怪我が癒えた私は、零号機の再起動実験を迎えた。
前回の実験では失敗してしまったけれど、今回は大丈夫・・・そういい聞かせて実験に臨んだ。
「レイ、準備はいいか?」
「はい」
返した声はいつもと同じだったはずだ。
でも心の隅の方でジクジクとした痛みがその存在を主張し始めている。
「大丈夫。レイ、君なら出来る」
「!」
「怖くない・・・怖くないよ」
私の目の前に現れたあの人は、蒼い瞳をした少女の姿ではなく、碇君の姿をしていた。
「いけるよね?」
「・・・(コクン)」
「頑張れ・・・レイ」
あの微笑みを残して、碇君の姿をしたあの人は消えていった。
一緒に胸の奥の痛みも持ち去って。
「ボーダーラインクリア。零号機、起動しました。引き続き連動実験に入ります」
スピーカーからの声に我知らず安堵の息をもらしていた。
横目で見たモニターの隅に、蒼い瞳の少女の笑顔が映っていた。
WING OF FORTUNE
第七話 兆候 -紅い瞳-
綾波レイ 十四歳。
マルドゥック機関の報告書によって選出された
最初の被験者
ファーストチルドレン
エヴァンゲリオン試作零号機専属パイロット
過去の経歴は白紙 全て抹消済み
「・・・これじゃわらからないよ」
ミサトから得たレイに関する情報に目を通していたシンジは、天井を仰いでぼやいた。
隣で知らんぷりしているユイナは正確な事実ではないが、おおよその正体を知っていた。
しかしそれを伝えるのは少々問題があることだった。
下手をすれば今の関係を壊してしまいかねない。
ユイナはそれを可能な限り避けたいと思っていた。
「綾波レイ・・・か。向こうの世界では会わなかったけど、これってどういうことなのか?」
「まだ会っていないっていう確率が一番高いかしら。ほら、こっちの世界ではアスカにまだ会っていないでしょう?それと同じ様な話よ」
「そういう考え方もあるわけか・・・」
コンコン・・・
「シンジ君、まだ起きてる?」
「あ、はい」
返事をすると部屋のドアが開き、ミサトがヒョッコリと顔を出した。
シャワーでも浴びていたらしく、首にタオルをかけて片手で髪を拭いている。
もう一方の手にはしっかりと缶ビールが握られているのはお約束だ。
「これ、明日レイに渡しといてくれる?」
「IDカードじゃないですか、綾波はもってないわけじゃないんでしょう?」
「そうなんだけどねぇ、あなたの本チャン用のセキュリティーカードを作ったのと一緒に、レイのカードも更新したのよ。ほら、明日は零号機の再起動実験があるでしょ?あの娘これがないと本部に入れないし。ね、お願い」
「はぁ・・・わかりましたけど」
「じゃ、おやすみ。頼んだわよ」
「・・・あ、そういえば綾波の家の場所、僕知らないよ」
「大丈夫よ。アタシはあなたが独房生活を送っている間、レイの家にいたのよ?」
「そうだった。じゃあ、明日はよろしく」
「はいはい。おやすみ」
翌日も朝から結構な暑さだった。
シンジはミサトを叩き起こしたあとに、ユイナの道案内で今朝の目的地であるレイの家を目指していた。
着いた先は明らかに老朽化しているマンション。
しかも他に住人がいるような気配がない。(といいながら、ミサトのマンションもほぼ無人であったりするが)
階段を上っている最中にもシンジは俄に信じがたいという顔をしていた。
「ほら、ここよ」
「ここに綾波が・・・」
シンジがインターホンに手を伸ばそうとすると、ユイナはそれを制した。
「それ壊れてるわよ。ちょっと待ってて。中見てくるから」
ドアをすり抜けてユイナが部屋の中へと入っていく。
おいてけぼりを食ったシンジは、所在なさげにキョロキョロとしていた。
「お〜い、レ〜イ。いる〜?」
部屋の中は相変わらずがらんとしていた。
シンジが入ったらミサトとは別の理由で即座に掃除を開始しそうな環境だ。
ユイナはキョロキョロと広くはない部屋を見渡した。
だが何処にもそれらしい気配も姿もがない。
(もう出掛けちゃったのかしら?)
「ここよ」
「きゃっ・・・吃驚した。そういう登場はやめてって言ったでしょう」
「たしかそういう約束だったわね。ごめんなさい。こういうのが体に染みついてしまってるの」
謝られてもなぁ。
「お〜い、ユイナァ。綾波はいたの?」
「あ、シンジを外に待たせてるの。本部、行くんでしょ?」
「ええ、すぐに着替えて行くわ」
「じゃ、アタシも外で待ってるから」
「はい、更新したカード」
カードを手渡すと、三人はその足でネルフ本部に向かった。
万が一を考えて、初号機のパイロットであるシンジは待機を命ぜられていた。
それがなくともシンジは零号機の再起動実験に立ち会うつもりでいたが。
「ちょっと気になったんだけどさ、起動実験じゃなくて再起動実験ってどういうことなの?」
「そのままよ。前回は失敗したの」
「じゃあ、あの怪我は・・・」
「ええ」
シンジは今更ながらゾッとした。
自分はいきなり乗っても全く問題なくシンクロできてしまっていたので、それが当たり前だと思っていた節があった。
第一次直上会戦においても、暴走は敵を倒すにとどまりシンジは無傷だった。
それが極めて稀な、奇跡に近い出来事であったということをこのとき思い知らされたのだ。
「そういう意味ではシンジは天才の部類にはいるわね」
「天才だなんて・・・僕は別に。ねえ、綾波はあんな怪我をしたのに怖くないの?」
「怖くないわ・・・ううん、少し前まで怖くなかった、が正解ね」
珍しく歯切れの悪い言い方だった。
それが彼女の内側にはっきりと芽生え始めた感情の表れであり、迷いの形であった。
「私はエヴァに乗るために生まれてきた。私にはそれしかないから、それは死んでいるのと同じだから。そう思っていた。だから、エヴァに乗ることでどうなろうとも怖くはなかった」
「そんなの・・・悲しいじゃないか」
「・・・けれど、碇君やユイナと話しているうちにだんだんあなた達が羨ましくなってきた。そう感じたときから私は怖いという感覚がどんなものか理解できてきた」
レイは足を止めて天蓋を見上げた。
心の中に俄に現れた怯えや恐れが、彼女の横顔をさらに儚げなものに見せていた。
「私は怖い。今を失ってしまうことが何よりも」
「だったらどうしてエヴァに乗るんだよ。無理に危険のある零号機に乗らなくたっていいじゃないか」
「絆だから。碇君たちとは別に乗らなくてはならない絆があるから」
「それって・・・父さんとの?」
「以前のようにそれが全てというわけじゃない。けれど捨ててしまえないことも事実。だから私はエヴァに乗るの」
「絆か・・・」
ゲンドウと自分の間に絆があるかどうか。
レイのように断言することが出来る、確かな絆があるのか。
シンジにはその自信がなかった。
ちょうど零号機が起動に成功した直後のことだ。
まるでその時を狙ったかのようなタイミングで新たなる使徒がここ、第三新東京市に来襲した。
それはピラミッドを二つ、底で張り合わせたような形をしていた。
前回のシャムシェルといい、どうやって空を飛んでいるのか考えるのが馬鹿らしくなるフォルムだ。
それでも存在自体がバカらしいと言われれば否定は出来ないが。
起動直後の零号機はまだフィードバックの誤差など、修正・微調整を行わなければならなかった。
そのため今回もシンジの乗る初号機・単機での作戦となった。
実際は作戦行動はずぶの素人であるシンジがたった一人で出撃するのだから、作戦もくそもないのが本音だ。
特に作戦行動を一任され、戦闘中に司令などを除けば最も強い権限をもつミサトもそのことは重々承知している。
だがそれでも、無茶とわかっていても指示を出さねばならない事も事実なのだ。
今回も、己の無力さを呪いながらミサトは檄を飛ばしていた。
「エヴァ初号機発進!」
射出直後。
オペレーターとユイナが異変を察知する。
「目標内部に高エネルギー反応!」
「なにかしら・・・このいやな感じは」
「円周部を加速!収束していきます!」
「まさか・・・狙われてる?」
「「シンジ(君)よけてぇ!!」」
「え?」
リフトに固定された状態を狙われた初号機は、為す術もなく使徒の加粒子砲の餌食となった。
凶暴な光に飲み込まれた初号機の損傷は、シンジの感覚に確実に痛みとして刻みつけられた。
「戻してっ!早くっ!!」
こうしている間にもシンジの悲鳴は発令所じゅうに響き渡っていた。
思わず耳をふさいでしまいたくなるその悲鳴は、突如として途切れる。
「目標は沈黙!」
「シンジ君はどうなの!?」
「脳波異常、心音微弱・・・いえ、停止しました!!」
「生命維持システムを最大にして!心臓マッサージを!」
大わらわになる発令所の中で、駆け出した影が一つ。
青ざめた顔でケイジへ向かって全力で走っていった。
こうして戦いの舞台に立つ前に、退場せざるをえないという全くもって不本意な結果で第壱ラウンドは幕を閉じた。
第壱ラウンド終了後、葛城ミサトの立案によるヤシマ作戦が実行に移された。
日本の全地域から電力を徴発、その莫大なエネルギーを使用し、陽電子砲にて使徒のATフィールドを一点突破。
一見して、大雑把と思われるが、これが射程距離内の標的を自動排除する使徒に対抗する術として、考え得るなかで最も有効な手段だった。
余談であるが、本作戦による日本国が被ることになる損害は兆単位の金額である。
そして、陽電子砲も半ば強奪に近い形で戦自研から徴発していた。
これによって更にネルフが、政府及び戦自連中から煙たがられるようになったのはいうまでもない。
「また・・・この天井か」
最初の戦闘後に担ぎ込まれた場所と同じ天井が、シンジの視界に広がっていた。
「碇君」
「あ、綾波・・・」
「食事・・・」
ベットの横にはいつもの制服姿のレイが立っていた。
カートの上からシンジに食事をとるように勧め、自分はポケットから手帳を取り出して作戦スケジュールを伝えていく。
言葉の調子からすれば酷く事務的な対応であったが、時折心配そうな眼差しでシンジを見ていた。
先程、シンジが収容されたときには、これまでにないほどレイは取り乱しており、彼女を少なからず知るネルフの面々は一様に驚きの色を隠せなかった。
そしてシンジが意識を取り戻すまで付き添う姿にいたっては、ゲンドウも顔をしかめるほどだった。
「まったく・・・格好悪いなぁ」
「あんたねぇ、死にかけたんだからもうちょっと危機感を持ったらどう?」
「持ってるよ・・・」
苦笑いをするシンジと裏腹に、手はベットのシーツを握り込んでカタカタと小刻みに震えていた。
押さえようとして強く握るのだが、かえって震えが大きくなっていた。
「ハハッ・・・笑っちゃうよ。震えが止まらないんだ。怖くて・・・怖くて体が動かないんだ」
視線を落として肩を震わせる。
大きくない少年の姿がいつになく頼りなさげに見えて胸を締め付けられた。
「一度死んだんだから何にも怖くないなんて思ってたけどさ、・・・やっぱり怖いよ。死にたくないよ」
シンジは意識が途切れる寸前まで、胸を強く圧迫される苦痛に見舞われていた。
それは前に死んでしまったときよりも遙かに死を現実のものとしての実感を伴った。
直前にレイと交わした会話も相まって、シンジの体と心は恐怖という名の鎖に捕らわれていた。
「大丈夫・・・あなたは死なないわ」
震える手に添えられたレイの白い手。
そのぬくもりにシンジはハッと顔を上げる。
「あなたは死なない。私が守るもの」
「綾波・・・」
「・・・六十分後に出発だから。これ食べておいて」
目を見開いたシンジに小さく頷くと、レイはきびすを返して病室をあとにした。
「・・・守る、か。立場が逆だよこれじゃあ」
ベットの上のシンジは震えが止まった手を握ったり開いたりして感触を確かめた。
そして取り敢えず食物を胃の中に詰め込むと、ゆっくりと支度をはじめていった。
「敵ブレード第十七装甲板を突破!」
「本部到達まであと三時間五十五分!!」
「四国、及び九州エリアの通電完了」
「各冷却システムは試運転にはいってください」
様々な声が飛び交う、双子山に急造された変電施設と臨時作戦本部。
今回はただ使徒を倒すというだけでなく、時間という重要なファクターがあった。
準備と攻撃までの時間を考慮すると敵の攻撃が本部に届くのとほとんど差がない。
つまり一撃勝負。
そのくせ、ポジトロンライフル莫大なエネルギーを必要するうえに、急造使用で野戦向きでないときている。
ろくに試射をすることもできずにいきなり実戦投入なのだから、兵器としては非常に不安が残る代物だ。
諸々の不安を抱え込みながらも着々と準備が進む中、エヴァパイロットの二人は最終確認も含めた作戦内容の説明を受けていた。
「シンジ君は砲手を担当、レイは零号機で防御を担当して」
「「はい」」
「これは高い精度を要求されるオペレーションよ。だから初号機とのシンクロ率が高いシンジ君に砲手を担当してもらっているの。何か質問はある?」
「・・・もし、外した場合は?」
「2発目を撃つには冷却・再充填等でどんなに短く見積もっても二十秒はかかるわ。それまでに狙われてしまったらアウトね」
「一発で決めろってことですか」
「平たく言えばそうなるわ」
「わかりました・・・」
「時間よ。二人とも準備して」
「「はい」」
街の明かりが全て消え、夜は久方ぶりに原始の姿を取り戻した。
静寂と闇が支配する広大な空間がシンジの眼下に広がっていた。
戦いの時を待つ二人は一切の言葉を発することなく、闇の先を見据えていた。
緊張感が高まり、表情は引き締まっていく。
それは決意を秘めた戦士の顔に近く、おおよそ十四歳の子供がするような表情ではない。
「・・・時間ね」
「うん・・いこう」
「あなたは絶対に守るから」
「・・・僕も絶対に外さない」
二人は立ち上がりエントリープラグの中へと身を沈めた。
日本標準時が午前零時を刻んだとき、日本国中のエネルギーをかき集めたヤシマ作戦はスタートした。
「シンジ君。日本中のエネルギー・・・あなたに預けるわ」
「はい!」
地面に伏せるようにしてポジトロンライフルを構える初号機。
エントリープラグ内のシンジは、スコープを覗き込みながら気持ちを落ち着けようと努力していた。
鼓動は大きくなり、耳が痛くなるくらいに響いている。
スーツの中でじっとりと汗をかいている感覚がある。
緊張で呼吸まで乱れそうになっている。
それでも使徒の中心を捉えようとする鋭い眼光は変わっていなかった。
「発射まであと10秒」
「9」
「8」
「7」
「6」
「目標に高エネルギー反応!」
「クッ!気付かれたかッ」
ミサトは思った以上に早い敵の反応に焦りの色を隠せないでいた。
「敵よりも先に」これだけに望みを託してあと数秒のカウントダウンを耐える。
「撃て!!」
放たれた一筋の光は一直線に使徒へと向かって飛んでいった。
しかし同時に使徒からも加粒子砲が放たれ、陽電子と加粒子がお互いに干渉し合ってしまう結果となった。
「クッ・・外した!?」
「シンジ君すぐに移動して!」
「っはい!」
コードを引きずるようにして初号機は山肌を駆け下りていく。
その間にヒューズの交換を行い、第二射に備えた。
ここで予想外の出来事が彼等を襲っていた。
ねじ曲げられた加粒子砲はたしかに彼等には当たらなかった。
しかし、その代わりに今回の作戦の要とも言うべき通電システムがやられてしまったのだ。
前にも述べたが、この作戦は時間との勝負でほとんど余裕のない計画だった。
電源供給ラインもその規模の巨大さ故に複数のラインを用意することができなかったのだ。
この時点で技術開発部が血の滲む思い出組み上げたポジトロンライフルは単なる鉄塊と化した。
たった一発。
あまりに儚い運命だった。
「十時間の抵抗が一瞬で水の泡とはね・・・やりきれないわ。生きてるラインはあと幾つぐらい?」
「・・・全体の10%を切ってます。ポジトロンライフルの充填にはとても・・・足りません」
「敵、第二射来ます!」
「ッ・・万事休すか」
使徒の加粒子砲は山肌の初号機に向かっていた。
電源が切れてしまったことを理解するのに時間がかかったシンジは、それをかわす動作に移るのにコンマ何秒の遅れが出た。
そのコンマ何秒が、その光を回避不能のものに変えた。
「ダメだ!かわせないっ!」
一瞬のうちに半日前の苦痛と恐怖が目の前に蘇ってきた。
思い切り歯を食いしばって、シンジは目を背ける。
だが、彼が次に目にしたのは、光を遮るようにして立ちはだかる黄色い巨人の背中だった。
「あなたは・・・死なせないっ!!」
「綾波!!」
想定したよりも加粒子砲の威力が高かったのか、零号機の持ったシールドは十秒足らずで溶けだした。
それでも零号機はその場所から微動だにしない。
足をその場に杭で打ち付けたかのように、ジッと耐えていた。
「もういい!綾波は逃げろ!」
「ダメ・・・あなたは私が守ると約束したもの・・・」
シンジの言葉に大して首を振るレイの顔は、明らかに苦痛に歪んでいた。
最早死への恐怖よりも、シンジの中では別の恐怖が大きくなっていた。
そして零号機が加粒子砲を受け止めていた盾が完全に溶けきった瞬間、シンジの中で何かが弾けた。
「ああああぁぁぁぁぁぁ!!!!」
そのとき、零号機の中にいたレイは白銀に輝く翼を見た。
そのとき、シンジの側にいたユイナは紅く輝く瞳を見た。
少年は・・・天に向かって吠えた。
後書きみたいなもの。
「WING OF FOTUNE」も七話ですが、アスカ登場までまだあと一、二話かかりそうな感じ・・・
書いているうちにどんどん膨れ上がってしまうんですよね、これって。
今回に関してもちゃっちゃとラミエルを片付けるつもりだったんですが、
思いの外長くなってしまい、前の六話の長さとの釣り合いを考えてこうなりました。
続きはそう間を置かずに書きたいと思います。