「ごめんください。ネルフの人、いますか?」


「はーい。……って加持さん!?どうしたんですかその格好?」


「よッ、ペンペンを届けにな。


この服は……団地妻と、配達人っていうシチュエーションもナカナカな……」


「はい?」














WANDERING CHILD 第拾弐話














無事に使徒を殲滅したチルドレン三人組とミサト、それにペンペンとそれを届けに来た加持を加えた一行は浅間山近くのひなびた温泉宿にきていた。

加持の衣装を見たミサトが顔を赤くして妙に照れていたが、学生時代に同棲していたという二人のあいだに何があったのだろうか?

シンジは深く考えないようにしようと固く心に誓った。

それはともかく温泉である。



「はぁー、極楽極楽。やっぱり、温泉は気持ちいいですねぇ」

風呂は露天の岩風呂、景色は最高、夕焼けがまぶしい。

シンジは湯船に使って体をほぐしていた。

温泉ペンギンのペンペンは、広い風呂に興奮して縦横無尽に泳ぎ回っている。

「レイ。そんなすぐにあがらないで、100まで数えてから出なさい」

女湯のほうからアスカの声が聞こえてくる。

子供じゃ無いのだからとも思うが、レイにはこれ位の方がちょうど良いのかもしれない。

(さっきは耳の後ろも洗いなさいよ、とか言っていたし……)

そう思いながら、熱燗を持ち込んでいる加持に話し掛ける。

「アスカって、ずっとドイツで暮らしていたのにお風呂好きですよね」

「ん?ああ、アスカの母親が風呂好きの人だったらしいからな。えーと」

「あ、アスカの事も、少し知っています」

「そうか」

加持は、一本目の銚子を逆さにして、最後の一滴を落とす。

おそらくミサトもビールを持ち込んでいるだろう。やっぱりお似合いの二人だとシンジは思う。

「アスカにとっては数少ない母親との幸せな思い出なんだろう」

「そうですか……」

何処となくしんみりしたところに、場の雰囲気を乱すことには定評のあるミサトが脳天気な声をかけてくる。

「シンジ君。ボディーシャンプー、投げてくれる?」

「もって来たの、なくなっちゃった」

ミサトの声に、アスカのどこかうかれた声がかぶさる。

「葛城。俺が背中、流してやろうか?」

「アンタは黙ってなさい!」

加持と、ミサトの漫才を無視してシンジはボトルを投げる。

「行くよ」

何処からか、『ヒュー』という効果音が聞こえてくる。

「イタッ。どこ投げてんのよ、ヘタクソッ!もう、変なトコ当てないでよね」

「どれどれ……アスカの肌ってすっごくプクプクしてて面白い」

「キャーッ。そんなトコ触らないでよ。レイはどうなのよ、レイは」

「レーイー」

ザブザブと水をかき分ける音がする。

「うーん、レイのはだってすべすべね……」

「葛城さん、やめてください」

「フフフ……」

百合の花が咲き乱れる女湯のほうを向いて、加持は一人「うんうん」とうなずいていた。



「アスカ……」

膨張する下腹部。フラッシュバックするレイの裸体、そしてアスカの……

己の犯した罪。それは罪。犯してはならぬ罪。

受けるべきは罰。



「おい!シンジ君、大丈夫か」

心配そうな面持ちで、加持はシンジをのぞき込んでいる。

虚ろな瞳のまま、ポツリ、ポツリと話しはじめる。

「僕は汚(けが)してしまったんです。美しい女性(ひと)を、大切な女性を。

心を犯され、心を閉じてしまった人を……病院で。

誰もかまってくれなかった、みんな僕のことをいらない子だって言った。

僕はただ、彼女に縋り付きたかっただけなんだ。

違う、それは言い訳だ」

シンジの目は、やがて焦点を結び出す。しかし、それはどこか狂的な光を帯びていた。

「ベッドに寝たままの、瞳をあけることすら出来ない彼女に……

僕は、欲情して……そして……

僕は最低だ、僕は……」

パンッ!

加持がシンジの頬を打つ。

「落ち着くんだ、シンジ君」

その声は、やさしさと自信に満ちたものだった。

だが、その声とは裏腹に加持は驚嘆していた。

このやさしさと強さを併せ持った少年が始めて見せた、その内に持つ闇に。

言葉の端々から感じ取れる暗い過去に。

だがこの少年が人間に対して、ヒトという存在に対して深い愛情を持っている事も知っていた。

だから問い掛ける。

「シンジ君、君はこのヒトという存在をどう思う?

人の営みをどう思う?

君のしたことは確かに罪かもしれない。けれど、それは決して許されないものなのだろうか?

罪は償えば許される。

だが、償いをせずに自らを罰するのはただの逃避だ。

そして『性』を否定することは人の営みを、人という存在を否定することにつながると思う」

加持はじっとシンジの瞳を覗き込む。

(そうだ、僕はたとえ傷つくとしても人と触れ合える世界を望んだんじゃなかったのか。

罪を償う事から、罪を見つめる事から、それによって傷つく事から逃げちゃいけない。

今は無理でも、こっちのアスカには関係ないけれども。

きっと「アンタ、バカ!?」って言うだろうけど……僕は自分の罪を告白しよう。そして償おう。

人である事を選んだのだから)

シンジの瞳に強い意志の光が戻る。

「大丈夫みたいだな」

そう言うと、加持は銚子を載せたお盆を持って風呂から出て行った。ブランブランと。

……隠せよ。



夕日に火照った体をさらす美女と美少女。

とっくにレイは100まで数え終わっている。

その優美な裸体を赤く染めるのは夕焼けか温泉の火照りか、それともビールのアルコールか。

ミサトの胸から脇腹にかけて古い傷跡が見える。

いけないと思いつつも、つい目が行ってしまうアスカ。

「……あ、これね。セカンドインパクトの時にチョッチね」

「……」

アスカは気まずそうに夕焼けに染まる空を見上げる。

「知ってるんでしょ。アタシの事もみんな……」

「ま、仕事だからね。気にすること無いわ、昔のことなんだもの……」

ミサトもまた、空を見上げる。

「でもね、私はそうもいかないわね」

「えっ?」

「今日はね、焦ってたと思うわ。自分でも。

シンちゃんには前に話したんだけど……アスカとレイにもちゃんと話さなくちゃね」

「……」

空には切りそこねた大根のような、おぼろげな月が浮かんでいた。



「ミサトさん、加持さん、お二人に話があります」

温泉から帰ってすぐの週末。

別の言い方をすれば、ミサトが自らの過去をアスカとレイに話してから最初の週末。

未だこだわりはあるだろう。

だが自らの心のうちに多少なりとも決着をつけられたのではないかと、シンジは判断したのだ。

使徒の話しをしても、冷静さを保てる程度には。



その日、葛城家のリビングに二杯のコーヒーとビールが並んだ。

アスカはヒカリの家に泊まると、出かけている。

「やっと、話してくれる気になったって事かな」

「えーと。まだ話せないことも多いんですけどね。

その、僕の正体というか、何で色々知っているのかっていう理由はまだ……

すみません。

最初に言いたい人が居て、まだその人に言う訳にはいかないんですよ。

だから……本当に、すみません」

「いや、そういう事ならかまわないさ」

「ところでシンちゃん、その人って誰よ?」

十分に予想していたミサトのツッコミだが、それでもシンジは焦ってしまう。

「え、ちょ、ミサトさん、ナニ、言ってんですか」

「そうだぞ、ミサト。ここは、二人のうちどっちだ?て聞くところだろう」

「それもそうね。で、シンちゃんどっち?」

ミサトと加持が、シンジに詰め寄る。

加持は笑っているが、ミサトは妙に真剣だ。

「な、ちょと、二人とも止めて下さいよ。

もう、話すのやめちゃいますよ」

「いや、すまん、すまん。どうも、ミサトに乗せられたようだ。

それにシンジ君も、必要以上に緊張していたようだしな。で、話してくれるかい?」

「はい」

ミサトはまだ何か言いたそうだったが、シンジが話しはじめるのを見てしぶしぶ口を閉じる。



「最初に言っておきますけど、それほど多くの事を知っているわけじゃ無いんです。

僕が知っているのは、いくつか用意されているであろうシナリオのうちの、たった一つだけです。

それも表面に見えてくる部分だけです。

だから、あまり期待されても困るんですけどね……」

そう切り出すと、シンジはこれから起こるであろうことについて話しはじめた。



第9使徒 『マトリエル』

第10使徒 『サハクィエル』

第11使徒 『イロウル』

第12使徒 『レリエル』

第13使徒 『バルディエル』

第14使徒 『ゼルエル』

第15使徒 『アラエル』

第16使徒 『アルミサエル』



シンジの話が進むにつれてミサトの顔が作戦部長のそれになって行く。

シンジの経験としてではなく、こういう使徒が来るとして話をした。

したがって、その戦闘の凄惨さがどれだけ伝わっただろうか?

だがミサトには十分な衝撃だった。

これから現れるのは、ミサトの想像の域をはるかに超えた姿と能力を持つ使徒なのだから。

「後は、第17使徒……最後の使徒ですね」

「えっと、使徒の数は決まっているの?」

「ええ、これは確かです」

「そう。それで、最後のはどんなヤツなの?」

シンジの顔が一瞬歪む。

これまで取り乱さずに話す事が出来た事は賞賛に値するだろう。

あくまでも第三者の視点で、客観的に話した事がよかったのだろうか?

だが、それでも第17使徒――渚カオルの事は、話す事が出来なかった。

「すいません、彼の事はよく知らないんです」



シンジの話は続く。

全てを裏から操っているゼーレの存在。

戦自の突入。そしてエヴァ量産機。

サードインパクト。

そのための依り代として……初号機が利用されるであろうという事。

小さな嘘を織り交ぜながら。



「それは……」

ミサトが何かを言いかける。

が、言うべき言葉を見つけられない。

代わりに、それまで黙ってシンジの話しを聞いていた加持が口を開く。

「その事は、アスカやレイちゃんにも話すべきなんじゃないか?」

シンジは軽く目を瞑って、精神汚染によって廃人同然になったアスカの姿を思い浮かべる。

やがて目を見開くと、首を横に振る。

「アスカには、ある程度話しても問題はないと思います。

ただ、どうしても話すわけにはいかない事があるんですよ。

アスカにその事を聞かれたとき、最後まで話さないでおける自身が無いんですよ」

「ほう……」

シンジはしばらく逡巡していたが、やがて意を決する。

「加持さん、マルドゥック機関のことはもう調べましたか?」

「いや、まだ手をつけ始めたところだな」

「でも、予想はついているんでしょ?」

「ん……そうだな。マルドゥック機関は書類上にしか存在しない。

俺はそうにらんでいるがね」

「そのことも含めて、いくつか僕の知っている事を話そうと思います」

加持の目が奇妙な光を帯びる。

「僕のクラスのみんなには、共通点があります」

「エヴァのパイロットのこととか、機密の漏洩を最小限に抑えるためにネルフのB級以上の職員の子弟をあつめてあるんでしょ?」

「それもあります。もう一つ、みんな母親が居ません。

それも恐らくネルフの病院に入院しているか、ネルフの病院で亡くなっているはずです」

「どういうこと?」

「後で、まとめて説明します。

ミサトさん、どうやってエヴァを操縦するか知ってますか?」

「どうって、シンクロするんでしょ?」

ミサトが何を当たりまえの事をといった風情で答える。

「シルエットこそ人間に似ていますけど、人間とは間違う存在です。

0.11%とはいえ、種族を隔てる遺伝子の差は大きいはずです。

どうやってシンクロすると思いますか?」

「いや、ナンカ全然話が見えないんですけども」

ミサトは、全然脈絡の感じられないシンジの話についていけない様子だ。

「すいません、後で、全部つながるんですけど……

えっと、次で最後です。僕は泳げません」

シンジの『最後』という言葉に、何が来るかと身構えていたミサトは、一気に脱力する。

「シンちゃん。……えっと、今のは笑うところかしら?」

シンジもミサトの反応にさすが苦笑するしかないようだ。

「いえ。いろんな事が複雑に絡み合っているので、一度に説明しようとするとなかなか……」

「ふーん。で、シンちゃんが泳げないってのは何で?」

「実はちょっとしたトラウマがありまして……」

「あ……ごめんなさい。無神経だったかしら」

「いいえ、気にしないでください。

実は、子供のころ目の前で母さんが溺れ死ぬところを見ていたんです」

あまりのことにミサトは絶句する。が、あることに気がつく。

「それは……ちょっと待って、シンジ君のお母さんって交通事故で死んだんじゃ無いの?」

「確かに、公式記録ではそうなっています。

もっとも、溺れたっていうのも、小さかった僕にはそう見えたってだけで、実際は違うんですけど。

……加持さんは知っていますよね?」

それまで黙って聞いていた加持は、組んでいた腕を解くとシンジに答える。

「ああ、まだ確信を得たというレベルじゃ無いがな」

シンジは、加持のほうを向いて軽くうなずくと、続きを話し始める。

「母さんは、エヴァとのA10神経を利用した……

あー、要するにシンクロ実験中の事故でエヴァに取り込まれたんです。

今考えると、初めて初号機に乗ったときは使徒と戦う事よりも初号機に乗る事、L.C.L.が満たされる時の方が怖かったのかもしれません」

シンジは、前回初めて初号機と対峙したと機の事を思い出す。

ミサトは、L.C.L.に満たされようとした時のシンジの表情を思い出していた。

「エヴァに直接シンクロすると、すぐに過剰シンクロを引き起こしてしまって危険なんです。

だから、僕たちはエヴァと直接シンクロしている訳では無いんです。

僕は、エヴァに取り込まれた母さんとシンクロしています」

「な、え、ちょっと、それは……」

ミサトは、あまりの衝撃のために言葉にならない。

「なるほど、そこでシンジ君のクラスが出てくるのか」

ある程度、予想していた事なのだろう。加持は落ち着いた様子で相槌を入れる。

「そうです。僕のクラスはエヴァのパイロットの候補が集められているのです」

ここまで一気に話したシンジは、一息つく。

「なるほど……マルドゥック機関は存在しないか」

加持の顔は、苦渋に満ちていた。

「そして……」

シンジの表情が曇る。

「アスカの事です」

「あっ!!」

シンジの言わんとする事に気が付いたのか、ミサトが声を上げる。

「もしかして……アスカのお母さんも……」

シンジは、苦しげな表情で首を振る。

「そうです。アスカのお母さん……キョウコさんもまた、実験中の事故によってエヴァに取り込まれてしまったんです。

事故の後、キョウコさんを助けようとしてサルベージ……L.C.L.から救出する計画が実行されました。

そして、それは半分だけ成功しました。

救い出されたのは、キョウコさんの魂のごく一部でした。

その事はもしかしたら、アスカにとっては最も不幸な結末だったかもしれません。

キョウコさんは、実験による精神汚染として処理されました。

そして、……そして、悲劇は起こりました」

「……」

ミサトも、加持も言葉を発する事が出来ない。

「今のアスカにとって、弐号機はかなりの割合を占めています。

そして弐号機にお母さんがいる事が分かれば、アスカはますます弐号機に依存するでしょう。

もし微妙なバランスが崩れればアスカが壊れてしまうほどに……」

シンジの脳裏に浮かぶアスカの姿。

あまりにも弱々しいその姿。

「そうね……、アスカにはまだ黙っておいたほうがいいわね……。

えっと、レイはどうなの?」

「レイは……」

わずかな変化ではあるが、加持の表情が変わる。

やはり鍵になる存在だと考えているのだろう。

「レイも、秘密を抱えています……

ミサトさん。最近のレイの様子、どう思いますか?」

「どうって……そうね、前よりも感情を表に出すようになったというか。明るくなったというか」

「そうですね、僕もそう思います。

そして、ミサトさんならわかると思いますが、今はレイにとって非常に微妙な時期だと思います」

「そうね」

ミサトは昔の自分を思い出す、言葉を失っていたころを。

加持はその様子をやさしく見守っていた。

「レイは、アスカとは逆に自分の秘密を知っています。

そして今、レイが自分の秘密を知られているという事を知ることが、レイにどんな影響を与えるのか……

僕には想像もつきません」

「まだ、しばらくは様子を見た方がよさそうね」

「はい。僕もそう思います」

シンジは緊張を吐き出すようにフゥと大きく息を吐いた。



「お前は気付いたか?」

助手席の加持が話し掛ける。

「なにが!!」

噛みつかんばかりの様子のミサト。

「運転手に引っ張り出した事、まだ怒ってるのか?」

「うっさい!それより何よ」

「はあー。第17使徒のことだよ、シンジ君は『彼』と表現した」

「……使徒って性別あんの?」

「ナンジャソラ」

「何で、棒読みなのよ」

「……」

気まずい沈黙が流れる。

「おそらく、シンジ君はその人型の使徒を知っているんだろう。

もしかしたら、今日の話もその『彼』に聞いた話かもしれない」

「使徒の話はともかくとして、今日のシンちゃんの話は……」

「ああ、正解と見て良いだろう」

「ふーん。……アンタそのうち死ぬわよ」

意味ありげな視線を送るミサト。

「とっくに、シンジ君に釘をさされてるよ」

加持は頭を一つ掻いて、話を戻す。

「使徒にどれくらい知恵があるかは知らんが、『彼』はシンジ君の味方か……」

「シンジ君は利用されている?」

ミサトの言葉に加持は黙ってうなずく。

「彼……か」

静寂が支配する車内。

二人はじっと前を見据えながら、これからの戦いを思っていた。





つづく





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