第一次直上会戦、結果報告。

 

十五年ぶりに現れた使徒。

負傷中のファーストチルドレン・綾波レイに代わり、急遽呼び出したサードチルドレン・碇シンジが初号機で出撃。

初めての実戦にもかかわらず、碇シンジはこれの殲滅に成功。

ただし、使徒殲滅に際して搭乗者の意識は失われている。

 

 

この報告書の隅にこんな記述があった。

 

暴走。

 

 

 

 

 

WING OF FORTUNE

第参話 新たな日常

 

 

 

 

 

白い無機質な室内。

健康な人間ならば、出来る限り厄介になりたくはない空間。

 

ひとまず戦いを終えた少年はそこで軽い寝息をたてていた。

 

「やれやれ、ね。勝ったは勝ったけどまさか暴走とはね・・・それともこうなるのが運命だったのかしら?」

 

彼のベットの横にいるのはユイナただ一人。

 

ユイナが背負っている職務”案内人”はその世界ごとに存在し、他の世界に行くということはほぼあり得ない。

今回のことは特例であり、ユイナは完全にこの世界のことを把握しているわけではなかった。

訳の分からない世界に放り込まれたという点では、シンジと共通していた。

 

よって、戦いの結末を知っているわけではなかった。

 

 

「可愛い寝顔・・・まるで女の子だわ」

 

「あなたは誰?」

「!?」

「何故そこにいるの?」

「あ、綾波・・・レイ?」

 

唐突に現れた包帯だらけの少女はこくりと小さく頷いた。

音も、気配もまったく感じさせずに現れたのだ。

病院という空間のおかれている環境を考えると、口から心臓が飛び出そうな驚きである。

意識体であるユイナにはそんなものはないが。

 

「ふぅ・・・そういう登場の仕方、怖いから止めてくれない?」

「・・・わかったわ。次からはそうする」

「ありがと。でも驚きね、本当にアタシの姿が見えるんだ」

「ええ。私は人じゃないから」

 

この発言にユイナの眉がピクッと動いた。

 

「ストップ!その人じゃないっていうのは聞き捨てならないわ。あんまり自分を卑下するものじゃないわよ」

「別に卑下しているわけじゃないわ。本当のことを言っているだけだもの」

「あなたもやれやれね。職務規程違反だよねこれって・・・まぁいいか。この世界にいる人と、ここにいるあなたと何処に違いがあるっていうの」

「だって私は二人目・・・」

「だぁかぁらぁ!たとえあなたが二人目だとしても、あなたは現在この世界にいる唯一の綾波レイでしょう。違う?」

「それは・・・」

「十分でしょ、それだけでもさ。体が少しぐらい違っていても、あなたにはアタシと違って主体がある。綾波レイという主体がね」

「あなた・・・名前は?」

「無いわ。この姿も借り物だしね。あるのは役目を果たす意識と、この翼だけ・・・。」

 

幾分沈んだ感じになるユイナにレイは言葉を失った。

名前がないということは個体として識別さえされないということである。

レイは自分が綾波レイであることすら出来ないという境遇を想像して寒気を覚えた。

 

青ざめたレイのことを察したのか、ユイナはその視線に向けてニッコリと微笑んだ。

 

「けど、まあ。それでも一応はユイナって呼んでもらえる?」

「ゆ・・いな?」

「そ、シンジが名付けてくれたのよ。その考え方がちょっと・・・いや、かなり安易ではあったけどね。けど、少なくともこの姿でいる間はユイナでいいわ」

 

コクン。

頷きながら少し、ホッとした。

 

「じゃあユイナ、あなたは何の目的があってこうしているの?」

「・・・黙秘」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

無言の圧力が空気を圧縮した。

神経が細い人は呼吸不全に陥りそうである。

この強烈なプレッシャーの中、先に折れたのはユイナだった。

 

「そんなに睨まないでよ。可愛い顔が台無しになるわよ。・・・アタシは少なくともあなたの敵ではない。これで満足かしら?」

「ならいいわ」

「もしもアタシが使徒のような敵だって言ったらどうしてた」

「敵は排除する。それだけよ」

「シンプルでいいわね。アタシ、あなたのこと嫌いじゃないわよ」

 

その時レイは何とも形容しがたい微妙な表情になった。 

好きとか、嫌いとかそういうことを他人に言われた経験はない。

勿論というか、ユイナも実質的な好意を抱いた経験があるわけではないから、単純に良いなと思い、素直に口に出しただけだ。

深い意味など込められているはずもない。

 

「ごめんなさい。こんな時どういう顔をしたらいいのかわからないの」

「はぁ・・・アタシも人のことは言えないけど、あなたもそうとう重傷ね」

「あなたは私よりもずっと感情が豊かだわ」

「うーん・・・これは本当の感情ではないからね。機械に与えられたプログラムみたいなものよ」

「プログラム・・・」

「それこそアタシの存在はもともと歯車の一つでしかないから。不確定要素である感情なんて歯車には必要ないってことよ」

「・・・あなたも自分を卑下するべきではないわ」

 

真っ直ぐな視線で目が点になったユイナを見据える。

その深い紅い瞳にまるで吸い込まれてしまいそうな感覚を覚えた。

思っても見なかった切り返しを受けて、ユイナはついつい吹き出していた。

 

「アハハハッ、一本とられたわね。あなたの言うとおりだわ。これじゃ、あなたのこととやかく言えたもんじゃないわ。まいったまいった」

「(クスッ)」

「あ、笑った。今笑ったよね?」

「私が・・・笑った?そう・・・笑うこともできるのね」

「そうそう。リリンは笑顔が一番よ」

 

一人は風がそよぐように、一人は鈴が鳴るように、対照的な笑い方をする。

けれどそれはとても絵になる光景だった。

なんだかんだで意気投合している二人の姿、ここにあり。

 

「じゃあ、私は行くわ」

「ん、シンジのこともよろしくね。基本的にはアタシはシンジのやることに介入できないことになっているから」

「理由は・・・」

「残念ながら。けどこれから一緒に戦う仲間でしょ」

「仲間・・・共同で作業を行う人」

「そうよ。シンジとあなたは仲間。お互いに助け合う、ね」

「よくわからないけど・・・良い響きね。仲間って」

 

それから暫くして話を打ち切ると、レイはゆっくりとドアに向かった。

怪我だらけの体でありながら、割と足取りはしっかりしている。

 

「ねぇ、怪我は大丈夫なの?」

「問題ないわ」

 

静かに言い残してレイが病室を去ると、ユイナは小さな溜息をついた。

視線を落とすと少年が横たえられたベットが視界に入る。

 

「厳しい世界ね、ここは。シンジ・・・あなたは生き残れる?」

 

未だ規則的な寝息をたてるシンジの顔はとても穏やかなものだった。

その顔はこれから降りかかるであろう苦難を知る由もない。

 


 

モゾモゾ・・・

モゾモゾ・・・

 

その布団の中ではなにやら大きなものが蠢いていた。

 

ゴミや脱ぎ捨てた服が散乱するその部屋は、主の性格を如実に表している。

ずぼらというか、無神経というか、生活能力が欠如しているというか・・・とにかく、見るに耐えない惨状である。

 

「ミサトさ〜ん、ご飯出来ましたよ。起きてください」

「う゛う・・・あと五分」

 

布団をかぶったまま、今年で三十路に突入する葛城ミサト作戦本部長殿は抵抗を続けていた。

「あと五分」

この台詞を繰り返して籠城を続けるのである。

 

「やれやれ、ね」

「ホント、やれやれだよ」

 

溜息一つ、大きく肩を竦めるシンジとその精神的同居人。

ある意味でシンジの理想の女性像であったものはもうその形をとどめていない。

 

何度もミサトさんとミサト先生は違うんだ!と言い聞かせもした。

けれども現実的に、目の前でいろんな醜態を見せられてはそれも無駄な抵抗であった。

風に吹かれて消えてしまうくらいにまで粉々に粉砕された理想は、シンジに耐性を与えた。

 

もう彼はどんな醜態を見せられようとも狼狽えはしない。

生来の鈍さが意識的にミサトに対して適用されたのだ。

 

「ほらミサトさん!今日は早いから絶対に起こしてくれって言ったのはミサトさんですよ!」

 

体を揺さぶられても起きようとしないミサト。

シンジとユイナは視線を合わせて頷く。

最終手段の決行は許可された。

 

「わかりました。じゃあ、僕は今日からリツコさんのところでお世話になることにします」

「ちょっと待ったぁ!!!それだけはさせないわよ!」

「・・・はい、起きましたね。じゃあ冷めちゃわないうちに、早くご飯を食べてください」

 

布団の上に仁王立ちをするミサトを残して、シンジはさっさとキッチンへと消えた。

そして「いただきます」という声が聞こえた。

ミサトの方はヒートアップした思いの捌け口が見つからず突っ立っていたわけであるが、腹が鳴き声をあげたので、欲求に従うことにした。

 

以上が葛城家でここ数日の朝に繰り広げられている光景である。

日によって差はあれど、だいたいがこんな調子である。

 

元々はシンジは一人暮らしをする予定で、それをミサトが引き取った為にこの様な状況になったのだが、この際、ちょっとした出来事があった。

シンジが病室を出て、ロビーのテレビを見ていたときのことだ。

 


 

「・・・というわけで、あなたには専用の個室が用意されたわ。なにか質問とか、要望はある?」

 

覗き込んだミサトに対し、シンジは大きく首を横に振った。

シンジの性格上、何かを要求するということはほとんどしない。

何か質問はある?とか、欲しいものは?と聞かれてもついつい遠慮して断ってしまう性の持ち主だった。

中学に入ってからはそれが更に顕著となり、言われたことはするけど、申し出は断るという損な人間となっていた。

 

「いいの?申請さえすればお父さんと一緒に住むことだって出来るのよ」

「父さんと・・・ですか。う〜ん・・・遠慮しておきますよ。顔を合わせてもろくな会話が出来そうにありませんから」

「いやに自信ありげねぇ」

「そりゃそうですよ(なんたって僕はずっと父さんと暮らしていたんだもの)」

 

いささか不服そうであったミサトだったが、「あの父親じゃ仕方ないか」と納得してしまった。

(父親が髭面で、悪人面なのによくこんな子が生まれたものよね・・・)

この思いを口に出して、それも本人の目の前で言おうものならば、50%減給でも容易にやりそうである。

非人道的と言われようが、冷血と呼ばれようが、あの髭はそれを実行する。

碇ゲンドウ(外ン道)とはそういう人間なのだ。

 

「じゃあ、着替えてきて頂戴。その部屋に案内するわ」

「よろしくお願いします、ミサト先生」

「へ?」

「・・・あ。な、なんでもないです!そうだ!ちょっと病室で着替えてきますね!」

 

自分の発言を反芻し、慌てて駆け出すシンジ。

ここは病院。廊下は走らないようにしましょうね・・・なんたって危ないですから。

 

「私が先生?・・・・ミサト先生かぁ・・・結構良いかも♪」

 

さて、彼女の頭の中でどんな想像と妄想が展開されているのだろうか。

だらしな〜く緩みきっている表情からはろくでもないものとしか想像できない。

シンジがこの姿を見なくてよかったとユイナは思った。

おそらくシンジが見たら発狂して卒倒したことだろう。

なんてったって彼は多感な十四歳。

たとえ自分を殺してばかりだったと言っても、異性への興味が無いわけではない。

ミサト先生とは憧れの女性像の一つだったのだから。

 

最終的に完膚無きまでにたたき壊されるわけであるが、このときはなんとか回避された。

 


 

「今日は、あなたの歓迎パーティーでもしようかしら?まだ知らない人ばっかりでしょう。ネルフの面々を覚えるのには良い機会だと思うんだけど」

 

ハンドルを握りつつ、横目でシンジを見る。

窓を開け、清潔感のある短く切りそろえられた髪を風に踊らせたシンジは、ぼんやりと空を眺めていた。

どうもミサトの言葉に反応している様子はない。

 

「ねぇシンジ君!」

「え・・・なんですか?」

「はぁ、だから今日、ネルフのスタッフの主だったところを集めてパーティーでもしないって話。これから嫌でも顔を合わせることになるわけだしさ」

「まぁ・・・構いませんけど。でもそんなに広いんですか、その部屋って。一人暮らし用なんでしょ?」

「あら、それなら私のマンションで良いわよ。それにメインオペレーターの三人とリツコ・・・とあと一人、五人呼ぶだけだから、大した人数じゃないわ」

 

オペレーターと聞いて、先の戦闘の前にほんの少し顔を見た人達を思い浮かべた。

全体の印象としてはかなり若い人達ばかりだなといったところ。

実際、ネルフの組織自体も若ければ、そこで働いている人材も若い連中ばかりである。

だいたい組織の長が一般企業でもまだまだ定年には時間がある48歳である。

司令のゲンドウと、副司令の冬月コウゾウを除けばメインスタッフは二十代ばかり・・・(三十路手前約二名)

ここらも他の組織とは一線を画している要素でもある。

 

「そうと決まったら買い物でもしていきましょうか」

「決まったら・・・ってまだ連絡を取っていないじゃないですか。そんなんで大丈夫なんですか?」

「任しておきなさい。この私に不可能はないわ」

 

いったいその自信は何処から来るのか。

あの化学兵器にも匹敵するといわれるカレーを作る女性の主催するパーティーに、誰が好んで出席しようとするのだ。

・・・いや、一名だけ居たか。まぁいいや。

彼女にしてみれば、おおっぴらに酒が飲める状況を作り出せればよかっただけだと言うことを、まだシンジは知らない。

この数分後、シンジの抱いていた淡い思いは完全に粉砕されることになる。

 

 

 

「・・・これは現実じゃないよね・・・」

 

縋るような思いでシンジは呟いた。

彼の目の前に展開されたのは、超有機的な生活臭漂いまくりの部屋だった。

要するにゴミにまみれた部屋だったというわけ。

 

唯一憧れていた大人であるミサト先生。

その偶像が音をたてて崩れ去っていった。

 

「ちょ〜っち散らかっているけど気にしないでね」

「このどこがちょっちなんだか。ねぇ、シンジ・・・シンジ?」

「アハハハ・・・これは夢だ、これは悪い夢なんだ」

「・・・ショックだったのね。理想の人がこんな生活をしていたのがそんなにショックだったのね。かわいそうなシンジ・・・」

 

わざとらしく泣き崩れて遊ぶユイナであるが、当のシンジはお空を見上げてブツブツと・・・

 

「こらぁー!碇シンジしゃきっとしなさい!!!」

 

「(びくっ)ハッ・・・僕は一体何を」

「戻ってきたわね。ほら、ショック受けていないで片付けるわよ。これじゃあパーティーどころじゃないわ」

「そ、そうだね。まずはキッチンから・・・」

 

かくして、葛城家お掃除計画が発動した。

家主のミサトは電話でメンバーを呼び出しているため、シンジ(達)の行動を咎めることはなかった。

・・・掃除をしてやるといっているのにそれを咎める者も珍しいだろうが。

 

作業はシンジが雑巾担当、ユイナが手当たり次第にゴミを袋に詰める係りとなった。

 

ガサガサ・・・ポイ

ガサガサ・・・ポイ

 

「ったく・・・こんなんじゃ嫁のもらい手無くなるわよ・・・ホントに」

 

ハァ〜・・・キュッキュッキュッ

ハァ〜・・・キュッキュッキュッ

 

「ミサトさんはミサトさん・・・ミサト先生はミサト先生・・・ミサトさんは・・・」

 

 

 

一時間後・・・

二人が尽力した結果、どうにかキッチンとリビングだけは見られる程度まで環境を改善することが出来た。

他の部屋、特にミサトの寝室に至っては未だ秘境と呼べる状態であるのは言うまでもない。

 

 

「へぇ・・・大したものね」

「・・・ミサトさんが毎日整理をしていればもっと簡単に準備が出来るんですよ」

「残念だけど、私ってこう見えてけっこう忙しいのよ。掃除なんてしている暇はないのよねぇ」

「そうじゃなくて。ゴミをゴミ箱にとかそういうことです」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

ミサトは部屋の隅に蹲っていじけ始めた。

床にのの字を書いて「シンちゃんが苛めた」とかなんとか言っている。

この場合、完全に非はミサトにあり、シンジの方が正論である。

 

「さてと、いじけているおばさんは放っておいて、と。シンジ次は何をするの?」

「おばさんはないと思うけど・・・そうだね、料理を作らなきゃパーティーにならないよなぁ」

「けど・・・あの中、何も入ってないわよ。ビールが入っているだけ」

「え・・・そうなの?あの大きいヤツにも?」

「あれは先客がいるみたいよ。お昼寝中だからそっとさせてあげたほうがいいわ」

「先客?」

 

一際大きな冷蔵庫。

その中では彼が寝入っている。

寝床となってしまっているため、他のものは何も入ってはいない。

隣の冷蔵庫はビール専用と言っても言い過ぎではない。

 

シンジは確認のため一応ドアを引いてみたがすぐに閉じた。

ガックリと項垂れながらも、次の冷蔵庫へと手を伸ばす。

しかし取っ手に手をかけるよりも早く、内側からドアは開かれた。

 

「ギャワ」

「・・・ペン・・・ギン?」

 

内側から飛び出した黒い物体こそ、葛城ミサトの同居人の温泉ペンギンのペンペンであった。

身長はシンジの膝ぐらい。

少々目つきが悪そうなのはご愛敬。

部屋の隅でいじけている主人を一瞥すると、シンジの周りをトコトコペタペタと歩き回り、

 

「ギャワ!」

 

片手(羽根?)、を差し出した。

 

「握手ってことかな?ええっと・・・君はなんて名前なんだい?」

「ギュッ」

 

これを見ろ!と言わんばかりに首のタグを示すペンペン。

シンジはしゃがんでそのタグを覗き込んだ。

 

「ん〜・・・ペンペン?君はペンペンって言うのか。僕は碇シンジ、よろしくね」

「グワァ〜」

 

鳥と握手をしているというのに何ら違和感がないのはなぜだろうか。

一般人であれば「なぜこんなところにペンギンが?」と考えそうなものだ。

しかしながら、これまであまりの短期間に色々なことが起きすぎたようである。

ミサトのギャップに比べれば、ペンギンの登場なんて怖くもなんともなかったのだ。

 

「シンジ。ご対面はそのくらいにしましょう。このままじゃパーティーどこじゃなくなっちゃうわよ」

「そうだね。ペンペンまたあとでね」

「ギュワッ!」

 

抱き上げられたペンペンは器用に敬礼のポーズを取り、それから冷蔵庫の中へと消えていった。

知能指数はかなり高いものと推察される。

フィーン・・・という静かなファンの音が、一時間前と別の空間になったかのような部屋に響いた。

極寒の閉鎖空間で、彼はどんな夢を見るのやら。

 

「さて・・・使えるものがないとなると買い物に行かなきゃいけないわね。シンジ、あなた手持ちのお金はあるの?」

「それがあんまり・・・」

「そうよねぇ。でも変な話だわ。主賓であるシンジが一番働いているんですもの」

「いいんだよ。僕はこういう仕事が肌に合ってるんだ。料理は毎日していたしね」

「なら手段は一つ。ミサトにたかるわよ」

「たかるって表現がなぁ・・・」

「文句言わない。このままじゃレトルトか、出前ばっかりになっちゃうわよ。アタシは食物をとってエネルギーを補給する必要はないから別に良いけどね」

「・・・背に腹は代えられないか」

「決まりね」

「あの、ミサトさん・・・ちょっと買い物に行きたいんでお金を・・・」

 

「どうせ私は生活不能力者ですよ。いき遅れですよ。いかず後家ですよ・・・イジイジイジイジ」

 

「何もそこまで言っていないのに」

「・・・ダ、ダメだよこれ」

 

二人が頭を抱えた時、室内にインターホンの音が響いた。

一度顔を見合わせて、玄関へと疾走。

 

「あら、ミサトはどうしたの?」

 

そこにいたのは髪を金髪に染め上げた女性、赤木リツコであった。

 

「いえ・・・その、ちょっとショックを受けて」

「ショック?」

 

取り敢えず家の中に招き入れて、シンジは一通り状況説明を行った.

未だ部屋の隅でいじけるミサトがいたが、そこは彼女の親友赤木リツコである。

部屋の中の様子と、ミサトの状態を照らし合わせてある程度の結論は導き出していた。

 

「・・というわけなんです」

「なるほどね・・・大方思ったとおりだわ。ミサトの部屋がこんなに片づいているはずないもの」

 

呆れるでも驚くでもなく、リツコは淡々としていた。

テーブルの上に指を滑らせたり、床に視線を落としたり、まるで姑のような動きであるが口に出すのはおそれ多いことである。

それから突然リツコは立ち上がると、スタスタと玄関に向かう。

 

「じゃあ、行きましょうか」

「?」

「買い物。行くんでしょう?」

「あ、はい!」

 

結局ミサトは忘れ去られたまま、ペンペンにも相手にされることなくいじけいていた。

 

「それで何を買いに行くのかしら」

「ええっと・・・生鮮食品が置いてある店に行っていてだけると嬉しいんですが・・」

 

シンジは少なからず緊張していた。

元の世界でもリツコという人間に接するのはあまり得意ではなかったからだ。

こちらのリツコはそれにも増して取っつき辛い印象があったから尚更である。

 

「うふふ・・そんなに私は恐いかしら?」

「い、いえ、そんなことは。ちょっと人と接するのが苦手なだけですよ」

 

ばつの悪そうな顔になると、リツコはフッと優しげに微笑んだ。

 

「不器用なのね、あなたも」

「不器用・・・そうかもしれません。でも僕は自分からそうしているのかも・・」

「そういうものじゃないかしら。わざとそうすることで自分が傷付かないようにすることはよくあることよ」

「・・・わかりませんよ、やっぱり」

「所詮人の心を全て知ろうというのが無理なのよ」

 

二人の乗った車は近所の大型スーパーへと向かっていた。

窓を流れていく景色はあまり変わり映えがない。

 

「なんていうか・・・生活感が薄いな」

「仕方ないでしょ。迎撃が最優先で、住居としての街は二の次だもの」

「・・・寂しい街だね」

「そうね」

 

 

買い物を終え、ミサト宅に戻ると既にメンバーは集結していた。

どうやらミサトもやっとこさ復活したらしい。

 

「先輩、何処へ行っていたんですか?」

「ちょっとシンジ君とお買い物よ。驚いたわ、この子そこらの主婦なんかよりもずっと生活感覚が身についているんですもの。・・・ミサトとは雲泥の差ね」

「ちょっとぉ〜、それはまだ早計じゃないの」

「フフフ、ならシンジ君の実力の程を見てみましょうか」

 

いやに自信ありげなリツコ。

当のシンジはというと、さっさと料理を開始していた。

やはり人と話すのにはまだまだ時間がかかりそうな感じである。

シンジの手際は見事の一言につきた。

小学生の頃から必要に迫られていたために身に付けざるを得なかった能力は、中学生にして無駄の無さを追求するにまで至った。

ある意味では向こうの世界で、シンジの隠れた趣味だったと言ってもいいかもしれない。

密かに楽しみを見いだしていたことは否定できなかった。

 

「・・・凄い」

 

目の前の用意された料理に思わず呟いたマヤ。

他のメンバーも同様に言葉を失っていた。

さらに口をつけたときの顔ときたら間抜けさ全開であったことをお伝えしておこう。

 

「どう?これでもミサトは認めないの?」

「う゛・・・認めます」

「まったく、シンジ君に世話をしてもらった方がいいんじゃないのあなた」

「あ、それいい!シンジ君、あなたここに住みなさい!」

「ちょ、ちょっとミサト、私は冗談で言っただけで・・」

「主夫ゲットよぉー!!」

「あんたに任せるくらいな私が引き取るわ。こんな環境に押し込めるなんて拷問だわ」

「なぁによ、やるってぇの?」

「やってやろうじゃないの」

 

 

「なんか向こうで盛り上がってるけどいいの?」

「・・ほっとこう」

 

ベランダに出ていたシンジ、ユイナ、そしてレイの三人。

大人達の騒ぎから離れて、だら〜んとしていた。

実際にだれていたのはシンジだけであったが。

 

「シンジもお疲れよねぇ、ね、レイ」

「・・・私のために料理を作ってくれた・・・私のために・・・私のために」

「こっちもダメか」

 

ぼんやりと呟き続けるレイを横目に、ユイナはやや大袈裟に肩を落とした。

少し前からずっとこの調子である。

原因はシンジが作った<レイのための料理>であるのだが、効果は絶大だった。

 

「ホント・・・やれやれだわ。二人で好きなだけそうしてなさい」

「あれ、何処へ行くの」

 

翼を広げて空へを舞う。

 

「散歩よ、散歩」

 

「あ〜あ〜・・・行っちゃった」

「銀色の・・翼・・」

「ああ、綺麗だね。あの翼は」

「綺麗だけど・・・強い力も持っている。とても強い力。使徒とも違う・・大きな力」

「力か・・・」

 


 

朝だというのに日光は既に厳しさを感じさせる常夏の島、日本。

熱せられたアスファルトから陽炎が立ち上ったり、逃げ水が見えたり。

そんな気怠い空気の中、歩き馴れた初めての通学路を歩いていた。

 

「この前は大変だったなぁ・・・」

「ふ〜ん、そうなんだ」

「・・・ユイナは逃げてたんだもんね」

 

シンジはジト目を向けるが、その視線を向けられた少女はさも心外だとばかりに反論をする。

 

「人聞きが悪いわね。アタシは散歩していただけよ」

「いつの間にかお酒を持ち出して、ひとの引取先を飲み比べで決め始めるしさ・・・僕には選択権はないのかよ。それに綾波は綾波で何だかボーっとしちゃって話を聞いてくれないし。せっかく掃除したのに、また片付けが大変だったんだからね」

「そりゃご苦労様でした。ま、アタシには関係ないわ」

「冷たいなぁ」

「運命を享受しなさい♪」

 


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