第壱中学に転校することになり、着馴れた学生服に身を包んで学校に向かった。
・・・にしても母校に転校するなんて妙な話だ。
朝なのに、じんわりと額に汗が滲む。
なんでもセカンドインパクトという出来事で地軸がずれてしまっただとかで、気候的にはかなり生活しづらい環境ではなかろうか。
ただ、その気候のことと建造物の違いを除けば、驚くほど学校への道のりは似通っていた。
思わず錯覚してしまうほどに。
WING OF FORTUNE
第四話 空だけだ
第壱中学、二年A組は転校生の噂で持ちきりだった。
既に先日の使徒迎撃戦の情報は彼等中学生の間でも流れており、タイミング的に今回の転校生がエヴァのパイロットではないかと、まことしやかに噂されていた。
憶測が憶測を呼び、美少年だとか、熊のような大男だとか、はたまた絶世の美少女だという輩も出てきた。
同じクラスに綾波レイというパイロットがいるのに、そのことには全く気付いていないのは間抜けである。
この時点で、エヴァのパイロットは彼等の中で偶像化されていた。
アイドルや、ヒーローといった類と同列の存在である。
本人にとっては迷惑でしかないことだが、好奇心にかられた思春期の子供達に興味を示すなというのがどだい無理な話だった。
この様に興味、感心のボルテージが最大限まで引き上げられたところへ現れたのが、実に平凡な少年であったのだから、彼等が拍子抜けしてしまったのは致し方ないことであったろう。
「い、碇シンジです。よろしくお願いします」
緊張気味に自己紹介をすると小さく頭を下げる。
痛いくらいの視線が突き刺さるのを感じてシンジは一歩引いた。
「あらあら、随分と注目されたものね」
「ううっ、人事だと思って・・・」
「当然ね。人事だもの」
取りつく島もない・・と言うか、完全に遊んでいるようにしか見えないユイナ。
ベースが幼なじみとしてのアスカ、しかもシンジが一番心を許せる形で具現化されているのだ。
となれば、シンジをからかうのはほぼ当然の行為である。
シンジにしてみればちょっと嬉しいやらかなり迷惑やらで、何とも複雑な心境であったが。
「あれ・・・でも、アスカとトウジの姿が見えないな・・・ケンスケと洞木さんはいるのに、どうしたんだろう」
「さぁ?でもこの世界にもいることは確かよ。向こうで結びつきが強かった人間はやっぱりこっちでも深く関連することになると思うから、そのうち会うでしょ」
「そんなもんなんだ」
「そんなもんよ」
「碇君、先程から何をブツブツと言ってるんですか」
教師に突っ込まれて我に返ると、集まっていた視線の質が少々変化していた。
即ち、「普通そうなヤツだけど実は危ないヤツ!?」という認識になったわけである。
「人っていうのは先入観にとらわれる生き物だからこれから大変そうね」
「また人事だね・・・」
「トーゼン」
「はーい、しつもーん」
シンジが顔をしかめていると、クラスのムードメーカー的な少女が手を挙げて席を立った。
一瞬、シンジに集まっていた視線が好奇心を含んだ光を帯びてそちらへ移る。
「碇君があのロボットのパイロットだって噂、本当ですか?」
ピタッ
待ってましたとばかりに息をのむクラスの面々。
ジーッと穴が空くほど睨み付けてシンジの反応を待つ。
「そりゃ自分の街で人類の存亡を賭けた闘いがあれば興味も湧くわよねぇ・・・」
やっぱり他人事のユイナはちょっぴり悪戯っぽい笑みを浮かべていた。
その一方でシンジは全身冷や汗たらたら、いつでも逃げられるように体勢をとっていた。
「ど、どうすればいいんだよ」
「一応、守秘義務があるんでしょ?それはあなた次第だけどね」
「・・・辛い」
「ねーねー、どうな「いい加減にしなさい!碇君が困ってるでしょう!」
机をバンッと叩いて一喝。
見かねた委員長こと洞木ヒカリ嬢のこの一言でクラスの中はひとまず大人しくなった。
彼女の脅威?を身を持って体験している彼等の反応は素直である。
「先生、碇君の席は私の隣でいいですか?」
「あ、ああ。じゃあ碇君はあそこの席へ」
テキパキと事態をまとめていくヒカリはまさにこのクラスの神であった。
シンジはこれ幸いと、視線から逃れるようにスタコラサッサと席に向かう。
このとき心底ホッとしていたのは言うまでもない。
「よろしくね、洞木さん」
「ええ、よろしく。何かわからないことがあったら言ってちょうだい。わたしに出来ることだったら力をかすわ。あ、そうだ。放課後に校舎の中でも案内しましょうか?」
「あ、ありがとう。でも・・・たぶん大丈夫だよ」
「?」
その日、碇シンジ=パイロットという噂は否定も肯定もされることなく昼休みを迎えることとなる。
最も注意すべき時間であったため、シンジは昼休みに突入するとともに即座に逃げをうった。
彼が何かあると必ず身を隠した屋上。
弁当を抱えたシンジはそこへ逃げ込んでいた。
日陰にいても熱せられた空気は容赦なくまとわりついてくる。
吹き抜ける風も湿気をはらみ、あまりいい気分ではない。
「何も逃げなくてもいいのに・・・」
「だって・・・苦手なんだよ。向こうじゃ、僕に絡んできたヤツだっているんだよ?いくら違うっていっても、すぐには話なんて出来ないよ」
「そういうものなのかしら?」
「そういうものなの。人間ってのはそういうことに拘っちゃうんだ」
シンジは溜息混じりにそう言うと、その場に身を投げ出した。
パァッと空への視界が開ける。
「・・・空だけだ」
「は?」
「空だけだよ。向こうと、こっちと、なんにも変わりがないのはさ」
「シンジ・・・」
ユイナが言葉に詰まると、シンジは苦笑しながら言葉を続けた。
「ゴメン・・・少し一人にしてもらえるかな」
「いいけど・・・」
「なにかあるの?」
「早くお弁当を食べないと時間が無くなるわよ」
言われて時計に目をやり、慌てて弁当に手をつけ始めるシンジ。
そのときユイナはシンジから離れていった。
彼女も一人で考えたいことがあったのだ。
現在のような他の意識体に同居している状態では、近距離にいると思考を読めてしまうことが多々ある。
この場合ユイナの考えがシンジに読まれることはあまりないが、もしものことを考えたのだ。
因みに意識体と一括りにしてしまったが、肉体を持つものと持たぬものでは格が違う。
ユイナのような肉体という枷を持たないものの方がより高次元の存在である。
この肉体を離れた意識こそが生命体の一つの究極進化形態の一つであるわけだが、それが幸福であるかどうかは判断しかねる。
それは個としての特徴を捨てることであり、誰でもない存在になること。
かつて世に生まれ、文字通り命を賭けて真理を追い求めた偉人たちならいざ知らず、精神的に未熟なその他大勢の人々がそれを望むだろうか?
答えはおそらく否であろう。
人間とは自分が自分であることを望み、らしさを追い求める生き物だ。
未熟であろうと何であろうと、いやむしろ不完全だからこそお互いに補い合う、それが人間である。
さて、話を戻そうか。
「おい、転校生」
弁当をあらかた片付けたシンジの元に来訪者があった。
「おまえがあのロボットのパイロットっちゅうはなし、ホンマか?」
第三では珍しい関西弁を操る少年。
何故か制服を着ないで黒いジャージを常に着用する少年。
鈴原トウジであった。
「・・・うん」
逡巡したものの、シンジは嘘をつくことで話が良い方向に進まないことはある程度知っていたつもりであった。
親友と呼べたかは微妙であったが、シンジの数少ない友人であることは間違いないなかったわけで。
だからそれなりにトウジへの対応法は心得ていた。
「ほうか、せやったらわしはお前を殴らなあかん。殴っとかな気がすまんのや」
言葉の途中から振り上げられる右腕。
真っ直ぐとシンジの頬を捉えた。
「・・・つっ・・」
口の中が切れ、じんわりと鉄の味が広がった。
少し前のシンジにしてみれば慣れっこであったが、トウジに殴られた経験はない。
それまで受けた拳のどれよりも芯にきた痛みだった。
「わしの妹がな・・・この前の闘いんときに崩れたビルの破片の下敷きになって怪我をしたんや。誰のせいやと思う?」
「・・・僕が上手く乗れなかったから・・・」
「そうや!きさまのせいでわしの妹は!!」
トウジの拳が今度は腹に突き刺さる。
「グハッ・・・」
「妹が味わった痛みはこんなんやないで!立たんかい!」
「ちょ、なにやってるのよ!」
委員長の責務として(少なくとも彼女はそう思っている)シンジとトウジを探しに来たヒカリは一瞬で青ざめた。
苦悶の表情で蹲るシンジと、それを力ずくで引き起こそうとしているトウジ。
誰がどう見ても取り方は一つしかない光景だった。
そして続いて現れたケンスケがトウジを羽交い締めにしてどうにか引き剥がしていく。
「チッ、はなさんかい!」
「もうやめろって」
「クソッ、ええか転校生、次からは足下に気をつけろや!」
「ま、待ってよ。まだ終わってない。終わってないよ」
「なんやと・・・?」
ゆらっと間に割って入ったヒカリを制してシンジは立ち上がる。
気のせいか、瞳にはあまり光が宿っていない。
「僕は君の言うとおり、まだまだ下手くそさ。けどね・・・僕には君が僕に対して怒っているようには思えないんだよ」
「・・・どういういう意味や」
「君は自分に怒っている。そうじゃないのかい。妹さんを助けることが出来なかったから、だから君は・・・」
「ッ黙れ!」
ガスッ
ケンスケの拘束を振りきった拳がシンジの頬に新たな傷を刻みつけた。
「なにしてんだよトウジ!」
「止めてよ鈴原ぁ!」
「くっ・・・はぁ・・痛いんだろ、心が。君はそういうヤツさ、自分が許せないんだよ」
「貴様になにがわかるっちゅうんじゃ!」
「全部が全部わかるわけじゃない。でも、今の君の思いぐらいはわかるさ。僕は君のことを知っているもの・・・君は眩しいくらいに真っ直ぐな良いヤツ。ちょっとばかり不器用だけど、僕ほどじゃない」
「・・・なんなんや・・おまえは」
「アハハハ・・・なんなんだろうね。言っても信じないさ・・そう信じられるはずがない」
瞳にうっすらと涙を浮かべた笑みは十四歳のそれにしては儚すぎる印象を受けた。
シンジは向こうで友人だった人物が、ここでは全くの他人であるということを理解せざる得なかった。
本当に、空以外は同じものがないのだと。
「どうしたのその顔?」
帰宅すると、顔を合わせたミサトは開口一番にこう言った。
昼間、殴られた頬ははっきりとわかる青痣となっていた。
肌が白いシンジには目立ちすぎる酷いメイクである。
「別に・・・何でもないです」
ミサトを特に見るでもなく、シンジは自室に引きこもった。
それからミサトが何度か声をかけたが反応は見られず、この日は久しぶりに冷凍食品オンパレードの食事となる。
数日ぶりの味気のない食事に、主夫の有り難みを痛感する家主であった。
「・・・・そう・・わかったわ。ありがとう」
受話器を置いたミサトは一度シンジの部屋の方を向いてからリビングに戻った。
途中、例の如くビールを片手に引っかけて、座ると同時に缶を開けた。
いきなり胃の中に缶の半分ほどを流し込む。
「・・・味・・しないな」
残ったもう半分を更に流し込んでもやはり同じで、旨いとは感じられなかった。
ただ苦いだけの液体が喉を通り越していく感覚はあまり心地の良いものではなかった。
暫くボーっとしていたが、やがてのそのそと動き一冊のノートを手にした。
<サードチルドレン監督日誌>と題されたそれは、一日毎にミサトの視点及び保護監察部の報告によって綴られている。
内容的は監督というより”観察”に近く、報告書の一歩手前という感じである。
これを開いているときは、ミサトは軍人であり保護者ではない。
しかしこの日は気がすすまなそうな顔でペンを取り、ミサトは今日の分の日誌をつけ始めた。
「・・・転校初日で喧嘩・・ううん、一方的に殴られたのよね・・・」
これまでシンジには戦闘の大まかな結果しか伝えず、詳細な被害について(特に人的被害)伝えていなかったことを少々悔やんでいた。
それと中学生レベルの噂を軽視しすぎていた感も否めない。
だいたい自分たちの住む街で、40M超のエヴァとそれ以上の巨体を持つ使徒が派手に戦いを繰り広げれば、たとえ情報操作したところで無意味に等しいことは目に見えていたはずである。
作戦時に一般人を避難させていたとしても、それが事故などの類でないことはその跡を見てもすぐわかることだ。
「ハァ・・・・思っていたよりもずっと明るい子だと思っていたけど、やっぱり無理していたのかな・・・」
手を止めて仰向けに寝転がる。
少し変な子だとは思ったが、ここ数日の生活で親近感が湧いたのも事実。
彼女の手元にある資料からはその数日間のシンジの姿が浮かんでこなかったことも、あまり気にはしていなかった。
再び身を起こして何行か書き加えるとノートを閉じて、二缶目に手をつけた。
やはりあまり味はしなかったが。
「勢いで引き取っちゃったけど・・・私に保護者なんて勤まるのかしら?」
親のいない人間に親の代わりが勤まるのか
自分はそんなに器用な人間だったのか
自分は何を求めてシンジを引き取ったのだろう
文字通り苦汁が喉を通り越す度に、自己嫌悪に陥りそうになる。
そして端とその思考が行き詰まった。
「あれ・・・?」
奇妙な感覚が徐々に心の中へ居場所を作り、大きく膨れ上がっていく。
「なにかしら・・・・・この既視感・・・」
同じように悩んだ経験があるようなそんな気がしてならない。
喉元まで答えが出かかっているのだが、そこから進むのを拒否しているような感じであった。
首を傾げて思案するものの、結局答えは出ずに時間ばかりが過ぎていく。
葛城家に住む人々はこの日、各々眠れぬ夜を迎えることとなったのであった。
今回は後書き(言い訳?)を書くこととにします。
戯れ言なので読んでくださらなくとも特に問題は御座いませんので。
さて、「WING OF FORTUNE」も第四話です。
この調子でいくといつ終わるのやら・・・
ついでに言うとアスカが出てくるのにもまだ二、三話かかりそうな予感。
なんせまだ空飛ぶイカと危険な光線を放つピラミッドがいますからね。(^ ^;
アスカ登場お待ちの方、申し訳御座いません。
暫くお待ちください。
どうもシリアス展開に走りつつありますが、ガス抜きはするつもりです。
転げ回るような甘い話は書けませんが彼等の日常を描ければいいかな、と。
では、次回 WING OF FORTUNE 第伍話 「退けないワケ」(仮題) でお会いしましょう。