それは静止衛星からの映像。
突如光る閃光。音もなく走る衝撃波。
後には、ただ巨大なクレーターだけが残された。
WANDERING CHILD 第弐拾話
「アメリカ第2支部で建造されたエヴァンゲリオン4号機、ならびに半径89キロ以内の全ての関連研究施設は全て破壊されました」
その惨状のためか、感情を押し殺したような声でマヤが報告をする。
「数千人の人間も道連れにね」
リツコの表情も、どこかさえない。
「タイムスケジュールから推測して、ドイツで修復したS2機関の搭載実験中の事故と思われます」
「予想される原因は材質の強度不足から設計初期段階のミスまで32768通りです」
絶対的に情報の少ないなか、会議は続く。
大きな虚脱感と、悲しみを乗せて。
「3号機の起動実験、4人目を使うってどういうこと?
しかもフォースチルドレンがこの子だなんて」
語気を荒げるミサトは、コーヒーの注がれたマグカップをデスクに叩きつける。
シンジの話はすでに真実だと確信しているミサトにとって、第13使徒による3号機の暴走はすでに確定した未来なのだ。
もしその時、3号機に人が乗っていたとすれば? まして、それが……
「マルドゥックからの正式な報告書は明日にでも届くわ。
……仕方ないわよ。候補者は集めて保護してあるんだから」
ミサトのマグカップからはねた雫が、キーボードにかかるのを見たリツコが顔をしかめる。
候補者を集めてある。その言葉の意味にミサトもまた、顔をしかめる。
「マルドゥック機関ねぇ……
修理の利くエヴァと違って、チルドレンは貴重だわ。
まして、あんな事故の直後よ。もし、暴走でもして大怪我したら大変よ。
作戦部としては、今回の起動実験には開発中のダミープラグを使う事を要請します」
「承服しかねるわ」
ミサトに負けず劣らず、厳しい顔でリツコが答える。
「まだ、未完成なのよ? はっきり言って暴走する確率を上げるだけだわ。
今度の起動実験にはフォースを使う。これは決定事項よ」
理由を説明できないもどかしさに、ミサトは苛立ちを隠せなかった。
「それにしても、ヒカリの好みが体育会系だとは思わなかったわ」
放課後のファーストフード店。
フライドポテトをつまむアスカと、オレンジジュースを飲むヒカリ。
適度なざわめき。
乙女の秘密を語るのに、これ以上のシチュエーションがあるだろうか?
「た、体育会系って?」
「鈴原のことよ、す・ず・は・ら。
あれだけ堂々とお弁当渡しておいて、今更ごまかさないわよね」
どもるヒカリ。ニヤリと笑うアスカ。
「あれは、その、お姉ちゃんと妹の分も作るから材料とかも余っちゃうし、それに……」
「ごまかさないわよねえ」
『ニヤリ』に凄みが増す。
「でも、だって、その……」
「観念しなさいって。鈴原本人はともかく、みんな知ってるわよ」
「あ、う、うん」
「そっか。ヒカリは恋、してるんだ……」
アスカが夢見る乙女の表情をしているあいだに、ヒカリは深呼吸をして体制を整える。
そして、最も効果的であろう反撃を試みる。
「何、うらやましそうな顔してるのよ? アスカには碇くんがいるじゃないの」
「へっ、シンジ!?」
きょとんとするアスカ。
「アスカ、本当に自分で気付いてないの?
もしかして、これが初恋とか?」
「え、いや、初恋は加持さんって人」
うつむくアスカ。
「そうなんだ……」
何となく毒気を抜かれたヒカリはフライドポテトに手を伸ばす。
「客観的に見てよ。ヒカリ」
突然身を乗り出してきたアスカに、のどの奥で小さな悲鳴を上げる。
「客観的に見て、アタシ、シンジのことが好きなように見えるの?」
奇妙な迫力に気おされながらもコクコクとうなずく。
そのしぐさを見て、アスカはどっかと腰をおろす。
「そりゃね、シンジのことは……嫌いじゃないのよ。
でも、言ってみればアイツは戦友であり、家族でもあるのよ。
だから、この好きって気持ちが男性としてそうなのか、恋という気持ちなのかわからないのよ」
「ふーん。少なくても『好き』ではあるんだ……」
「うん」
「あれ? 素直ね……」
「……うん」
何となく二人でジュースを飲んでみたりする。
「あのさ、……シンジにはね、告白された事があるの」
「えっ!それで?」
「うん。その加持さんにね、まだ自分の気持ちを伝える前だったから、今は応えられないって……」
「そう……
それで、その人には……その……」
ヒカリの問いにアスカはうつむく。そして、かみ締めるように話しはじめる。
「うん、告白した。それで、振られた」
「そうなんだ」
無神経だったかと反省し、声色が1オクターブ低くなる。
「でもね、アタシ、途中で気付いたの。
アタシね、いろいろあってパパのこと大嫌いだったの。
結局、加持さんに理想のパパを見ていたのよね」
「そう」
恐縮しきったヒカリの声は、今にも消えそうになる。
「気にしないでよ、ヒカリ。もう吹っ切れたんだから」
たっぷりとした間。
「そう?」
「そうよ」
「そう。それならアスカ!」
突然復活すると、先程とは逆に身を乗り出して距離30cmでアスカを見つめる。
「な……何よ、ヒカリ」
巨大な汗を貼り付かせるアスカ。
「初恋の人のことは吹っ切れたんでしょ?碇くんのこと好きなんでしょ?」
20cmの距離に縮まる。
「う、うん」
アスカ、10cm後退。再び30cmの距離を保つ。
「アスカ。碇くんに告白されたとき、どう思ったの?」
「その、嬉しかったけど……」
「それ以上何が必要なのよ」
真っ赤になるアスカに詰め寄るヒカリ。その距離15cm。
「いや、アタシの気持ちは、その……」
口篭もりながら、距離を戻す。
「アスカ……」
これ以上前に出るのは無理だろう、ヒカリは腰をおろす。
「あなた、自分がいつも碇くんのこと目で追っているの気付いてる?
その思い、きっと恋だよ」
「ヒカリ……」
その頃、黒のジャージを着込んだ少年は校舎の屋上から遠くの景色を眺めていた。
衝撃的な話を聞いたその時を思い出しながら。
その胸に去来する様々な思いをかみ締めながら。
それは昼休みの事だった。
「校長室に呼び出して。なんもしてへんけどなあ」
放送で呼び出されたトウジは騒がしい教室を抜け出すと、校長室の扉の前で緊張した面持ちで三度深呼吸をした。
扉を開けたトウジを出迎えたのは、髪を金髪に染めた美しい女性だった。
舞台を夕日の差し込む公園に変えても、乙女の会話は続く。
「しっかし、アレよねえ。
二時間ぐらい話していてさ、お互いに話すことがシンジと鈴原のことだけってのはねえ」
「そうねえ。
……アスカ、碇くんのことよく見てるじゃない」
苦笑する二人。
「そりゃそうよ。なんたって、アタシは恋する乙女よ?」
声を合わせて笑いあう。
が、そのヒカリの表情がふっとかげる。
「鈴原、どうかしたのかしら? 昼休みに呼び出されてから、どこか上の空だったし……」
「そうよねえ。相田のバカならこってり搾られたってのもわかるんだけど……」
落ち込むヒカリにアスカは元気の特効薬を用いることにする。
「あ、そうだ。
前から一度聞きたかったんだけど、ヒカリはあの熱血バカの何処が良い訳?」
効果覿面、その言葉にヒカリは顔を輝かせる。
「優しいところ」
赤く染まるほおに両の手を当ててうつむく。
視線が外れたのを幸いに、アスカは思わず顔をしかめる。
(ま、まあ人の好みはそれぞれだけどさ……)
その不穏当な気配に気付いたのか、ヒカリは顔を上げる。
「私だけって事は無いわよね?
……で? 碇くんの何処が好きなの」
思わぬ反撃に、アスカはワタワタし始める。
「ア、アタシ?
そんな、だって、アタシはヒカリと違って、その、自分の気持ちに気付いたばっかりだし……
それに、そんな……」
「駄目よ、アスカ。観念しなさい」
そう言ったヒカリの顔は、何処で憶えたのかニヤリとした笑みを浮かべていた。
「うーーー」
「『うー』じゃなくて」
「むーーー」
「『むー』でもなくて。
アスカ……前から少なくても嫌いじゃなかったんでしょ?」
「いや、そうなんだけどさ」
(……うーん、アタシを助けてくれたから? アタシを見てくれるから? 強いところ? ……違う)
腕を組んで、考え込む。
「……そうね、優しいところかな、やっぱり」
「そうなんだ」
「アイツは誰よりも優しいのよ。……鈴原よりもね」
仁王立ちでヒカリの方を睨みつける。
「いくらアスカでもこれは譲れないわよ!」
そして互いにしばし見詰め合う。
「プッ、フフフ……」
少女たちの笑顔がはじける。
エヴァ3号機の起動試験は、万全を期したいというミサトの意見が一部取り入れられた。
緊急時に即座に対応できるように、エヴァ輸送用のウィングキャリアが準備され、チルドレンも本部待機する事になった。
また特殊なワイヤーを利用した、新兵器の射出型バリケードネット(ロケットランチャーから射出される巨大な投網)が装備された。
「これだと即、実戦も可能だわ」
松代の第二実験場。
特設の指揮車両で、リツコは機体の状態に満足そうな声をあげた。
「そいつは結構」
「気のない返事ね?この機体も納品されれば、あなたの直轄部隊に配属されるのよ」
「不幸な子供が増えるだけじゃないのよ。
そりゃ……手段を選んでられないのかもしんないけどさ……」
ミサトの視線の先には、何かを暗示するようなエヴァ3号機の黒い機体がモニターされていた。
翌朝、松代でエヴァ参号機の起動実験が開始される。
『エントリープラグ固定完了』
『第1次接続開始』
『パルス送信開始』
『グラフ正常値』
時折リツコが指示を出しながら、順調に作業が進む。
そして、起動の瞬間。
『絶対境界線突破します』
痛いほどの緊張が僅かに緩む、その時だった。
突如として鳴り響く警報音。
明滅するレッドランプ。
3号機に巣食っていた使徒が胎動をはじめる。
「実験中止! 回路切断!」
リツコのすばやい指示で電源をカットされる3号機。
「だめです。体内に高エネルギー反応!」
頭をよぎる、アメリカ第2支部の悲劇。
「エントリープラグ、イジェクトして!早く」
ミサトの指示もまたすばやかった。第11使徒戦でのレイの悲鳴を思い出す。
「駄目です!粘菌状のものが物理的に邪魔をして、イジェクトされません」
「まさか、使徒!?」
リツコの叫びが最後だった。
猛烈な爆発と共に、エヴァンゲリオン3号機の姿をまとった13番目の使徒がその姿を現した。
爆風に吹き飛ばされる指揮車。
不意をつかれたリツコと違い、体勢を整えていたミサトはほとんど無傷だった。
3号機の起動実験にあわせて発進準備を進めていた3体のエヴァはミサトからの連絡を受け、すぐに松代に向かう事になった。
「ミサトさん。トウジは!?」
「鈴原君はまだエントリープラグの中よ」
ミサトの声から、悔しさがにじみ出る。
「な、鈴原が乗ってるの!?どう言う事よ!!
それに3号機の暴走事故でしょ?
さっきパターン青が検出されたとかどうとか言ってたけど、どういうこと!?」
戸惑いの声。
「アスカ、落ち着いて聞いて。
鈴原君の乗ったエヴァ3号機は使徒に乗っ取られたの。
これから作戦を伝えるわ……今は任務に集中して」
やがて山間から姿をあらわす3号機、いや第13使徒バルディエル。
対峙する初号機。
じりじりと間合いを詰める。
距離が近づき、初号機がA.T.フィールドを中和したその時、両翼に展開していた零号機と弐号機がバリケードネットを射出する。
もがく使徒。
が、すぐにネットを破って自由をとりもだす。
だが初号機には、その一瞬の隙で十分だった。
背後に取り付き、力任せにトウジの乗るエントリープラグを引きずり出した。
互いに全力を出せる状況。
数は3対1。
戦いの趨勢は決まった。
「トウジ!」
「よう、センセ。見舞いに来てくれたんかいな」
トウジは、病室のベッドに寝たまま片手を挙げて応えた。
その足はギブスでがっちりと固められている。
奇しくも前回の戦いで失なったのと同じ左足。
予めリツコに怪我の様子を聞いていたのだが、改めてその様子を見るとどうしてもシンジは前回の事を思い出さずにはいられなかった。
だがギブスで固められているということは、その中には確かに足があるということだ。
「うん。でも、無事でよかった」
「せやな」
嬉しさから笑顔になるシンジと、それに屈託のない笑顔で返事するトウジ。
だがしかし、シンジは思いだす。
リツコの話では、骨折のほかに靭帯や神経も切れていて、完全に元に戻る保証はないというのだ。
なのに、トウジという男は屈託のない笑顔を見せるのだ。
確かに左足は切断せずにすんだ。
だが、これで本当に助けられたと言えるのか?
「ごめん」
だからシンジは謝る事しか出来なかった。
「何を謝っとんのや?」
「あの時、もう少しゆっくりと降ろしていたら……。
トウジは無事だったかもしれない。少なくても骨折だけですんでいたのかもしれない。
だから、その……ごめん」
トウジの怪我は、エントリープラグ内に強打してのものだった。
一瞬の隙をついてプラグを引き抜くことに成功した初号機だったが、使徒はゆっくりとプラグを置く暇を与えてくれなかった。
(僕は何をやっているのだろうか?)
そんな思いが込み上げてくる。
色々考えてはみたもののよい方法が見つからず、結局ミサトに任せっきりになってしまった。
(もっと、何か方法があったのではないのか?)
シンジの表情は深く沈んでゆく。
「なあ、センセ。
初めて会うた時のこと覚えてるか?」
何時になく真面目なその様子に、シンジは黙ってうなずく。
「あん時えらそうに殴って、勝手に許すとか言うて、ホンマにすまんかったと思てる。
……ワシな、怖かったんや。
自分がエヴァに乗るて決まったら、あの使徒とかいう訳のわからんヤツと戦うて思たら……
大したことあらへんて自分に言い聞かせてた。
センセに出来んねんからワシにかて出来るはずや、そない思い込もうとしとった。
せやけど……震えが来て止まらんかったんや」
「トウジ……」
「ワシ、ホンマにセンセのこと尊敬しとる。少なても、自分には真似は出来へん。
この怪我かて、センセが助けてくれたからこんなもんですんだんやと思う。
せやから、謝ってくれるな、な?
御礼を言うのはワシのほうやねんから。
その……シンジ、ホンマにありがとう」
トウジという男は……シンジは思う。
トウジには自分を怨む権利があるはずだ。
冷静に考えればそれは逆恨みかもしれない。
だが、それをする権利は十分にあるはずだ。なのに、トウジは……
「ありがとう、トウジ。僕と友達で、本当にありがとう」
こみ上げてくるものをこらえて、それだけ言うことに成功した。
「せやから気にすんなて。な、センセ。
それと……今度、妹の見舞いに行ってくれへんか。
別に行かんかてかまへんて言うててんけど、ホンマはどっかセンセに来て欲し無いって思てたとこがあってん。
せやけど、その、今更やけど、見舞いに行ったってくれんかな。
妹のヤツかて喜ぶやろし……今まで、すまんかったな」
「トウジ、僕の方こそ……ごめん」
「何、謝っとんねん。
て、ワシかてそうか……せやな、お互い謝るのも礼言うのも、もう無しや。
な、センセ」
「うん」
かたい握手。二人の変わらぬ友情の握手。
(そうか、トウジを助けられたんだ)
自分より一回り大きなトウジの手を握り締めながら、シンジは初めてそう実感することができた。
(ありがとう、トウジ)
心の中で、そう頭を下げながら。
つづく
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