『役不足』


@役目に不満を持つ事。また、役目が軽すぎて能力が発揮できない事。


A力不足の意。90年代半ばから逆の意味に誤用されるようになり、次第に定着した。


類:役者不足:役不足の誤用の増加にともない創作された言葉。力不足。


2011年発行の国語辞典より抜粋














WANDERING CHILD 第拾八話














「キャアーーー。助けて加持さん!!

何すんのよヘンタイ。キャーーーーー!!!」

ピッ!

アスカは携帯電話のスイッチを切る。

「なんちゃって。……何やってんだろ、アタシ」

場所は学校。今は清掃時間らしく箒を持った生徒の姿が見える。

フウゥーーー

一つ息を吐き出すと、廊下の壁にもたれた。

「加持さんに電話して……それでどうするつもりなんだろう? アタシ」

加持さんのことは好き。

結婚は考えていない。独りで生きて行くと決めたから。

でも、加持さんとなら……加持さんとならSEXしてもいいと思ってた。

だって、加持さんのことが好きだから。

それが、好きってことだと思っていたから。

加持さんのことは好き。

レイのことも好き。ヒカリのことも、ミサトのことも好き。

……それにシンジのことも。

今の学校生活も気に入ってるし、ハンバーグも好き。

みんな好き。

でも、みんな違う好き。

好きって何だろう?

加持さんのことは好き。

でも、この好きはどんな好きなんだろう?

他の好きと、どう違うのだろう。

私は……

「どうしたの?」

「えっ。あ、ああ、ヒカリか……見てたんだ」

「うん」

アスカの隣に、同じように壁にもたれる

「廊下であんな事、大声で叫んで。今度は急に黙って考え事を始めちゃうし」

「ん、うん、まあね。

明日の日曜日さ、加持さんにどっか連れてってもらおうかなあと思って電話したんだけどね……

ずっといないの。ここんとこ、何時かけても留守」

「てことは、明日はヒマなのね?」

「残念ながら、そういうこと」

「じゃあさ、ちょっと頼みがあるんだけど」

「え?」

「実は……」

声をひそめるヒカリ。

「ええぇえぇえっ!デェートォー!?」

再び、アスカの声が廊下に響く。

「コダマお姉ちゃんの友達なんだけど、どうしても紹介してくれってたのまれちゃって」

両手を合わせて頼み込む。

(日本人ってどうしてこうお節介なのかしら)

ため息とともに、アスカはその言葉を飲み込んだ。

「兎に角、お願いね」

「うん」

アスカは再び大きく息を吐き出すと、教室に戻った。



「明日、何着て行く?」

シミュレーションプラグによるシンクロ実験が行われている。

モニターには、瞑想しているかのように見える三人の子供たち(チルドレン)の姿が見える。

リツコは、制御室でその様子をチェックしながら、後ろに立っているミサトに話し掛ける。

「ああ、結婚式ね。

ピンクのスーツはキヨミのときに着たし、紺のドレスはコトコのときに着たばっかだし……」

「オレンジのやつは?あれ、なかなか似合うじゃない」

「あれね、……あれはチョッチわけありで」

「きついの?」

「そうよ!帰りに新調するしかないわ。ああ、出費が嵩むなあ」

「こう立て続けだと、ご祝儀も馬鹿にならないわね」

「ちぃ。三十路前だからって、どいつもこいつも焦りやがって」

「お互いに、『最後のひとり』にはなりたくないわね」

チラと、ミサトのほうを見る。

「三人とも上がっていいわよ」

せり上がるプラグ。外に出てくる三人。

「ここんとこテストばっかし、つまんないの」

これ見よがしのアスカの声に反応する者はいない。

「フン!」

面白くないアスカは、ドスドスと足を踏み鳴らして、足早に引き上げていく。

「今日はまた一段とシンジ君、暗いじゃない」

その様子を見ていたリツコが呟く。

「明日だからね。色々考えてしまうのよ」

「あした?……そう、明日ね。

母親の墓参りか、父親……碇司令と会うの、嫌なのかしら」

その表情は寂しげで、ミサトはからかうことも出来なった。

「はあー」

シンジ、アスカ、ミサト、リツコ。それぞれのロッカーで、制御室で、それぞれの溜め息が重なる。

「明日、か」



結婚披露宴の会場であるホテルのホールでは、『てんとう虫のサンバ』『部屋とワイシャツと私』『あ〜よかった』と女性による歌が続き、今は初老の男性が『関白宣言』を歌っている。

「知ってる?新郎のほうが部下らしいわよ」

リツコは隣に座っているミサトのほうを振り返って、初老の男性の選曲を揶揄する。

因みに、まだ『乾杯』がこの後に控えていたりする。

「んーー」

気のない返事が返ってくる。

ミサトは、リツコとは反対側の隣の席を見ていた。

空席のままのその席には、加持リョウジの名札がナプキンに立てられている。

ふう。

その名札を、息を吹きかけて倒す。

「来ないわね。リョウちゃん」

「あのバカが時間通りに来たことなんて、一度もないわよ」

「デートのときは、でしょ?仕事は違っていたわよ」

「フンッ」

むすっとしたミサトにリツコがなにか声をかけようとしたとき、人影が灯かりをさえぎった。

「お二人とも、今日は一段とお美しい」

軽く手を上げて挨拶すると、スマートな身のこなしで椅子に座る。

さりげない動作が、絵になる男だった。

「時間までに仕事、抜けられなくてね」

「いつも暇そうにプラプラしてるくせに。

どうでもいいけど、何とかならないの?その無精髭。ほら、ネクタイ曲がってる」

手を伸ばして、ミサトは加持のネクタイを直す。

「こりゃ、どうも」

驚いた表情の加持。

「何よ」

「いや、あの頃はこんな事、しなかったからな」

「アンタと違って、大人になってるのよ」

二人の掛け合いに、クスクス笑う声が重なる。

「あなた達、夫婦みたいね」

「そう?いいこと言うね、リっちゃん」

軽く受け流す加持。

「誰が、こんな奴と!」

むきになるミサト。

……大人?



そこは、圧倒的なまでに広く、寒々とした霊園だった。

セカンドインパクトの被害者が埋葬されており、簡素なつくりの墓が何処までも続いている。

シンジとゲンドウ、二人が立つのはIKARI,YUI 1977−2004と刻まれた墓の前。

「3年ぶりだな。二人でここに来るのは」

花を供え、黙祷をささげたゲンドウが口を開く。

「うん」

「人は思い出を忘れる事で生きて行ける。

だが、決して忘れてはならないこともあるのだ。ユイはそのかけがえのないものを教えてくれた。

私は、その確認をするためにここへ来ている」

二人とも墓碑の方を向いたまま、顔をあわせようとしない。

「父さんは教わっただけで、誰にもそのことを伝えなかったの?

少なくても、僕は誰からも教わらなかった」

「……」

「母さんの事は、あまり覚えていない。

『母』と言う存在には、憧れを持ってる。

でも母さんには正直、何の感情も持っていないのかもしれない。

このお墓には何も無いことも知ってる。

でも、ここに来たいって思ったんだ。

何が、……何が、此処にはあるんだろう」

「シンジ、……母さんを、ユイを……。いや、なんでもない。

時間だ、先に帰るぞ」

上空からVTOL機が降りてくる。

立ち去るゲンドウの背中に、シンジの声がかかる。

「もしかしたら、もしかしたら僕は父さんに会いたくて此処に来たのかもしれない。

正直、父さんのことを憎いと思ってる。

でも、それ以外の感情も持ってるんだ。

また、……また話せたらと思う」

「そうか」

立ち止まってそう答えると、ゲンドウは振り返ることなくそのままVTOL機に乗り込むのだった。



窓から差し込む夕刻の光は、部屋の風景をセピア色に変える。

流れるチェロの音。曲は、バッハの『無伴奏チェロ組曲』か?

ゆったりとした旋律。

セピア色の魔法はチェロを演奏している少年の姿さえも風景に溶け込ませ、一枚の絵画のように見せる。

やがて、曲が終わる。

パチパチパチ。突然聞こえてきた拍手に少年――シンジは振り返る。

「結構いけるじゃない。チェロなんか弾けたんだ」

「うん。去……この前もこの日に弾いたし、何となくね」

「ふうーん。鎮魂歌ってやつ?」

「ん、ちょっと違うかな」

「そう」

「早かったんだ」

今回も途中で帰ってきたのだろうか?シンジは、そのことが酷く嬉しかった。

「ええ。初めてのデートだから、紳士的に早く帰るんだって」

屈託のないアスカの表情。

「楽しかった?」

「うん」

「そうなんだ」

うつむくシンジ。

「本当はさ、今日は加持さんにどっか連れて行ってもらおうって思ってたの」

「うん」

「アタシさ、加持さんに会う前は、何もなかったの。……その、好きなものって」

「えっ」

シンジは驚いた表情で顔を上げる。

「加持さんと出会って、色々話とか聴いてもらったりしてさ。加持さんのこと、好きになった」

「うん」

「これが、好きってことなんだと思ってた。

でもね、こっちに来て好きなものがいっぱい出来た。

好きにも色々ある事を知ってさ、この好きがどういう好きかわかんなくなっちゃった」

「アスカ……」

「ここんとこ、なんか色々考えちゃってさ。

そういうのとまったく関係ない人と遊んでスッキリした」

「そうなんだ」

柔らかな風が吹く。

「うん。何で、アンタに話したのかな、こんな事。今までなら加持さんに相談したのに。

……まあ、加持さんは今回、当事者だけど」

「あ、夕飯、食べるよね。用意するよ」

「うん」

シンジの声はやさしかった。アスカの答えは微笑みに彩られていた。

セピア色の風景が、二人をやさしく包んでいた。



「ごめん、チョッチ御手洗い」

会場のホテルから程近いバーラウンジ。ミサト、リツコ、加持は三人だけの三次会をしていた。

窓際のカウンター。景色はすっかり暮れ、遠くにヘッドライトの連なりが見える。

「とか言って逃げるなよ」

立ち上がるミサトに加持が声をかけると、アッカンベーが帰ってきた。

ヒールの音が小さく響く。

「ヒールか」

ミサトが抜けた空席を越えて、加持はリツコのほうに視線をやる。

「何年ぶりかな、三人で飲むなんて」

「ミサト、飲みすぎじゃない?なんだか、はしゃいでるけど」

「浮かれる自分を抑えようとして、また飲んでる。今日は逆か」

「やっぱり一緒に暮らしていた人の言葉は重みが違うわね」

意味ありげな視線を送る。

「暮らしてたって言っても葛城がヒールとか履く前の話だからな」

「学生時代には想像もできなかったわね」

「俺もガキだったし、あれは暮らしって言うよりも共同生活だな。

ママゴトだよ。現実は甘くないさ」

リツコはグラスの水割りを飲み干すと、学生時代を懐かしむかのような表情になる。

「そうだ。これ、ネコのお土産」

ポケットからみやげ物の袋を取り出して差し出した。

「あら、ありがと。まめね」

袋の中からネコのペンダントを取り出してもてあそぶ。

「女性にはね。仕事はずぼらさ」

「どうだか、……ミサトには?」

「一度敗戦してるからな。まあ、持久戦でいくさ。リっちゃんは?」

「自分の話はしない主義なの、おもしろくないもの」

「ま、あの人が相手じゃな……」

リツコの相手は、もはや周知のことだ。

「格好良く決まらなくなっちゃったわね」

苦笑するリツコの顔は、しかし活き活きとしていた。

「遅いな、葛城。化粧でも直してんのかな」

「好きな男の前だからでしょ」

「好きな男の前ね……。

そう言えばこの前、アスカの買い物に付き合ってたら、いきなり顔を真っ赤にして帰っちゃったよ」

思わず苦笑をもらす。

「トイレを我慢していたのよ」

「だろうな、気にすることないのに」

「女の子には一大決心よ、好きな人の前でトイレに行くなんて」

「好きな人か。

……自分の心に気付かないのか、気付きたくないのか。難しい年頃だな」

「ところで、京都へは何しに行って来たの」

「あれ?松代だよ、その土産」

「とぼけても無駄。あまり深追いするとヤケドするわよ。これは友人としての忠告」

(京都に行ってたと思ってもらえりゃ、御の字さ)

そんな思いをおくびにも出さずに言葉を続ける。

「真摯に聞いておくよ。どうせ、ヤケドするなら君との火遊びを……」

「花火でも買ってきましょうか?」

戻ってきたミサトが茶々を入れる。

「お帰り」

「変わらないわね。そのお軽いところ」

「いや、変わってるさ。生きるって事は変わるって事さ」

「ホメオスタシスとトランジスタシスね」

リツコは加持に貰ったペンダントをハンドバックにしまう。

「何それ?」

「今を維持しようとする力と変えようとする力。

その矛盾する性質を一緒に共有しているのが生き物なのよ」

「どうかな。今を維持するために変わっていくのだと思うよ、俺は」

カランと、グラスの氷が鳴る。

「そろそろ、おいとまするわ……。仕事も残っているし」

リツコは、二人に意味ありげな視線をおくってから、店を出ていった。



「ミサト、遅いわね」

「うん」

テレビは、面白くもない深夜番組を放送している。

リビングに、アスカと二人。(ペンペンもくつろいでいるが……)

シンジにとっては、何事にも変えがたい時間であった。

シンジは、自分の気持ちをはっきりと自覚していた。

しかし、未来の記憶を持つ事が、シンジに自らの気持ちを伝えることを躊躇させていた。

その思いが純粋な恋であったならば、或いはすでに告白していたのかもしれない。

だが、家族としての思いがそれを妨げる。

ともあれ、前回の記憶を持つシンジは、この後のことを思い落ち着かない時を過ごしていた。

「ねえ、シンジ、キスしようか」

「えっ」

「退屈だしさ……」

「出来ない」

それは、熟慮した末の答え。

「このアタシがキスしようって言うのに嫌なの?それとも怖い?」

「アスカだから……アスカだからそんな理由でキスしたくないんだ」

「え!?それって……アンタ」

シンジは告白したのも同然である事に気付き、真っ赤になる。

「あ、あの、僕、その、先に、寝るね」

「待ちなさいよ」

アスカの声に、自分の部屋のふすまに手をかけていたシンジの動きがとまる。

そのまま大きく二つ深呼吸をすると、意を決して振り返る。

「そうだね、ちゃんと自分の気持ちを伝えないとね」

再びアスカの前に座ると、姿勢を正す。

「あ、えっと、僕、碇シンジはアスカのことが好きです。

オーバー ザ レインボーの上で再会したときから。いや、もしかしたらもっと前から……」

「アンタ……」

「アスカも気付いてるんだろ?僕が秘密を持っていること」

「……まあね」

「ごめん。今は、まだ話せない。だけど、いつか、きっと」

「そう……。アタシ、加持さんのことが好きよ」

「うん。強力な恋敵だね」

「そっか……。まあ、アタシもミサトが恋敵なんだけどね」

「お互い、大変だね」

「……昼間の話、覚えてる?」

シンジは、黙ってうなずく。

「アンタの事はさ、その、好きだと思う。もちろん加持さんのことも好き。

でも、違う好き。

どの好きが恋愛感情なのか、アタシには分からない。

でも、加持さんへのこの気持ちが『恋』だと思いたい。

だからアンタの気持ちには応えられない。……ごめん」

「そんな、謝らないでよ。……僕の思いも伝えられたし、アスカの気持ちも聞けた。

その、今日はよかったと思う」

「そっか。……少なくてもさ、アンタの事は、その、好……嫌いじゃないから。

……ア、アタシも、もう、寝るね。お、おやすみ」

今度はアスカが真っ赤になる。

「おやすみ」

それは、二人が踏み出した第一歩。小さな、小さな第一歩。

大きな道への、第一歩。



「ヒールか」

「えっ?」

「いや。時の流れを感じるなって」

「そう」

ミサトは、空を見上げる。満天の星空。

いつもより、ほんの少し高い視線。ほんの少しだけ近い星空。

改めて、加持の背中にいるのだと実感した。

さすがに飲みすぎたと反省する。

学生時代に戻ったかのような雰囲気が、ミサトに何年ぶりかの無茶をさせた。

学生時代。その言葉は苦い思い出も甦らせた。

「ありがとう、後は自分で歩くわ」

「ん、そうか」

ミサトは加持の背中から降りると、手に持っていたヒールを履く。

「加持君。私、変わったかな?」

「……きれいになった」

しばしの静寂。ヒールの音が、雲ひとつない星空に吸い込まれていく。

「ごめんね。あの時、一方的に別れ話して……。

他に好きな人ができたって言ったのは、あれ……嘘。ばれてた?」

「いや」

「気付いたのよ、加持君が私の父に似てるって」

よろけるミサト。

「ヒール、慣れたと思ってたのにな……」

加持は黙ってミサトの体を支える。

「加持君。アタシね、今、家族やってるの」

ヒールを脱いで歩き出したミサトが、再び話し始める。

「ああ、知ってる。

シンジ君が長男で、アスカが妹。

レイちゃんもよく泊まりに来るんだよな?しっかり者の末っ子かな。

それで、ミサトはお母さん……いや、一番上のお姉さんか」

ミサトは空を見上げている。

「そうね。私には母親役なんて役不足だわ。

せいぜい、ぐーたらな姉ってところかしら。

……シンジ君がお父さん役をやってくれているから、私たちは家族でいられるのよ」

「葛城……」

突然立ち止まったミサトに声をかける。

「今なら、父親の変わりじゃない、一人の男性として見れるかもしれない」

「葛城、俺は今……」

そのまま、加持の胸にすがり付こうとするミサトを引き離す。

「知ってる。今、加持君が危ない橋、渡ってることは知ってる」

「ああ。だから……8年前に言えなかった言葉、今はまだ言えない」

「いいわ。私が8年間も待たせたんだから、……もう少し待ったげる」

「すまない、ミサト」

その胸にかき抱く。

「待ってるからね。死ぬんじゃないわよ、加……リョウジ」

星降る夜に包まれて。





つづく





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