碇シンジは朝食の準備をしていた。
彼の一日は誰よりも早く起きて、朝食とその日の弁当を作ることから始まる。
少しすれば隣の部屋から一人の少女が現れて手伝ってくれるのだが、やっぱり彼が一番早いことには変わりがなかったりする。
トントントントン・・・
包丁がまな板を叩くが軽快なリズムを刻んでいる。
時折味見をしたりしながら、料理は着々と完成に近付いていった。
不意にその音が途絶えた。
(なんだ・・・?)
(手が・・・)
包丁の刃はそれまでのリズムを大きく崩し、もう一方の手を斬りつけていた。
赤い雫がまな板に垂れていくのをシンジは微動だにせず、見つめ続けていた。
多少は痛みもあるのだが、それに顔を歪めることもない。
浅間山以降、シンジの体には異変が頻繁に起こるようになっていた。
時折・・・それも決まって彼が一人の時に・・・体の一部に痺れが起こり、自由が利かなくなるのだ。
まるで彼の中にもう一つの意志があり、シンジ本来の意志と争っているかのように動かなくなるのである。
異変はそれだけではない。
「おはようシンジ、手伝いに来たよ」
「あ、おはよう、ユイナ」
それまでのが嘘のようにパッと痺れが消えて、シンジは手を隠すようにして振り返った。
その動きがやや不自然だったのか、ユイナは眉を寄せて訝しむ。
「手・・・どうかしたの?」
「ううん、なんでもないよ」
「嘘。隠してないで見せて」
ユイナが詰め寄ると強引にシンジの手を引っ張った。
しかし・・・
「あれ・・・?なんにもなってない・・・」
「だから言っただろ。なんでもないって。ほら、食器の準備してくれるかな」
「う、うん・・・」
首を傾げながらユイナは食器棚から人数分の皿などを取り出すべく、シンジに背を向ける。
ユイナが引っぱり出したシンジの手は本当になんともなっていなかった。
だがユイナは知らない。
シンジの背に隠れていたタオルに赤い模様がついていたことを。
「・・・やっぱりもう治った・・」
「え?何か言った?」
「ううん、何も」
血が付いたタオルを丸めると、シンジはそれをエプロンのポケットにねじ込んだ。
それから何もなかったように葛城家の朝は始まった。
後にシンジは言う。
全てはこの時にもう始まっていたんだ、と。
WING OF FORTUNE
第弐拾伍話 嘘
数日前・・・
場所はネルフ本部内のリツコ個人研究室。
そこにいたのは二人の男と一人の女。
テーブルの上にドンとのせられているのは渋めの徳利。
三人は酒を酌み交わしていた。
「ふぅん・・・マヤがそんなことを・・・」
珍しく少し酔った様子のリツコはグラスならぬぐい呑み片手にぼんやりとしていた。
両脇のバルと加持も自分のペースで喉の灼ける感覚を楽しんでいる。
「ありゃ殺人ドライブだよ。何度あの場から逃げ出そうと思ったことか・・・」
「ハハハッ、おまえも大変そうだな、バル」
「女癖の悪いおまえに言われたかないよ、リョウジ」
「お、やぶ蛇か?」
いつも通り飄々としている加持は、バルのつっこみにも軽く戯ける余裕を見せる。
「てめぇはさっさとミサトとくっついていりゃいいんだよ。ウダウダ言ってると機会を逃すぞ」
「わかっちゃいるんだがな。何時いなくなるともわからん俺みたいなヤツと将来を誓っちまうと、色々と大変だろ」
「けどこのままじゃ、あの娘もずっとあのままよ」
不意にリツコの目が真剣な光を灯して加持を見る。
旧友として、ミサトには幸せになってほしい、自分のようにはなってほしくはないと思う。
自分はもう後戻りが出来ないところに踏み込んでしまっている。
だからせめて。
リツコはミサトを見る度にそう思ってやまない。
「どっちがいいのかねぇ・・・何時失うともわからない幸せと、何時まで続くのかわからない今と・・・」
バルも天井を仰ぎ見ながら、様々な顔を思い浮かべていた。
失ったときの悲しみは大きい。
だからといって何も得られないで宙に浮いたままでいるのも辛い。
バルにはどちらがいいのかなんて判断が付かなかった。
そして加持にも。
「さぁな・・・俺は臆病だからな」
「へっ・・・よく言うな。三重スパイをするようなヤツが言う言葉か?」
「いつもビクビクしているのさ。ばれやしないだろうかって、な」
肩を竦める加持は、あいかわらず真面目に話しているのかどうなのか判断しづらい。
「加持君、私たちはあなたのやることを止める権利はないけれど、いなくなるなんてことはしないでね。誰かを失うなんて絶対に嫌なの」
「心に留めておくよ。いちおう」
「それで、話ってのはなんだよ。リョウジ」
「ああ、そのことだがな。今日から三週間後、ジオフロントへある工作が行われる」
「ある工作・・・?それはつまり、ゼーレの指示ということ?」
ぐい呑みの中身を全て空け、頷く。
「ゼーレもここの構造を把握しているわけではないからな。ここの正・副・予備の三系統の電源を全て落とす」
「そう・・・電源の復旧ルートから構造を調べるのね」
「ここを攻めるときの下準備か。まったくよくやるねぇ」
「ならダミープログラムを用意しておくわ。それと・・・もしもの為にエヴァ用のバッテリーも必要ね」
「だがあまり派手に準備をすると感づかれやしないか?」
「それは仕方ないわ。エヴァのバッテリーに関しては前回の戦いを教訓にとでも言っておけばいいわよ」
現状ではエヴァの内部電源が五分弱。
これでは戦闘行動もあったものではない。
強化バッテリーの構想はリツコの頭の中に前からあったことだ。
S2機関を搭載するという選択肢もあるが、つい最近に起きた事件がそれを尻込みさせていた。
そのこと思い出したのか、リツコは少し唇を噛む仕草をする。
「・・・アメリカ支部は大変だったな」
「ええ・・・3号機を徴発するときに無理にでも引っ張っておけばあんなことにならなかったでしょうね・・・」
「りっちゃんがそんなに気に病むことじゃないだろう。あれはアメリカ支部が無茶をしたそのしっぺ返しだ」
エヴァ4号機を建造していた支部が消えたという報告が彼等の耳に届いたのは、サンダルフォン戦の翌日のことだった。
残っていたのは周囲数qに渡ってすり鉢状にえぐり取られた大地だけ。
生存者はゼロ。
施設は影も形も残らなかった。
原因として考えられているのは、4号機に搭載しようとしていたS2機関の暴走だった。
この考えはバルも認めている。
3号機の場合は使徒の体組織の一部であり、確固たる意志の元に制御されているから同じ様な危険が起きることはないが、この結果を見たときにリツコやマヤは自分たちの手元にある力の強大さを改めて自覚したのだった。
「ディラックの海に放り込まれたら、さすがに俺も自力じゃ戻ってこられねぇからなぁ・・・」
「不死身のバルディエルでも無理なのかい?」
「おいおい、俺は不死身じゃねぇよ。確かに魂自体は不滅に近いけど、実際に死という概念はある」
(そして魂自体も摩耗していく)
使徒の完全なる死とは穏やかな衰退を意味していた。
バルはそれを良しとしなかったが故、ここにいる。
それはある意味自殺願望に近いのかもしれないが、彼からはそういった悲壮感の類は微塵も感じられない。
「ディラックの海・・・いわゆる異次元空間だったわよね」
「まぁ・・・ただの空間じゃないわな。上も下も無い。時間の概念も通用しない。トドメが心ある者にとっては最悪の精神汚染が待っている」
「まるで行ったことがあるような口振りだな」
「あるさ。あのときはマジで洒落にならなかった・・・・・・はぁ・・・思い出すのも嫌だ。寒気がするよ。唯一の救いは俺が今のようなリリンに近い精神を持ち合わせていなかったってことだな。迷いがほとんど無い心には、精神汚染はあまりないから」
「それでももう二度と行きたくない、と。あなたにそこまで言わせるのなら、アメリカ支部の人間は・・・」
「たぶん生きていたとしても、精神が壊れているだろ。そうでなくともあの中でどれだけの時間が流れているかわからない。もう絶望的だ」
「そう・・・」
異次元空間ディラックの海。
それは心の闇の終着点。
生命の終着点。
それがLCLの満たされた海。
そのどちらも次元を超えて共通する世界。
バルはもしかしたらシンジの世界にも通じているのかもしれないな、と思っていた。
「さて、話は戻るが。停電時の緊急措置として、俺に良い案があるんだが、乗るかい?」
「良い案?」
「そうそう。エヴァの電源ソケットあるだろう?あれから電気を逆流させるんだよ。別に不可能ではないだろう?」
「確かに不可能ではないけれど・・・って、あなたのS2機関を利用するのね」
リツコは玩具をもらった子供のように期待と驚きの混ざった顔をする。
バルはバルで自分の考えをすぐに理解してもらったことに、なんとなく満足感を覚えていた。
「ご名答。S2機関をフル稼働させればジオフロントの電源確保なんざ軽い軽い」
「そうね・・・だったら近いうちにテストしてみましょうか。S2機関の出力を調べることもできるし」
「じゃあ例によって真夜中の実験タイムだな」
「マヤにも連絡しておくわ。用意が整ったら伝えるから」
「オッケー。それじゃ俺は引っ込ませてもらうよ」
全て飲み干し、バルはその場から消える。
「・・・いつ見ても驚くな」
「あら、私はもう慣れたわよ。それより加持君、あなたこれからどうするつもり?」
「とりあえず、停電工作のあとにこの街を離れようと思ってる。いい加減ゼーレも馬鹿じゃないと思うからな」
「それからは?」
「ゼーレの内情でも探ってみるさ。特にアスカの描いたっていうエヴァシリーズが何処まで完成しているか、調べておいて損はないだろ」
「危険だ・・・と言ってもきかないわよね、あなたは」
呆れたとばかりに溜息をつく。
加持の方もその言葉を肯定して男臭い笑みを更に深めた。
「月並みだけど、気を付けてね」
「ああ、わかっているさ」
再び数日後・・・
シンジ君達は何かを知っている
葛城ミサトは浅間山から帰ってきてからずっとそのことばかり考えていた。
だがその核心にいる少年に対してはずっと切り出せないでいた。
理由は二つある。
一つはアスカに言われたとおり、自分が使徒と戦う理由が他人に胸を張って言えるものではないということ。
もう一つは初号機が翼を広げたときの姿が、忌まわしい記憶を思い起こさせるからである。
3号機戦の時はエヴァが乗っ取られたこととで大わらわになたったうえ、その後繰り広げられた戦いにただただ驚愕するばかりで、それどころではなかった。
だが徐々に頭が冷えてくると、押し込んであった記憶が紐解かれ始めたのだった。
「・・・頭痛い・・・」
おかげでここのところ寝不足だ。
ビールの味もほとんど感じないし、どんなに飲んでも酔うことが出来ない。
バルから沖縄土産だと泡盛も貰ったのだが、それでも酔えない。
「碇シンジ・・・赤木ユイナ・・・バル=ベルフィールド・・・」
三人の名を連ねても共通点がまるで無い。
しかもユイナは学校でシンジの幼なじみということになっているということを、聞き及んでいた。
これでは余計につじつまが合わなくなる。
「いったいどういうこと?リツコの妹、それがシンジ君の幼なじみ・・・そんなことあるわけないじゃない」
そう、そんなことがあるわけがないのだ。
もしユイナが生まれたとするならば、リツコの母親の赤木ナオコは生体コンピューターの権威として名を馳せていた頃だ。
そして多少なりとも学生時代に話題に上っていておかしくないはず。
しかし残っている記憶の限りでは、そんな話をしたことはない。
何よりゲルヒン時代からの同僚である碇ゲンドウでさえもその存在を知らなかったのである。
そんなことが有り得るはずがない。
百歩譲って赤木ユイナが実在しているとしよう。
リツコは片親で、その母親が死んでしまってからは天涯孤独の身だ。
それならば妹となっている赤木ユイナは何処にいたのか。
いちおうミサトが入手したデータの上では東京都(第二東京)に在住していたことになっている。
そしてシンジと同じ学校に通っていたとも。
隣で生活を始めからはよく言葉を交わしているところ見かける。
親しげな雰囲気から、あながち幼なじみだというのも嘘ではないのかもしれないと思うのだが、そうすると余計に不自然になるのだ。
「いったい何者なのよ・・・前はあんな娘いなかったわよ・・・」
呟いて・・・ミサトはハッとなった。
「前は?どうして私そんなことを言ったの?」
言葉の根拠を思い起こそうとすると何故かイメージがぼやけていってしまう。
「待って」と声をかけたいのだが声が出ず、代わりに手を伸ばす。
だがそれは虚しく手をすり抜けていってしまい、消えてしまう。
「くっ・・・いったいなんなの?」
ごろんと寝返りをうって枕に顔を埋める。
と、ドアの向こうから声がかかった。
「ミサトさ〜ん、朝御飯出来たよ〜」
考えの中心の一つとなっている少女だ。
「・・・わかったわ、すぐ行く」
「は〜い。早くしてね、冷めちゃうから」
「ええ・・・」
恐らくドアの向こうではいつものように弾むような笑顔を浮かべているのだろう。
そんな少女のことを疑っている自分が、酷く矮小な存在のように思えた。
「戦う理由か・・・復讐なんて流行らないことぐらいとっくにわかってるわよ。でも・・・頭でわかっていても、心は理屈じゃ治まんないのよ」
誰に言うでもなく自嘲気味な科白を紡ぐと、ミサトは再び寝返りをうち、勢いをつけて起きあがった。
「もう一度リツコに話してみよう。ここで悩んでいるよりもましだわ」
「葛城さんが?」
「ええ・・・どうしたらいいのかしらね」
MAGIの操作を行っていた二人の女性。
その一人の赤木リツコは一度手を止めると、心底悩んでいるといったふうに溜息をついていた。
「ですけど、先輩。私もこうやって協力できているんですから・・・」
「問題なのはあの娘の過去よ。あの娘言ったわ。翼を広げた初号機が、南極で見たアダムに似てるって」
「・・・それって凄く危険じゃないですか?」
「だから悩んでいるのよ。ユイナやバルの経歴を作ることは出来ても、少し調べれば体のことはわかっちゃうでしょう?」
「確かに・・・」
既に二人の体の調査はしてある。
もちろん同意の上だが、結果は思った通り人の遺伝子とは異なるものがデータとして現れた。
それは間違っても公表できることではない。
特にネルフ内部では。
「けど・・・人でなくても、二人は私たち以上に人らしいと思います」
「そうね。その通りだと思うわ。でもね、セカンドインパクトを目の前で目撃して、父親を失ったあのこの思いっていうのは、私たちには決して理解できないものよ」
「けれど何がきっかけで変化するかわかりませんよ」
「だから余計に怖いのよ。今はまだユイナやバルとも普通に接しているけれど、あの子達のことを本当に知ってしまったら、どんな行動に出るか・・・。それに、それだけじゃないわ。今のシンジ君と鈴原君は限りなくあの二人に近いもの」
最も怖いのはミサトがシンジ達と使徒を同一視すること。
実際に事実関係を見ても、人間自身が使徒の一種である。
シンジとトウジはただそこから少し突出しているだけだと捉えられればいいのだが、なかなかそうもいかない。
あの二人でさえそうなのだから、バルとユイナに至ってはもっと障害は大きい。
「じゃあ・・・このまま葛城さんを騙し続けるってことですか?」
「嘘をつくこと自体は悪いこととは思わないわ。真実とは往々にして隠蔽されるものであるしね」
「・・・あまり良い気分ではありませんね。わかっていても、どこか後ろめたい気がします・・・」
「たしかに、自分を守るための嘘は誉められたものではないわ。けれど調和のための嘘は必要だと思わない?」
マヤは複雑そうな顔で肯定も、否定もしなかった。
「すみません・・・頭で納得しても・・・」
「いいのよ。結局、全て詭弁よ」
「そんなことは・・・」
(罪を犯していることは自覚している)
(全てが終われば罪に見合った罰を受ける)
(だけどいまはその時ではないわ)
(せめていまだけは・・・あの子達の盾になってあげたい)
(そしてミサトにも・・・)
それが赤木リツコという女性の願い。
そのために彼女は嘘をつく。
本部ケイジ・3号機前
「よぉ・・・何か用か?」
電源が落とされ、LCLの発する仄かな光だけがケイジ全体を浮かび上がらせており、普段と違う雰囲気があった。
その中で3号機の肩の上に腰をかけている人影が一つ。
「まぁ、ね」
それを見上げる人影が一つ。
「俺もおまえに聞いておきたいことがあったんだよ。ちょうど良かった」
「・・・そう」
青年の姿をしたそれは一瞬消えたかと思うと、その次の瞬間には見上げていた少女の横に現れていた。
「なんだって・・・?シンジの様子がおかしい?」
「うん・・・なんだか一人になると、雰囲気が変わるっていうか・・・」
「・・・まぁなにかしらの影響があるだろうとは思っていたが・・・ふむ・・・」
黒い3号機を隣の少女と同じように見上げる彼は、腕を組んで唸っている。
青年・バルは横目で隣の少女・ユイナを見やり、その反応を窺っていたが、あまり変化がないものだから仕方なさそうに問い掛けた。
「おまえから見ると、シンジはどんな感じだ?」
「・・・わからない。変わっていないようにも思えるし、酷く変わってしまっているようにも思える」
「どちらにしても、人にしてはどうも、な」
「でもそれは鈴原君だって・・・」
「いいや、トウジの場合はこれまでの積み重ねでああなっただけだ。何度も浸食を受けて、それで今の基盤が出来たに過ぎない」
「じゃあシンジも同じ様なことが言えるんじゃないの?」
見上げてくるユイナの視線をバルは「ハッ」と鼻で笑った。
馬鹿らしいというようなジェスチャーで首を横に振る。
だが、目だけは決して笑っておらず、研ぎ澄まされた刃物のような鋭い眼光を放っていた。
「おいおい、おまえらしくもないな。俺とおまえと、その力の質は大きく違ってるだろうが」
「・・・そうだけど」
「いくら耐性が出来ても、人が神の力を行使するなんざ出来るはずがない。おまえ自身がその力を解放出来ないことからも明らかだ。違うか?」
「じゃあ、あなたからすると、シンジはどんな感じなの?」
「あれはリリンっていうよりも俺達に近い感じだ。もっと言えばリリンと他の使徒の中間ってところだろ。下手をすればその延長上の存在に・・・究極のヒトに化けるかもしれないけどな」
「・・・だからあのとき、あなたは第三に向かわずにあの場でシンジと戦うことを選んだのね」
「まぁそうだな。あのときのことはあまりよく覚えていないんだが・・・」
顎をさすりながら首をひねる。
激情(と言うよりも狂気)にとらわれていた状態ではまともな記憶が残っていなかった。
残っている記憶にも、切り抜いた絵のような第三者の視点からの客観性があった。
自分が自分ではないという感覚が一番その時の状態に近かった。
「覚えていない方が幸せなことだってたくさんあるわ」
「だが罪を忘れてしまうのは許されるべきではない。罪を犯したのならば、相応の罰を受けるべきなんだよ。それが摂理ってもんだ」
「罪の意識にとらわれ続ける必要なんて無いわ」
「どうかな。罪を意識をしなければ進めない人間だっている」
「・・・・・・・・」
それもまた真理の一つなのだろう。
罪を犯しつつもそのままそれを引きずって生きられる者もいれば、それを償わなければ踏み出すことの出来ない者もいる。
要はその重みに何処まで耐えられるかということだが、無頓着なのも気にしすぎて押しつぶされそうになってしまうのも、どちらも愚かであると思う。
「まあそれは良いとしよう。そんなことを話すために来たんじゃないんだろ?」
「うん・・・シンジは力を使っているときにはなんともないって言ってたけど・・・」
「そりゃ嘘だろ。あれだけの力だ。何も感じないって方がおかしいよ」
「そう・・・よね」
「わからないのか?アイツの心に潜るとかさ」
弱々しく首を振る。
その姿は普段の様子からは想像できないほど頼りなさげだ。
「ダメなの。表層部分はまだしも、深いところはなかなか潜らせてもらえないの」
「おまえでもダメなんじゃなぁ・・・けど実際、最悪の事態になったら、おまえはどうするつもりだ?今でもそんな状態なのに、その時になって何が出来る?」
「止めてみせるわよ、当然」
「無理だな」
あまりにあっさりと断言されると、ユイナはグッと拳を握り込んだ。
「わかってるだろう?アイツの発している力は、もう既におまえよりも大きく、強くなっている。しかも今も尚、その差がどんどん開いていく一方だ」
「わかってるわよ。わかっているけど、アタシがやるしかないじゃない」
拳を握り込む力が更に増し、ツッと一筋の赤いきらめきが流れ落ちた。
それでもユイナは力を込め続ける。
中途半端な力しか持っておらず、肝心な時に役に立たない自分自身に腹が立っていた。
バルはそんなユイナの手をそっと包み込んで、両方の手を順番に優しく指をほどいていった。
そして自分の指を傷付けて、その指先をユイナの傷口にすり付ける。
バルの指から流れ出ていたのは人のような赤い血ではなかった。
オレンジ色の、生命の塊・・・人がLCLと呼び、エヴァのシンクロ補助に用いている液体だった。
やがて傷口が完全に塞がると、もう一度優しく包み込んでから手を離した。
「無理すんなよ。リリンに近くなったおまえが、心を動かされている相手とやり合うなんざ出来やしないだろ?俺がやる。これは俺の役目だ」
「バル・・・」
「それが・・・俺の役目だよ」
ユイナの肩を軽く叩いて笑ってみせる。
それに少し申し訳なさそうに頷く。
ユイナは話して少しは気が楽になったのか、幾分軽い足取りで出入り口に向かった。
その途中、思い出したようにバルの方を振り返る。
「そういえば・・・あなたが聞きたいことって・・・?」
「いや、もういいよ」
「そう?・・・・・・じゃあアタシ行くね」
「ああ。だけど一応、リツコやリョウジとは相談しておくぞ」
「・・・わかった。サポートは必要だものね」
ユイナがいなくなった後、バルはフッと溜息を一つ吐いて3号機を見上げた。
「碇シンジ・・・俺に止められるか?」
誰もその問いには答えない。
だから彼は自嘲めいた笑みを浮かべて更に呟く。
「足掻いてやるさ・・・神の掌の上だとしても・・・精一杯足掻いてやる」
後書きのようなもの
今回はテンション低いッス。(と言うかシリアスモード全開)
久しぶりに含みのある書き方を・・・そのうち自爆しそう。
しかも全体的に言い訳臭い。(特にミサト)
シンジ君豹変してるし。
みなさんすいません・・・こんないい加減な奴で。
この頃になってラストの方がかなり変わってきています。
何度書き直しているのやら・・・
一番最初の想定していたラストの面影は影も形も・・・いや、エピローグは変わっていないんですが、
それまでのプロセスが大きな変化をしております。
形が落ち着くまでまだ時間がかかりそうです。
苦情・感想等お待ちしてますんでこちらか掲示板にお願いします