「シンジ・・・力を使ってはダメ・・・そんな心で力を使っては・・・」

 

人間で言えば命を失いかねない程の重傷を負った天使・ユイナは、その体に鞭を打ち、消えかけた翼を広げた。

その体の所々が、元の輪郭のぼやけた光の粒子に戻りつつあった。

ATフィールドを叩きつけられたために心の形が壊れかけてしまったのだった。

 

「・・シンジ・・」

 

 

傷付いた天使はそれでもなお飛ぶことを止めない。

それが彼女の存在を証明する行為であるから。

それが心の命ずることだから。

 

 

 

 

 

WING OF FORTUNE

第壱拾話 魂の器

 

 

 

 

 

黒い瞳は徐々に血に染まるように赤みを増していく。

アスカは使徒との戦闘中であることを忘れてその輝きに見入った。

深い、深い悲しみと絶望。

胸を剔られるような痛みを覚えながら、その瞳から目を離すことが出来ないでいた。

 

ユイナの姿がアスカを元にしただけあるように、表面上はどうあれシンジにとってアスカは特別な存在だった。

恋愛感情とかそういうことは別として、拠り所にするという意味でのことだ。

だからミサトの時よりもずっとショックが大きかった。

自らを追い詰めるような言動は少なくとも彼の知るアスカではあり得ないこと。

むしろそれは自分がよくやることで、アスカにはそれを咎められることが多かった。

それが、である。

 

「こんな世界・・・こんな世界なんて!!!」

「やめ・・なさい・・・シン・・ジ」

 

それまで叫び続けていたシンジはピタリと動きを止めた。

アスカもまた、現れたユイカの姿を見て声を失った。

 

「ユ・・イ・・・・ナ・・・」

「そう・・よ。アタシよ。心を・・・落ち着けなさ・・い。自分を見失ってはダメ・・・」

 

赤く染まっていった瞳は元の黒曜石の瞳に戻り、ユイナの背には再び翼が宿った。

ユイナは弱々しく微笑むと二人に向かって息も絶え絶えに告げた。

 

「心を合わせて・・二人の心を・・・・シンジ、あなたは一人じゃないのよ。アスカあなたも。心を合わせ・・て・・・」

「ユイナ!」

「だい・・じょう・ぶ・・・少し休めば・・・クッ・・負けちゃダメよ」

 

スッと音もなくユイナの姿はシンジの体に重なるようにして消えた。

 

「・・・・・・・・・・」

「な、なんなのよいまのは!」

「アスカ・・・」

「ちょっと人の話を・・」

「集中するんだ。使徒を倒す。それだけに」

 

有無を言わさぬシンジの迫力にアスカは頷くほかない。

二人はレバーに手を重ねておき、使徒の動きを見張った。

 

「でも・・・どうするの?ろくに動けないんじゃ勝負にならないわよ」

「・・・動けないなら来てもらうまでだ」

「それってどういう・・・」

「使徒のコアは口の中にあった。さっき食われそうになったときに確認したから間違いない。やつはきっと最後は食いついてくる。大口を開けたときが勝負だ」

「それって・・・口の中に飛び込むって事!?」

 

アスカが少しばかり妙な声をあげようと、シンジはあくまで淡々としていた。

内側に抑えた感情の波が溢れ出ないようにするために、敢えてそうしていた。

少しでも気を抜けば集中どころか辺り構わず暴れてしまいそうな予感があった。

 

「僕がATフィールドを張るから、アスカはコアの破壊に専念して」

「・・・わかったわよ。その代わり後でぜ〜んぶ話してもらうからね!」

「ああ、いいよ。君が信じられるのなら」

「またよく訳の分からないことを・・・」

「ん・・来た!」

 

使徒はシンジの読み通りに大口を開けて向かってきた。

それはまさに最大のピンチにして同時に最大の好機でもあった。

 

二人は瞳を閉じて一つの目標のために心を重ねる。

使徒を倒すという目的のために、二人の心は一つとなった。

 

「ATフィールド全開ッ!!」

 

エヴァに食いつこうとした使徒の牙は光の壁に遮られて、水中であるにもかかわらず火花をあげた。

 

「アスカ!」

「言われなくてもわかってるわよ!」

 

そのまま弐号機はナイフを持った腕をつきだした。

使徒は自らの運動によって生み出したスピードが自分の命を絶つ刃となった。

勢いのままにコアにナイフを受け、そのまま真っ二つに裂かれた使徒は水中で大爆発を起こし、絶命した。

 


 

使徒を撃退したシンジとアスカは、それからしばらくしてからようやっと引き上げられ、陽の光の元に返ってきた。

ミサトはよくやったと誉めてやろうと待ち構えていたのだが、出てきた二人の顔があまりに暗かったのでタイミングを完全に逸してしまう。

 

「あ、あのぉ〜どうかしましたか?」

 

つい敬語になって声をかけていたがそれにも反応無し。

流石にそんな調子では、友人らも「いや〜んな感じ」とか茶化す雰囲気ではない事を察した。

 

「ミサト・・・あたしちょっとこいつと話があるから」

「え・・あ、うん」

「行きましょ、シンジ」

「・・うん」

 

二人の後ろ姿を残された三人の人物は何をどうしたら、といった顔で立ち尽くしていた。

ただぼんやりと、アスカが「シンジ」と呼んでも自分たちが違和感を覚えなかったことを不思議に思っていた。

 

 

 

 

 

「・・・実際、信じ難い話ね。つまりシンジ、あんたはパラレルワールドから来たっていうことでしょう?」

「僕自身だってこうなるまで信じる事なんて出来なかったと思うよ」

「そうよねぇ・・・あたしだってそうなってみなきゃ本当の意味で理解する事なんて出来ないんでしょうね」

 

二人は人気の少ない船首側の甲板の際に腰をかけ、足をぶらぶらと揺らしていた。

視界に広がるのは海、海、海。

それ以外には何も見あたらない。

まるでこれが世界の全てだと言わんばかりの広がりを見せている。

 

「それで、案内人だっけか?あのユイナっていうのがあんたの言う”幼なじみの惣流アスカ”の姿なわけね」

「細かいことを言うと、僕の中にあるアスカという人間の認識の形なんだけどね。難しいことはよくわからないよ」

「それがどうしてあんなにボロボロになっていたの?」

「・・・使徒にやられたんだと思う。彼女の悲鳴が聞こえたから」

「そっか・・・。それで今はどうしてる?」

 

シンジは顔を伏せて首を横に振った。

さっきから何度も呼び掛けているのだが、その反応が酷く弱い。

頭の中に嫌な予想ばかりが浮かんでは打ち消すと言うことを繰り返していた。

 

「何だか後味悪いわ」

 

そう言うとアスカはフゥッと溜息をついて顎を手の上に置いた。

シンジは少し上半身を後ろに倒して空を見上げた。

二人の間に沈黙が訪れ、時間が流れているのかどうかも定かでないような空間が出来ていた。

 

「ねぇ・・・あんたの幼なじみってどんな感じなの?」

「・・・学校のアイドルだよ。文武両道で人当たりのいい性格をしてる」

「そうじゃなくて、幼なじみとしてのアスカよ」

「幼なじみとして・・・か。そうだね、毎朝、僕のことを起こしに来て、愚図る僕を引っ張って「早くご飯を食べろって」せかすんだ。食べたら食べたで「学校行くから早くしなさい」ってね。それはアスカが何かと僕のことに気を回してくれていたってことなんだろうけど、僕はこの頃彼女のことを少し鬱陶しく思っていた」

 

語りだしたシンジは遠い目で”ここではない何処か”を見つめていた。

 

「・・・僕には彼女が眩しすぎたんだよ。学校でもそれが原因で絡まれることが多かった。勿論それを助けてくれる人もいたよ。けどね、アスカが僕の周りにいる限り、僕にも、アスカにも、けっして良いことはないんだって気付いたんだ。僕は彼女の可能性を押しつぶしてしまうってね」

「あんたバカァ?そんなのあんたが自分に自信が持てないくて、逃げてるだけじゃない」

「・・・・・・そうだね、その通りだ。けれど、それは君も似たようなものじゃないのかな、アスカ」

「う゛・・・・・・・・・・・悔しいけど、認めるわ」

 

アスカはひきつりながらもその問いをかなりあっさりと肯定した。

ほんの一時間ほど前であれば、烈火の如く抗議したことであろう。

しかしその一時間の間に体験した出来事は、アスカの人生観を大きく変えることとなった。

なにより、使徒を倒せたのはシンジとの協力のおかげであり、掘り下げればユイナが(よくわからないが)シンジを諫めたことにある。

決して自分一人で勝ったわけではない。

その変えようのない事実がアスカの考え方を異なるものへと変貌させたのだった。

他にも決定的な理由があった気がしたが、アスカはそれを言葉に出来ないでいた。

 

「あたしは・・・エヴァに乗らなければ自分の存在する意味は無いって思ってた。そう、自信がなかったのよね。あんたと同じでそこにいても良いっていう自信がなかったのよ」

「僕は一度死んで、あそここそが僕の居場所なんだってやっとわかった。涙を流してくれる人が居る場所。それが僕の居場所なんだって」

「あたしは泣いてくれる人・・居るのかな?」

「少なくとも僕は泣くよ。たとえ幼なじみじゃなくたって君はアスカだ。僕にとってその事実は変わらない」

「ありがと。あたし・・・ずっとその言葉を待っていたような気がするわ」

 

瞳の端にうっすらと涙を浮かべながらアスカは小さく微笑んだ。

シンジもそれに答えるように弱々しく微笑みながら次の言葉を続けた。

 

「けど、そうなるのは勘弁して欲しいよ。この戦いの中で誰かが傷付くのはもうたくさんだ・・・」

「・・・ユイナ・・か。本当ならお礼の一つでも言うべき何でしょうね・・・」

「失ってみて気付くことって多すぎだよ。大切なものほど特にさ」

「そうかもしれない。心のパーツをどこかに置き忘れてきても、それに気付いたときには何処においてきたのかわからず、どうしようもないから見せかけのプライドでその穴を覆って誤魔化すんだわ」

「穴なんかにしてたまるもんか・・・ユイナは・・・僕にずっとついててくれたんだ。失いたくなんかないよ」

「何か方法はないのかしら?医者なんかじゃダメだろうし・・・取り敢えず他にユイナのことを見える人間に相談するほか無いわよね」

 

シンジはアスカの提案に頷き、ひとまずはレイとの相談を持つことに決めた。

どちらかといえばユイナとは込み入った話をすることの多いレイならばもしかして・・・という思いもあった。

そして、そのレイの口からある一つの解決方法が実際に提示されることとなる。

 


 

「・・・話は分かったわ。つまりユイナは自分の形を留めていられなくなっているということね」

 

二人の話を聞いたレイはそう言って話を要約した。

 

 

 

ネルフ本部に到着した二人はその足でレイの元へ向かった。

このときレイは待機命令を受けていたので本部の中ですぐに捕まえることが出来た。

ネルフの職員達に聞かれても面倒だとのことで、盗聴の恐れのないところへ場所を移して会話は始まる。

 

「あんたがファーストチルドレンの綾波レイね。シンジから聞いてるわ」

「・・・ええ。あなたは惣流・アスカ・ラングレー。セカンドチルドレン」

「何だ知ってるわけ?」

「ユイナと同じ顔。ううん、ユイナがあなたと同じなのね」

「たしかにそういうことになるわね。ま、あたしのことはアスカって呼んでくれていいわ。その代わり、あたしはあんたのことレイって呼ぶからね」

「わかったわ」

 

淡々としているように見えて、レイは心持ち嬉しそうにしているとシンジは感じた。

ここにまた一人、自分のことを仲間だと認めてくれる人物が現れたから。

レイは新しい絆の誕生に喜んでいるのだろう。

 

アスカはアスカで、ここに来るまでの間にレイがどういう性格をしているのか、シンジの私見ではあったものの情報として得ていた。

結果、導き出された答えは自分たちチルドレンは何処かしら似たような性格の持ち主だということだった。

特にエヴァに固執することに関しては表現の形は違えど、まるで自分のことを言われているのかと思ったほどだ。

だがそれがわかると、なんとなくだがレイが今、何を一番大切にしているか理解できるような気がした。

 

「で、そのユイナのことなんだけど、ちょっとあんたに相談したいことがあるのよ」

「私に?」

「うん。ほらシンジ、あんたから説明しなさいよ。あんたが当事者なんだからさ」

「わかってるよ。綾波・・・実は」

 

 

 

話を聞き終えたレイはしばらく考え込むような仕草を見せた。

為す術のないシンジとアスカはその答えを待つほか無く、ジリジリとした焦燥感に見舞われた。

 

「・・・方法がないわけではないわ」

「本当!?」

「このまま放っておけば、おそらくユイナの意識は碇君の中に取り込まれてしまう。だからそうなる前に、ユイナに心を受け入れるための器を与えればいいのよ」

「そんなことができるの?」

「不可能ではないわ」

「じゃ、じゃあ早くしよう!早くユイナを・・・」

「ちょっとシンジ、待ちなさい」

「なんだよアスカ?」

「・・・レイ、あなた何か隠してるわね?それもかなり言い辛いこと」

 

それまでユイナのことで頭が一杯になっていたシンジは、レイがどんな顔をして語っているのかしっかりと見ていなかった。

 

レイは器を用意すると言っているのだ。

それはつまり、自分の出生の秘密を全て目の前にいる二人に打ち明けるということになる。

ユイナは助けたい。

だけど自分が嫌われてしまうのはイヤ。

レイにとってこの選択は命がかかっていると言っても言い過ぎではなかった。

”今”を全て失ってしまう危険性さえはらんでいるのだ。

 

アスカはそんなレイの変化に敏感に反応し、シンジを諫めたのだった。

 

「顔には表れていないみたいだけど、よっぽどのことがあるんでしょう?」

「・・・いいの。今の私はユイナがいなければあり得なかった。だからユイナを助けることに・・迷いはないわ」

「嘘つきね、あなた。迷いがないなんて見え透いたこと言わないでよ。そんな迷いがない人間なんていやしないわよ。迷うからこそ人間なんじゃない」

「・・・ありがとう、アスカ。碇君、少しで良いの。席を外していてくれる?」

 

シンジは無言で頷くと席をたった。

小さく「ゴメン、綾波」と声をかけて。

 

 

「シンジをどっかにやったってことは、本当にシンジには知られたくないのね」

「・・・これを聞いたら、あなたも私のことを見る目が変わると思う。でも・・・ユイナを失いたくはない」

「あたしもあいつに礼の一つでも言わなきゃいけないのよねぇ・・・」

「だから、まずあなたに全てを話すわ」

 


 

シンジが席を立ち、三十分近くがたった頃。

フラフラと当てもなく歩いていたシンジは、そろそろ終わっているものと思い二人の元へ戻った。

そこでは、思ってもみない光景を目にすることになった。

 

レイはアスカに縋り付くような形で肩を震わせ、アスカはそんなレイを子供をあやす母親のように慈愛に満ちた微笑みを浮かべて、何度も頭を撫でていた。

 

シンジはその光景に一種の神々しさのようなものを感じて呆然と見入った。

その場の感想としてはずれていたかもしれないが、シンジは二人の姿がとても綺麗だと思った。

 

「あ・・・、シンジ」

「お、終わったのかな?」

「うん・・・あたしの私的な意見としては、あんたには知ってもらいたくないな。あんまりにもレイがかわいそうだから」

「けれど私はユイナを助けたい」

「だから、あんたにも全部話す。レイはその覚悟をしている。でももしあんたがこれからする話を聞いて、レイのことを見る目を少しでも変えたら、あたしは絶対にあんたを許さない。それだけは覚えておいて」

 

アスカの目には真剣な光が宿っていた。

ゴクッと我知らずシンジは唾液を飲み込む。

ゆっくり首を縦に振ると、静かにアスカは語りだした。

 

「綾波レイ・・・この娘は実際には存在していないわ」

「存在していないだって?綾波はここにいるじゃないか」

「戸籍上に存在しないってことよ。レイには父親も居なければ母親も居ない。血を分けた者がいるとしたらそれはシンジ・・・あなたよ」

「!?」

「綾波レイ。それは碇ユイのクローン・・・つまりあんたの母親がオリジナルってことになるわ」

「なっ!!」

 

シンジの顔が驚愕に彩られると、レイは意識的に顔を伏せた。

シンジの視線が怖かった。

どんな目で見られているのか、それを知るのが怖かった。

 

「けどね、肝心なのはたとえクローンだとしても、レイはレイ、あんたの母親はあんたの母親だってこと。それぞれ別の人間なのよ。少しぐらい体が違っていても、レイは人間なのよ。綾波レイっていう・・・立派な人間なのよ!」

 

語尾を荒げてアスカは言い放つ。

蒼い瞳にはうっすらと涙が浮かび、頬は興奮のためか紅潮していた。

 

俯いたシンジもまた涙を流しながらうめくように言葉を紡ぐ。

 

「・・・母さんは・・・僕が小さい頃に死んじゃったんだ・・・母さんはとっても優しかった・・・母さんは・・・」

 

「シンジ・・」「碇君・・・」

 

 

グッと涙を拭う。

手の甲を使ってかなり乱暴に。

 

「でも、それは過去のことだ。綾波がどんな生い立ちだろう関係ないさ。綾波は・・・・・・綾波だ。僕を守るって言ってくれた大切な仲間だ。それは変わらない」

 

三人は一度微笑み会い、肩を抱き合って静かに涙を流した。

赤、蒼、黒。

それぞれの瞳から涙がこぼれ落ちる度に絆は深まる。

 


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