「ええぇえー!また脱ぐのぉーっ!?」


「そうよ。ここから先は超クリーンルームですからね。


シャワー浴びて、下着をはきかえるだけでは済まないのよ。


……さあ、オートパイロットの実験を始めるわよ」














WANDERING CHILD 第拾六話














「ほら、お望みの格好になったわよ。17回も垢を落とされてね」

クリーンルームに全裸の三人が出てくる。

三人の間には、肩から少し下の辺りから仕切りがしてあるだけで、その気になれば覗けそうだ。

「では、三人ともそのままこの廊下を抜けて、そのままプラグに入って頂戴」

いつもと変わらぬ調子でリツコが指示をだす。

「ええぇぇえっ!?」

ネルフ本部に、第7使徒戦以来のアスカの悲鳴が響き渡った。

「大丈夫。映像モニターは切ってあるわ。

プライバシーは保護してあるから」

「そぉいう問題じゃ無いでしょ。気持ちの問題よっ!」

キャアアアーーー!アタシ、裸なのよ!?

んでもって、すぐ隣にはシンジがいて。それも裸よぉぉ!!

いやあーーーー不潔よぉーーーーって、アタシはヒカリかぁ!

ちらりと隣の様子を窺うと、何となく視線をさまよわせていたシンジと目が合う。

「こらぁ!バカシンジ、こっちを見るなぁーー!!

キャー。もう、お嫁にいけないぃー!!!」

どうしよう、シンジに見られた。は、恥ずかしい。

あ、でもアタシと目があったってことは、レイじゃなくってアタシのほうを見ていたってことよね。

……

はっ!何をホッとしているのよアタシ。

だいたい、シンジが誰の事を見ていてもあたしには関係ないでしょうが。

それにしても、シンジの奴きゃしゃに見えて、意外と筋肉がついてるんだ。

まあ、結構ハードなトレーニングこなしてるもんねえ。

だああ……そんなことより、シンジがアタシの珠の肌をただで見たことが問題なのよ。

いや、料金を払ったりしたら殺すけど。



「あの娘は何を独りでコントをしているのかしら」

リツコの声に答えるものはいなかった。



「……はい。使徒は、MAGIに接続されている模擬体から侵入してきます。

そこを防げば……最低でも時間は稼げると思います」

ミサトはシンジの言葉を思い出しながら、『イヤンイヤン』と激しく頭を振るアスカのサーモグラフィの映像を厳しい表情で見ていた。



「リツコ、パイロットの安全を優先させてもらうわよ。

シミュレーションプラグを射出して!早く!!」

ミサトが命令を出したのはぎりぎりのタイミングだった。

実験における責任者はリツコであり、リツコを差し置いてミサトが命令を出す事は出来ない。

あるいは立場が逆であったなら、リツコは早々に指示を出していたかもしれない。

だが軍人として厳しい訓練を受けてきたミサトには、命令系統を無視することは出来なかった。

ミサトが戦略自衛隊に入隊したのはセカンドインパクトから9年目の春。

落ち着いてきたとはいえ、まだまだ混乱が各地に残っていた。

治安維持のために出動する事も少なからずあった。

さらに軍隊という閉鎖された社会では、一般の四年制大学出身のミサトは変わり者として敬遠され、危険な任務を押し付けられる事も多々あった。

その後ネルフに出向の辞令が下ったのも、ミサト自身の強い希望もあったが同じような理由ではなかったかと思っている。

もっとも使徒に復讐する機会を求めての入隊だったので、ネルフへの出向は渡りに船ではあったのだが。

そのような経緯もあり、今では戦自に対しては恨みに近い感情しか持っていない。

それはともかく、ミサトはそこで命令系統の混乱は死に直結する事を身を持って学んでいたのだ。

「えっ?」

リツコではなくミサトから指示が出た事で、スタッフは一瞬とまどった。

その一瞬は十分な時間だった。

「何をしているの!早く!!」

『キャーーー!!!』

ミサトの怒声とレイの悲鳴とどちらが早かったのだろうか?

直ちにシミュレーションプラグは強制的にシンクロをカットされ、緊急射出された。

ミサトにとってそれは、ほぞをかむべき結果だった。



「僕は何をやってるんだ?」

シンジの呟きはL.C.L.に吸い込まれるように消える。

静かだった。

おそらく、レコーダーは働いているだろう、うかつな事はしゃべれない。

それでも、不安に押しつぶされそうで、何かしゃべらずにはいられなかった。

「何も出来ないのかな?」

知っているだけでは……その言葉を飲み込む。

(自分は、知識を有効に使えているのか?)

自問してみる。

否。

もっと、何か出来るのではないのか?

自責の念にさいなまれる。

(後は、リツコさんに任せるしかない)

唇をかみ締める。

リツコに全てを話しておくべきではなかったのか?

軽率に話すわけにはいかないと自分を誤魔化して、ただ漫然と日常を過ごしていたのではないか?

本当に努力をしていたのか?

あんなに固く心に誓ったのに。

昔の自分と、何も変わっていないのではないか?

「くそっ!」

待つ。

シンジには待つ事しか許されなかった。

だから、ひたすら待つ。



「まさか、本当に来るとは思わなかったけれど、使徒がキーボードを叩き始めたわよ。

どうするのリツコ?」

使徒はMAGIにハッキングを仕掛けてきたものの、技術部が防護を強化していた事が幸いし、メルキオールに侵入した状況で小康状態となった。

しかし、侵攻が再開されるのも時間の問題だろう。

「彼らはマイクロマシーン、細菌サイズの使徒と考えられます。

その個体が集まって群れを作り、この短時間で知能回路の形成に至るまで爆発的な進化を遂げています」

「進化、か」

今まで口を閉ざしていた冬月が始めて口を開いた。

「彼らは自分自身を常に変化させ、いかなる状況にも対処、生き延びるシステムを採っています。

あの使徒が進化を続けるようなら勝算はあります」

「ふむ」

御馴染みのポーズのまま、ゲンドウがうなずく。

「進化の促進かね」

「はい」

「進化の終着地点は自滅、『死』そのものだ」

「ならば、進化をこちらで促進してやればいいわけか」

もともと形而上生物学の権威であり大学で教鞭をとっていた冬月と、そのもとで学んだことのあるゲンドウはすぐにリツコの言わんとするところを理解した。

横で話を聞いていたミサトの頭上には、大きなクエスチョンマークが浮かんでいる。

それを無視して、リツコは話を続ける。

「使徒が死の効率的な回避を考えれば、MAGIとの共生を選択するかもしれません」

そのとき、使徒の動きを監視していたマヤが報告する。

「メルキオールが使徒にリプログラムされました!」

焦りの色は窺えるものの、その声から冷静さは失われていない。

「今度はメルキオールが、バルタザールをハッキングしています!」

「メルキオールから自律自爆が提訴されています!!」

マコト、シゲルも次々と状況の変化を報告する。

『メルキオールより自律自爆が提訴されました。否決、否決……』

新たな警報音と共に、アナウンスがながれだす。

「再び小康状態になりました。

シンクロコードを15秒単位にしておいて正解でしたね、センパイ」

リツコは、マヤに視線だけで答えると、ゲンドウの方に向き直る。

「バルタザールが食い止めているあいだに、カスパーを通じて自滅促進プログラムを送り込みます」

「一刻を争うな。すぐに取り掛かりたまえ」

「はい」



「独りは嫌だな……」

アスカはシートの上で膝を抱える。

「……寒い」

プラグ内の温度は適温に保たれている。

それでも……寒い。

「ママ……」

アスカの呟きが、意外に広いプラグに響く。

第6使徒ガギエル戦のとき、シンジと共にエントリーした事を思い出す。

独り。

独りでいる事が妙に意識された。

ずっと独りだったのに……

独りで生きていくって決めたのに……

「そうか。日本に来てからは、いつも誰かが側に居たんだ」

独りで居ることに絶えられなくなっている自分に気付いて、アスカは愕然となった。

二度、三度と激しく頭を振ると、決然とした表情で顔を上げる。

こぶしを硬く握り締める。

が、すぐに緩む。

独りで生きることの愚かさ、悲しさ、せつなさ……

日本に来てからの日々が、その事を自然と学ばせていた。

いや。封印してしまった幼き日の思いを、思い出したのかもしれない。

「アタシ、役に立ってるのかなあ……」

独りは嫌だ。

少女は無償の存在を知らない。

それは、例えば母の愛。

独りは嫌。でも自分は役に立っているのか?

もし、そうでないのなら……

誰も、アタシを見てくれなくなる。

恐怖がアスカを襲う。

寒い。

独りは嫌、独りはいや、ひとりはいや、ヒトリハイヤ……

再び、アスカは膝を抱える。

そうする事しか出来ないから。

「シンジ……」

その、無意識の呟きの意味も知らずに。



MAGIは三台の有機コンピュータから形成される。

そのうちで唯一、使徒からの侵入を免れているカスパーの内部にキーボードを叩く音が鳴り響く。

「……ねえ、少しは教えてよ。MAGIの事」

「長い話よ」

リツコはキーボードを叩く手の動きは変えずに答える。

「そのわりに面白くない話」

やはり、手の動きはそのままに、一瞬だけミサトのほうに視線を送る。

「人格移植って知ってる?」

「ええ……第7世代の有機コンピュータに個人の人格を移植して思考させるシステム。

エヴァの操縦にも使われている技術よね」

じっとリツコの方を見つめながら、ミサトが答える。

「MAGIはその第1号らしいわ、母さんが開発した技術なのよ」

「じゃあ、お母さんの人格が移植されているの?」

「そうよ、これは母さんと同じ思考をする、母さんの脳みそみたいなものよ」

振り返ったリツコの視線の先には、むき出しの脳に似た巨大なMPUが見える。

「それで、MAGIを守りたかったの?」

「違うわ、科学者としての判断ね。

あくまで『みたいな』ものよ、決して母さんの脳そのものじゃないわ。魂が無いのよ?」

「魂ねえ」

「魂の存在は科学的に証明されているわ。

そうね……私達が普段食べている牛肉の9割はクローン技術によって飼育されたものよ」

「ええ」

「その牛たちは与えられれば餌も食べるし水も飲む、夜になれば眠る。

危害を加えられれば痛がる。

でもね、与えられなければ飢えていたとしても何も食べない。

痛がるのも、刺激に対して体が反応しているだけでそこには何の感情も無いわ」

「そう言えば、そんな話を聞いた事があるような……」

「魂が形作る体の設計図である遺伝子はコピーできても、魂そのものはコピーできない。

確かに母さんと同じような思考をするかも知れない。

でもね、いくら罵っても怒らないし、おだてても何の反応も返ってこないのよ」

再び、視線をカスパーのMPUに向ける。

「母さんはもう死んでいるのよ」

その言葉は、どこか自分に言い聞かせているかのようであった。



L.C.L.……

目覚めたとき、初めて知覚した液体。

血の臭いのする液体。

血。

血を流さない女。赤い土から作られた人間。

男と女から作られた人間。

街。

人の作り出したモノ。

エヴァ。

人の作り出したモノ。

人は何?

神様が作り出したもの?人は人が作り出したもの?

私にあるのは命。心。魂の容れ物。エントリープラグ。

魂の座。



レイはそっと目を見開く。

見慣れたプラグ内の風景。

L.C.L.の臭い。

L.C.L.は嫌いだった。L.C.L.を連想させる血も嫌いだった。

自分が生まれた場所を思い出すから。

大勢の自分を思い出すから。

「私が死んでも、代わりはいるから」

そっと呟く。

それは自虐的な暗い歓びと、その代償の深い自己嫌悪をもたらす。

私が死んでも、代わりはいるから。

何故、自分なのだろう?

彼女たち、他の自分でもよかったはずだ。

他の体の自分。

それは私?それとも他人?違う自分?

これは誰?

これは私。私はなに?私は何?私は何?私は何?私は何?

……ヒトではない自分。

私は……

ループする思考。

レイは再び、瞳を閉じる。

じっと座って、時が来るのを待ち続ける。



「来た!」

シゲルが声をあげる。

発令所の巨大なモニターには、三台のスーパーコンピューターの様子が模式的に表されている。

バルタザールが、僅かずつだが確実にその領域を広げていた第11使徒レリエルを表す赤に染まる。

けたたましい警報が鳴り出す。



「始まったの?」

ミサトが、カスパーのメンテナンス用のハッチから顔を出して声を上げる。

リツコ、マヤのキーボードを叩く手の動きが加速する。



「バルタザールが、のっとられました!」

振り返り報告するシゲルの目には、いつもと変わらぬ様子のゲンドウと冬月。

彼らは何を思うのか?



『人工頭脳より自律自爆が決議されました。

自爆装置は三者一致後の02秒で行われます。

自爆範囲はジオイド深度マイナス280、マイナス140、ゼロフロアーです。

特例582発動下の為、人工知能以外によるキャンセルは出来ません』

合成された、どこかぎこちなさを伴う声でアナウンスされる。



「バルタザール、さらにカスパーに侵入!」

シゲルの声には、もはや余裕はなくなっている。



『人工頭脳より自律自爆が決議されました。自爆装置稼動まで……』

耳障りなアナウンスがながれ続ける。



「リツコ!急いでっ!」

モニターでは、カスパーが凄い勢いで赤く染まっていく。

それをみたミサトは、中に向かって叫ぶ。

「大丈夫、間に合ったわ。マヤ!」

「いけます!!」

「押して!」

二人同時にリターンキーを叩く。



まさに赤に飲み込まれんとするカスパーが、突然ものすごい勢いで青い色に変わっていく。

「やった!」

さらに、青い光はバルタザールへ侵入していく。

「自滅プログラム、バルタザールに展開!」

思わず叫んでしまったマコトだが、すぐに冷静に報告をする。

モニターでは、メルキオールを争って、赤と青の激しい陣取りゲームが展開される。

「そうだ、よく考えろ。どうすれがみんなが生き延びられるかを」

そのシゲルの叫びは、皆の願いを代弁するものだろう。

一時、拮抗していた二つの色は、やがて青が優勢になる。

発令所にいる全ての目が見つめるなか、ついにメルキオールもいっせいに青一色に変わる。

「やったあー」

それは、誰の声なのか。

やがて、発令所は歓声に包まれる。



『人工知能により、自律自爆が解除されました。なお、特例582も解除されました……』

耳障りに聞こえた合成音も、今は天使の声のように聞こえる。



そんな騒ぎのなか、リツコはMAGI――カスパーの横でぐったりとしている。

「もう歳かしらね。徹夜がこたえるわ」

「お疲れさん」

ミサトがコーヒーを手渡す。

「ミサトの入れたコーヒーをこんなに美味しいと思ったのは初めてだわ」

その言葉に、ミサトも苦笑を返す。

「死ぬ前の晩、母さんが言ってたわ」

MAGIを見つめながら話し始める。

「MAGIは三人の自分なんだって。

科学者としての自分、母としての自分、女としての自分。

その三人がせめぎあっているのがMAGIなのよ。

……違う、そうじゃない。

MAGIはコピーであって母さんじゃない。それはわかっているのよ」

フウゥ。

大きく息を吐き出す。

「ロジックじゃないのね」

そのリツコの呟きは、発令所の歓声の中に消えていった。





つづく





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