天使は舞い降りた。
僕の目の前に。
WING OF FORTUNE
第壱話 道無き道
話は少し前に遡る。
一日の授業を終え、帰宅しようとしたところを僕は職員室に呼び出されていた。
帰りのHRの後に呼び止められたときに、すぐに理由は想像がついた。
数日前、授業中に将来の夢という題で書かされた作文のことだ。
僕には将来なりたいものなんて何もない。
夢とか希望のことも考えたこともない。
14歳の今まで鳴るようになってきたし、これからもそうだろう。
だから、何かの事故やなんかで死んでしまっても別にかまわないと思っていた。
とまあ、こんなようなことをつらつらと数枚の原稿用紙に書き連ねて提出したのだ。
これは僕の正直な本音を書いたつもりであり、これについて他人にとやかく言われたくはないと思ったが、教師のほうはそれで納得できないのだろう。
こういう文章を書いてばかりいたら問題のある生徒として睨まれる。
そしてそういう生徒を抱えている教師は、実際に問題が起こる前に修正したがるのだ。
案の定職員室では「真面目にやれ」と言われ、こってりしぼられた。
でも僕は考えを変えるつもりはなかった。
要するにこいうには保身のためにやってることで、僕のことを思っているわけじゃない。
そんな人達の言う事なんて聞く必要なんて無い。
それに僕自身にそれほどの価値があるとも思えないし、僕がいなくなっても悲しんでくれる人がいるとも思えなかった。
唯一の肉親である父さんも、僕とはコミュニケーションを取ろうとはしないんだ。
コミュニケーションどころか家にいないことの方が多く、実質上僕は一人暮らしだった。
事情を知っている教師の中には僕のことに気を回してくれる人もいたが、一人を除いて何だか白々しい感じがして好きになれないでいた。
かわいそうと同情されることほど惨めになことはない。
強制的に対等な立場で居られなくなってしまうのだ。
僕は同情するのをその人物の優越だと思っている。
相手のことを”かわいそうだ”と思うことで、自分が優しいヤツだって優越に浸り、自己満足で心を満たしているのだ。
「よぉシンジ。また随分と長い説教だったな」
「・・・ケンスケ。なにか用かい?」
「おいおい、人が心配してきてやったのにその言い方はないだろう?」
僕が少し棘のある言葉で返してもケンスケは軽く受け流してしまう。
彼は僕の数少ない友人の一人だ。
学校全体の生徒数三学年合計で600名弱。
その中で僕が普通に話すことが出来るのはたった四人しかいない。
一人は今目の前にいるケンスケ。
ケンスケの小学校時代からの悪友トウジ。
トウジの彼女の洞木さん。
そして幼なじみで腐れ縁のアスカ。
この四人の存在がなければ僕はとっくに学校なんて来なくなっていただろう。
作文を書いている途中、この事に気付いて僕は苦笑した。
僕は書いていることと、実際にやっていることが矛盾している。
何時死んでもいいとか言っておきながら、僕は人との関わりを求めて学校に来ているのだ。
全く滑稽な話だ。
「何笑ってるんだよシンジ。ちょっと怖いぞ」
「ああ、ゴメン。すこしバカらしくなってさ・・・」
「バカらしいって・・・何が?」
「自分自身が」
「・・・・ハァ・・・・おまえ、その性格どうにかした方がいいぞ」
ケンスケは一日重肉体労働に従事した作業員のように疲れた切った顔を上げて言う。
「ここだけの話だがな、おまえのファンって結構多いんだからな」
「ファン?」
「そうさ、おまえの写真は惣流につぐ売り上げを記録しているんだぜ。男子部門ってことを考えればおまえはトップさ」
ニヤリと口元を歪めてちょっといやらしい笑みを浮かべる。
ケンスケがその技能を生かし(?)裏でアスカやその他女生徒の写真を撮って売り捌いているって話を聞いている。
色恋沙汰なんて僕には全く縁もゆかりもないから、それを利用したことなんて無いけれど、結構繁盛しているとのことだ。
トウジが用心棒のようなことをしてそれに協力し、売り上げの何割かを受け取っているらしい。
今話した僕のことに関しては冗談なのか、そうでないのかは判断しかねる。
ケンスケという奴はそういう人間で、冗談と本気の境が曖昧で判然としないのだ。
「さて、こんなところで話しててもなんだ。ゲーセンでも行こうぜ」
「トウジはどうしたの?」
「・・・・裏切りもんのことなんて知るかよぉ!!!」
涙を流して絶叫・・・みっともないよケンスケ。
どうやらトウジは例によって洞木さんと一緒に帰ったみたいだった。
最初の頃は「わしは硬派や」とか言ってたのに今じゃ第壱中一のベタベタカップルだもんなぁ・・・。
トウジと小学校時代からの友人であるケンスケが、こうやって泣きたくなるのもわかる気がするよ。
特に昼休みのお弁当タイムなんて、あの二人のそばには近寄ることさえ出来ないくらいだ。
洞木さんが凄く幸せそうにな顔になって、終いには「あ〜ん♪」とかやっている光景は最早日常茶飯事で、周りのみんなも最初のうちは冷やかしていたけど、この頃はもうその気力さえも失われていた。
完全に夫婦って感じの二人はこれからどうなるんだろう?
いくらなんでも結婚するまであの調子だとしたら、周りの人間にとってはいい迷惑だ。
けど、お似合いな気がするから、僕は彼等が本当に結婚するとしたら出来る限りの笑顔で祝福したいと思う。
結局ケンスケとゲームセンターに行って、一通り遊んでから帰宅した。
僕もケンスケも軍資金はあまり多くなかったので、見ている時間の方が長かったかもしれないがそれなりに楽しんだ方だろう。
「じゃあな、シンジ。惣流によろしくいっといてくれよ」
「なにをだよ・・・」
「ま、色々とな」
「はぁ・・・わかったよ」
ケンスケと別れると僕は完全に一人だった。
夕闇に覆われ始めた街の中で、僕だけがポツンと取り残されているような・・・そんな感じ。
フラフラと歩いている途中で道路の真ん中辺りに何か光るものが落ちているのを目にした。
何となく興味を引かれた僕は、小走りに駆け寄ってそれを拾い上げてみた。
それは目を奪われそうなくらいに美しく透き通った白銀の羽根だった。
辺りを見回してみたが持ち主となりそうなそれらしい鳥は見あたらない。
だいたい、こんな白銀の羽根を持つ鳥なんて見たことがない。
沈みかけた太陽にかざしてみると、更に羽根は輝きを増す。
その輝きにゾクゾクするような感覚にとらわれて思わず身震いをした。
真の芸術に出会ったときのように、言葉で言い表すこと自体が無粋であるような気がした。
「あぶないっ!!」
このとき羽根に見入っていた僕は周囲の動きに全く気が付かないでいた。
僕が最後に見たものは、くるくると回る茜色の空と、赤く染まっていくアスファルトだった。
急に騒々しくなった人々も、僕にとっては壁一枚隔てた世界の出来事のような気がしていた。
空と大地の間に僕はいた。
目の前には天使が立っていた。
この時点で頭の回線が幾つかショートしていたのだろう。
すぐに僕が拾った羽根の持ち主がその天使であると考えて疑わなかった。
「僕は死んだんだね」
「・・・・・・」
「アハハハ・・・呆気ないよなぁ」
「驚かないの?」
その声はどこかで聞いたことがあるような気がしたが、頭がぼんやりしていたためよくわからない。
はっきりと認識できたのは白銀の翼だけで、他の全てはぼんやりと霞がかかっている。
「別に・・・僕は何時死んだってかまわないって思って生きてきたから。僕がいなくなったところで何も変わらないだろうしさ・・・」
「まったく本当にバカシンジねぇ」
「え・・・!?」
今度こそ、聞き覚えのある声に顔を上げて驚いた。
それこそ自分が死んだ事実よりも、何倍も大きな驚きだった。
衝撃で僕は上手く口が動かず、その名を口をするのに幾らか時間を要した。
「ア・・アスカ?」
「フフフフ、驚いたようね。でもアタシはあなたが知っている惣流アスカではないわ。この姿はあなたが今思い描いた人物のイメージを借りているだけよ」
「じゃあ、君はやっぱり天使なの?」
「それもちょっと違うわね。私はただの水先案内人。肉体という枷から外れた魂を次なる世界へと導く存在。天使とは違うわ」
「でもその羽根は?」
「ああ、これね。むこうの世界ではごく当たり前の代物よ。ついでに言うとこの羽根の色や形状で身分が決まってくるんだけど・・まあそれはいいか」
翼を大きく広げたアスカ・・・(ということにしておこう)はとても綺麗だった。
それこそ荘厳な宗教絵画のなかのワンシーンを切り取ってきたかのような。
「何か質問はある?」
「あ、うん。どうしてアスカの姿になったのかな?そこんところがよくわからないんだけど」
アスカの顔をしたその人は「コホン」と一つ咳払いをし、事務的な口調に切り替えて話し出した。
「元々アタシにはこれといった決まった形がないの。あるのはこの翼と意識だけね。で、魂を導くときにはその魂が一番心を許す対象へと姿を変えるのよ。あなたの場合はこの惣流アスカという女の子だったわけ」
「・・・アスカが僕にとって一番心を許せる存在・・・?そうなのかな」
「こういうことはなかなか本人にはわからないものよ。心はたぶんどんなに科学が進んでも人に制御しきれるものじゃないと思うわよ」
納得したようなしないような。
でもたしかにアスカが一番話しやすいと言うのはたしかだ。
ただし学校以外では。
学校にいる間は幼なじみであるが故、それが枷となってアスカに近づくことが出来ないでいる。
眉目秀麗、才色兼備(?)、容姿端麗・・・などなどetc。
アスカに与えられるのは賞賛の嵐。
僕はというと、目立たない、根暗、情けない・・・・等々etc。
このあまりに違いすぎる立場が、僕とアスカの間に急激に深い溝を形成する要因となった。
アスカはそんなことをお構いなしに僕に接してくれる。
それもまた周囲の連中に対しては火に油を注ぐ行為であったのは言うまでもない。
ただ幼なじみだっていうだけで何度か喧嘩をふっかけられたこともある。
連中の言い分としては「おまえには不釣り合い」「幼なじみだからってでかい面するな」など、実に勝手なものだ。
元々抵抗する気力もない僕はただ為すがままになり、最終的にアスカ本人に助けられるという情けない事態もあった。
アスカは昔から運動神経も抜群で僕よりもよっぽど喧嘩も強い。
ほとんど手を挙げるようなことはないけれど、手を出した喧嘩の場合、アスカは一度たりとも負けたことがない。
そのアスカの一喝が効いたのか、僕に絡んでくる人数は激減した。
反省したわけではなく、僕に絡んでアスカの心証を悪くするのは得策でないと悟ったせいだろう。
僕はこの事件以来、更に目立たないようにと心がけるようになり、波風立たないように生きてきた。
そうしてアスカのことも意識的に避けるようになっていた。
言い訳はしない。
僕はアスカの存在が煩わしいと思ったのだ。
今にして思えばアスカには悪いことをしていたと自覚できるが、まさに後悔先立たずだ。
「さて、と。お喋りはここまでにして、本題に入るわね」
改めてキュッと表情を引き締めたアスカはやっぱりアスカだった。
アスカなのにアスカじゃない。
妙な感じがする。
「本当はこんな話なんかしないで、あっちに連れていっちゃうんだけどね・・・」
「問題でもあるの?」
「大アリよ。いい?この世の全ての生物は必ず用意された道に沿って生きているの。もちろん細かい道筋までは決まっていないけど、大まかなルートが何本かあって、それを選択していくのよ」
「それが運命ってことかな」
「まぁそんなもんね。でもあなたはそれから大きく逸脱してしまったのよ。まず、あなたは私の羽根を見つけた。そうよね」
「う、うん。それがどうしたの」
「これもルールがあってね。案内人の羽根を見つけたものには運命を書き換える権利を与えられるのよ。過去に羽根を手に入れたものはたいがい歴史に名を残すような人物になっているわ」
「たとえば?」
アスカは腕を組んでしばらくの間「う〜ん」と唸っていた。
なにか思いついたのか、ポンッと手を叩くとうんうんと頷いて僕を見下ろした。
「そうねぇ、モーゼって知ってる?」
「ああ、海を割って逃れたとかいう・・・伝承が残っているあれだろ」
「そ、あれもあの場で羽根を見つけたモーゼの願いを聞き入れて、死んでしまう運命を書き換えてああなったのよ。奇跡と呼ばれている出来事は羽根を見つけたものが起こしたと思ってくれていいわ」
突飛な話に僕は目を白黒させた。
彼女の言うことを全て事実と受け取るならば、歴史は彼女たちの力によって作られてきたことになる。
運命をねじ曲げたことによって歴史は作られた、そういうことになる。
でも・・・
「でも僕は死んでしまった・・・」
「そう、そこが問題になっているのよ。あなたはあそこで死ぬ予定ではなかったの。ただでさえ、あなたは死ぬ運命に無かったというのに、あなたは羽根を見つけ、それが元で死んでしまった。運命を書き換える暇もなく、ね。だからこうして色々説明しているのよ」
アスカの姿をした彼女は酷く疲れた顔で大きく溜息をついて天を仰いだ。
困っているという感じがありありと見て取れる。
こういう仕草から全てが僕の中のアスカとぴったりと一致するのだから複雑な気分だ。
「どうして説明なんて必要なのさ」
「だってあなたがアタシをアスカだと信じてしまった瞬間から、アタシの職務の強制力が働いて向こうに行っちゃって戻れなくなっちゃうんですもの。最初に誤解を解かないと」
「別に・・・僕は戻れなくなったってかまわないよ。さっきも言っただろ。みんなは僕がいなくなったってどうってことないだろうよ」
「ふうん・・・じゃあちょっと見てみましょうか」
周りには雲しかなかった景色が一変して、見慣れた部屋に移動した。
飾り気のない、生活感だけが僅かに漂う狭い部屋・・・僕の家だ。
「ほら、あなたの葬式よ」
指し示した先に箱に入れられた僕の体が見える。
当たり前のことながら血の気のない青白いを顔をしており、客観的に自分の姿を見るという奇妙な感覚も手伝って、まるで人形が寝かされているように思えた。
その横に、喪服を着た父さんの姿があった。
「父さん・・・」
泣いている父さんの姿を僕は初めて見た。
直立不動で微動だにしないまま、父さんは涙を流していた。
強面で感情の一切を表に出さないと思っていたのに、かなり衝撃的な光景だった。
「あなたはこれでも誰も悲しまないというの?」
「・・・・・・」
「ほら・・・あの娘も」
アスカが示した先には床に座り込んで放心している幼なじみのアスカがいた。
いつもの溌剌とした、あの弾けるような笑顔はどこにもない。
表情も、瞳も全てがくすんでしまっていた。
小さく唇が動いていたので聞き取れはしないかと近寄ってみた。
「シンジ・・・シンジぃ・・・どうしてよぉ・・・どうして死んじゃったのよぉ・・・。アタシはまだ何も・・何も言ってない・・言ってないのに」
喉の奥がギュッと締め付けられた。
瞼の裏が熱い。
口の中に何とも言えない苦みが広がる。
「他にも泣いてくれる友達がいるじゃない。ケンスケ、トウジ、洞木さん・・・だったかしら?これだけ泣いてもらえれば上出来だとアタシは思うわ」
「・・・僕は」
「ん?なに」
「僕はどうしたらいいんだよ」
その言葉を待っていたのかのようにアスカはにんまりと満足げに笑った。
「決めるのはアタシじゃないわ。あなたの心が決めること」
「そんなのわかんないよ!お願いだよ!僕に道を示してくれよ!」
「ダメよ。アタシは主の意志に従い、あなたをある場所へ連れていくこと。そこからはあなたはあなたの意志で道を決めなくちゃいけない。チャンスを生かすか殺すかはあなたしだいよ」
「そ、そんな・・・いきなりいわれても・・・」
「運命の歯車はもう・・・回り始めているのよ」
白銀の翼に包み込まれ瞬間から、急に視界がぼやけてきて声も遠くなる。
指先から感覚が薄れていき、僕は消えた。
幼なじみアスカの呟く声が・・・耳にこびり付いて離れないでいた。
改訂5/23/00