト放出」

重りを捨てた弐号機は、急激に浮上して使徒をかわす。

「マズイわね、見失うなんて。おまけに視界は悪い。やたらと熱い。

スーツがベッタリして気持ち悪い。もうサイテーね」

そう言いながらも、アスカは不敵な笑みを浮かべている。

待ち焦がれていたナイフが、ようやく到着する。

「アスカ!この高温高圧に耐えるんだ」

「なるほど、ナイフじゃ牽制程度にしか使えそうに無いわね」

巧みにナイフを扱い、再び近づいてきた使徒をやり過ごす。

「このままじゃ、ジリ貧ね。何とかしなきゃ……そうか土鍋だわ!!!」



このとき副司令が『恥をかかせおって』と言ったとか、言わなかったとか。

やはり、真実は目に見えないものである。



「冷却液の圧力を全て三番に回して!早く!!」

方針さえ決まれば、後の行動はまさに大胆かつ繊細なものだった。

使徒が攻撃を仕掛けてくる一瞬の隙をついて自ら冷却液の循環パイプを切断すると、使徒の口に突っ込む。

急激な温度変化と熱膨張によって、使徒の表皮に微細なひび割れができる。

すかさずナイフを突き立てる。

わずかなタイミングの遅れが、決定的なダメージにつながる事は前回で証明済みだ。

それをアスカは完璧なタイミングでやってのけた。まさに、天才パイロットの面目躍如だろう。



「現時刻を持って、作戦の終了を宣言する」





つづく





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