その日、俺はゼーレからの緊急の依頼を受けた。


「副司令の誘拐?……ゼーレもだいぶ焦ってるな」


思わずそう口に出したのを憶えている。そして、こう思ったことも。


(そろそろ潮時かな……)














WANDERING CHILD 第弐拾四話














「そろそろ、ギリギリのタイミングかな……」

白い天井を見つめながら、そう口に出してみる。

サルベージされてから一週間の検査入院、その退屈な病院のベッドの上でシンジは考えつづけていた。

今、話さないと恐らく間に合わない。

カヲルのことはともかく、残る二体の使徒は特殊な能力を持っている。

そして、その使徒のもたらす大きな災厄。

なんとしても回避しなければならない。

さらに全てが終わった後で現れる戦略自衛隊と量産機。

ネルフをあげて対抗しなければならない。

ふうーーー

大きく息を吐くと、ベッドから上半身を起こしたシンジは辺りを見回して軽く苦笑する。

「病室で寝てることに、違和感がなくなってきちゃったな……」

その、あまりにも白い壁に目が痛くなったシンジは目をしばたせる。

(次からはここで寝ている暇は無いな……)

再び目を瞑って横になると、こぶしを固く握り締めた。

まるでその固い意思を表すかのように。



その日、司令室にはネルフの主要メンバーが集まっていた。

普段は何も無い圧倒的な空間の広がるその部屋には、会議室から運ばれたその重厚な空間には不釣り合いな折りたたみのテーブルと椅子が並べられていた。

その細長く並べられた机の短辺方向にシンジが座り、正面にゲンドウが何時ものポーズで座る。

冬月もまた何時ものように、ゲンドウの側に控えていた。

長辺方向には、シンジから向かって右側にゲンドウの方からリツコ、加持、ミサトの順で座り、反対側にはレイとアスカが席につく。

『全てを話す』

シンジのその言葉からわずか二時間でこれだけのメンバーが集まったのだ、ネルフのシンジに対する注目度が分かる。

一同の視線はシンジに集まっていた。

ある者は心配げな、ある者は興味深げに、そしてある者は射るような目で。

それぞれの想いと意味をこめて。



(これは一つの賭けだ)

居心地悪げに椅子に腰掛けているシンジは、目を瞑って逡巡していた。

一度は決心したものの、これから話すことの余りの重大さに、いざとなるとためらってしまう。

(アスカには拒絶された)

そのことが、さらにシンジの気持ちを重くしていた。

入院中に何度か見舞いにきてくれたものの、ほとんど会話を交わすことなくどこか気まずげなアスカの様子に、シンジは拒絶を感じていた。

実際は素直に謝る事のできないアスカの自らに対する苛立ちなのだが、そんな事情をシンジは知らない。

逆にうれしい事もあった。

それは、見舞いに来たレイの謎めいた言葉。

「ありがとう碇くん。

私はもう大丈夫。アスカも受け入れてくれたから」

そして笑顔。

監視カメラがあることもあり、レイは多くを語らなかったので詳しい事は分からない。

だが、レイはアスカに何かを伝えたのだろう。もしかしたら全てを話したのかもしれない。

そしてアスカはそれを受け入れた。

そういうことなのだろうとシンジは想像している。

それにしても、なんという強さなのだろう。

それはあの時、シンジに母親の事を話そうとしたアスカも同じだろう。

(今度は僕の番だ。……逃げちゃ駄目なんだ

そう、逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目なんだ……)

机の下で、右手を軽く握ったり開いたりする。



「どうした、シンジ。話すなら早くしろ!

私も暇ではないのだ。話さないのなら帰れ!!」

ゲンドウの不機嫌な声に、シンジは我に変える。

「司令!」

非難するリツコをシンジは制すると、口を開く。

「これから僕は全てを話そうと思っています、アスカ、レイそしてミサトさん構いませんか?」

すでに覚悟はできていたのだろう。

静かにうなずく三人。

「すみません。それでは話します……」

そしてシンジは、ゆっくりと話しはじめた。

自分が未来から来たという事実と、その未来で起こった出来事を。

ネルフ、エヴァ、使徒、ゼーレ、知り得る限りの真実を。



それは長い、長い話だった。

あるものは未来から来たというその事実に興味を引かれていた。

ある者は隠されていた真実の多さとその内容に驚きていた。

またある者はシンジが過ごした苛烈な未来に心を痛めていた。

そしてある者は自らの犯した罪に改めて悔いていた。

奇妙な緊張感を伴ったその沈黙は、リツコによって破られた。

「シンジ君……アスカも、そしてレイ。ごめんなさい。私は、私は……」

言葉に詰まる。

「フン!今更なにを謝るつもりだ」

憤然としたゲンドウの声。

「謝って許されるならいくらでも謝ろう。だが、そうではあるまい?

なら、謝るだけ無駄だ」

その苦虫を噛み潰したような表情は何を思っているのだろうか?

(違う。そうじゃない)

リツコは不意に、いつかの加持の言葉を思い出す。

『謝る事すらしないつもりか?』

そして、心を決める。

「ごめんなさい、本当に。……何から謝ればいいのか分からない程だけど、本当に……」

頭を下げるリツコは、次にゲンドウの方に向き直る。

「私は許してもらおうなどという傲慢な思いはありません。

ただ、申し訳なく思っている自分の気持ちを伝えたいだけです。

私はどんな報いでも受けましょう。とても許してもらえない罪を犯したのですから。

ゲンドウさん、私たちはまず謝ることから始めましょう」

だがゲンドウは椅子が倒れるほどの勢いで立ち上がると、何も言わずにその場を後にした。

「ゲンドウさん!」

後を追うリツコ。

エア音がしてドアが閉まると、再び沈黙が支配することになった。



「やれやれ、碇のヤツにも困ったものだな……

まあ、ここは赤木君に任せるか」

次に口火を切ったのは冬月だった。

「さて、シンジ君。まず謝らせてほしい。本当にすまなかった」

深々と頭を下げる冬月にシンジは慌てる。

「あの、頭を上げてください。仕方の無かった部分もあったんですから」

そんなシンジの様子に冬月は目を細める。

「……以前、『何故戦っているのか』とキミに聞かれた事があったね。

あの時、本当はこう答えるつもりだったのだ。『戦ってなどいないのだ』とね。

話してあげよう、私が知っている事を。昔の話を」

昔を懐かしむ目になる。

「天才の定義にも色々あるがね。

もし無からまったく新しいモノを生み出せる人だとすると、天才は有史以来数人しか居ないことになる。

そしてキミのお母さん、碇ユイ君は間違いなくその数人の一人だった」

母の話に、シンジはぐっと真剣な顔になる。

「当時、形而上生物学は新しい学問でね、基礎研究が始まったばかりだった。

まだ学生だったユイ君の功績は素晴らしいものだったよ。

一つの方程式がある。

ユイ君の発見したその方程式を使えば形而上生物学におけるほとんどの現象が証明できた。

ありとあらゆる事象、現象がパズルのピースをはめ込むように、一つの方定式に集約される。

数学の快感とでも言うのかな。

私はこれ以上、興奮するものはないと思っている。

アスカ君なら分かるかな?」

突然話を振られたアスカが驚いた様子でうなずく。

「最高にスリリングな日々だったよ。

私が概念として提唱していたに過ぎなかった魂の存在が、その方程式によって数学的に証明されたりね。

それに、思わぬところにも飛び火した。

その方程式は、机上の空論だと言われていたスーパーソレノイド理論にも応用できる事が分かった。

葛城博士……葛城三佐のお父さんの手によってな」

冬月はミサトのほうを向くと軽くうなずく。

「なかなか信じてはもらえぬかも知れんがね、当時は真剣に人類の滅亡が心配されていてね。

それはセカンドインパクトのような災害によるものではなく、もっと緩やかで逃れようの無いものだ。

そのころ、世界の人口は爆発的に増加していた。

100億人を突破するのも時間の問題だと言われていたほどだからな……

だが、我々が自由にできるエネルギーは有限で、すでに尽きかけていた。

食糧の増産も間に合わない。

……皮肉なものだな。

セカンドインパクトによる人口の激減がその問題をとりあえず解決したのだから」

さびしげな笑みを浮かべる。

「とにかく、そんな時代において人類補完計画は夢の計画に思えたのだよ……

生物の本質が魂である事はすでに証明されていた。

そして、この計画では魂は全く失われる事は無いのだから……あくまで理論上は、だがね。

いくら本質である魂が失われないとはいえ、それはすでに人類とは言えないだろう。

研究者が陥り易い落とし穴だ。

……ちょうどその頃だよ、ゼーレが接触してきたのは。

『人類補完計画』この名を与えたのも彼らだし、そこに宗教的な意味を与えたのも彼らだった。

それに彼らが保有していた超古代の預言書と呼ばれる裏死海文書の存在、あれも実に興味深かったね。

葛城博士の研究とユイ君の発見した方程式。

そこから導き出せる答えはS2機関をもつ単体の生物。我々人類のもう一つの可能性だ。

そして裏死海文書に記載されていた使徒と呼ばれる存在。

それは我々の最新理論と全く同じものだったのだから」

そして、冬月は視線を落とす。

「その頃は、その理論の危険性についても色々思うところがあったのだけれどね……

ユイ君が亡くなってからは自分で考える事を止めてしまっていた。

ただユイ君の理論の実現だけを盲目的に進めていた。……研究者としては最低の行為だな。

だからシンジ君、もう一度謝らせてくれ。すまなかった」

再び、深々と頭を下げるのだった。



「それではシンジ君。

申し訳ないのだが、私の意思とは関係なく今日中に処理しなければならない書類というものがあってね。

また、ゆっくり話す機会を作ろう」

「ちょっと、お待ち願えますか?」

冬月が立ち上がりかけたそのとき、それまで黙って話を聞いていた加持が声をかける。

「実はゼーレの方から急ぎの仕事がありましてね……

なんでも緊急の議題があるとかで副司令を拉致するように依頼があったんですが、どうします?」

なんでも無い事のような口調で、とんでもない話をする加持に冬月は苦笑する。

「正直、今日はもう疲れてしまってね。できれば遠慮したいところなんだが……」

その答えに加持は器用に肩をすくめる。

「俺としてもそろそろ始末されそうなんで、このまま潜伏する方が楽なんですが……

ただ、今の段階でゼーレに対する反抗の意思を明確にする事が有利に働くかどうか?」

「ふむ」

冬月はしばらく考える目になる。

「そうだな。今日中にどうしても処理する必要のある書類がたまっていてな。

すまんが、誘拐するのは一時間後にしてくれんか?」

「了解しました」

やれやれ大変だ。そう言いながら冬月は自分の執務室に帰っていった。



「そういう訳で副司令の安全は俺が保証するから、後はよろしく頼む。

それと副司令を無事に帰したら、そのまま俺は潜伏生活に入るつもりだから……これでしばらくお別れだ」

にっこり笑う加持に、アスカが細い声を絞りだす。

「どうして?どうして加持さんが……」

アスカの側にいくと、その頭をくしゃくしゃとなでる。

「俺は真実が知りたかったんだ。すまんな、アスカ」

アスカは必死に涙をこらえている。

一方ミサトのほうは、いつかこのような日がくることを覚悟していたのだろう。冷静に受け止めている。

「加持君、また生きて会いましょう」

「ああ、葛城。

……たぶん、迷惑かけると思うが、よろしく頼む」

そして場を和ませるかのように笑顔になる。

ミサトもまた笑顔でうなずく。

「それにしても俄かに信じられないような話よねえ……

だいたい世界を裏から支配している秘密結社なんて、ホントに存在するの?」

もっともな疑問を口にするミサト。

「そうだな……まあ、世界を支配しているかどうかは個人の主観によるところだな。

つまりだ、世界各国に対してセカンドインパクト前のアメリカ大統領程度の影響力をもった秘密結社が存在する。

これは事実だ。

その影響力を駆使し、十分な時間と金を使って工作すれば、ほとんどの国を思うようにできるだろう。

もっとも、それをして世界を支配しているとするかどうかは判断の難しいところだな」

「なーる」

腕を組んで納得しているミサトを尻目に、加持は片手を軽く挙げる。

「それじゃあ、俺も何かと準備があるから」

「そうね。気をつけて」



「加持さん!」

立ち去ろうとする加持のズボンをアスカがつかむ。

すでに避けられない事だ。そんな事はアスカも理解していた。

(今更アタシが引き止めても、加持さんを困らせるだけだ。……でも、だけど、加持さん)

どうして?何で?何故?何が?……行かないで。

逝かないで……

アスカは混乱していた。

つい先日、彼女の思い人であるシンジが未来から来たという信じられない事を告白した。

その事でシンジを酷く傷つけてしまい、なおかつその直後にエヴァに取り込まれる事故が起きる。

その後も次々と明かされる衝撃の事実。

アスカは今まで信じてきたものが崩れてしまうような不安感に苛まれていた。

サルベージは上手くいったとはいえ、シンジは全てを話した直後に消えてしまった。

その上、加持まで……

「加持さん」

アスカはかつての憧れの人の名を呟くことしかできなかった。

「そうだアスカ」

加持はそんなアスカに優しい声をかける。

「俺が育てている花があるんだ、場所は……シンジ君、知っているよな?」

シンジのほうを見ると、複雑な顔をしたシンジはそれでも知っているとうなずく。

「アスカ、俺の代わりに世話をしてくれないか?

何かを育てるのはいいぞ。今度、帰ってきたら一緒に育てよう、な。

約束する。絶対に」

加持は優しく微笑むと、アスカの耳に顔を近付ける。

「それに、あんまり俺を心配すると、シンジ君に嫉妬されちゃうからな」

小声でそう言うと、アスカの顔が赤く染まったのを見計らって顔を離す。

「それじゃ、アスカ。また今度な」

片手を上げると、靴音を響かせて加持は今度こそ司令室を後にした。





その日の午後、本人の協力もありスムーズに副司令を連れ出す事ができた。

そのまま目的地である、旧東京地区の廃ビルにたどり着く。

副司令が指定された部屋に入るのを確認すると、俺はひとまずその場を後にした。

翌朝、隙を見て副司令を助けだす。

安全な場所まで送る車内で、昨日副司令から受けた依頼の報告をする。

一つ目は俺が内調の工作員だという証拠を残すこと。

これはネルフを出る前に済ませてある。

適度に優秀なネルフの諜報部は、今ごろその事実に気付いているはずだ。

これで状況証拠は十分。

この拉致事件に、政府は関与している事を否定できないはずだ。

政府との交渉で大きなイニシアチブを持つ事が出来る。

もう一つは戦自の幹部と非公式にアポイントをとること。

これは以前から個人的に親交のある一人の戦自の幕僚と連絡をとった。

エリートではなくたたき上げの軍人。決して主流では無いが人望は厚くそれなりの影響力もある人物だ。

そして、若手将校の会。

血気にはやると言えば聞こえはいいが、短絡的な思考をする集団だ。

もっとも、その分コントロールはしやすい。

ネルフに対する反感、憎悪はかなりのものがある。

だが、上手くやればそれ以上の感情をゼーレに抱かせる事ができるだろう。

後は上の連中の仕事だが、これで戦自に関しては政治的な解決を図る余地が出来たはずだ。

任務は全て終わった。

残った問題はこの後会う予定のゼーレの連絡員と会うかどうかだが。

……止めておこう。

そこで俺が死んだように見せられれば得られるものは大きい。

が、リスクはそれ以上だ。

一流だという自負はあるが、ゼーレがその気になれば超一流をよこすことができる。

ここは貝のように息を潜めているのが正解だろう。

何より生き残る事が最優先なのだから。

この機会に俺の知りえた真実をまとめるのもいいだろう。


加持リョウジの手記より抜粋





つづく





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