「ミサト。使徒によるエヴァ3号機の暴走について、何か知っていたんじゃなくて?」


「リツコのほうこそ、なんか隠してるでしょ? そろそろ話してくれてもいいんじゃない?」


「……そうね、これから私の家で飲まない? 久しぶりに二人っきりで」














WANDERING CHILD 第弐拾壱話














「お帰り」

シンジが帰ると、アスカはリビングに寝そべってテレビを見ていた。

「ミサトさんは?」

「さっき連絡があったわ。

久しぶりにリツコと二人で飲むんですって」

「へー。それじゃ、ミサトさんの分の夕飯は要らないのかな」

「うん」

ラフな格好に着替えるために部屋に入る。

「で、どうだったの?」

ふすま越しにかかる声。

「どうって?」

「鈴原の妹さんのお見舞いに行ってきたんでしょ?」

「うん」

Tシャツ姿に着替え、リビングに戻る。

「……アンタ、その『平常心』って書いてあるTシャツ止めたら?

センス最低よ」

「そう? 結構、気に入ってるのに」

しげしげとTシャツの胸の辺りをつまんで見つめる。

その様子にアスカは心の中で溜め息を吐いた。

(シンジのセンスに期待は出来ないわね。アタシがコーディネートしなければ)

そんな決意と共に。

「……すぐに夕飯にするね」

「簡単なのでいいわ」

とりあえず胸の文字はエプロンで隠すことにしたようだ。

「それで?」

「うん。もう、頭の方はいいみたいなんだけどね。

リハビリは大変みたいだね」

「ああ。時間もかかるしね」

キッチンで大量のピーマンを刻み始めたシンジの背中に声をかける。

「体の方もだけど、精神的なものの方がきついみたいだね」

「右足だっけ」

「うん。ネルフの病院に移って、高性能の義足になったんだけどね」

「片足切断か……スカート穿けるのかな」

アスカの声に、今までテンポよく刻んでいた包丁のリズムが止まる。

「そうか……女の子なんだよね」

陰鬱としたシンジの声。

再開した包丁の音は、少し軽快さが損なわれているように思えた。

「シンジ。アンタ勘違いしてない!?

自分があの子の右足を奪ってしまった。

自分があの子の人生の一部を奪ってしまった。

そんな事考えているんじゃないでしょうね?」

再びやむ包丁の音。

「いい!? アンタはあの子の命を、人生を守ったのよ。

奪おうとしたのは使徒。

そりゃ、右足は守れなかったかもしれない、でも命は守れたのよ!

アンタは胸張ってなさい。

いいえ、張らなきゃいけない!!わかる!?」

厳しさの中にも優しさの感じられるアスカの声。

だが、精神的に余裕の無いシンジは、それに気付かない。

「戦闘記録は見させてもらったわ。

シンジはベストの選択をしていた。アンタに責任は無いわ」

「でも、僕は……」

言いかけるシンジの声を遮るように、アスカがやさしい声で話し掛ける。

「そりゃ、アンタの性格じゃあそんな風に考えてしまうのも仕方ないのかの知れない。

でもさ、『怪我をさせたのが使徒でアンタはそれを守った』そういう見方ができることは否定できないでしょ?」

「それは、……うん」

「アンタの事だからこれからもお見舞いに行くんでしょ?

自分の足を奪った男と、命を救ったヒーロー。

アンタならどっちに来てもらいたい?どっちに励ましてもらいたい?

いい?アンタは一人の女の子の命を救ったのよ。

たとえ誰が何と言っても、アタシはほめてあげる。

ね?だから、胸張ってなさい」

「アスカ……ありがとう」

軽快さを取り戻した包丁の音。

今夜の夕飯は美味しいものが出来るだろう。

「あ、それからアタシのチンジャオロースは赤ピーマン多めにしなさいよ」

……きっと美味しいものが出来るさ。



「ミサト、あなた愛されてる?」

当り障りの無い話をしながら、お互いに核心の話を切り出すタイミングを計っていた。

緊張が最高潮に達したその時、リツコの口から出た思いがけないセリフにミサトはフリーズしてしまう。

「なに? もうちょっとで鼻から飲むところだったわよ」

「そう? 惜しかったわね……」

「頼むから、真顔で冗談言わないでくれる?」

「私が冗談嫌いなの知ってた?」

「知りたくない」

缶ビールを一息で飲み干す。

もちろん口から。

リツコの手には大吟醸の一升瓶と大きな寿司屋の湯呑み茶碗。

それを見たミサトは溜め息をひとつ。

(そうだった。普段はワイン党のリツコが日本酒を飲む時は必ずこうなのよね……)

話の内容に気をとられて、その事を失念していた事を悔やむ。

(勘弁してよ)

悲壮な覚悟で話を逸らそうと僅かな抵抗を試みる。

「これも美味しいんだけどさ、アタシん家で飲めばもれなくシンちゃんの料理がついてくるのに……」

ここはリツコの部屋。

フローリングの床に置かれた小さなテーブルには、コンビニで買ってきた惣菜が並ぶ。

それを挟んで、猫のクッションをお供に二人は床に座ってくつろいでいる。

「二人っきりじゃないと話せない話もあるのよ……」

はぁーーー

(ま、こうなる予感はあったし)

ミサトは作戦の失敗を悟った。

「愛ねぇ……司令との話よね?

シンちゃん公認でしょ?気にする必要ないんじゃない?」

「ゲンドウさんのほうよ」

一気に湯呑みの中身を飲み干すと、手酌で注ぐ。

「あたしもさ、相手がアレじゃない?どうなのかなって思うこともあるわよ」

「加持君のほうがまだマシだと思うわよ。

あの人の心には、まだ別の人がいるんだから。

そしてあの人は今もその人のために動いている、私もそのために……」

再び湯呑みに並々と注がれた日本酒を一息で空ける。

(今日はピッチ早いわねぇ。そのうちラッパ飲みしだすんじゃないかしら)

冷や汗を浮かべながら、ミサトは5本目の缶ビールを空にする。

「好きな人のために、でしょ?」

リツコはその言葉をかみ締めるように、湯呑みに書かれた様々な魚の漢字を見つめている。

やがて、ふっと視線を上げる。

「ミサト……ミサトは加持くんのこと好き?」

「うん」

間髪を入れずに答える。

「ふーん」

うらやましげな雰囲気のリツコ。

「もちろん色々あったしさ、これからも色々あると思うから、純度100%って訳にはいかないわよ。

でもさ、これを分類するとしたら、好きとか愛とかになると思うわよ」

「ロジックじゃないか……難しいわね」

物思いに耽るように、ミサトの後ろの壁にかかる額に入った猫の絵の絵葉書を見つめるのだった。



(今日のは上手く出来た)

上機嫌で洗い物を済ませたシンジがキッチンから戻ると、アスカが神妙な顔でダイニングの椅子に座っていた。

「あれ?どうしたの。アスカ」

「ん。ちょっと、座りなさいよ。話があるのよ」

アスカの口調に先程までのキレがない。

「あ、うん」

いぶかしりながらもシンジは勧められるままにアスカの正面に座る。

話を切り出そうとしてはためらい、口をつぐむ。

そんな事を数度繰り返すうちに、秒針が一周するには少し足りない程度の時間が過ぎる。

やがて、意を決した様子で口を開く。

「シンジ、アタシに……その、告白してくれた事があったじゃない」

「うん」

「きちんと、シンジの口からはっきりと言ってくれて、嬉しかった。

……あの後、加持さんに告白したの。

それでね、振られちゃった。……違う、そうじゃない。

アタシ、気付いたの。

加持さんへの思いは……まあ、憧れみたいなもので恋じゃないって」

「うん」

不謹慎だと思いながらも、シンジは顔がほころびそうになるのを止める事が出来なかった。

「正直、シンジとの今の関係は気に入ってる。

今の関係を壊してしまうんじゃないかって、恐れているアタシも居るのよ。

でも、それじゃあシンジに失礼だと思うから。

……だから、ちゃんと返事しないと駄目だと思うの」

そこでいったん言葉を切ると、何かを思い出すように中空を見つめる。

一瞬後に微笑みを浮かべ、シンジに視線をおくる。

そんな何気ない仕種に、シンジはドキドキしてしまう。

「アタシはずっと『セカンドチルドレン』『エヴァのエースパイロット』として生きてきたわ。

そうしないと、壊れちゃいそうだったから。

でもシンジはアタシを見てくれた。アタシ自信を好きだと言ってくれた。

本当に嬉しかったわ」

そこでアスカはフッと表情を暗くする。

「……でも、その前に話さないといけないことがあるの。

本当は、話す必要は無いのかもしれない。

だけど、シンジには全部知っておいてほしいから。

レイにはしばらく前に話したんだけどね。……私のママの話し」

シンジは激しい衝撃を受けていた。

アスカが自ら母の事を話すというのだ。

思い出すだけでもつらいはずだ。

アスカの表情を見れば、完全に克服した訳ではないことがわかる。

それなのに……

なんと強さを持った少女だろうか?

それに対して自分はどうだろうか?

一つ大きく息を吐くと、シンジは意を決した。

(全て話そう)

たとえどれだけつらい思い出であろうと、目の前にいる少女に全てを話そう。

自ら犯した罪を全て告白しよう。

軽蔑されるかもしれない。嫌われるかもしれない。

それでも、話さなくてはならない。

「待って、アスカ。

その前に僕の話を聞いてくれるかな?

前に言ったよね。いつか僕の秘密を全て話すって。

それは、これからアスカが話そうとしている事にも関係のあることだから」

もう一度深呼吸をしてから、シンジは言葉を紡ぎだす。

「アスカ。僕は……」



「私ね、あの人だけなのよ……その、……したのは……

ミサトはどうなの?」

リツコが投げる突然の思わぬ変化球に、ミサトは揚げ出汁豆腐を床に落とす。

「あ、ごみんごみん。……ティッシュは……えーと……あった、あった」

ゴシゴシゴシ。

「……えーと、なんだっけ?」

…………

「ああ、そうそう。

そうね……、関係があったてだけなら何人かいたわよ。

でもまあ、一通り全部やったのはアイツだけか」

「一通りって?」

何を想像したのだろうか?

リツコの顔が赤いのは、酔いのせいだけではないだろう。

「ん……だから、告白みたいなモンからはじまって。

……あ、その前に衝撃の出会いってヤツ? 半分、一目惚れだったのよねえ。

そんでもって、手をつなぐのにドキドキして、デートやって、手料理食べてもらって、救急車呼んで。

……いろいろ手続き踏んで、SEXして、同棲して。

まあ、喧嘩して別れたところまで含めてもいいけどさ」

一息つくと、再び揚げ出汁豆腐にトライする。

「ああ、そういうことね……」

気まずそうに視線をそらせる。

「何、想像してたのかなあ? リツコのエッチ」

とたんにニヤニヤとした笑みを浮かべる。

「仕方が無いじゃない。大学時代に色々な噂、聞いてたんだから」

「あーー」

今度はミサトが視線をさまよわせる。

その気まずい雰囲気を破ったのは、リツコの方だった。

「私ね、恋ってしたこと無いのよ」

リツコの呟きは小さかった。

しかし、それは酷く重いものだった。

「大学のときは研究一筋だったでしょ?

中学高校も……教師にとって扱いやすいと言う意味では優等生じゃなかったけど、独りで勉強ばかりしていたし」

「恋ね……」

「あの人との関係も、最初はその……無理やりみたいな感じだったわ。

私と関係する前は母と関係を持っていたのよ、あの人。

最初は母に対する、変な対抗心みたいなものだけだったのよ。

……今は、情ぐらいはあるのかしら」

ミサトはビールを飲みながら、無性に親子丼が食べたくなるのを必死に我慢していた。

「あのさ、リツコ。キヨミの事、憶えてる?」

ミサトの口から、大学時代の友人の懐かしい名前が出てくる。

「この前の結婚式に来てたわね。大きなお腹を抱えて」

「そうだっけ?」

「あの頃はあなた、そんな余裕はなかったものね」

「うっさいわね」

照れ隠しにポテトサラダをかっこむ。

「あの娘の料理も酷かったわね……」

ここぞとばかりに止めを刺す。

「お嬢だったからね……」

昔を懐かしむかのような響きになる。

「そう言えば彼女の実家、JAにも出資していたわよね……。

悪いことしたかしら?」

「今さらでしょ」

「そうね……」

互いに口を開くことなく、様々な思いをかみ締めながら杯を進める。

やがて、ミサトが口を開く。

「エスカレーター方式のお嬢様学校で小中高って進学して、そこで見合いさせられて、短大卒業したら結婚しろって言われたとかで。

それを嫌がって、家出同然でうちの大学に進学してきたのよね」

「そうね、あの娘の口癖、憶えてる?」

「『勉強なんて関係ない。私は恋を探しに大学に来たの』でしょ?」

昔を思い出して、苦笑を漏らす。

「そう、あなたと二人で無茶してたわよねえ」

「リツコ、やけに絡むわね……

まあ、二人とも失った時間を取り戻そうとしていたのかもね」

「結婚、したのよねえ」

焼き鳥に手を伸ばす。

「いろいろあったみたいだけどさ。結局は実家に戻って、見合いで結婚したじゃない」

「ええ」

「確か、6歳か7歳年上の人とさ」

「そうね、結婚の前に4、5回会っただけだとか言ってたわね」

「メール、来てなかった?『子供ができた』って。写真付きで」

「そう言えば。あの時お腹にいた子か……」

「幸せそうだったじゃない」

「そうね」

「恋愛じゃなくてもいいのよ。たぶん」

「そうなのかしら」

「わかんないけどさ。

それにしても久しぶりねえ、二人きりで飲むなんて」

そう言いながら、ミサトは勝手知ったる他人の家とばかりに冷蔵庫をあさる。

「シンジ君を引き取る前は、時々こうやって飲んでいたのに……

女の友情は、彼の料理に負けたのね」

「何言ってるのよ……あ、魚肉ソーセージめっけ……やっぱさ、家族がいるってのはいいわよ。……ってこれ賞味期限切れてるじゃないのよ」

「それは安売りしてたから、猫にやろうと思って買い溜めしたのが残っていたのね……

家族ね、憧れる気持ちも無いでもないのだけれど……」

リツコは考える顔になる。

彼女にとって家族と言える存在は、唯一母だけだった。

しかしその母は、彼女にとってはライバルであり尊敬する科学者でありと、一言ではいえない存在なのだ。

自分を捨てて研究に全てをかけた母。

憎んでいた。

本当に?

分からない。

……ロジックでないものは苦手だ。

自らの思考に沈みかけるが、ミサトの声に我に返る。

「ちょっと、このかまぼこ賞味期限一ヶ月前じゃないのよ」

「さっきから、何をしているのかしら?」

「いや、なんか、間が持たなくてさ……

まあ、いいや。

さっきの続きだけどさ、恋とかどうとか言ってたけど……別に愛情の愛は恋愛の愛じゃなくてもいいのよ。

夫婦ってのは男女の関係だけどさ、家族でもあるわけじゃない?

情があればやっていけるわよ。

キヨミだって、そうなんだろうしさ」

「家族か……私には無理よ」

幸せな家族の肖像。

その中に自分がいるところなど想像も出来ない。

「アタシもそう思ってたんだけどね。何とかなるモンよ。

まあ、シンちゃんがいろいろ気を使ってくれてるってのも大きいんだけどね。

大丈夫よ。シンちゃんは自動的についてくるんでしょ?

何とかなるわよ」

「そうかしら?」

「家族っていいわよ」

そう言ってミサトは、かまぼこをつまみながら静かにビールを飲み干した。

月が出ていた。



シンジの話を聞いたアスカは、その内容の突拍子の無さと衝撃に一瞬思考が止まる。

やがて、感情が爆発する。

「未来から? それって、どういうことよ!?

アンタ、私のこと知ってて……そんな……

え? それじゃあ、なに!? 可哀想だとか罪滅ぼしだとかそんなこと思ってたわけ!?

ハンッ!何様のつもりよ。

同情?

冗談じゃないわ。アタシは……」

裏切られた……こいつだけはアタシの事を見てくれていると思っていたのに……

なのに、知っていただけじゃないか。

鈴原のことも、知らなかったのは自分だけだったのだ。

怒り、驚き、悲しみ……ありとあらゆる感情が一度に押し寄せる。

あまりに感情が先走ってしまい、上手く言葉にならない。

「パン!!」

結局アスカは、乾いた音とシンジの頬に手形を残して家を飛び出していった。

この日、アスカは生まれて初めて目的地を告げずに外出をした。



なお保安部によって、セカンドチルドレンが洞木宅に泊まったことが報告された。





つづく





WANDERING CHILDに戻る
TOPに戻る


inserted by FC2 system 1