シンジの暴走から一週間という時が過ぎた。

結果として、ネルフのスタッフのほとんどがその時のシンジの狂乱ぶりを目にすることはなかったが、発令所にいたメンバーから派生し、噂として広がるのはそう時間のかかることではなかった。

一応、リツコから口止めはされていたが人の口に戸が立てられるわけもなく、ほとんど徒労に終わっていた。

 

戦いで大破寸前までいった3号機は、二、三日が経つと自己修復して装甲の換装のみですぐに修理は完了した。

パイロットのトウジの方は思いの外、精神的にも肉体的にも消耗したらしく、一週間たった今でも入院している。

本人はもう退院する気満々であるのだが、あとまだ二、三日の療養は必要だった。

 

そして力に呑み込まれてしまった碇シンジ。

意識を奪うという方法はシンジの使っていた力は精神力によって行使するモノであるため、妥当な処置と言えた。

もちろん単なる物理衝撃でシンジの意識を奪うことは難しいため、(いくらシンジを捕まえたといっても、そこに生身で近づくことは自殺行為である)バルの浸食行為で代用したのだ。

可能ならばエヴァを介したユイナの力で、シンジの理性を引っぱり出すということをしたかったところだったのだが、結果は知っての通りである。

意識を断ってすぐにユイナに翼の操作権が復帰したことから、−−−かなり楽観的ではあったが−−−安心していた。

しかし・・・

 

 

 

 

WING OF FORTUNE

第弐拾九話 信じる心

 

 

 

 

脳神経外科。

精神リンクによって操作するエヴァ、そのパイロットとは何かとなじみのある病棟だ。

今では繰り返して経験しているためか、精神汚染などの兆候は見られず、チルドレン達は足を運ぶことが少なくなっている。

 

金髪と茶髪の中間の紅茶色した髪を持つ少女、惣流・アスカ・ラングレー。

彼女はこの病院、特に脳神経外科というところが、どうも居心地が悪いと感じていた。

そしてこの頃はその理由を

(たぶんあたしはここにいたんだわ)

と結論づけている。

それでも嫌悪感は薄れず、理由があってもなかなか訪れたくない場所だと思っていた。

 

しかしながらその嫌悪している場所を今、彼女は訪れていた。

 

「・・・バカシンジ・・・早く目を覚ましなさいよ」

 

碇シンジは一週間たった今でも昏々と眠り続けている。

 


 

「はら・・・・すずはら・・・鈴原ッてば!」

「んあ?」

 

呼び掛けられた声にようやっと反応して、顔を向けるとそこには手に弁当箱を持った少女がこちらを見ていた。

怪訝そうな顔で覗き込むようにしている。

 

「どうしたの?なんだか上の空じゃない」

「ん・・・まぁ・・・な」

 

またぼんやりするトウジ。

この病室のベットの上の彼と同じく、学校に行けば同じような状態の人物があと四人居る。

どの人物もこのクラスの顔と呼べるため、ここのところクラスは火が消えたようで、まるで通夜か葬式だ。

特に担任教師がそんな状態なため、彼女・洞木ヒカリの負担は増大するばかりであった。

 

「もしかして・・・碇君が入院していることと関係があるの?」

 

様子を窺うように、ヒカリはトウジの顔を覗き込む。

 

「ご、ごめんなさい・・・」

「どうして謝るんや?」

「だ、だって・・・(凄く怒った顔をしてた)」

 

トウジは僅かに窓ガラスに反射した自分の顔を見て、自分に苛立ちを覚えた。

(委員長を怯えさせてもうてどないするっちゅうんじゃ)

 

「スマン・・・委員長」

「う、ううん・・・でも・・・みんな沈んでるから心配で・・・私に何か出来ないのかな?」

「委員長はいつもどおりやればええ。変に気ぃ遣われるとあいつらもよけい気にするやろ」

「そっか・・・そうよね・・・」

 

納得しながらも、自分の無力さを突きつけられているような気分になった。

これでは何もできないということの証明のようなものだ。

 

「そない気に病むことはないで、委員長」

「え・・・」

 

顔を上げると、柔らかく微笑むトウジの顔があった。

目があったその瞬間だけだったが、髪が銀色、瞳が血のように紅かく染まって見えた。

 

「す、鈴原・・・」

「ん?どないしたんや」

 

すぐにもとの鈴原トウジが目の前に戻ってきていた。

 

「う、ううん・・・なんだかベルフィールド先生に見えて・・・アハハッ、私なに言ってるんだろう」

「・・・バルか」

「どうしたの?」

「いや・・・なんでもない。とにかく、委員長はいつものようにあいつらと一緒におってくれればええ。それだけでも救いになることかてある」

 

言葉はゆっくりと、しかし確実に心にしみていった。

ヒカリは涙が出そうなのを堪えて精一杯、笑顔を浮かべてトウジに向かって頷くのだった。

 


 

「先輩・・・少し休まれた方がいいですよ」

 

心配げにマヤが声をかけるのは今日何度目だろうか。

少なくとも、これまでに一度も聞き入れられたことはない。

大概、生返事が返ってくるだけであった。

 

 

(わたしって先輩の足手まといなのかなぁ)

レストルームに来たマヤは、紅茶を一口含んで息をついた。

シンジの一件以来、リツコが仕事をする姿は鬼気迫るものがあり、少々声をかけるのを躊躇われるくらいだった。

いつもそばにいる人間でさえもそうなのだから、普段彼女と距離がある人間にとっては、以前の彼女に戻ったように見えたかもしれない。

このように本気で、周りに合わせることなく没頭するリツコには愛弟子のマヤでさえもついていくことが出来ず、どうも置いてけぼりを食ったような気分だった。

だから自分の存在の必要性が希薄になってしまっているように感じてしまっても、それは仕方のないことだろう。

考えれば考えるほど悪い方向に転がっていきそうだった。

 

「はぁ・・・・」

「おいおい、溜息をつくと一つ幸せが逃げるって言うぜ?」

 

顔を上げると向かい側の席に腰をかけて、コーヒーカップを傾けている銀髪の青年がいた。

目が合うと戯けたようにウィンクをしてくる。

 

「・・・誰が言ってたのよ、そんなこと。だいたい何時からそこにいたの?」

「マヤがむずかしい顔して紅茶を飲もうとしたときから。いまさっきリツコのところに顔を出してきたところさ」

 

(最初からじゃない)

心の中で突っ込みを入れつつ、バルの軽い調子につられてしまって思わず笑みをこぼした。

それを見るとバルは満足そうに微笑みながら頷いた。

 

「うんうん、笑う角には福来る、だ」

「あなたって妙なことばっかり覚えているのね」

「そうかい?良い言葉じゃないか。それにマヤは笑顔がよく似合う」

「な、ななな・・・・」

 

男性に対する免疫がない(バルと接することで多少は改善されているが)マヤは飛び出した台詞に大いに焦った。

そんな様子を見るバルは穏やかな表情で嬉しそうに目を細めていた。

 

「可愛いなマヤは」

「か、からかわないで!」

「アララ、心外だな。使徒は嘘つきませんよ?」

「もうっ!」

 

頬を紅く染めてそっぽを向く。

子供っぽい感じがする仕草だが、童顔の彼女にピッタリとはまっていて違和感がほとんどない。

 

「本当に・・・バカなんだから。でも・・ありがと」

「ん?何か言ったかい?」

 

聞こえているのに聞こえていないふりをしている。

マヤはそれがバルなりの優しさなのだろうと、そう思うことにした。

 

「何でもないわ。それより、これからでしょう?」

「ああ」

「本当に一人で大丈夫なの?せめて先輩か私が・・・」

「いいって。俺一人の方が話しやすい。そんじゃ、あんまり根を詰めすぎるなよ。お前もそういうところはリツコと大してかわらねぇからな」

「は〜い。いちおう心に留めておくわ、せ・ん・せ・い」

 

マヤの心に少しだけ余裕が戻ってきた証拠であるささやかな反撃に、バルは笑いを噛み殺して席を立った。

 


 

「はい、姉さん、レイ」

「ありがと、ユイナ」

 

マグカップを受け取ったリツコは、それまでかけていた仕事用の眼鏡を外して机に置いた。

それからゆっくりとその香りを楽しむ。

レイの方はジーッと湯気の立つ黒っぽい液体を見つめていた。

 

「ん〜、コーヒー煎れるの上手くなったわね」

「えへへ、姉さんにそう言われると嬉しいな」

「・・・ユイナ、苦い」

「あ、ゴメン。レイはブラックはあんまり好きじゃなかったね」

 

渋い顔をしているレイから再びマグカップを受け取り、砂糖とミルクをつぎ足す。

 

「はい。ごめんなさい。ついうっかりしてて」

「・・・いいのよ。ユイナも心配なんだから」

「・・・ありがとう」

 

少し前まで資料で埋もれていたリツコの個人研究室は、三人の人間がくつろぐことが出来るぐらいには片付いていた。

その時の惨状といったら、どこかの誰かさんの部屋といい勝負だったとか。

ともあれ作業が一段落したので、三人はコーヒーブレイクでもしようということになったのだ。

 

「けどよくもまあここまで散らかしたね」

「まぁ・・・私もこれは酷いと思ったわ。ミサトのこと言えないものね」

 

苦笑いをしつつ部屋を見回す。

リツコはミサトとは違い、ちゃんと身の回りの整理整頓をするしっかりとした気質の持ち主である。

それがここまで(足の踏み場もないというやつである)散らかるというのは、それなりの理由がなければ性格が破綻したと思われても仕方あるまい。

 

「大丈夫です。葛城三佐ほど酷くないですから」

「そう?」

「そうそう。あれは酷かったわ。最初シンジが壊れちゃいそうだったもの」

 

思い出してみれば酷く昔のことのようにも、つい昨日のことのようにも、思えて胸が苦しくなった。

シンジがそこにいていつものように微笑んでいるような気さえもする。

でもそれを表に出さないでユイナは無理をしてでも微笑む。

リツコにとっては痛々しくて見るのが辛い姿であった。

だから重くなりかけた空気に気を遣い、リツコにしては明るい声で話すのだった。

 

「バルに言われちゃったわ。シンジ君が帰って来るって信じていれば、その声は届くって」

「・・・バルがそんなことを?ふ〜ん・・・」

「あなたの力でも駄目だっていうのに、人の心にそれほどの力があるのかしら?」

「所詮、アタシの力はアタシの精神力だけで発動させるものだから・・・多くの人の願いが集まれば、もしかしたら・・・」

「信じる心・・・ね」

「それが人に与えられた一番大きな力かもしれない」

 

青臭いと言われればそれまで。

だがその青臭い考えに今は縋るしかなかった。

目に見える力に頼らず、誰にでもある力を信じるしかないのだ。

 

「ところで今日は説明会をするって言っていたわよね?」

「ええ・・・バルは一人でいいって言っていたけれど、正直心配だわ」

 


 

バル=ベルフィールドは会議室に足を向けていた。

戦いから一週間が経った今では、彼のことを避ける人間も少なくない。

別段彼はそれを気にしている素振りは見せないが、自分が怯えさせているかもしれないということはやや心苦しいことだった。

それでもマヤやリツコが自分の後ろにいてくれるという、そういう自覚があるために、彼は前に進むことが出来た。

 

プシュッ

 

「よぉ、待たせたかい?」

 

ドアの向こうには数人のネルフ職員が、緊張した面持ちで席に腰を据えていた。

 

「・・・別に大した時間じゃないわ」

「そりゃ良かった」

 

 

 

説明会。

バルが自ら提案したものである。

対象となっているのはミサトをはじめとした先日、バルの正体が発覚したときに発令所にいた人間だ。

正確な事実関係を知らず、無責任な憶測が飛び交っているような状態に収拾をつけるために企画したのだ。

当然ながら、出張中のネルフ司令碇ゲンドウの了解も取ってある。

 

「さて・・・じゃあどこから話そうかね」

「まずあなたのことを話してもらえる?ここにいる人間はその事を一番知りたいと思うわ」

「わかった・・・いいぜ」

 

一つ、息を整えて表情を引き締める。

 

「俺の本当の名はバルディエル。3号機の暴走の原因となった正真正銘の使徒だ」

 

部屋の中は水を打ったように静まり返った。

鼓動、その音さえも周りに聞こえてしまうのではないかと思える、痛いくらいの静寂はしばらく続いた。

 

「・・・これが証明だな」

 

バルとミサトたちの間に一瞬だがオレンジ色の壁が浮かび上がる。

 

「A.Tフィールド・・・」

「そう。そして誰もが持つ心の力だ」

「なら使徒であるあなたがここにいる目的は?」

「この街を守ることだな」

 

いたって真面目な顔で、淡々と述べる。

 

「そんなこと信じられると思っているわけ?」

「だがそれは俺の本心だ。信じられないっていうならそれも仕方ないがな」

「どうして?あなたは使徒。私たちは人。敵対する者同士じゃない」

「敵か。だったら、俺が今あんたら全員を一分かからずに、この世とおさらばさせてやれることも自覚しているかな?」

 

ミサトを含めた人間全てが怯えの色を浮かべて蒼くなる。

それを確認するとバルは意地悪そうに笑った。

 

「冗談だよ、冗談。しかしそう仕向けたのは誰だろうな。・・・まったく、神は酷いことを考えやがる」

 

この頃思うのは何故、生き残りを賭けたこんな戦いを強いられなければならないのかということ。

自分のように、人の中で生きられるのならば何も焦って進化の道を探す必要など無いのではないか。

ゼーレのように人の形を捨ててまで進化したいと考えるような人間は、そう多くいるものでもないだろうに。

 

「・・・あなたの意志じゃないと言いたいわけ?随分と身勝手な話ね」

「そうだな。身勝手だ。だが・・・あんた達もずいぶん身勝手だよな?」

「な、なんですって・・・」

「そうだろ?自分の復讐のために、子供さえも戦場に送る。それを身勝手と言わずしてなんて言えばいい?」

「グ・・・それは・・・」

「まっ、俺のことはどうでもいいさ。あんたが俺のことを気に入らないなら殺してくれてもかまわない。だがな・・・」

 

不意にバルの口調が厳しくなり、鋭い眼光が大人達を貫いた。

 

「理由はどうあれ、子供たちに手を出したら俺はなにするかわからねぇからな。それだけは覚悟しておいてくれよ?」

 

凄みをきかせたその言葉と、血に飢えた猛禽のような紅い瞳の雰囲気に呑まれゴクリ、と息を呑んだ。

その言葉に嘘はないと、誰もが理解した。

理解せざるを得なかったというのが正しいのかもしれない。

 

「何故そこまで言えるの?」

「何故?簡単な話だ。俺は彼奴らのおかげでここにいる。それが理由だ。命運が尽きるまで俺は彼奴らと一緒に戦い続けるつもりさ」

「・・・・・・・・・」

 

答えのないミサトたちを一瞥すると、バルはゆっくりドアに向かって歩き出した。

ドアの開閉ボタンに手を伸ばしかけたところでふと立ち止まり、振り返る。

 

「そういえばミサト、使徒だ人だって拘っているみたいだが、俺達は別の可能性だってだけで同じアダムから生まれたものなんだぜ?」

「そ、それってどういう意味!?」

「俺達は同じスタート地点に立っていたが、そこからは別々の方向に進んだ。そういうことさ」

「じゃ、じゃあ・・・私たちも使徒だってこと?」

「そういうことだ。シンジはそこから突出してしまったが、あいつがヒトであることには変わりはない。俺はあいつがヒトとして、人間として生きていけるって信じているよ」

 

衝撃を受け、言葉を失った面々を残してバルは会議室をあとにした。

残されたメンバーはしばらく無言で、席を立とうとするものもいなかった。

あまりに衝撃的な話の内容に、口外するなと言われるまでもなく、誰かに話す気は失せていた。

 

「私は・・・今まで何をしてきたのかしら?」

 

ミサトの自問も静寂の中へと消えていく。

十数年に渡って胸につかえたものは彼女の心に根を下ろしており、完全に取り去られるのには時間がかかりそうだった。

だがこれから何をしなければならないのかは、朧気ながら形が見えている。

あとは踏み出すためのきっかけが欲しい。

 

「信じている・・・か・・・私は使徒を信じることが出来るのかしら・・・」

 


 

碇シンジは身体的には全くと言っていいほど異常は見られなかった。

しかも様々な検査から、起きている状態とほとんど変わらないレベルで脳が活動していることがわかっている。

何かに反応していることは確かなのだ。

だがそれが何なのかは、医師達がどんなに調べても解明することは出来なかった。

 

「相変わらず・・・あなたは寝てばっかりね・・・」

 

彼の病室には必ずと言っていいほど誰かが訪れていた。

チルドレン達のシンクロテストや訓練などは意図的に時間がずらされており、誰かしらがその病室に来られるように調整されていた。

もちろんそうすればデータ処理など、リツコやマヤの負担が大きくなるのだが、彼女らはその程度のことは自分たちの負うべき責務の内だと思っていた。

子供らもその事は重々承知し、感謝した上で厚意に甘えてシンジの病室を訪れていた。

 

「アタシ泣かないからね。絶対・・・バルが言ったように信じているから。あなたが戻って来るって信じているから」

 

病室のベットの横で椅子に腰掛けている赤木ユイナの姿を見たものは、息をするのも忘れて見入った。

光の粒子を纏った白銀の片翼を広げ、穏やかな表情を浮かべる彼女はまさに天使だったという。

 


本棚へ  次へ


後書きのようなもの

 

さてさて、なんだか展開がし辛いところですが、ようやくミサトも真実を知りました。

おまけとしてオペレーター連中も真実に触れましたが・・・まあ彼等は特に絡むこともないでしょう。

いままでもほとんど出てきてませんし。

 

今は早いところこのシリアストンネルを抜けたいと思っております。

でも思うように書けないんですよねぇ・・・

はぁ・・・ままならんもんですわ。

 

んでは、予告しておきますが次回はチョイと短くなると思います。

それでは。

 

苦情・感想等お待ちしてますんでこちらか掲示板にお願いします。

inserted by FC2 system